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25、 大帝国の舞踏会

 舞踏会会場であるテューリンゲン公爵邸の巨大な門をくぐる。

 その先に広がるのは見たこともない別世界だった。


「これが公爵家の財力……。贅を尽くすとはまさにこのことね」


 見上げれば首が痛くなるほどに高い天井には、気高い騎士と空を駆ける天使たちの画。

 徐々に視線を下げていくと、花柄モザイクのアーチと大理石の円柱の数々が目に入る。


 ホールの真ん中には多くのろうそくが立てられた真鍮(しんちゅう)シャンデリアがこの館の主のような表情で人々を見下ろしていた。


 後続の馬車から降りた生徒たちが談笑しながら私を追い越した。

 ドレスに慣れているのだろう。


 一方の私は生まれたての小鹿のように足をぷるぷるさせ、重厚な赤色の絨毯の踏み心地を確かめながら、ゆっくりゆっくりと足を運ぶ。


 ヒールの高い靴、普段よりもきつく内臓を締め付けるコルセットによって体が悲鳴を上げる。


「くっ苦し……! とりあえずメインホールまでたどり着かなければ」


 追い越す貴族たちが振り返って私を見る。

 その顔が驚きに満ちているのは見間違いではない。



 みんなが私に注目するのは、きっとこの衣装のせいだ。



 腰を絞ったボディラインとパニエによって花のように咲いた三枚重ねのスカート。肩とデコルテは大きく開いて肌を見せ、胸元の繊細なレースの刺繍が目を引く。


 細部にまでレースフリルや宝石があしらわれた、鮮やかな黄色のドレスだった。


 ピンクの髪のポニーテールは前世の私とお揃いだ。

 グナーにも手伝ってもらって、朝に早起きして染めた。


 ちょっと恥ずかしくもあるけれど、こんな素敵なドレスが着られたことは一生の思い出になると思う。


 ゲオルグにはちゃんとお礼を言いたい。

 パパとママにも見せてあげたかったな。


 気分を上げたところで再び歩き出す。


 寄宿学校の生徒も含めて、周囲は身分の高い貴族だらけ。私のような舞踏会なんぞ一度も来たことのない田舎娘は誰もいない。


「あの子はどこの家の娘? 見事なドレスを着ているくせに歩き方がひどいわ」


 さっそく冷笑が聞こえてきた。

 やっぱり帝国の舞踏会ってのは悪魔の巣窟だわ。


 のしのし歩いている私の前にどこぞの貴族が立ちはだかる。


 ……邪魔よ。

 そう思ってむすっとした顔で相手を見上げる。



「やあ、ご令嬢。また会ったね」



 そこには図書館で見た輝く笑顔があった。


 エルム公爵家ヴェーリル卿。

 白の燕尾服をまとった彼は正真正銘の王子様だった。


「あなた、どうしてここに……」


「それはこちらの台詞だよ。テューリンゲン公爵の誘いにエルム公爵家が出席しないわけはないからね。忙しい兄たちに代わって僕の出番というわけ」


 ヴェーリルは気障(きざ)ったらしい所作で私の手を取った。


 周囲から黄色い悲鳴が上がる。

 見渡せば着飾った貴族令嬢たちがヴェーリルに熱視線を送っていた。


「ヴェーリル様よ。相変わらず格好いい……! 踊る相手は決まっているのかしら」

「あの黄色いドレスの女は誰」


 なるほど。

 私は瞬時にして理解した。


 公爵家三男。イケメン。人当たりも良い。

 つまり優良物件ということ。


 帝国貴族の世界は狭い。女性の世界はもっと狭い。


 ここで恨みを買えば明日の私が殺されるかもしれない。


 逃げよう。


「ご令嬢は誰かに誘われて来たの?」

「寄宿学校の生徒と一緒に来たのよ。じゃあ、私は先生に呼ばれているからここで」

「ダンスの相手がいないのなら、私と踊らないかい?」


 ふざけんな。


 周囲の女性たちの視線に殺意が込められるのを肌で感じた。


「いやいや、私のことはお気になさらず」

「私は君と踊りたいんだよ。あれから話もできていない。結婚相手を探すよりもこっちのほうが面白そうだ」


 なおも断る私を、彼は「まあまあ」と(なだ)めながら先へと連れて行く。


