1 小野派一刀流 (1)
初めての時代物小説です、ご指導ください。
穏やかな秋晴れの日に、二羽の鳶が空高く舞っている、時折響くかん高い鳴き声が、一年の内で一番良い季節をなお一層平和なものにしているようだ。
周りを見れば山柿は赤く色づき栗のイガもパクリと割れている、里山に渡る風も気持ちよく、収穫の終わった田んぼにはスズメたち野鳥が落穂を忙しそうに啄ばんでいた。
その長閑さと裏腹に山際の小川に目をむけると……。
「やったー! 大きいべ!」
「うへぇ~ たっまげたなぁ!」
「梅っち! 桶もってこんきゃ!」
村のガキ大将たちが魚を捕っているのである、捕れたのは大きなうなぎだった、梅と呼ばれたのはこのグループの最年少だが、最年少でもちゃんと役割がある。
「なんでぇ梅、水入れ過ぎだど!うなぎにはなぁ水はこんだけでいいんだで」
「うん、五郎ちゃん ごめん」
季節も良いが時代も良い、江戸中期世の中が最も落ち着き、”元禄”と称される時である。 皆から五郎ちゃんと呼ばれるのがこの村・竹田のガキ大将である。村の大人達が「五郎ちゃん」と呼ぶので、四っつの子からも五郎ちゃんと呼ばれている、子供は大体一人で遊びに行けるようになると、グループの年長者から色んなことを教わり、自然に学ぶようになる。現代のようなタテ割りで無く、村全体が面で繋がるコトで社会性が保たれる時代なのである。
水しぶきを上げてヤスオが駆けてきた。
「五郎ちゃん大変だ!トシが捕まってやられてるべ」
「なに!? なしてだぎゃ?」
「生田川(隣村)の柿とってよぉ、みきちゃんが帰ってきてよぉ」
「みき兄?」
「梅っち!これ持ってけえっとけ、おっ母には我が捕ったと言うべさ!」
「ヤス、トシはどこだぎゃ案内しろや!」
村境から300mほど入った隣村の遊び場の一角で、トシが五、六人のグループに取り囲まれている。
「おーい、何してるんだがや!」
「お?五郎か、おまえコイツにどんな教育しとんがや」
「み、みき兄、帰っとったんで?」
「おお、父ちゃん死んだけ帰って来たんじゃ、オラがまたここの番はるで!」
「そら知らんかったけぇ悪かったけど、トシは返してくろや?」
「トシはどうでも良いんじゃ、村を竹田のもんに良い様にさせんだけじゃ」
「そげんことはしてないで、トシが柿盗んだのはあやまるでぇ」
「五郎よ、二年ぶりじゃでいっぺん喧嘩じゃ!オラに勝ったら番はお前じゃ」
番とはガキ大将のこと、竹田(五郎)と生田川で番を争ったが、他の村と対立するときは力を合わせる事になっていた。グループは大体14・5歳になり奉公に出たり家の仕事が忙しくなるとグループを抜けるのである。
みきおは五郎より二歳年上である、二年前に口減らしの為、町へ奉公に出ていたのだ、子供の中では絶対的な力を持ち、逆らう者はいなかった、今大将の五郎もみきおには頭が上がらなかったのである。
ただ、みきおも帰ってから五郎の評判を聞いていた、みきおが去った後の番を自然に引き継いでいる、ケンカも強いし仲間にも人気があり慕われていると。
自分が村に帰って来た以上は五郎に勝ちたかったのである。
まだ青年であるが身の丈六尺、大男のみきおが突進してくる、五郎は五尺六寸普通の身の丈である、みきおが五郎を正面から羽交い絞めに決める。
グループ内のケンカは殴ったり蹴ったりはしない、羽交い絞めの力を競うものだった、だがもうこれで勝負は明らかだった、周りで見る者にも、五郎には成すすべが無く降伏を願うのみであった……これまでは。
みきおの誤算は2年と言う歳月、その間の五郎の成長である。五郎は羽交い絞めにされたと同時にみきおに対しても羽交い絞めを決めていたのである。
周りから見る者にはそれが分からず、やはりみき兄は凄いと思ったのである、ところが、勝ち誇ったかのようなみきおの顔がみるみる青くなり、羽交い絞めの手が外れて口から泡を吹いてきたのだ……。
「みき兄すまんだぎゃ……」
