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2 家老の陰謀 (2)

 朝霧の中を数馬が発った、最後に城下が見える峠で振り返ったが、雲海のような霧が視界を遮っていた。この中に城があり家がある、母上がおり、兄がいる、師範、沙耶、五郎……色々な人の顔が浮かぶ、にじむ涙で景色はぼやけるが瞼を閉じても愛しい者たちの面影は消えない。

「南無! 数馬、前を見よ!」

 自分に言い聞かせる、腰には兵頭家伝来の名刀”備前長船”を差し、力強い足取りで峠を下って行った。


 見覚えのある屋形船である、軒にかかった提灯には丸に三の文字、船頭は三吉である。中で恰幅の良い侍二人と何とも癖の強い商人、そう大垣藩家老・渡瀬陣内と近森刑部、商人は海産問屋の近江権左衛門である。

「刑部、上手くいったのう、大評定も中止、大した手はずじゃ」

「は、これはまだ第一段階、来年に祈願達成となりますれば……」

「よいよい、来年までは長い、先ずは満足の出だしであるぞ」

「では、梅観の宴のご詮議も大船に乗った気持ちでおられるのでしょうな?」

「近江屋、お主もいっぱしの悪じゃのに、いつも小舟の気分では、いつまで経っても大船には乗れぬぞ? わ~ハッハッハッ!」

「して刑部、主膳の倅どもをどう扱う、生かすか殺すか?」

「は、今のところは父親と違いこちら側に付いていますが」

「ふむ少しは生きるスベを心得ていると見えるな、本心でこちら側に付くようにもそっといじめてやれ! あともう一人の倅はどうした」

「は、家を捨て逃亡のよしにございます、剣術の筋が良いと評判はありましたが、良家にも関わらず長屋暮らし等、命が惜しくなったのかもしれませんな」

「よし、それは放っとくが良い。いや、それは又右エ門の後釜を逃したかもしれんのう? わ~ハッハッハッ!」

 大きな魚が通ったのか、小魚がピョンピョンと水面を走る…、いつになく上機嫌の客に、投げ銭をはずんでもらえるかも?と、三吉もほくそ笑んでいた。


 事件から七日が経っていた、主膳の初七日が終わり、五郎もなんとか起き上がれるほどに回復をしていた、下男が座敷の布団で看病されるのである。

「奥さま、もうしわけねぇでごぜます、おらがもっと強けば!」

「いいえ五郎、あなたのせいではありませんよ、謝るのは私のほう……」 

「あなたまでも巻き込んでしまい、もし死んでいたら親御さんになんとお詫びをしたものか? 本当に生きていてくれてありがとう」

「奥さま、旦那さま、すまねえだ~」

「おら、旦那さまの最後は見てないんで、ただ毎日この枕元で優しく微笑んでくだっしゃ……いつも手荷物をお渡しする時になさる笑顔でがんすだ」

 泣きじゃくると咽る五郎である、まだ胸が痛く、生々しい傷痕が残っている、医師によると打ちどころが、もう一寸心臓に近ければ即死との事であった。

 午後になって、沙耶が見舞いに訪れた、一刀斎も葬儀の時に五郎の様子を見舞っている、道場と無関係ではない五郎である、沙耶に時々様子を見させるのである。

「五郎、どうじゃ?」

「はぁ、だいぶんようござんす、それより若様はどげぇすかのぉ?」

「もう若様はよい、沙耶の夫じゃ、数馬さんと呼べ!」

「しゅ、祝言されたと?」

「いや、祝言はしておらんが生涯の夫には間違いない」

「なんすか、分かり難いだんども、お嬢さまは若様が好きなんべやなぁ」


 東海道で江戸へ向かうのには二か所の難所がある、箱根の峠と大井川である、なかでも大井川は「箱根難所は馬でも越すが、越すに越せれぬ大井川」と唄われたほど最大の難所なのである。