 ダンスは拒否したいところだけれど、彼が支えてくれたおかげで小鹿歩行だった私もメインホールに到着することができた。


 豪華なシャンデリアの下、貴族たちがそれぞれの魅力を最大限アピールするための衣装に身を包んだ舞踏会は、想像以上の喧騒に支配されていた。


 貴族の男性が壁際の女性に話しかけ、ボウ・アンド・スクレイプでその目を奪う。

 葡萄酒(ワイン)を口にしながら、令嬢が彼らからのダンスの誘いを待ちわびる。


 家と家のつながりを保つための結婚。その前哨戦が目の前で行われている。


 彼ら彼女らは必死なんだろうけど、家のために自分の身を差し出す――というのが私には理解できなかった。


「ご令嬢はこの光景をどう思う?」


 隣にいる王子様が語り掛けてきた。


 その手には葡萄酒(ワイン)の入ったグラス。差し出されたそれを受け取って、私は小さく礼を返した。


「どうって……私には縁のない世界だな、って」


「縁がない、か。ここは全ての帝国貴族にとっての戦場だと思うけど」


「血縁で家を繋いでいくことに重きを置く貴族様にとって、のね。私には関係ないわ」


「ご令嬢はこういうかけひきを汚らわしいと思うかい?」


「思わないわ。そうしないと血筋は維持できないもの。……私は賛同できないだけ」


「ふうん。自分とは異なる考えでも受け入れる度量を持つんだね。やはり面白い人だ」


 大したことを言ったわけでもないのに、ことさら嬉しそうにしているヴェーリルを見て首を傾げた。


「どれだけ文明が発展しても、結局人は原点回帰するんだよ。しょせんは“樹から産まれた命”だからね。自然の掟には逆らえない」


 彼の言葉がぬるりとした生々しさを纏った気がした。

 私は眉をひそめる。


「あなた、それって……」


「太古の生き物だって死に絶えたんだ。それよりもずっと早く死ぬ人間たちがせめて血筋だけでも後世に伝えようと涙ぐましい努力を重ねたところで、私はそれを笑うことはできないな」


 明らかに創生神話を意識した発言だった。

 ここが帝都の街中だったら議論に応じてもいいけれど、舞踏会でそんな話題に興じるのはどうなのだろう。


 私が唸っていると「ああ、もしかして」とヴェーリルが何かを閃いた表情で迫ってきた。


「フリッカには好きな人がいるの?」


 なんで急にそんな話題に!?

 というかいきなり名前を呼ばないでほしい。ドキッとしてしまう。


 ヴェーリルは視線を合わせるようにかがんで私の手を取る。


「もっとたくさん話そうよ。私は君のことが知りたいんだ」

「んぎえええ」


 だから、その王子様ムーブをやめろ……!


「もちろん、教師の給料も弾むよ」


 女子にとって夢のようなシチュエーションだが、非モテには刺激が強い。

 か細い悲鳴を上げた私は、この場を乗り切るためにグラスの中身を飲み干した。


 やっぱり私には舞踏会なんて無理。

 合わない。

 疲労感がすごい。


 そういえば、ゲオルグはいつ来るのかしら。


 皇帝が来たら騒ぎになるはずだけど、まだそういった様子はない。

 ……もしかしたら公務で来られないのかな。


 自分が思った以上に彼の来訪を気にしていることを自覚した。



 グラリ。

 体がふらつく。



 一気に葡萄酒(ワイン)を飲んだのがいけなかったのかもしれない。


「大丈夫? 顔が赤いね。ダンスはまだ時間があるから、庭に出て風に当たろうか」


 そういえば校長先生も言っていた。

 テューリンゲン公爵邸の薔薇庭園は素晴らしいと。


 せっかくだし見てみたい気持ちもある。


 私はヴェーリルの提案に頷いた。


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― 新着の感想 ―
危うい。 もんげー危い感じしかしないぞ。 どんな陰謀が渦巻いてんだ(;゜Д゜)
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