毎日を野や山で暮らし、時には猪をも追い掛ける、川では十数尺の滝を飛び、三尺級の鯉と格闘する、五郎の体力は既に大人を凌ぐモノであった。
その夜、五郎の家の夕食中に梅の母親が梅を連れてやって来た。
「五郎ちゃん、ごめんね、これ半分……」
「なんならそげぇ、ええがや! 梅!お前が捕ったもんやで!」
「五郎兄ちゃんは嘘はいかんっていつも言うじゃん」
「ばか!これは婆ちゃんに食わしちゃれ、オラん家はいらんがや」
五郎はこう言う男である、若干14歳青年になりかけであるが、彼の家も貧しく、来春には口減らしの為奉公先が決まっていた。
「梅、オラ家のもんはみんな元気だ、食い物もこれで十分ながや、それに比べお前んとこは体の弱い婆ちゃんがおろぉ、うなぎ食べるとちっとは元気になるべや、 梅もはよぉ、魚くらい捕れるようになって婆ちゃん喜ばせちゃれ!」
五郎の父母にも諭され梅と母は帰って行った、こうして絆は深まるのである。
「五郎、飯のおかわりは?」母がやさしく言った。
美濃国・大垣藩、関が原で西軍に付き敗北、その後は家康の家臣である松平家が藩主として大垣城を守備する。しかしこれも長続きはせず以降4家により藩主を交代する。安定したのは寛永12年摂津尼崎藩より戸田家が10万石で入ってからである。
その城下のある剣術道場である。
「きえーーい!」
「参った!」
「次っ!」
上甲又右エ門、道場あらしである。剣は正統で見事な腕前である、それもそのはず、彼は城下でも一番の小田道場(小野派一刀流)の準師範代なのである。
その正統な腕を持つ者が何に不満なのか? 近頃城下に限らず忍びで他藩の道場に出向き”あらし”を行っている。
「いや~参り申した、もはや当道場に貴殿の相手はおり申さず」
主が低調に対応する、又右エ門も目的は剣の腕前なので無理は言わない。
「じゃまをした、無礼は許されよ」
「奥で一献、娘に酌をさせて頂きたい」
金銭を受け取ると自分の道場に知れたとき面倒になるので、そこまではやらない、自然の流れで接待を受けるだけにして立ち去るのである。
道場主もこの恥は他言せず、又右エ門も秘密裏の行いなので公にはならない、うわさが広がるだけであった。
大垣藩戸田家剣術指南役 小田一刀斎こと小田主計門、 彼の道場こそ小野派一刀流・小田道場である。
小野派一刀流とは戦国時代に発生、江戸初期にかけて小野忠明により確立された剣法であり、柳生新陰流の柳生宗矩と共に徳川将軍家剣術指南役として抱えられた名門である。 小野派一刀流は後に多くの弟子による様々な分派が発生する、北辰一刀流の千葉周作(千葉道場)などがそれである。
道場の一角でじっと正座する若者がいる、大垣藩次席家老三男の兵頭数馬である。歳が若いので一門の末席を務めるが、剣の腕前は中々のものであり、将来が嘱望される存在であった。ただ、兵頭家の三男であるため家督は継げず、親戚筋への養子か戸田家旗本?として生きる道を探さなければならなかった。
「やぁー!」
「とぉー!」
25畳の道場には常に十数名の門下生が集まっていた、日の出から日没まで道場は開いており、早朝稽古の後、初級、中級、上級者と暗黙の時間帯が定められている、数馬は中級に属するも、一門末席の務めとして道場の掃除から稽古の段取りまで下働きも課せられていた。次席家老の子息としては異例の扱いと思われるが一刀斎としては彼の人間性も試していたのである。
組稽古の打ち合う音が止み、皆が左右に引いた後、正面に稽古姿の若い女剣士が竹刀を片手に立っていた、一刀斎の一人娘沙耶である。 髪は後ろで一つに束ね、防具である胴や籠手、面もつけてはいない、男ばかりの道場で華奢ではあるが凛と立つ姿は魅力的なモノでもある。
「数馬、稽古じゃ!」
「あっ、お嬢さま、いけません、私はまだ中級ですので…」
「かまわぬ、今日は父上はおらぬ! 私が恐いのか!」
沙耶、歳は十八母親ゆずりで器量は抜群に良いのだが、藩の剣術指南役の娘と言うだけでなく、男勝りの性格と剣術がとてつもなく優れているので同年代の男が寄り付けないでいる。