 どうして橋や渡し舟が無かったのか?それは当時千人にも及ぶ川越人足組織の既得権益を守るためのものであった。橋や渡し舟の請願書は幕府に出されてはいたがこれを認めると川越人足の職を奪う事になる、幕府の立場は定められた渡しの場所以外で勝手に川を越えたりすると厳罰に処すると言うように、完全に川越人足組織側だったのである。

 この日も、昨日まで三日間続いた大雨で大井川の渡しが通れないため、手前の金谷宿で多くの旅人が足止めを食らっている、その中に兵頭数馬がいた。

 旅人には様々な人がいる、武士、町人、老いも若きも足止めの間はじっと耐えて待つしかないのである。皆見知らぬ者同士なので、あまり会話のない中、とても騒がしい連中がいる、渡し人夫である、彼らは幕府の後ろ盾?を良いことにこの場を仕切る!と言う具合で博打から飲み食いなど、全てにおいてお構いなしなのである。この日も、博打に負けて散々な一人の酔っ払い人夫が人混みの中、若い母娘の二人連れに絡んでいった。

「おめえら、なんてぇ目でオレを見やがるんだ!おらっちがそんな汚ねぇか」

「おらがいなけりゃこの先行けやしないんだどぉ!? なんだ今度は無視か!」

「おーい、みんな このアマに代償払ってもらおうぜ!」

 博打をしていた者も集まってきてどやどやと事態が収まりそうにない。

 数馬が静かに言う。

「もうおやめなさい!」

「……」

 皆が振り返った、この場では人夫たちに誰も逆らえないのである、いざこざがあると、渡りの時川の深みで溺れさせられる……”あからさま”なのである。

「やい、おめーか、覚えとくぞ!」

「いやいや、トク、今やっちまおうぜ!おらこの三日間で体が鈍っちまった」

「よし、退屈しのぎにこいつから遊ばしてもらうとするぜ、おもてぇ出ろ!」

 言葉では何を言っても聞く相手ではない、金よりも自分たちのやりたい放題を選ぶ連中なのである。

 待合小屋の外の広場は昨日までの雨で地面はまだ少しぬかるんでいる、 数馬一人を七人の人夫が取り囲む、いずれもケンカ慣れした不敵な面構えである。

またその外周を旅人たちが取り囲み、皆は旅の土産話を期待するのである。

 人夫たちは渡しに使う六角杖や棍棒などをそれぞれに手にしており、数馬も小屋の入り口にあった戸口の突っ張り棒を手にした。

「野郎、おめぇの行き先はここでしめえだ、やれ!」

「おおう! やっちまえ!」

 多勢で一人を相手にする闘いは順番にかかって行ってはダメなのである、相手は狭い橋の上だとか建物を背にして攻撃の角度を狭めたいものであるが、ここで数馬は周り四方ではなく七方を囲まれているのである。絶体絶命である。

「それ! やれ!」

 掛け声とともに一斉に襲ってきた、数馬は一方の棒を払いその背中を飛び越えると同時に肩を打つ、振り返り皆が正面から襲うのを体制を変えながら手、足、腰、膝と面白いように打つのである、大して力を入れていないようだが急所を打たれた相手は一発で起き上がれることが出来ない、達人とはこう言うものだ、何人が相手でも、素人が心配することはない。ものの五分もかかっていない。

