2 家老の陰謀 (1)
季節外れに襲った夕立後の大川は水かさが増し、船着き場にある一艘の屋形船は鴨と共に行き場を失っていた。
「船頭、今宵は出さずとも良い、少し外しておれ!」
船頭の足元に幾ばくかの投げ銭が跳ねる。
「へぇ~い、ありがとうごぜえやす。では、あっしは向かいの宿でいっぺえやってきやすが、なにかごぜえましたらそこの提灯でも振ってくださいやし、すぐ駆けつけやす」
屋形船の船頭が去り、しばらくして下人に案内された着流しの侍が乗り込んできた、男は浪人風であり菅笠で顔を隠していたがここまで来るとすぐに取った。
「失礼つかまつる、上甲又右エ門にございます」
「うむ、こっちへ座れ、ま、一献じゃ!」
先に乗っていたのは、大垣藩家老・渡瀬陣内と側近の近森刑部、それと海産問屋近江屋の主・権左衛門である。
しばらくはたあいのない話で酒が進む、今年の”梅観の宴”に話が及ぶと。
「あれは大垣藩に功績のある者がお呼ばれする行事でございましょ、私どものような者が呼ばれても良いモノなのでしょうかな?」
「おいおい近江屋、わしが招待したのだぞ!? 殿も文句は言われまい」
「しかしながら、私らの裏の顔もお殿様はご存知かと?」
「おおう、わしの権勢がその上を行っておると言うことじゃ、近江屋、わしに尽くしておけば悪いようにはならぬわ、わ~ハッハッハッハ!」
近森刑部と又右エ門は先に屋形船を後にした、酒席の主であった渡瀬陣内からは声もかからなかったが、鋭く視られた恐怖感のようなモノが残った。
船に残った二人の会話は。
「近江屋、あの男大事ないか?」
「はい、もう何年も前から見ております、あれをおいて適人はおりますまい」
「腕も確かじゃそうじゃな?」
「大垣藩きっての使い手にございまする、小田道場に籍はあるものの他流と交わりその剣法の多彩さは無類かと」
「人を斬ったこともあるのじゃの」
「はあ、最初は近辺の道場あらしなどしておりましたが、近頃はそれにもの足りず、他藩にて辻斬りなどいたしておる様子」
「ほ~、しかしどうしてその様な人斬りになったのじゃ」
「それは……、刑部様が”孫六”をお与えになったのがきっかけかと」
「孫六? 二代兼元か、その高価な刀を……、そちが調達したのであろう?」
「は~ぃ、大小揃えまして」
「近江屋お前……、おまえも悪よのう、わ~ハッハッハッハ!」
(どこかで聞いたような?)
一方、刑部と又右エ門は屋形船を出た後、町外れの小料理屋の二階にいた、酌の仲居もおらず静かに飲んでいる。
「貴公には三年辛抱してもらう、三年くらいあっと言う間じゃ!」
「……」
「供回りの者を二人付ける、功労者じゃからのう不自由は無しじゃ」
「ふふふ、監視か……」
「いやいや、わしらは同志ぞ!? 三年後お主はわしの上役かも知れぬ」
「まぁ何とでもほざけ、わしは大きい仕事がしたいだけなのだ」
話の内容は家老・渡瀬陣内の陰謀を暴こうとする次席家老・兵頭主膳(数馬の父親である)の暗殺である。それだけに留まらず江戸詰め戸田主税(ちから=大垣城城主戸田家長男)の暗殺である。
近く大垣城にて”大評定”がある、その場で次席家老から重大吟味事項が提出される。それは家老と近江屋の癒着、公儀禁制の抜け荷による膨大な利益を私的勢力の拡大に利用し、果ては世継ぎの主税君を亡き者とし、家老の影響力の及ぶ、次男丈太郎君をお世継ぎとすると言うものであった。
大垣藩の実権を狙う、家老・渡瀬陣内にとって、次席家老は目の上のたん瘤であり、重大吟味の事を知った時暗殺を決断したのである。
大垣城、大手門のほど近くにある次席家老・兵頭主膳の屋敷はそれに似合わず質素なものであった、子供は男子が三人いるが今はそれぞれに暮らしている、数馬も道場近くの長屋に住み込みここに帰るのは月に2、3度である。ただ、父母と下女だけでは物騒でもあるため、五郎を下男として住み込ませている。
これは年季の明けた五郎を家に紹介した数馬の仕業である。
「お帰りなさいませ、今日もご無事で」
「うむ、今じゃった!家内も変わったことは無かったか?」
「はい、こちらはもう。ですが、最近はなにやらあなたの身が心配で……」
「ああ、大評定でな? 朝晩は数馬が影から見守っておるわ (笑) 」
「数馬がいても身は一つ、お供をお付けになられては?」
