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3 ふたりのさや (2)

 箱根峠の谷間に人目を避けるように小さな庵があった、そこに猟師であろうか、歳の頃は三十半ば、熊の毛皮を纏った逞しく大きな男が入って行った。

「おかぁ、帰ったぜ! 獲物は無しじゃ、薬草は採ってきたで」

「新鮮なガマがあればのぅ、おうオトギリか、これは良い!」

「どうじゃ? 良くなりよろうかの?」

「さぁのう……、すまぬがの、谷ごのきれいなところを汲んできてくれ」

「よし、明るい内に行ってくるでぇ」

 板場にむしろを二枚敷き上掛けもボロを繋いだようなモノだった。

「四朗、駒形様から授かったお人じゃ、たのむぞ!」

「分かってらい、若いきれいなお侍じゃ、助けんと神さんが怒るで」

 還暦前? この時代では老婆である、彼女もこの世で最後に天から与えられた仕事と思い重体の数馬を懸命に介抱しているのである。

”ドーン!” 谷底で鉄砲の音がした、四朗が何か撃ったのであろう。

 しばらくして

「おかぁ、水汲んできた! それとこいつの肉で熱が取れねえか?」

 放り出されたのは大きなウサギだった。


 三か月が経った、谷の清流で体を拭いているのは数馬である、全身に細かい傷が残るが致命傷は無かったようだ。

「おめえ、回復が早いなぁ~ オラが怪我したときは一年かかったさぁ」

「おばばの介抱と四朗さんが精のあるモノを食べさせてくれるからでしょう」

「いや、それだけじゃないさ、おめえは神さんの子だもんのぉ」


 更に一か月が経つ

「おばば、本当に世話になり申した、命の恩人が二人も出来た、この世のどこかに私を生かせてくれた人がいると思えるのはこれからも心強い……」

「いやいや、数馬どの、そのようなモノにとりつかれることはない、数馬どのが出て行ったあとは、わしもどれほど生きられるものか」

 数馬への渾身の看病のせいか老婆は見るからに衰弱していた、まるで自分の命を数馬に与えたようである、そして静かに言う。

「生きる運命にある者が生きるだけのこと、人に助けられるのも自分の力じゃ、数馬どのに備わった力なのじゃ!」

「おばばぁ」

「うえぇ~」

 土間で猪罠の手入れをしていた四朗が大泣きで泣きだした。

 次の日、江戸行きの数馬を四朗が街道まで送ってくれた。

「四朗さん、私の里に五郎と言う者がいるのです、あなたを見ていると彼を思い出す、皆がどこかで会えるといいでしょうなぁ」

「そうですか、ま、名前の順番でもおらちが兄貴かの?」

「ははは……」

 数馬にとって平穏な日々であった、出来ればこういう風に一生を生きたいとも思ったがそれは全てを終わらせたのちである。


 江戸に近づくと人の歩くスピードも速くなる、旅人ばかりではない、そこで暮らす皆がせわしいのである、品川の宿を過ぎるともうそこは江戸であった。

「よ! 兄さん、どいときなよ! あぶねえんだぜ!」

「さあさあ、買わないんだったらちんたらちんたら見てんじゃないよ!」

 大来を大八車が荷物を運ぶ、いくつもの車が荷を下ろしたり積んだり、人の通りも真っすぐには歩けなくなる、だがこれは直ぐに慣れた、誰かの後ろをついて行くと人混みの歩き方は分かってくる……。

(これが江戸か、町の活気というモノか、大垣とは随分違う……)

