4 さやのしあわせ (3)
やくざの手下達が左右に逃げると、そこに五郎が突っ立っていた。
道の真ん中にいた五郎に逃げる余裕は無くポカンと巨大な馬を見上げた、怒りの絶頂にある巨大な暴れ馬が五郎を許すはずが無い。 正面でその両前足を振り上げたのである。
”ヒィーヒヒヒィン!”
”やあぁぁぁぁぁぁ!!”
皆が目を背け無残な姿を連想した。だが結果は想像と違っていたのである。
五郎が黒鉄の六角棒で馬の体に見合う巨大な両ヒズメを受け止める、と同時にその剛力で馬を引き倒したのである、そればかりではない、暴れる馬の首根っこを羽交い絞めに抑え込む。 しばらくドタバタしていたがやがて観念したのか巨大な馬も動かなくなった。
やじ馬たちは拍手喝采である、その中で。
「それ! 今の内だ、刺せ!!」
親分の指示が飛ぶ。
「へい!」
二本の槍が暴れ馬の急所(心臓)を狙う、その瞬間に五郎の鉄棒が唸り、二本の槍を同時にへし折ったのである。
それは凄いモノであった、(作者も凄いと思ったくらい)馬も恐いが、唸ったその鉄棒は皆の頭も吹き飛ばしてしまうほどの威力があったのである。
しかしもっと驚いたのはその後の事である、一家の手に負えぬ、あれだけの暴れ馬が尻尾を振り飼い犬の様に、五郎にすり寄っているではないか……。
「権王…… どうした?」
権王と言うのである、権蔵親分が恐る恐る近付くと権王が白い眼で振り向き、鼻水混じりの荒い鼻息をプウー! っと吹きかけた。
「ぷえ!ぷえ!何を…… おおぅ、おうおう、か、か、かわいいのう」
皆親分が恐いので誰も笑わないが、五郎が笑ったのをきっかけに皆大笑いとなったのである。笑いたくても笑えなかったのはアゴを蹴られたヤスであった。
権蔵は五郎を一家に連れ戻り、昼食の世話をした。
「いやぁ~五郎さんとやら、若いのに凄いお人でござるのぅ、権王と言い、あの鉄棒と言い、人間と思えぬ所業でありました」
「いいやぁ、そんただことはなかしてよぉ? おら、いや、わらしも必死だったがの、です。……わらしの言葉、おかしけの?」
「ああ、いえいえ、それで十分分かりますのでどうぞそのままに……」
「すか、しかし親分さん、おら、いやわたしの方がこんなお世話になって、こんただ美味いもんは食ったことがないだも、あーありがたいべ」
「五郎さん、そんな食事はほんのまかない、夜は豪勢にいきますぜ」
「だどおら、江戸へ急ぎたいんで、これ食べさせてもろたらすぐ行くもんで」
「五郎さん、あっしは本当にあんたに惚れたんでやんすよ、ここら辺はもちろん、江戸中探してもあんたの様な人には出会えねえ、嬉しい縁でさぁ!」
この時代はやくざと言っても、情に厚く一般人相手に悪さをするような者はいなかったのである。情に厚い者は気に入ると、とことん気に入るのである。
権蔵(名前は悪そうだが名前で人を見てはいけません)は五郎を江戸には行かせなかった、これは悪い意味ではない、正直で純粋過ぎる若者が心配だったのである。 五郎の江戸行きの経緯にも感動し、数馬は権蔵一家が探しだす、それまでの間はここに留まった方が良いと言い利かしたのである。 五郎もまた、自分一人では不安な事もあった為、数馬に会える確証を持って江戸に行けと言う権蔵の言に従ったのである。
大垣藩・小田道場、下城後着替えを済ませ、いつものように稽古場で座禅を組む、雑念を拭うこの一時余りが一刀斎にとって一番ありがたい時間であった。
しばらくして裏木戸が音も無く開く気配がした、目を閉じたまま神経を尖らす、足を擦る様子の微かな音は、殺気は無く入り口で立ち止まった。
(さぁ誰でしょう?)
