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中山裕介シリーズ第10弾

 6月下旬の会議。

「皆、番組が来月最初の放送から60分に拡大される事が決まったから」

 大石さんは嬉しそうな顔。

「この番組、スタートも急だったし放送時間延長も急ですねえ」

「ストレートニュースがなくなって、ステブレレス(ステーションブレイクレス。番組との間にCMを挟まない)になるから時間が余るんだって。次の番組を延長させようかって編成局長は思ってたみたいだけど、うちの番組をお願いします! って、局長に懇願したの」

 大石さんの顔は綻びっぱなし。その分ホンを書くのは作家なんですよ……。たったの10分だけだけど。

「10分拡大するからには、12、4%台には行こうではないか! 皆!!」

「今の時点で11、2%台と安定はしてるんですよ。現状維持で行った方が……」

「オレもそう思うんっすよね」

 ナリ君も頷きながら同調。

「何言ってるの2人共! 時間も延長されるし局長にも絶対数字を上げてみせますから! って言ちゃったんだよ。何としてでも10%台半ばくらいには上げなきゃ。スタッフがそんな消極的でどうするの!」

「済みません……」

 ナリ君とユニゾンで謝るしかない。しかし大石さんのバイタリティは何処から来るのやら……。

 只、「無理だ」が直感。番組も定着しては来たけど、高ネオも雑誌のインタビューで「週末のお休み前に一笑いを」と答えているから。10%台前半が丁度良いと個人では思うのだけど。

「さあ、60分になる1回目となる企画は何が良いかなあ?」

 大石さんは幾つか案が挙がっているホワイトボードを見て言う。

「それなら『アドレナリンピック』、せっかく採用されたんですから詰めて行きましょうよ!」

 ナギジュンの声は自信を感じる。

「アドレナリンっていったって、常時血液検査とかするの無理じゃね?」

「うーん。そうよねえ……」

 下平と大石さんはプロデューサーとして指摘する。

「アドレナリンを測定しるっていうのは銘打ってるだけで、血圧や心拍数を測定して興奮状態の度合いを見るんです」

 ナギジュンの自信は揺るがない。ホワイトボードにはなかった企画。どうやら彼女はこの日までに自分なりに企画を具現化していたようだ。

 人間変われば変わるもの。志望動機が不純でも、彼女なりに努力するようになって。先輩としては正直嬉しい。

「絶対に企画を通したいんだな」

「そりゃそうだよ。何週間も掛けて考案したんだからさ」

 この不敵な笑み。放送作家としての自覚が芽生えて来たようだ。本当に成長には安心する。が……。

「心拍数や血圧を測定するんなら行けるんじゃないっすかね。機械を取付けるだけっすから」

 ナリ君も面白いと判断したのだ。真顔で後輩の背中を押す。

「まあ、それだけなら行けるし面白いとは思うんだけど、問題は予算よねえ」

「そこなんですよねえ」

 大石、下平両プロデューサーは「カネ」の問題と戦う。

 後輩が後輩の背中を押したのだから、オレも直属の先輩として……。

「12、3パーの数字を取りたいんでしょう。なら初回は進行役をアナウンサーにして、レギュラー5人でやってみたらどうですか。それに、10分拡大されて制作費も少し上がったんじゃないですか?」

 少々挑発的に打診してみる。

「そうね。面白いと思ったら多少費用が嵩んでもまずは実行してみなくちゃね。確かに制作費も少しは上がったし」

「大石さん、マジで言ってます?」

 下平はまだ「カネ」に拘っている。

「私はマジだよ。大マジ。だってナギジュンちゃんがせっかく考案してくれてここまで肉付けしてるんだから」

 流石は大石さん。こうと決めたら決然とした態度で前進して行く人。

「……そうですか。大石さんが良いって言うんなら、あたしは何も言いません」

 下平は根負け。心中でお手上げのポーズをしているのが見て取れる。

「問題はどのシチュエーションにするかですね」

「時代劇なんかどうですか? 最近あんまり観ないから面白そうですけど」

「貴子ちゃん、時代劇は衣装とかカツラで余計予算が掛かるって。あたしはそこを気にしてるんだよ」

 下平は眉間に皺を寄せる。

「あんた達作家のギャラを減らしたら出来ると思うけどね」

「下平、そんな酷な……」

「だってそうしなきゃ仕方なくね?」

「私は別に良いですよ。面白くなるんなら」

「お貴さん、あんたは富裕だから良いだろうけど」

「富裕」は百パー皮肉。

「別に本格的にしなくても良いと思うんですよね。カツラはコントで使うようなやつでも良いと思うし」

「でも小道具や衣装はどうするんだよ」

 真鍋ディレクターの少しにやついた指摘に、

「それはケースバイケースで」

お貴さんの答えは正直理解に苦しむ。正に「ふぁー」としたご解答……。

「カツラは時代劇で衣装は現代劇って、面白い以前におかしくね?」

 そら来た、下平のツッコミ。

「じゃあ、制作費を工面する為に作家とディレクターの報酬も一割カットだな」

「えっ!? 何でオレ達も?」

「どうしてよ!? ユースケ君」

 真鍋、枦山ディレクターは立上って反論。

「だってディレクターもロケハンとか企画に携わるだろ」

 こうなりゃ巻き添えだ。

「解ったよ。良ーく解ったから。だったらタレントは事務所の兼合もあるから難しいにしても、私達スタッフの報酬は全員一割カットにしよう!」

「大石さん本気で言ってるんですか!?」

「そんな殺生な!」

「あーあ。ブランドのバッグ、良いやつ見付けたのに買えない」

 下平、真鍋、枦山は各々の本音を吐露。真鍋君に至っては泣き真似。泣きたいのはオレも一緒だよ、お貴さん以外は。

 それはさて置き、60分第1回目の企画は『アドレナリンピック』で挑戦するのはレギュラー5人、時代劇で行く事は決まった。

 シチュエーションは水戸黄門、町娘、代官と決まって行き、茶屋の娘が半裸、戸を開けると女風呂、タンスを開けると炭酸ガス噴射など、仕掛けも決まり企画は煮詰まって行った。