 人だかりが出来ている、何事かと足を止めると、横から体を寄せてくる者がいる、後ろを早馬が駆け、皆がどよめいた時、すーっと懐に手が伸びてきた。

「いててて! なにしやがるんでい!」

 数馬がスリの手首を掴んでいた、懐から出すとスリの手が数馬の財布を掴んでいるのである。

「お、おれじゃねえよ!」

 強く掴まれた手は財布を放すことも出来ない

「では誰の手であるのかな?切り落としてみようか?」

「だ、だ、だんなぁ~許してくれよぉ、出来心、初めてなんだよぉ~」

 人だかりがこっちにも出来てきた。

「初めてなもんかよ~、おらこいつにやられたんだ!」

「そうだ、みんなこいつにやられているさ、証拠がないだけさ!」

「腕切ってくれよ! もうできねえように切ってくれ!」

「おーい、お侍が盗人の腕を切るぞ~!」

 中々の人混みが出来てしまった…… 数馬もここまでになるとは思わなかったので、戸惑っているところへ。

「旦那、私に免じて許してやってくださいな?」

 色香のぷんぷん匂うような年増女である、数馬ももとより腕など切るつもりは無かったので、ある意味助け船である。

「いや~ありがてぇ、お蝶ありがとうよ!」

 腕を捕まえられているのは、この辺り名う手のスリ”カギ指の長次”である。

「馬鹿言ってんじゃないよ、あんたを助けるつもりじゃないんだよ!」

「なんでぇ、なんでぇ、まあいいって事よ、おらぁ助かったんだ!」

「な~んだ、腕切らねえのかよぉ! つまんねぇ!」

 誰かのその一言で、人だかりはあっと言う間に引いてしまった、集まるのも早いが散らばるのも早いのである。

「旦那!おやまぁ~若いじゃないか、いい男じゃないか、助かったでしょ?」

「いや、まぁ、かたじけないと言うか……」

「あれ!? はっきりしなよ!助かったんじゃないかい」

 歯切れのよい女だった、三十過ぎの年増女はサチ、幸代と言う名前を持つが、この辺りでは小指のお蝶、”お蝶姉さん”として通っていた、スリである。

「若旦那! どこからいらっしゃったの? 今夜泊まるとこないんでしょ?」

「…… どこかよい宿でもあれば教えてほしいのだが」

「ほら、わたしの思った通り!」

「旦那! よしときなよ! 助けてもらったんで言いやすがね、こいつの言うこと信用してたらろくなことになりやせんぜ……」

 長次がひょこひょこと二人の後をついて行く

「旦那、オレがいいとこ連れて行ったげまさぁ、あっしに任せて下さいよぉ」

「ちょいと長次! お前さっきから旦那、旦那と、そこいらの男と見比べてみよし!こっちはどう見ても”若さま”だよ!あたいがもっといい男にしてあげる」

 数馬の腕を抱きかかえようとするお蝶を振りほどき。

「おいおい、よしてくれ、女将さん、長次さんもう別れようではありませんか」

「あら、いやだぁ~若さま! 江戸をそんな甘く見てはいけませんよ? さっきだって、切りたくもない腕を切る羽目になっちまっていたじゃないか?」

「お蝶! おめぇ、なんてぇ事を! おめえなんかが出しゃばらなくっても、おいらちゃーんと、若さまの顔が立つようにして差し上げられたんだ!」

「あ~ぁ、バカばかり…… あ、若旦那、そこがあたいの家さ、寄って下さいな」

「いや、私は先を急ぐので……」

 と言うのを強引に腕を掴み路地の奥に引っ張り込んだのである。

 少し入り組んだ路地を入るとお妾を囲う様なこじんまりとした家があった。

「さぁさぁ若さまお入りなさいな、 おまえは入ってくるんじゃないよ!!」

 玄関を上がって直ぐの六畳の間、小さな座敷机の前に腰を下ろす。

「女将さん、”若さま”は止めて頂きませんか、呼ぶなら数馬と」

「あら、数馬さんと言うのかえ、じゃ私の事も”お蝶”と呼びなよ、幸代と言う親のつけた名前もあるんだが、江戸で生きるには別の名前も要るんだよ」

「そうだ、あんたも江戸にいる間は偽名を使った方がいいんじゃないか?」

「…… 日本橋辺りでよい宿はありますか?」

「? 数馬さん、何を言ってるんだい、おまえ三日はここに居なきゃダメだよ!?」

「???」

「江戸を甘く見ちゃいけないって言っただろう? さっきのあの騒ぎ……、江戸じゃ噂はすぐ広まるんだ、けど三日もたてば忘れっちまう、ここで三日間江戸に慣れ、それから将軍様でもなんでも会いに行きゃぁいいさ、ま、騙されたと思ってお蝶さんの言う事をお聞き!」

「いやぁ~、それではここも迷惑……」

「迷惑なんて思っちゃいないさぁ、お代は要らないし食事だってそこらの旅籠よりいいものを出してあげるよ、あたしゃ数馬さんが気に入ったのさ」

 そこへ居ないはずの長次がひょこっと顔を出した。

「あぶねぇ、危ねぇぜ、数馬さんよぉ~ お蝶!おめぇってそんないい女か?」

「バカ長次が! どこから入ったんだい!」

「こんなあばら家どこからでも入れらぃ!」

「長次さん、ありがとう、だが、お蝶さんの言う事も一理ある、私は江戸と言う所を全く知らん田舎者です、ちゃんとお代は払い、居させてもらいましょう」

「やや! 若様、いや数馬さま、あちきは嬉しい、ではさっそくお着替えをお持ちしましょうな」

「お着替えをお持ちしましょうな? どっからあんな声出しやがるんだぁ!?  それにしても旦那、おいら悪い予感がするんだがなぁ~」

「ははは…… 長次さんは案外良い人だな? これも江戸の難しさなのかな?」

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