3 ふたりのさや (3)
三日が経ち数馬がお蝶の家を出る時である、仕度をしていると。
「数馬さん、後一日居ておくれよ~」
「いや、お蝶さんの厚意で江戸もだいぶん分かってきました感謝しています」
「まだ分かっちゃいないよ、あと一日、今日は豪勢な食事にしようじゃないか」
と言っている内に、表が何やら騒がしくなってきた、ガラ~と玄関が開いて。
「お蝶! 期限だぜ、金は用意出来たのか?」
どやどやと、やくざ風体の者が数人入ってきた。
「お蝶。今度は相手がわるかったなぁ、ここじゃ汚れる、裏でやるか?」
十数日前お蝶が掏ったのはある大店の一人息子の懐だった、大店は日頃付き合いのある任侠・長五郎一家に捜索を頼み、お蝶の仕業だと分かった、十日の期限で掏った金を返さぬ時は右手の指を切り落とすと宣告されていたのである。 ただ盗んだ金はその日の内に貧乏長屋に振り撒けて一銭も残ってはいない。
「ああ、いいさあたしゃ指なんぞ惜しくもない、ジャマで仕方なかったのさ」
「いい度胸だな、助けてやりたいが俺も一家の看板背負いだ、悪く思うなよ!」
「まて、まて、お前さん方、女一人に無体ではないか?」
隣に居た数馬が黙ってはおられなかった。
「なんでぇお前は? すっこんでろ!っと言いたいが、うめぇ案が浮かんだぞ」
「おめえたち、こいつの指を切り落とせ、お蝶の代わりにするんでぃ!」
「親分、それはいけません、あたいも、この場に男士がいればと連れ込んではみたが、その仕打ちは酷すぎる、このお侍には関係のないことさ」
「関係ないとは言えねえ、お蝶の家にずかずかと入り込みやがって、許せねぇ」
気の短い江戸っ子に話は通じない、数馬はまた戸締り棒を握って表へ出たのである、元気の良いやくざ達だが、しょせん我流の剣が正統な剣に勝てるはずがない、大井川の渡し場の時と同じである。
「いててて……」
「あたたた……」
良い親分なのであろう”覚えていろ”とは言わない、数馬の剣には人を引き寄せる魅力があるのか、ここでも直ぐに気に入られた、と言っても相手はやくざである、コテンパーにやっつけた相手に一方的に好かれるのである。
「親分、お蝶姉さんを許してやってはくれぬか」
「へぇ~そりゃもう、悪いのはあの小倅ですわ、親の金に物言わせ遊び放題しやがって…… おらぁこの件からは手ぇ引きますぜ、うちが手を引きゃぁお蝶には誰も手が出せるもんですかい!」
「ああ、良かった、お蝶さん、そう言うコトだ…… それと、江戸とは本当に恐ろしいところ、お蝶さん勉強させてもらったぞ?」
「けぇ~~、旦那! 言わんこっちゃねえ、おいらの感は当たるんでぃ、だけど旦那は若いのに大したもんだねぇ~、おら好きになっちまったぜ!」
「長次! お前どこに隠れていたんだい、いるなら助けておくれでないか!」
「いやぁ助けるさ、おらぁ旦那が危なくなったら助けようと思っていたのさ」
なんとも江戸の庶民は? 癖があり過ぎるようである。
二日後、数馬は日本橋に住まいを置いた、住まいと言っても激安の長屋である、お蝶や長五郎が面倒をみると言い張ったが、数馬は長次に頼み、彼の縁者として、この長屋に入ったのである。
町はまだ不慣れであるが、真っ先に訪ねたのは誠心堂と言う刀の砥ぎ処であった。長五郎によると江戸一番の砥師がいて皆が刀を持っては行くが、砥いでもらえるのは一割とか? やくざの刀などは論外との事である。
「ごめん! お願い申す」
「へい、いらっしゃいませ、ようお越しを」
「実は砥ぎではないのだ、打ち直しと、一本所望なのです」
「へい、お聞きします、先ずはお名前を頂戴させて頂きます」
「……」
ふと、お蝶が教えてくれた偽名の件が頭に浮かんだが、どう名乗っても知る由もない相手である、気を取り直し素直に答える。
「兵頭数馬と申しまする」
一瞬相手の手が止まり、顔を見上げる。
「しばらくお待ちを、主にて対応を致しまする」
番頭と思いし者が下がり、主が前に座る。
「主の本多宗妙にございます、ご不審とは存じまするが奥で伺いましょう」
「……」
案内されるままに座敷に通される、床の間に二振りの刀、掛け軸は宮本武蔵の描いた枯れ木の百舌鳥である。
「大垣藩、先の次席家老・兵頭主膳さまご受難、誠にご冥福を申し上げます」
「宗妙どの、なぜそれを?」
「ははは、ここは江戸でござるぞ、全国の大概の出来事はこの日本橋で、幕府に伝わるよりも早う知る事が出来るというモノなのです」
「……」
「ははは、いささか大きなことを申しましたが、いや、先ずはお腰のものを」
数馬から一刀を受け取り、静かに抜くと、刀身は半分しか入ってなかった。
「や!これはどうされたか?」
目釘を抜き、柄を外す、銘はしっかりと”備前長船”と刻まれている。
「訳ありて不覚をとり申した、それを小刀にと」
「箱根、駒形神社でのことでありまするな?」
「だから、どうしてそれを……」
「実を言いますと、岡部宿の高岡屋、早也どのをお覚えかな?」
誠心堂と高岡屋は商売上繋がりがあった、店主同士も気の合う仲だったのである。高岡屋は娘から話を聞き、恩人である数馬がもし訪れたとき最大限のもてなしをと頼まれていたのである。 それを受けて、宗妙も全国を行脚する商人を使い、兵頭数馬の人物を探っていたのである。
