34、
庭園での茶会の後、私とグナーは皇宮見学ツアーに参加していた。
ガイド役は気まずくなった雰囲気もなんのその。職務を忠実にこなすヘイムダルである。
「ここが皇宮の主城塔になります」
私たちは今、皇宮の正門へと続くだだっ広い廊下を歩いている。
「主城塔にはエントランスホールと大階段のほか、大会議室や迎賓ホール、食堂があります。二階フロアから左右に伸びる回廊は右城塔と左城塔につながっています」
右城塔は私が閉じ込められている寝室や皇帝の私室――場所は明らかにされていない――、軍事府に務める要職者の執務室などがある。警備の観点から、右に重要な人間が詰め込まれている。
ちなみに玉座は主城塔の最上階にあるそうだ。
皇宮はとにかく規模が大きく、天井を仰げば首が痛くなる。そして壁一面が真っ黒だからとにかく不穏。
そんな魔王城のような建物の中でも、ヘイムダルは身振り手振りをまじえて分かりやすく説明してくれた。軍人らしからぬ童顔は相手の警戒を解く。穏やかな彼の語り口はガイドにぴったりだ。
一方で、それほど温厚な彼が取り乱したヤルンヴィットの紋。ゲオルグにも深く関係するのは間違いなくて。
一体どんな理由があるのか、考えるなと言うのは無理な話よね。
「奥に見えるのが大階段です。これを中二階まで登ると突き当りに昇降機があります」
「昇降機……!」
聞きなれない単語に意識を引き戻される。
皇宮の名物と言えば、怪しさ全開の見た目と、黒い箱 “昇降機” である。少なくとも私はそう思っている。
昇降機とは、人を乗せて上がり下がりする「かご」の名前だ。
いつ作られたのか、どうやって作られたのかは解明されていない。分かっているのは、突起のついた鉄の棒にかごをくっつけて上下させて動くということだけ。
なのに、今もちゃんと動いているのだ。
昇降機は現在の文明では作ることはできない。おそらくは鉄の利用に長けたとされている古代文明ヤルンヴィットが関係している、と私は思っている。
絶対に乗りたい。
優等生よろしくすっと手を上げたが、ヘイムダルは私の発言を待たずに困り眉で首を振った。
「ダメです。許可がおりません」
先代皇帝の時代には金貨を払えば乗せてもらえると聞いたのに。
「ゲオルグ様が即位してから禁止になりました」という返答を聞いて私はおいおいと泣いた。
悲しむ私を尻目に、ヘイムダルは今後の予定を話し始めた。昇降機は諦めきれないが、今の私には必要な情報である。しっかりと耳を傾ける。
「明日からは使用人が婚儀の段取りについて、侍女が婚礼衣装の採寸に関してフリッカ様のもとに殺到することになると思います。それが終われば……皇妃教育、だそうです」
婚儀は約2カ月後。各国の要人を招待し、帝都で大々的な祝賀パレードが行われる。その後、皇帝と皇妃が国内の各領地を巡幸する予定らしい。
そんなド派手な婚儀、まるで私とゲオルグを狙ってくださいと言わんばかりでは?
「過激派を警戒するんだったらパレードを中止すべきよ。万が一他国の要人が襲撃されたら外交問題になりかねないわ」
「そこは大室官が何と言うかですね。大家令殿も婚儀の縮小には反対しています」
内乱で革命を経た現在の帝国も、未だに「名を棄てて実を取る」外交政策が打てないレベルってことね。ゲオルグの苦労がしのばれる。
現状への絶望感に打ちのめされた私は、せめてもの抵抗として「皇宮に図書館はないの?」と質問した。
「婚儀を迎える前に衰弱死しそう。せめて本をください」
「図書館ですか……。行政府に律令記録所蔵庫、軍事府に戦術資料保管庫があります。あとは陛下の私室に書棚がありますが……通常は立ち入りできません」
「行くのが無理なら、本を持ってきてくれない? あと紙とペンも」
「分かりました。家令に取り合ってみます」
会話を終えたヘイムダルは何かを決心したように、伏せがちだった視線を私に向けた。
天井窓から差し込む光が、彼の碧眼に浮かぶ不安の影を浮き彫りにする。
「フリッカ様。―――先ほどの紋の件についてはくれぐれも御内密にお願いします」
それを決めるのは私よ。心の中ではそう思ってはいるものの、別にヘイムダルを困らせたいわけではない。悩んだ末にしぶしぶ承諾した。
「分かったわ。言わない」
今のところはね。
「ありがとうございます!」
へにゃへにゃと笑う不器用な近衛兵を、複雑な気持ちで見る。
「あなたってゲオルグのこと大好きすぎでしょ。軍人がそんなことで大丈夫なの?」
「よく言われます。冷静になり切れない兵士はすぐ死ぬぞって」
私がゲオルグから離れていた15年の間にも、彼は彼で皇帝としての苦難を背負い、さまざまな人との出会いや別れを経験したはず。
結婚するというのは、そういうことも一緒に背負っていくってことよね。
まだまだ知らなきゃいけないことがたくさんありそう。
ヘイムダルを見て、そんなことを思った。
「紋を秘密にする代わりに教えてほしいんだけど。――あのティーカップって、ゲオルグの私物なの?」
「いえ、あれは陛下の……実兄様が使われていた茶器です」
「兄?」
ゲオルグに兄がいたなんて知らなかった。
私って本当に彼のこと知らないのね……。
さすがの私も凹み始めてアンニュイ感を漂わせていたのだが、茶髪の童顔がさらに威力の高い巨石を投げつけてきた。
「ちなみにその男が僕の父親です」
「え?」
「陛下の実兄だった男がいちおう僕の父になります」
「はあ!?」
つまりこの子はゲオルグの甥ってこと!?
皇宮に来て何度目の絶叫なのか、もはや覚えていない。
私って本当にゲオルグのことを何も知らないのね……!