40、 転生者が入ってはいけない部屋①
長くなってしまったので①②に分割します。
地下を覆う淀んだ空気と、かすかな音を立てて流れてくる外の風。列柱に灯されている明かりがぼんやりと私たちの足元を照らす。
皇宮の地下も例によって床は真っ黒。回廊の中心部分のみが灰色の石畳で占められており、行先を示している。
ここを真っすぐ進めば祭祀場のはずだが、なぜか私の目の前で石畳が二手に別れていた。
「……? 祭祀場の近くにもうひとつ部屋があるだなんて本には書いてなかったけど」
訝しむ私に、ヴェーリルのわざとらしい咳払いが聞こえた。
「……フリッカ嬢。そっちは後宮だよ」
「えっ!?」
「君、皇妃になるのに後宮の場所を知らないのかい?」
直前まで疑っていたヴェーリルに、今度は疑惑の眼差しを向けられることになってしまった。
思わず視線が泳ぐ。
「うるさいわね……! 私は清い乙女なの。そ、そっちには興味がないからこっちに進むわよ」
側室の女性と鉢合わせ、なんてことになったらとんでもない。
まあ、別にいいけどね。
ゲオルグが選んだのは私なんだから。
祭祀場は、真っ暗な地下空間にぽっかりと浮かぶ四角い部屋だった。四方を水路が囲んでいるので、文字通り「浮かんでいる」ように見える。
「本当に入るの?」
腕を組んだヴェーリルが再確認してくる。
比較的度胸があるタイプなのだと思っていた彼の眉尻は下がっていた。
「もちろんよ」
「場所を確認するだけなのかと思っていたよ。やめといたほうがいいんじゃないかい?」
ヴェーリルがちらりと背後を盗み見る。もしかしたら近衛兵がいるのかもしれない。私にはその気配を察することはできなかった。
グナーがドアに近寄る。
「鍵がかかっているのではありませんか?」
確かに。そう思ってドアハンドルに手をかけた。
が、簡単に回った。
「そもそもここには何があるんだい? フリッカ嬢は世界樹崇拝の証拠があるって息巻いてたけど、そりゃ世界樹の絵やモニュメントくらいあっても不思議じゃないだろう」
「私の推測が正しいなら……ここにヤルンヴィットの古語が綴られているはず」
「ヤルンヴィット?」
ヴェーリルの声に、恐怖の色が含まれた。
「世界樹に関するヤルンヴィット古語の記載があれば、人類史を覆すことは確実よ」
「ちょ、ちょっと待って。君は……古代文明のことも知っているの?」
明らかに彼は慌てている。
でも、私は私で彼の言葉に答える余裕がなかった。
頭が痛い。動悸が激しい。
私は、部屋の中に呼ばれている。急ぐ気持ちをおさえて、部屋に入った。
◇
虹の祭祀場は、目に刺さるほどに鮮やかな顔料で黄色く塗りつくされていた。
黄色い壁一面に描かれているのは大きな樹。世界樹だ。
世界樹の枝が四方の壁と天井に伸び、さまざまな生き物の胴体を貫いている。
「これは……」
グナーが息を呑み、ヴェーリルが驚いている様子が伝わってきた。
2人が驚くのも無理はない。
この世界樹の壁画からは神々しさが感じられなかった。禍々しいのだ。全ての生き物から命を搾り取ろうとする残忍な樹にしか見えない。
「異様な感じね……。ここは本当に世界樹を祀る祈りの場なのかしら」
黄色い壁には世界樹だけでなく、小さくて黒い虫がびっしりと書かれている。
いや、虫ではない。
文字だった。
呪詛のように隅々まで、全ての隙間を埋め尽くす小さな文字。
間違いがない。鉄の森の言葉だ。前世でゲオルグが解読を手伝ってくれた石碑に書かれていたものと同じ形の文字だ。
その押し込めて書かれた小さな文字の上から、世界樹の絵が覆い描かれている。
「ここに記されている文字は国家繁栄を約束する御詞のはず。絵で上描きしたらまずいわよね? それともヤルンヴィットの古語は絵で隠しちゃえってこと? でもそれなら全部塗りつぶしちゃえばいいのに……」
帝国は、歴史学的にヤルンヴィット神興国の存在をなかったことにしている。
明らかに古代文明が造り上げたとしか考えられない皇宮はちゃっかり利用しているくせに、かつて自国の地に強大な国家が存在したことは否定しているのだ。
私は世界樹の壁画を見ながら、前世で書いた論文の一説を思い出していた。
『帝国にはヤルンヴィット一族の生き残りがいるとされる。彼らが滅亡した超高度文明とどのように関わっていたのかは聞いてみないと分からないが、同帝国の支配階級には創世神話を絶対視し、神話時代への回帰を訴える一派が多いことと無関係ではないのかもしれない』
論文を書いたのは15年前。
ゲオルグが革命を起こしたのは7年前。
革命によって倒されるまで帝国中の平民や騎士、低爵位の貴族を弾圧していた懐古主義派の煽動者は、まさにそのヤルンヴィット子爵家だった。
家柄の古さとしては圧倒的であり、「貴い血」を求める懐古主義派とヤルンヴィットの思惑は一致したのだ。
だから、ヤルンヴィット家を持ち上げた懐古主義派と、ヤルンヴィットの存在をなかったことにするミドガルズ帝国の思惑は真逆のはず。
――先帝ミッドガルド10世が何を考えていたのかは分からないけれど。
「となると、やたら世界樹を神格化する帝国祭祀の動きは、ヤルンヴィットのアンチテーゼとも考えられるわよね」
目の前に描かれた世界樹の絵が如実に示している。
大陸を覆うほどの影響力を持った国家を“なかったことにしよう”とする意思。
「あれ……なんか、それって」
私が殺された理由と同じ?
なんだか核心に近づいている気がする。
ヤルンヴィットの古語を世界樹の絵で隠す理由は何だろう。
世界樹が単なるポンプであること、そのポンプによって発展した国家に関する真実を隠しておきたいのは誰だろう。
私の論文を不快に思うのは―――誰だろう。
純粋に考えれば懐古主義派なのだと思っていた。
でも、なんだか、それだけじゃないような………。
『鉄の森が消えた背景にはポンプの故障もしくはニブルヘイムの介在があったと考えられる』
ニブルヘイム。
熱動力移送吸引機器<ポンプ>を作り上げ、何枚もの大陸を重ね上げたというそれこそ神さまみたいな国。
目の奥の痛みが激しくなった。目が開けていられない。
でも、私は真実が欲しくて壁に書かれている古語に手を伸ばす。
これが解読できれば、ゲオルグの助けになるかもしれない。
懐古主義派の狙い、そしてゲオルグの敵を知るための―――………。
「やめろ!」
途端、ヴェーリルが私の肩を掴んだ。
「フリッカ、それに触れないほうがいい! 取り除かれるぞ」
「……ヴェーリル? 何を言っているの?」
彼に掴まれた肩とは反対の手でそっと壁に触れた。
私の指が、ヤルンヴィットの言葉と接する。
そうして世界は、シルエット・パズルの細かいピースとなって崩れ落ちた。