5 さやの夢 (1)
今日もまた一日が終わろうとしている、さっきまでの喧騒が去り、町は暗闇に包まれている、だがこの暗闇と静けさが世の中の理を正常に導く大事な役割なのかも知れない、また明日への活力の貯えになっているのかも知れない……。
数馬の脳裏に浮かんだ数々のモノが消え、お婆が寄り添ってくれた温もりも去った後、刀の先に重いモノを感じた、こと切れた健吾が崩れたのである。
初めての経験は数馬にとって健吾が即死だった事が幸いだった、侍とはいえ自分が斬った相手が悶絶する姿を見るとトラウマになる者も多かった。
スッと刀を引き抜きその刀身を見る、不思議な事に血は一滴も付いていない、暗闇に肥前忠吉は”直ぐ刃”の美しい刃紋を見せていた。
これが師匠の言った剣に心を捕られると言うコトか、背筋が凍りそうになった。
夜遅く長屋に戻る、いくつかの部屋にはまだ明かりがあり、にぎやかな声も聞こえたりしていた、一番奥もまだ明かりは灯っていた、何故かせつなさと人恋しさから早也に会いたいと思った、入り掛けたとき後ろに気配を感じた。
「旦那!今日は遅かったでござんすねぇ!」
「長次さんか、あなたこそどうして」
「いやね?なんか悪い予感がしてさぁ、おいらの感は当たるって言っただろ?」
「わたしを探していたのか」
「そうですよぉ!あっしゃ旦那が心配で心配で……」
「……長次さん、私の家でだが少し付き合ってはもらえぬか?」
「そ、そうこなくっちゃいけねえや、だんなぁ~飲ましておくんなさいよ!?」
しばらくして、奥の部屋は明かりが消える、長屋中真っ暗になるが、数馬の部屋だけが明け方まで、長次の一人漫才?が続いていた。
「旦那ぁ聞いてるんですかい?聞いてるんなら一杯注いでおくんなさいよぉ、と言ってもねぇ、旦那のお酌じゃ間に合いませんわなぁ……」
数馬は聞いていなかった、初めて人を斬った夜である、心はまだあの川っ淵にあった。
肥前忠吉、六胴を通す(試し斬り)と言う最大大業物である。健吾を刺した時手元になんの抵抗も感じなかった、稽古の竹刀は突きであっても振り下ろしであっても、相手に当たると必ず感触が残る、その感触は相手の痛みなのである。
だが、今夜の実戦では、忠吉という切れ味鋭い最大業物のせいか?その感触が全くなかったのである、そのことが頭から離れなかった。
長次が一人で調子に乗っているところだが、目を閉じると、幼い頃の光景が蘇るのである、それは道場で数馬が相手に勝っても負けても、沙耶から叱られたこと、今は人を斬っても叱られる人もいない……今すぐ沙耶に逢いたいと思った。
翌日、数馬は肥前忠吉を腰には差さず、刀袋に納め、誠心堂を訪れた。
「たのむ、宗妙どのはおられるか?」
「はっ、兵頭さま、あいにく主は留守でございます、が夕刻には帰ってくるかと」
「そうでござるか……、この辺りで少し時間の潰せるところをご存知ないか?」
「はぁ、そうでございますなぁ、そこを下って行きますと源龍庵というお寺さんがございます、そこの住職はうちの主とも仲良しで、訪ねると半日は帰らぬ所でございます、もののついでに一ぺん訪ねてみられたら如何でしょう?」
「かたじけない、源龍庵、訪ねてみましょう」
言われたとおりの道を行くと”心休め・源龍庵”と書かれた小さな看板があった、小さな山門を潜り中へ入ると綺麗に手入れされた庭があり、そこで一生懸命草取りをしている小僧が居た、本堂へ近寄ると
「あれ?おにいちゃん!」
「? あっ、お前はここの小僧だったのか?」
「ちがうよ!? おいらん家はこの裏だよ、草取りで二銭もらえるんだ!」
「そうか、えらいのぉ、ただお前、銭の亡者になってはならんぞ? 銭はお前の人生を助けるものでは無い、銭よりも大事なものがあるんだぞ?」
「分かってらい!母ちゃんは学問しろ、学問しろ!って言うわい、だけどおいらん家あんまり銭が無いんだ、それでおいら自分の寺子屋賃を稼いでるんでい!」
「分かった、分かった、私が悪かった、でもな、昨日のような侍の仕事は引き受けるでないぞ?どうして銭が貰えるのか、分かるものだけを仕事としなさい」
「うん、なら兄ちゃんもおいらに簡単に二銭くれたりすんなよ!」
「はははは…、どこのお方か知らんが、中々の小童でございますじゃろ?」
「あ、ご住職でござるか、誠心堂に宗妙どのを訪ねたところ、あいにくの留守で、時間潰しにとこちらへ寄らせていただきました」
