1 小野派一刀流 (2)
その夜、数馬の姿は人里はなれた大垣八幡宮の境内にあった。 大垣八幡宮と言えば、建武元年(1334年)奈良東大寺の鎮護神である手向山八幡宮を歓請したのが始まりで、戦国時代に斎藤道三の兵火で焼失したが、数年前大垣城城主戸田氏鉄が再建整備したものである。祭神は応神天皇(第15代天皇であるが実在は定かではない)大垣祭りが例祭として今日まで続いている。
月を背にした立灯籠の影に対し、正眼に構えた数馬の姿は完全に気配を消していた、たとえ辺りに野生の動物が現れたとしても、彼の存在に気付くことは無いように思えた。
灯籠の影が次第に伸びる、その影の奥から不意に別の影が足元に迫る。 鵟の飛翔の影が映し出されたのである。 刹那数馬の躰は三尺を前に跳びその影を見事に斬っていたのである。 丁度餌を求めに来ていた狸の親子は一瞬動きを止め空を見上げたが何事も無いことを確認したようで社の床下へと消えて行った。
大垣藩から東海道を東に進むと直ぐに今尾藩に着く、城下の隅の色街外れで夜遅く人目の届かぬ裏路地に着流しの上甲又右エ門が佇んでいた、その裏路地を急ぎ足で通り過ぎようとした武士がいる。
又右エ門が背中越しに小石を投じる、武士はひょいとかわした。
「なにをする!」
「……」
すくっと立ち上がった又右エ門が無言で剣を抜く、差料は大小共に兼元、通称”関の孫六”である。
「なにを無体な、何者じゃ!」
「名を聞いてなんとする、今宵限りの命ではないか」
「待て!のぞみはなにぞ!?」
「のぞみは命……」
正眼の構えにスキが無い、武士も避けられぬ勝負と思いゆっくりと刀を抜いた、どちらも中段正眼である。こうして対峙するとお互いに技量が分かるものである、武士には又右エ門の剣の切っ先がいくつにも見えるのである、どれかを払った瞬間残りの切っ先が自分を貫くだろう、と言って相手の打ち込みを待つとどの切っ先が襲ってくるのか、払える自信がない、正眼ではこちらが不利なのだ。 だがどうしたことか、又右エ門が正眼を崩し、ゆっくりと八相に構えを変える、武士はその一瞬のスキを逃さず渾身の突きをみせた。
「やあぁぁぁ!」
おそらく又右エ門以外の相手なら避けられるはずが無かった、それ程鋭く伸びる突きだ、相手の武士も相当な剣豪なのである。
又右エ門には分かっていた、小石をかわした時の身のこなしから今尾藩でも名のある侍だろうと。正眼で逃れぬ運命を悟り、その後八相に移る一瞬のスキの間に打ち込んでくることも……、誘いである。
武士も読んでいる、この瞬間で勝負が決まる。自藩の中では自分の突きをかわせる者はいない、ただ突くのはこの場所ではない、相手は左に変わるはず、その重心が定まるところを突き抜けば逃れることは絶対出来無いのである。
「だあぁっ!」
……どうしてこのような事が起こるのか、なぜ見知らぬ者が命のやりとりをするのか、こう言う時代があったことを本当に切なく思うのである。
(や?話がそれた!)