「よいよい、五郎がいるだろうが、物々しいのは殿に申し訳がない」
「ですが……」
家老・渡瀬陣内と次席家老・兵頭主膳の確執は城下の皆の知るところであり、近く何かがありそうだとの噂で持ち切りだったのである。
五郎は奉公の年季が明け、自由の身になったが、奉公先の米問屋からは住み込み使用人として延長の話があった、五郎が泥棒退治をしてから待遇は良かった、こき使われることも無く、週に3日は道場の下働き(これが楽)である。
だが、尊敬する数馬から実家の下男として仕え、もしも父親が暴漢に襲われるような時、助けてやってくれと頼まれたのである。
数馬は小田道場師範、小田一刀斎より小野派一刀流の極意を授かりこれを習得するべく道場に近い長屋の一角で一人住まいをしていた。
時折訪ねて来るのは沙耶である、と言っても以前の男装姿の沙耶ではない、あの事件以来道場に顔を出すことは無くなった、母親はこれで嫁に行けると習い事に明け暮れさせている……。
「数馬どの?天気の良い日、部屋の空気は入れ替えなければなりませぬよ!」
「お嬢さま、ココへは来たらいけませぬ、用事があれば私が伺いますので」
「お嬢は止めなさい!私にも名前はあるのですよ !? それに、用事は家にあるのではなくここにあるのじゃ! 何ですかこの汚さは……」
「いやいや、ここは寝るのみのところ、生活は道場でさせて頂いております」
「私は道場には行かぬ、お前も奥には来てくれぬではないか!」
「お嬢さま、奥に用事はございません」
「そうじゃ、奥に用事はないゆえ、私が出向いておるのじゃ!」
「……では存分に掃除などしておいてくだされ、私は所用を思い出したので」
いつもこの調子である、数馬の隣部屋に長屋の皆が集まり聞き耳を立てている、女は沙耶の味方、男は其々である、数馬が外に出ると隣の部屋は。
ガタガタ!ゴトン、ゴトン!
「イッてぇな!」 「くっつくな!どいてろ、バカ!」
いつもこうなるのである。
大垣藩大評定の三日前、いつものように兵頭主膳が登城する、供は五郎のみ、屋敷から大手門まで三十間(50m程)と近いので屋敷門からでも登城の様子はよく分かる、数馬は対面の大手門近くの松の側でそれを見守った。五郎も大手門で手荷物を渡し城内へ姿が小さくなるのを見届ければ朝の役目は終了である。
「五郎、いつもすまぬな!」
数馬が近寄って声をかける。
「若様も毎朝ご苦労様でございます」
「ばか!若様はないぞ!若様とは江戸におられるお世継ぎの主税様じゃ」
「へえ、わっしには若様が呼び易いんでがんすがの?」
「長屋住まいの若様がどこにいる? 同年じゃ、数馬でよい! 大評定まであと二日、まさか大胆な者もいないと思うが、気を抜かないでくれよ」
「へぃ若様、分かりやんした……」
次の朝、いつも通りの登城である、五郎も松の横に数馬の姿を確認し安心した。だが、今日の松の横にある影はいつもとは違っていたのである。
数馬が長屋を出てしばらく進むと赤ん坊が泣いている、母親の姿は無く捨てられたようなのである……拾い上げて長屋に戻りかけると町方に呼び止められ番屋に拘束されたのである。
数馬が事情を説明するが、一応の取り調べとのらりくらり……。次席家老・兵頭主膳の名を出すと、なお怪しいと詮議がきつくなるばかりなのである。
一方、大手門前では五郎が手荷物を渡そうとしたとき、数馬と思いし人物、実は上甲又右エ門が音も無く迫ってきた、五郎が気づき羽交い絞めに組み止めようとしたが、又右エ門が素早く刀の柄頭で五郎の胸を打ちそれを逃れる、と同時に愛刀”関の孫六”を腰からの”抜きつけ斬り上げ”にて主膳を討ち果たしたのである。正にあっと言う間の出来事だった。
ただ、五郎も胸を打たれながらも繰り出した渾身の突きを相手の顔に食らわせたため、又右エ門の左目が潰れていた。
主膳は胸から喉を斬られ絶命、五郎もその場で気絶、又右エ門は素早くその場を離れ朝闇に消えた。 そしてもう一人、町家の陰でこれを見ていた近森刑部も主膳の絶命を確認し、ゆっくり姿を消したのである。
五郎に正気が戻ったのはしばらくしてからだった、止まっていた呼吸が復活したのだ、心臓から送られる血流が逆回りしている様な激痛の中、振り返ると黒い影が倒れていた、さっきまで自分が持っていた手荷物の書類が散々としている。