「ほう、宗妙もここの他にも行く所はあるんじゃのう、はははは…、ならばそこでは時間が経ちますまい、お上がりください、お茶でも進ぜましょうぞ」
「おいらもいいかい?」
「お前は仕事が終わっておらんぞ、終わったら菓子をやろう」
庫裏で住職の入れたお茶を頂く、口を運ぶ度、良い香りと深みのある味がした。寺の維持管理から季節の移ろいなど話がはずむのである。
「数馬どの、その刀、宗妙に届けるのじゃろ?わしも少しではあるが刀が見られる、見せてはもらえぬか?」
「いえ、これはわたくしの扱い方が悪く、他人目には……」
「なるほど、それで悩んでおられるのじゃな?」
「和尚、お見通しか?」
「いや、分からん、武士の世界はわしらには分からん、じゃが、武士もわしらも同じ人である以上は、思っているほど変わらんかもしれん?」
「和尚、実は迷っております、わたしが剣を持っても良いものかを」
「数馬どの、一時の迷いにすべてが覆われてはいけませんぞ? またその答えは他人に頼らず自分でお決めなさること」
「……」
「しかしのぅ……、そうじゃ一時阿弥陀様の元で心を休めてみてはどうじゃ?」
本堂へ案内され、本尊阿弥陀如来の正面で座禅を組む。
「では、数馬どの、わしは少々足が痛いでの、終われば庫裏に声を掛けなさい」
「かたじけなく存じます」
目を閉じて心を無にする、剣術で心を無にするとは全神経を研ぎ澄ませ、時合いを待つことであった、この場では心を無にしても向き合う者がいないのである。
庫裏で「和尚さん!お菓子は?」っと声が聞こえる、一瞬心の隙を感じ目を開けてみたが、そこには誰もいない……また目を閉じるのである。
誠心堂に宗妙が帰宅した
「お帰りなさいまし、今日数馬さまが旦那様を訪ねてお見えになりましたが」
「なに、数馬どのが?して、いつごろ?」
「はい、正午前ではございましたが、源龍庵を訪ねているはずでございましょう、旦那様のお帰りを見計らいましてまた出直すと」
「そうか、うん、なら奥に御酒の用意をさせて下さい」
友人の高岡屋から頼まれた数馬のことではあるが彼も妙に嬉しかった。
何時が経ったか、数馬が未熟の自分には何も得られぬと目を開けたとき、今までに見た光景とは異なる、別の世界の様なものを感じたのである、それは一番には阿弥陀様から発せられる威光の様なモノ、これまで仏像に何かを感じたことは一度も無かった、それは所詮人が造ったものである、手を合わせ、願は掛けても信じる根拠は何も無かったのである。
後ろにふっと気配を感じた。
「数馬どの、”南無!”じゃ。御仏がどう見えた?」
「……確かに微笑み、私の導かれようとする心が……」
「おお見えたか、清き心、数馬どのそなたの迷いは消されているぞ」
「和尚、わたくしにはまだ不安なのですが……」
「はははは…、阿弥陀様の答えは宗妙が持っておる、宗妙に会うてきなされ」
「和尚?さて、和尚は名のある御坊か?」
「名前?名前などつまらぬモノを……、先程”諸行無常”と言うたであろう、法然、親鸞、今ある名前もいつまであるやら、この御仏も何代残るか、ただ、それが自然、自然の理なのじゃ、名など残さずとも良いモノじゃ」
誠心堂に再び宗妙を訪ねた、主は上機嫌で出迎えて奥に通す、さっそく膳が運ばれ、杯を勧められた。
「宗妙どの、実は忠吉をお返しに上がりました」
「何故?」
「実はそれがし、昨日人を殺めたのです、殺すつもりもなく殺めてしまった」
「……」
「箱根峠では怒りの心で、考えることも無かったが、今回はなぜか異様な感覚から逃れないのです」
「はて、異様な感覚とは?」
「罪悪感と刀の魔力に負けてしまうのではないかと」
「数馬どの、お刀を拝見しましょう」
宗妙が肥前忠吉をゆっくりと鞘から抜き出し、刀身を明かりにかざす。
「うむ、見事でございます、刃こぼれどころか、一点の曇りもございません」
「……」
「わたくしがお渡しした時のまま……」
「宗妙どの、殺人は事実」
「源龍庵に行かれたとか?座禅をさせられたでしょう、精神の極限であなた様は何を思われた?御仏のお姿をどう見られた?」
「落ち着きは得られたが思うところはなかった、だが最後に目を開けたときにはそれまで見えなかった阿弥陀様が大きく見えた、しかも微笑んでいる様な……」
「で、和尚は?」
「南無!と……、答えはお手前に聞けと」