数馬は二歳下で弟の様に可愛がられていた、数馬もまた美男なのである。
「数馬、やれ!」
「そうだ、お嬢に遠慮はいらんぞ!」
「骨はわしらが拾ってやる~ はははは…」
上級の先輩にもたきつけられ後に引けない。
数馬が仕方なく防具の支度をしながら言う。
「では、お嬢さまも防具をお付け下さい」
「私はよい、一太刀でも入ればお前の嫁になってやる」
それを聞いた皆は大喜びだ。
「よし聞いたぞ、わしが仲人だ! はははは…」
身支度を終えて数馬が位置につく、獲物は竹刀である。
「きえーー!」
沙耶が気合いを発する、正眼に構えた太刀は微動だにしないが凄い気合いである、小柄な娘のどこにこれだけの気があるのか? 相手は一瞬でも心が引くとその太刀が鋭く伸びて喉元に突き刺さるのである……。
数馬も同じく正眼の構え、剣とは心を観る手段である、剣を構えると己の心がその切っ先に現れるのである。
「きえーー!」
瞬間に切っ先を払われ、相手の竹刀が顔面に伸びてきた。
「とう!」
危ないところだった、瞬時に躰を開き竹刀をかわす、こちらの竹刀は相手の胴を狙うが、これも素早い動きでかわされる。
再び正眼同士の構えで隙を窺い、小競り合いのあとは素早く正眼の構えに戻し静止した。 片方に疲れが見えるとそこにスキが生じるのだが、二人とも呼吸さえ乱れていないのである、上級の皆もこれは並々ならぬ勝負と息を呑んだ。
「きえーーい!」
沙耶の凄まじい一撃が下段に襲ってくる、数馬は一間を飛び下がり勢いで壁に激突した、掛けてある竹刀と木刀が派手に飛び散った。
「参った!」
「数馬、まだ嫁にはならずよ!」
沙耶は振り返り、最後の礼も交わさず奥へ去った。
皆が数馬のもとに駆け寄った。
「大丈夫か!? 壁は? はははは……」
先輩たちが大笑いの中、一人笑ってない者がいた、上甲又右エ門である、彼は沙耶と数馬の試合中に入ってきて、立ったままこの様子を見ていた。
数馬が後ろに飛んだのはわざと負けるためだと思った、先程沙耶の下段の打ち込みに対しては、後ろではなく前に三尺飛べば相手の頭部を打てるはずである、又右エ門が道場破りによる他流剣法から学んだことだ。
また数馬の後ろへの飛び方に余裕があったのを彼は見逃さなかった、勢いで壁へ派手に激突したのも勝負を終わらせるためのものでしかない。数馬が前に飛べたかどうか?確信は持てないが又右エ門の推測が正しければこの道場で十六歳中級の数馬に勝てる者はいないだろうと思った。
次の日、一刀斎が道場の奥にある書斎に数馬を呼んだ。
「また沙耶にいじめられたようじゃのぉ、奴も困ったモノじゃ」
「いえ、お嬢さまに罪はありません、私が頼り無いばっかりに……」
「いや、数馬、わしはお主を頼り無いと思ったことは一度もない、かえって恐ろしいと思うほどだ」
「……?」
「数馬よ、剣とはなんじゃ、いや、剣を持つ心とは? 剣は人を容易に殺せる、故に剣を持つ者はその技と同時に心も磨かなければならぬのだ、心の鍛錬を怠ると剣による殺人の魔力に飲み込まれてしまうと言う恐ろしいものなのだ」
「……」
「古来剣豪と言う者は皆剣なしには生きられぬ魔物じゃ、わしはお主を魔物には育てたくはない、お主の剣が上達すると自分で使わなくとも、それを使おうとする者が必ず現れる……それが恐いのじゃ」
「私は先生以外を師と仰ぎません、師の言われること以外は聞きませぬ」
「……そのわしがお主の剣を使う時が来るやも知れぬ…… ま、今後稽古は中級のみ、ただし上級の稽古はこれまで通り見学を怠ってはならん」
「はは、かしこまりました」
「ん? 沙耶、何をしておる! お前は今日母上のお供ではなかったのか?」
障子の影から様子を窺っていたいた沙耶がバツが悪そうに顔をのぞかせた。
「数馬が私のせいで叱られるんじゃないかと」
「そう思うなら昨日の振る舞いはなんじゃ、数馬に謝りなさい!」
「なんで数馬なんかに、私を負かせばいくらでも謝るわ」
そう言って去って行った。