「……という訳でございます。」
「そうでございましたか、早也どのがそれ程までに……」
「早也さまも色々ありましてな? しかし主にとっては目の中に入れても痛くない一人娘、よほど貴方様に恩義を感じておられるかと」
早也は十六の時店の借財と引き換えに嫁に出されたのである、ところが障害の娘綾を産んだため離縁、しかし綾の障害は父親の暴力の為であった、数年後商いの流れに乗った、高岡屋が借財以上の金額で早耶と綾を引き取ったのである。
「……という事でございます。」
「そうでしたか早也さま、苦労されておられるのか」
「数馬どの、脇差は出来たとして、刀の方は?」
「さぁ、それですが、実戦に支障のない鍛え傷があるようなモノでもよいと考えており申す、恥ずかしながら手持ちの方が……」
宗妙がやおら立ち上がり、床の間の一刀を持ち上げる。
「肥前忠吉。初代のものにございます」
「……」
「刃紋は直ぐ刃、質実剛健、戦国の代の最大業物、いかがですかな?」
「……これを私に?」
「お相手の持ち物は”関の孫六”とか、豪刀に対してはそれを凌ぐ豪刀! あなた様がいつ参られても良い様に、実戦用に砥いで待っており申した」
「宗妙どの」
「いやいや、お礼は早也どのに」
箱根峠のある神社である、霧が濃く手元も見えないが相手の顔だけはハッキリ分かる、兵頭数馬である、幼い中級の数馬が一端の剣を構えている。
段々と崖に追い込む、思いの通りなのである、最後の仕上げは自分の最高の技を繰り出すことだ、交わされるはずのない必殺の打ち込みである。だが数馬はそれを受けた、返す刀で心臓を突いて来たのである、思いもしなかった、自分の心臓に数馬の剣が奥深く刺さっているのである…… 咄嗟に布団をける、蹴り上げられた布団には数馬の微笑んだ顔があった。 よく見る夢であった、あの時俺は負けていた、生きていられるのは孫六のおかげである、俺は剣に生かされているのか? いや、違う剣と共に生きているのだ、俺の生き方に間違いはないはずだ。
「兼四朗、起きているのか?騒々しいぞ!」
兼四朗とは又右エ門の偽名である、孫六の刀工、兼元からとったものだが下手な偽名である、呼ばれても自分と思わない事が度々あるのである。
”ピュッ!、ピュッ!” ”ポッ!、ポッ!”
棒を振っても、突いても濁音が出なくなると一人前になった証拠である、誰もいない道場で一刀斎と五郎が対峙していた。
”ピュッ!”鋭い振りが一刀斎の体に襲い掛かる、五郎の力強い棒は刀で受け止められるものではない、交わすのは一刀斎にとっても至難の業であるのだ、棒が過ぎた後の打ち込みを狙うがその間もなく反対の棒尻が迫ってくる。
「やあ!」
一刀斎の鋭い突きは五郎の胸の古傷一寸横を刺す様にぴたりと止まっていた。
「参りました!」
「五郎、強くなったのう、お主の棒はただの棒にあらず、生きておる」
「そうでございますか、おらも近頃棒の先におらの拳が付いているよう錯覚するときがありますで」
「うむ、よいぞ! ただし、オラはよせ、わたしと言いなさい、棒も剣も言葉も同じじゃ、一つを正しく行えば他もそれに続くのである」
「五郎、侍はみな剣を選ぶが、剣は扱いを誤れば容易に人を傷つけよう、他人も自分さえも傷つけるためだけのモノなのじゃ。だが、棒はどうじゃ、生活の中に無くてはならぬ道具じゃ、剣とは違って人に必要な道具なのである、しかし、一度闘いとなると剣を凌ぐ獲物にもなるのじゃ、わかるか?」
「へぇ、言われることは分かります」
「へぇと言うのも止めなさい、はい!と申すのじゃ」
「はい!」
この頃、藩内である噂が流れていた、”数馬が果てた”と言うものである。
一月後、江戸日本橋である、大通りには露店が並び、旅に出る者は旅先への土産、戻った者は一息、物見遊山の弁当までも買う客で大賑わいなのである。
着流しで腰に二刀差しの若者は数馬であった、二刀の内脇差の方は今日出来上がった備前長船の治しである。元々の大刀を先ではなく手元を使っての治しである、長船と思われぬ豪刀に仕上がっているのである。
意気は揚々である。
「若旦那、ちょいと腕試しなんかどうでしょうかねぇ、あそこに芸侍が……」
「お前はまたその人だかりで一稼ぎか?」
「め、滅相も無い! あっしゃ、あれからやってませんぜ~」
「ははは、それは当たり前のことである、職は探しておるのか?」
「いっけねえや! あっしゃ、他人様の財布より重たいモノを持ったことがござんせんぜ、それで賄える商売がありやすかねぇ~」
「お前と言うヤツは……」
あれこれと言いながら、貧乏長屋まで帰って来たら、空家だった一番奥部屋の前に一同が集まっている。みなシーンとして中の様子を窺っているのである。
長次が小走りに近付き皆の後ろから声をかける。
「おいおい、どうしやがったんでえ!」
全員がこっちを向いて口に人差し指を立て、”シー!”
「数馬さん、ほれ、どう思う?」
数馬が前に引き出され隙間から覗こうとしたと同時に、引き戸が開いた、出てきたのは何と!
「さやどの!」
(さて、どちらの”さや”でしょうか? 5秒で答えてください!)