「いてててて……」

「あーたたたた…」

「ちくしょー、たたたた……」

「トク、大丈夫か? あーいててて」

「ああ、まったくだ…… でもよぉ気持ちのいい痛さだなや?」

「おおぅ、おらもそう思う、オラたちがよぅこんな簡単にやられるか?」

「しかも骨折もしていねえ…… ああ、凄いなこのお方はよぉ」

 意外な展開であった、数馬も勝負には勝ってもこの渡しは渡れず、街道を変えるしかないと考えていたのである。ところがである。

「この旦那はオレが担いで渡るぞ!」

「いや、おめぇは汚ねぇ、臭いからおれだ!」

「なにお?今晩風呂に入るから汚ねぇとは言わせねえぞ!」


 結局渡しの日には蓮台渡しと言う神輿みこしのような乗り物で絡まれた母娘の二人と一緒に、あの七人で運んでくれた。

「トクさんでしたか、肩は痛くは無いのですか?」

「痛くも痒くもありますかい!旦那に手加減してもらたおかげでさぁ、だどなぁ~、お侍さん、おらたちがよあんな風になったのは訳があるんでぇ……」

「なにがあったのですか?」

「侍に恨みがあったんだべや!」

「この川止めになる前、島田へ渡したお侍が、担ぎ方が悪いと因縁をつけて来やがったんでぇ、そらぁオラも風呂は入らねぇんで、ちったぁ匂うたかもしれんなも?だんども担ぎについちゃぁ誰にも負けねえぇんでぃ!」

「……」

「そえで、ケンカになっちまって……、旦那と違って真剣を抜きやがった」

 だんだんと泣き声に変わって来る。

「今年人夫に加わったマサを斬っちまったんだ、まだ十五だぜ、父っあんも人夫だぎゃ体こわしてよぉ、マサが、マサが……」

「それは気の毒だが、貴方たちがついていて避けられなかったのですか?」

「恐ろしい侍だった、ケンカの相手はおれっちなんだども、顔を真面に見たときはビビっちまってよぉ、片目だぜ!?」

「なに!? その侍、上甲又右エ門と言わなかったか?」

「名前は聞かなかったけんど……」

 対面を担いでいた人夫が大声で言った。

「ほれ、連れの二人が又右エ門と言っていたべ!」

「トクさん思い出してくれ、又右エ門は何日前にここを渡った?」

「四日前でげすよ、四日前の夕刻、明日から雨だと遅くまで渡した日だべぇ、旦那あの侍と何か因縁が? あれは恐ろしい……やめときなはれよ?」

「……」

 雨で足止めに掛からなければ追いついていたのである。五郎の突きで隻眼になっているのは分かっていた、又右エ門の居所を知る重要な手がかりだ。

 (おのれ、又右エ門!)                                

 胸まである川の流れで、担ぎの名手であるトクが足を滑らせた、蓮台が大きく傾き母娘が慌てる、後ろを担いでいた一人が担ぎ棒の浮くのを咄嗟に押さえ込み難を逃れた。

「トクよ~焼きが回っちまったのかよぉ? それとも、ナマズでも踏んだけぇ? おらっちの大事な若様だぜ!?」

「ああ、すまねぇ、だどもよぉ~ 旦那が、旦那が……」

 片膝を立てた数馬が腰の長船を今にも抜かんと握りしめていたのである。

( 数馬!)

 沙耶の声が聞こえた気がした、ふと見ると同乗の母娘が怯えた目でこちらを見ている、沙耶さんも人並みの人生で五年もすればこの様になるかも知れない。

( 数馬、その殺気は周りの者を怯えさせるぞ!)

 今度は一刀斎の声が聞こえる。

「許せ!」

 数馬が緊張を解きトクに話しかける。

「トクさん、あなたは今私の殺気に驚き身を交わそうとして足を滑らせたが、私は己の殺気にさえ気が付かなかった…… 愚かさに気が付いたぞ!?」

「いえ~ぃ、あっしはゆんべの酒がまだちょこっと残ってて、不覚をとりやんした、旦那の事は信頼しとるでぇなんもこわいことないべぇ?」

「…… トクさん、あなたの欠点は風呂だけのような? 簡単な欠点だ、自分に自信が持てるようになると良い人足頭になれると思いますよ?」(笑)


 胸まである深みは無事に通り過ぎた、帯下の水面になると高さを実感して本当に神輿に乗っているようである、違っているのは屋根がないこと、見上げれば空の高みに二羽のとびが円を描くように舞っていた。


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