「う、う、う、……」
武士が発した声はそれだけだった、又右エ門は(相手から見て)左ではなく右に変わり八相に構えた剣を相手の右頚椎(けいつい=首)に振り落としたのである。血潮が飛び、一瞬にして彼は人から躯へと変わった、彼に妻子はいたのであろうか、父母の悲しみはどれほどのものか。
「やっ!」
「とぅ!」
道場に掛け声が響く、戸口の前を掃除する若者がいた、竹田村の五郎である。
五郎は二年前に奉公に城下に出され、ある米問屋で丁稚奉公をしていた、日頃から良く働く五郎は仕事は最後まで、食事も最後、就寝も最後、ただ起きるのだけは最初であった。何事にも不平不満を言わず何事にも真面目に取り組んでくれた、来春には三年の年季奉公が明けようとしていた。
しかし、半年前に奉公先の米問屋主人宅に盗人が入り、家の者を縛り上げ金銭を盗もうとした事件があった、下働きで夜遅くまで倉庫の掃除をさせられていた五郎が帰り、その盗人を懲らしめたのである。
この事件をきっかけに主人が盗賊に対して防衛策のため、剣術道場の威を借りようと、五郎を出張丁稚?として小田道場に務めさせているのである。
小田道場としても、数馬にいつまでも下働きをさせるわけにもいかず、代わりの下男を探していたので両者の思惑は渡りに船であった。
五郎が道場の戸口周囲を掃き終え中に入ろうとしたとき
「ここの者か?」
ふり向くと黒の上下で立附袴に顔は菅笠で口から上を隠している、見た目には立派だが何やら恐ろしい風体の侍だった。
「へぇ」
「上甲又右エ門と申す者、当道場の者か?」
「へぇ、待ってておくんなせい、オラが取り次ぐだで……」
「いや、かまわぬ」
と言うとかまわず稽古場まで入ってきたのである。
「上甲又右エ門殿はどなたかな?」
「なんだ?おぬしは」
「どこの馬の骨か知らんが無礼ではないのか、菅笠さえとらんとは」
男はやおら菅笠を脱ぎ入り口に置いた。
「拙者、尾張藩群奉行用人、藤堂伝四郎と申す、訳あって又右エ門殿との立会いを望み申す」
又右エ門が居る時刻ではなかった、最近は来る日もまばらであった。
「又右エ門はおらん、いつ来るかもわからんぞ! 帰れ帰れ!」
「待たしてもらおう、方々の稽古も見物させていただく」
「おいおい、分からんやつだな、痛い目に合わすか?」
「そうだ、だれか相手になってやれ!」
「よし、オレが相手する、稽古が見たいと言ったな、逃げられんぞ!」
黒装束の武士は又右エ門の太刀筋が見たかったのである、先日今尾藩で起きた辻斬りの件で刀傷が道場荒らしの者の太刀筋に似ていると。また、道場荒らしについては又右エ門の仕業と断定できるのである。
「よろしい、お相手いたす、ただ稽古ではござらん、本気で願いたい……」
伝四郎は壁に掛けてある木刀を一本選んで道場の中央へ進み出た。
師範の一刀斎は正月の剣術模範演技について奏者番(そうじゃばん=伝達係)に呼び出されていた。父の不在を良いことに沙耶は数馬に無理を言っている。
数馬も稽古場にいると沙耶が皆の邪魔をするので仕方なく従うのである。
「数馬、ここの襖も破れておるのじゃ、そっちを持て!」
この時道場が急に静かになったのである。
「……いや、お嬢さま道場の様子が変でございます」
「うん、何事じゃ? 数馬参れ!」 (数馬大変である)
沙耶と数馬が道場に駆けつけると、門弟の一人が頭から血を流し倒れている。
「なにごと!」
沙耶が問う
「拙者藤堂伝四郎、訳ありて当道場の上甲又右エ門と手合わせ所望のところ、あらぬ経緯でこう成りしもの…」
「いや、能書きは聞きとうない、当道場でこの振る舞い、許せまいぞ!」
「拙者、事の流れに沿うたまで、許せぬとすると何といたす」
「私が相手じゃ、流れに沿え!」
数馬があわてて止めに入る、道場の皆も
「お嬢さまなりませぬ、こやつは手強い、おやめくだされ!」
「えい!下がれるものか、父上に腹を切らされるわ」
沙耶の怒りは抑えられぬところまで達している。
「お嬢さま、御免!」
数馬のこぶしが沙耶のみぞおちに入る。
「う!」
沙耶がその場に崩れ落ちるのを、両手で抱きとめ
「奥へたのむ」
門弟二人に託したのである。