「父上」
思わぬ声であった。
「沙耶? なにをしておる、なぜ戻って来た……」
「父上、私がわるうございました」
寄ってすすり泣くのである、一刀斎も肩を落とした。
「やはり、噂はまことであったのか」
「いえ、まことではありません、数馬は生きております」
「……? ならばどうして、つき従えと申したはずだぞ」
「はい、言われずとも、わたくしもそのつもりでございました」
「……」
「ただ、気付いたのでございます、わたくしは数馬のご意思をかえりみず、ただわたくしの想いのみを幸せと勘違いいたしておりましたことを」
一刀斎はこのような沙耶は知らない、別人のような娘である、亡くなって亡霊となって帰って来たのか? と思うほどであった。
「沙耶、沙耶、もう言うな、よう帰って来た。休め、休むのじゃ」
実はこの時、沙耶に縁談の話が来ていたのである。
「おいちゃん、名前なんてゆうんだい?」
「……わしか?わしは吉田拓エ門じゃ」
「おいちゃん、名前は?」
「おいおい、オレはまだお兄ちゃんだ!」
「そんなのいいや、名前おしえてくれよ!」
「ははは、慎太郎じゃ、覚えられるかな?」
居酒屋で名前を聞きまくる小僧が居た、当然数馬の席にもやって来た。
「おいちゃん、名前おしえてよ?」
「よし、教えるが何という名前なら良いのかな?」
「兵頭数馬って名前ならいいんだよ、兵頭数馬なら二銭もらえるんだ!」
「そうかぁ、残念だなぁ、井上陽山とゆうんだよ」
「ふ~ん、変な名前!」
「ああ、小僧、私が二銭やろう、頼まれたおいちゃんのところ連れて行ってくれないか?」
数馬が案内されたのは居酒屋の並ぶ端っこにある小さな飲み屋だった。
「暮れ六つまでは居ると言ってたよぉ」
「そうか、ありがとう、じゃ、また名前聞いてこい」
「うん、兄ちゃんありがとう」
川っ淵の柳に身を寄せてしばらく待った、既に辺りは暗くなり、家路に急ぐ者は数馬の存在など気にもかけなかった。
飲み屋の戸が開き見覚えのある侍が辺りをはばかり出てきた、数馬は気付かれ無いよう後をつけ、人気のないところで声をかけた。
「寒ければ焚火にあたればよいぞ?」
「!?」
無言で振り向く、振り向きざまには後ろへ刀を振っていた。
「健吾、とか言ったな? 又右エ門はどこにおる」
「うぬ、やはり生きておったのか…… どうして」
「ふふふ、どうしてかのぅ、だが亡霊ではあるまい」
健吾が正眼に構えた、逃げる気はないようだ。
「おぬしを斬ろうとは思わん、又右エ門のところに案内してもらうだけだ」
「それは出来ぬぞ、わしを倒してから行け!」
鋭い剣が襲って来た、峠での抜き打ちが数馬の頭によみがえった、あの時は思わぬ不覚をとった、斬る気は無いが、切らなければやられるかも……。
「おぬし、人を斬ったことは無いな? 刀が震えておるぞ?」
「刀は人を斬るものではない」
「ははは、剣を構えて、人を斬るものでは無いと? ではなに!」
鋭い突きから小刻みに返し喉元を旋回する刀は避けようが無いと思えた、実戦を甘く見ていたのである。
「とぅ! 数馬! 剣とはなんじゃ、又右エ門は命と言ったぞ、命をとるのも守るのも己の剣じゃ! 剣は一心同体とな」
「てぇぇぇーい!」
今までの刀の繰り出し方とは違う一段の速さと威力のある振りであった。だが、今まで後に下がっていた数馬がスッと沈むと同時に半歩前に突き出していた。
健吾の刀は丸めた数馬の背の上にあった、数馬も真っすぐに突き出した剣先に何の抵抗も無かった、水を差したと同じである、だがその最大業物、肥前忠吉は見事に健吾の胴を貫いていたのである。
「しまった!」
殺すつもりは無かった、又右エ門の居所を知りたかっただけである。
健吾の激しい剣につい反応してしまった、これまで仮想の敵は何度も倒したが
実際に殺したのは初めてである、こうも簡単に人が死ぬのか、涙がこぼれた。
助かる命がある、そうでない命も……。
振り返ると、風も無いのに柳の枝が揺れている、遠くの町家の灯が一つ消えた。
沙耶の顔が浮かぶ、数馬を叱っているような、そして一刀斎、父上、母上、五郎や四朗、なによりもお婆が背中をあたたかく抱いてくれている様な……。