声にならない息と、倒れたままで動かすことも出来ない手足は不要なものに感じた、涙が止めどなくなく流れるが泣き声さえ出せないのである……。
やがて登城の者たちが駆け寄り、大騒動となるも五郎は激しい胸の痛みで再び意識を失い、別の世界をさまよっていた。
天気が良い、風も無く遊ぶにはもってこいの日である、野山を子供たちが駆けまわり、川に飛び込み魚を捕る。すると坂の上に品の良い一人の侍が去っていくように見え、追い掛けた、旦那さまお供します……。いや、お前は良く尽くしてくれた、ここに残るのじゃ、そしてあの子供らを助けてやって欲しい。
優しく微笑み侍は去った、子供たちをよく見るとガキ大将は数馬であった。
無意識にそっと目を開けたが、天井がぐるぐる回り酔いそうである、再び目を閉じるとなにか聞こえる。
「五郎!五郎! おーい、五郎が目を開けたぞ!」
「先生、五郎が目を開けなにか苦しそうな……」
「ほぅ、峠は越えた様じゃな、驚くほど生命力の強い青年じゃ」
主膳の通夜が行われる隣の間で、数馬と二人の兄が対面していた。
「兄上、これはどう考えてもご家老の陰謀……、だがもはや怒っても悲しんでも父上は生き返りませぬ、相手の手に乗ってはいけませんぞ」
「どうせよと?」
数馬は家老が兵頭家のとり潰しも考えている以上、見かけは恭順の意を示し城中に留まること、その中で陰謀の証拠を掴み、父上の遺恨を晴らす時を待つ、と言うものであった。家老の陰謀の先は藩の実権、まだ若き次男丈太郎君の後ろ盾として立つ、当然お世継ぎ主税君の存在を消そうとするはずである。
「又右エ門どの、もう少し足を速めては?」
「かまわん!殺ったのは大手門の外、追っ手は二藩までじゃ!」
「だが、もう少し先まで急ぎ安全を確保した方が……」
「よい、よい、わしも深手、刑部が上手くやってくれるわ、まだわしに死なれたら困るでのぉ~ よし、今日はここで泊る、この宿はよさそうじゃ!」
上甲又右エ門は供回り二人を連れて江戸に向かっていた、当然身を隠すのが目的であるが、もう一つ大きな任務?を抱えている。それは一年後、次男丈太郎君(くんと呼んではダメですぞ!”きみ”である)の元服の義に参列のため国元へ帰る長男主税君を帰路待ち伏せて亡き者とすることである。
「女将!酒と女を用意しろ、それと目の医者じゃ、銭ははずむぞ!」
数馬も旅支度をしていた、又右エ門が江戸に入る前に討つためである、江戸でもし江戸屋敷にでもかくまわれた時は手出しの仕様が無くなるからである。
事件より三日目の早朝、誰にも見られぬよう小田道場に一刀斎を訪ねる、師範は稽古場にて瞑想をしていた、数馬の訪れを待っていたのかも知れない。
「数馬、行くのか?」
勿論仇討ちである、それも藩の許しのない仇討ち、見事親の仇を討っても無事に帰って来ることは許されない。
「先生、期待を裏切り申し訳ありません、これまでの大恩……」
一刀斎は言葉を遮り。
「数馬、最後の一手じゃ!」
「はは!」
静寂の中、木刀で向き合う、時間はかからなかった。
一刀斎の正眼に構えた木刀がすーっと目前から消えたのである、はっと思ったときその切っ先は目の前にあった。
「餞別じゃ、他所においても修練を怠るでないぞ!」
くるっと向きを変え奥に下がる一刀斎の目は潤んでいた。
「はは……」
その場でうな垂れる数馬も泣いていた、だが時間はない、意を取り直し見上げた先に沙耶が立っていた、沙耶もまた泣いているのである。
「数馬……」
日頃の大声ではない、泣き入るのを必死にこらえるか細い声。
「数馬、どうぞご無事で」
「お嬢さま、いや沙耶どの、どうぞ幸せな人生を歩んでください」
「いや、沙耶は数馬の妻、そなたの身になにかあれば沙耶も生きてはおらぬ」
「いけませぬ沙耶どの、もうはや数馬は亡霊、そうした者を追いかけてはならぬのです」
「いやじゃ、ならば沙耶も亡霊じゃ……、お前が去れば生きてはおらぬ」
泣きじゃくる沙耶は子供であった。
「分かりました、沙耶どのに文を書きましょう、季節が変わる毎に一通、数馬の無事を知らせましょうぞ」
「ほんとう? 本当じゃのう? 数馬抱きしめて下され」
「……」
「数馬、私の夫じゃ、夫の胸を知らぬ妻はいないぞ?」
「沙耶、もうそのくらいにしなさい、数馬には志があるのじゃぞ」
奥に下がったはずの一刀斎が居て助け船を出してくれた。