39、 帝国軍事府会議(ゲオルグside)
太い柱頭が等間隔に並んだ皇宮の作戦会議場に、帝国軍事府の要職者が顔を並べていた。
立ち上がって報告しているのは帝国軍参謀のキオートだ。
「先日舞踏会にて拘束した2人ですが、服装や言葉の訛りからエルム領の人間だと思われます。ただ、それなりの責めを与えましたが有力な情報は得られませんでした」
拷問したが吐かなかった、ということである。
「決定的な証拠がなければ軍を動かすことはできん」
長い白石の机を囲み軍高官たちが考え込む中、俺の斜め前に座するフギンが一言で評した。
「大家令殿のおっしゃる通りです。エルム家の疑惑を決するには至りませんでした。ですが彼らは――いずれもこれを所持していました」
キオートが取り出したのは、手のひらに収まってしまうほどの四角い布地。らせん模様が描かれた布切れだった。
「またこれか」
眉間の皺が増えるのを自覚した。
2本のリボンがらせん状に絡まって続いている。単純な模様ではあるが、見る人が見ればヤルンヴィット家の紋であることは一目瞭然だ。
シンプルなくせにどこかいびつで独特なかたちが、俺は大嫌いだった。
◆
少し古い話になる。
先帝、ミッドガルド10世の時代。帝国は荒れていた。
国そのものが弱体化し、他国に領土を狙われていた。
そんな現実の不安から目を背けるように、貴族たちは華々しかった昔話を語り合い、葡萄酒を嗜む日々が続いていた。
不幸なことに、時代に求められてしまったのがヤルンヴィット家の血の古さだった。かつて大陸の覇権を握ったなどという夢物語に出てくる文明と同名の家柄。俺の父と兄は、愚かな貴族に唆されて先帝周辺の権威主義者たちとつながっていった。
『いいか、ハリージャ。私たちは偉大な一族の末裔だ。その誇りを忘れてはならん』
父はそう言ったが、俺には全く興味がなかった。ヤルンヴィットなどという国が本当に存在したかどうかも分からない。本を読んでいるほうが楽しかったので、貴族たちの会合にも足を向けることがなかった。
領主になる将来にも希望が持てなかった俺はバナヘイムに留学した。結局フリッカとの結婚もなくなり失意のまま帝国に帰ってきたときには、もう手遅れの状態になっていたのだ。
『ハリー、お前が帰ってきたのはある意味運命だったのかもしれぬ。この家の者として、これ以上ない生きがいを見出す日々がやってくるのだぞ』
兄は高揚していた。弟は戸惑うしかなかった。
『帝国は貴族の国だ。伝統ある我がヤルンヴィット家が中心となり、一世一代の騎士潰しを行うのだ。その活躍を以てヤルンヴィットに適した爵位が与えられよう』
そうしてヤルンヴィット家には先帝派や懐古主義派が集まるようになった。その際、団結を確かめるように配られていたのがヤルンヴィット家の紋布だった。
◆
「幅広の剣は、先帝時代の騎士家弾圧で使われていた武器です。おそらく、この2人も弾圧に参加していた者たちではないかと」
続けられたキオートの報告を聞いて鼻で笑った。
先帝が倒されたと同時にヤルンヴィット家の当主と嫡男は死んだ。父も兄ももういないのに、未だその影響力が俺を悩ませる。不快なことこの上ない。
なお、次男だったハリージャ・フォン・ヤルンヴィットも“表向き”は亡くなったことになっている。
今いるのは先帝の形式的な養子となった「ゲオルグ」という男だけだ。
俺は背後に立つ近衛特兵を手招きした。ヘイムダルだ。
「ヘム、遺体を確認しておけ。ヤルンヴィット家の使用人だったお前なら顔に見覚えがあるかもしれん」
「御意」
「それと、お前の母親にも確認させろ」
「母……ですか? 承知しました」
短く指示を終え、再び前を向いた。フギンの向かいに座る男に視線を送る。
「大公、どう見る」
キオートが着席し、代わって老齢の大男が立ち上がった。帝国軍総司令官のエッシェンバッハ大公だ。
「エルム家騎士団は帝国軍の戦力としてもかなりの割合を占めており、不用意な刺激は得策ではありません。謀反の証拠を掴むためには事前通告なしに軍を差し向けて鎮圧するのが良いでしょうが、そこでしくじると再び内乱になりますな」
大公は経験豊富な将軍である。巨大な戦斧を振り回して戦場を駆け回る血気盛んなタイプだが、戦略については確かな視野を持ち合わせていた。
フギンが唸る。
「司令官はエルム家を泳がせろと申すか? 実際にフェンサリル家令嬢が襲われたのですぞ。婚儀も近いのに、野放しにするのは危険ではありませんか」
「公爵家も一枚岩ではなさそうですから攻め崩すには別の方法もありましょう。それよりも私としては公爵家一強となっている帝国軍の構成を再検討したく、陛下に奏上申し上げる次第です」
その後は軍改革の話になり、一通りの話題を終えたところでフギンが渋面を作った。
「それにしても、エルム家三男はまだ出頭しないのか? 控室から呼んでこいと言ったではないか」
その台詞を待っていたかのように会議室のドアが開けられた。
入ってきたのは近衛特兵である。ヘイムダルとは別の男で、外套の上からでも堂々とした体躯が見て取れた。
「陛下にご報告申し上げます。エルム家ヴェーリル候は現在、フェンサリル家令嬢とともに主城塔大階段前におります」
「……何?」
事態が掴めない。答えに窮した。
「控室から会議場に向かっていたヴェーリル候が、大階段のところにいた令嬢と合流しました」
「誰かがフリッカを大階段に連れていったのか?」
「いえ、ご自身で部屋から出たようです」
「……あのじゃじゃ馬が……!」
舌打ちした。
昨日、「どこにも行かない」と言ったばかりじゃないか。
「フェンサリル家令嬢およびその侍女とともに、ヴェーリル候は地下に向かっています」
「地下だと!?」
「目的地は虹の祭祀場のようです」
地下はいろいろな意味でダメだ。
俺は即座に立ち上がって近衛特兵を睨みつける。
「今も別の者が見張っております。仮にヴェーリルが令嬢を害することがあればその場で殺害しますのでご安心ください」
「俺が言いたいのはそういうことではない」
「令嬢の傍に置けばヴェーリルの正体が露見する可能性も高いでしょう? ―――陛下はこの世にたった一人、皇妃になれる女はごまんといる。それだけのことです」
猛烈な殺意が湧いたが、こいつを殺すよりも一刻も早く彼女の元へ向かうべきだと理性が判断した。
「会議は中断する。すぐ戻る」
一言だけ告げて、俺は議場を後にした。