「伝四郎どのとやら、それがし当藩大番頭付き兵頭数馬と申す者、本日は当方の無礼もあり、本来穏便に済ませ仕る(つかまつる)ところがここまでの事態、当方の面子もござれば今一度私と立ち合いをお願い申す」
「数馬どのとやら、拙者は又右エ門との手合わせのみの所存であった、貴殿にまで類が及ぶのも事の成り行き、恨みは無しでの立ち合いを所望するなら」
「あい分かった、ここにいる皆が証人、私がどうなったにしろ貴公に害が及ぶモノではござらん」
上級に上がったばかりの青年のどこにこのような度胸があるのか、沙耶に当身を送ったその時からめらめらと沸き立つ数馬の気迫に押され、相手への恐れも相まって誰一人口を挟む者はいなかった。
伝四郎は立附袴の裾に脚絆を巻く動き易いいで立ち、数馬は普段の袴姿、
互いに竹刀でなく木刀を構える。宮本武蔵で紹介されるように、木刀と言えども真面に食らえば肉を引き裂き骨を砕く威力がある、頭に食らえば即死である。
「よろしいかな」
「いざ!」
数馬にとっては初めての真剣(木刀ではあるが)勝負である。命のやり取りと言う緊張感はないが、やらなければやられるのである……。
稽古で発する様な声は出なかった、むしろ月の影に対する静かな心が全身を支配するのだ、一刀流基本の正眼の構えで臨む。
伝四郎の方は立ち合いの経験は豊富と思えるが、異様な雰囲気を感じていた、それはこれまでの勝負に感じたことのない、勝負に感じるはずのない清らかな空気?である。この青年の構える剣に一点の汚れがないことがヒシヒシと伝わるのである、ただ、無情にもやらなければやられる……のである。
伝四郎の構えは下段、数馬の突きを跳ね上げ、返す刀で胴を打つ剣である。
稽古場は静まり返り、例え道場の側を人が通っても、中でこのような立ち合いが行われているとは思わないだろう。
互いにゆっくり左に回り、体を入れ替えた、その間に一瞬のスキも生じない、伝四郎の思いは決まった、この清らかな勝負を避けるため……。
正眼の剣を跳ね上げると見せて、避け難い軸足の膝を狙い剣を突き出したのである、それだけではない、伝四郎は数馬の呼吸も読んでいる、吐きから吸いの瞬間に反応が遅れるのである。 尋常でない速さだった……。
見守る上級の皆も、伝四郎の剣が数馬の剣を弾いたと思った瞬間に、剣はそこにあらず、数馬の膝を打っていたのだ。
しかしそこに数馬の膝は無かった、瞬時に三尺を飛び、数馬の木刀は伝四郎の頭を打った! ところが、またそこにも伝四郎の頭は無かった……。
伝四郎は膝を打つと共にその身を前に転がし稽古場の入り口まで退いたのである、想定通りだった。すくっと立ち上がった伝四郎が。
「数馬どの、よい勝負であったの、いずれまた!」
と言い残し素早く道場を去って行った。
戸口で見ていた五郎はどうなったのか訳が分からなかったが、伝四郎が逃げた以上、数馬が勝ったことだけは確信した、同年代の青年に憧れたのである。
道場からの知らせを受け、小田一刀斎が帰って来たのは、数馬の勝負から半時(1時間)を過ぎていた。 事の次第を聞き、門弟が伝四郎を追っているのを中止させ、稽古場に向かう。
「修二郎の容態は?」
「はっ、出血はありますが大したことはないようで」
「それは良し、数馬は?」
「奥にて沙耶様の容態を看ているかと……」
すでに沙耶は意識を取り戻し、悔しさに泣き崩れているのである。 数馬は部屋の外、渡り廊下に正座して何も言わず目を閉じていた。
一刀斎が書斎に数馬を呼ぶ、彼によると伝四郎と名乗る武士は公儀隠密と思われるとの事、そうすると伝四郎は裏柳生の者の可能性が強く、当道場でも立ち会える手練れはいないだろうとのことである。
「師範、彼は又右エ門どのを求め、また来るのでしょうか?」
「いや、道場で又右エ門を求める事はもうない、又にも困ったものよのぉ」
一刀斎は来る時が来たと思った。
「数馬、お前に又を切らせねばならぬかも知れぬ……」
「井戸で身を清め、道場に参れ!」
夕暮れ前、朱色の明かりが差し込む稽古場で身を清めた数馬と一刀斎が神棚の元、無言で向き合っていた。
門弟は全員帰宅させ、居るのは二人、いや稽古場の見える離れで沙耶が見つめる。それと、しみ戸の下で五郎も膝を抱えて潜んでいた。
師範小田一刀斎が重々しく、静かに声を発する。
「これより小野派一刀流の極意を伝授する!」