 14時から会議が始まって終わったのは6時間後。拘束時間が長いのはこの業界の常だが、今日はいつにも増して疲れた。それに引き換え、

「ギャラが一割カットされるのは痛いけど、企画ってああやって肉付けされて行くんだね。また勉強になった。それにありがとうユースケ君。ギャラカットって発言がなかったら実現しなかったかもしれない」

破顔するナギジュン。自分の企画が通されたのだから尚更。新人、増してや実家暮らし。実家が富裕な人は良いもんだ。

「でもスタッフの給料もカットしなきゃいけないなんて、制作費ってそんなに安いんだ」

「深夜番組はもっと逼迫してるけど、プライム帯もな。例外な時間帯はない。酷い場合じゃ制作プロダクションが身銭を切って制作する事もあるよ。今は何処のキー局もそんな時世」

「えっ! そんなに苦しい台所事情なの!?」

 目を見開き、やっと解ったかという顔。放送局はどのチャンネルでも金を持っているという考えは、お門違い。お貴さんとナギジュンには響かない事情だな。



 『アドレナリンピック』は7月上旬にロケが行われ、出演者は安在が代官、多田が水戸黄門、KAORIが町娘役などに扮し、血圧計と心拍数を測定する器具を装着して貰った。

 しかもロケ場所となったのが京都の時代劇撮影所。出演者、スタッフは新幹線で移動し、本格的なカツラ、衣装で企画を楽しんでいた。

 そりゃスタッフの報酬も一割カットになのは致し方がない。それでも赤字なのではないのか?

 しかし「その甲斐」あってかこの回の数字は、平均12%台。個人視聴率では六・九%と、大石さんの願い通りの数字を記録する事は出来た。

 8日後の会議では、

「ほら、やれば出来るじゃない! 自分達を信じてれば願いは叶うんだよ!!」

想像した通りの喜びよう。

 確かにスタッフが怠けたりやる気を失えば、出演者は乗ってくれなくなる。今回はその「やる気」に応じて貰ったのだ。それは解るのだけれど……。

 だが、

「今度からは現代劇にしようね」

下平Pは複雑そうな顔。これが局P(放送局社員のプロデューサー)と制作プロダクションのプロデューサーの心境の違い、であろう。

「次はどんな企画で行こうか?」

 大石プロデューサーは、どんな難局でも常にポジティブシンキングなり……。常にネガティブシンキングになりがちな自分にはちと真似が出来ない。けど……。

 また数字が下がったら元も子もない。今日もディレクター、放送作家は勘考する。



 2019年、令和元年8月中旬頃から、相方こと奥村真子の様子がおかしいのである。得意な筈の料理も作ってくれなくなり、「コミュニケーションの時間」と言っていた2人で入浴する事もなくなった。食事も殆ど摂っていないようで、少し痩せた気もする。

 帰宅すると「ただいま」とも言わず直ぐソファに横になり、表情も仄暗い。初めは多忙な仕事の為、そのストレスなのかと思っていた。

「仕事大変なんだろうな。あんまり無理するなよ」

「まあね。別に気にしなくて良いから」

 声にも覇気がない。

「何かあったら言えよ」

「何もないから! 別に」

 彼女はムキになり、何も言えなくなってしまう。

 そっとしておくのが良いのか、半月近く様子見の状態が続く。だが相方の様子は一向に改善される事はなかった。

 何かあったな。そう悟ったオレは、

「たまには外食でもするか」

何とか奥村の気分だけでも変えようとした。しかし……。

「いい」

 これが彼女の淡々とした答え。何にも力になってあげられない。放送作家の心中は察する事は出来ても、アナウンサー兼報道記者の心中までは解らないのが本音。

 これが「出演者と裏方の差」なのだ。自分の無力さを痛切する。

 今や彼女は報道記者だけあって、自分で取材先へのアポイントメントを取り、ネットニュースの記事やニュース原稿までも執筆する事まで、任務として任されている。

 現場ではカメラマンに対しても、「ここは(カメラを)回してください」「この部分は回さない方が良いですね」「私が現場に来た事が解れば、もうこれ以上は回さなくても十分なんじゃないですか?」などと、積極的に意見や指示も出して、最早、奥村は「立派なキャリアウーマン」「アナディレクターだよ」といったスタッフの声はオレにまでも入って来ている程。

 序論の知識も把握する為、勉強量も博識さも際限がなく、放送作家の仕事とは、カメラの前に出るか出ないかの違いだけで、共通する面は多々あるのだが……。

 脱帽する面ばかりではあるが、果たして奥村真子の中で何があったというのか……。



 10月に入ったが相方の様子は相変わらず。無論、気には掛けているのだが、お互い多忙でオレも『高ネオ STREET』の他6本のレギュラー番組を抱えている為、中々彼女に構う暇がなく、不毛な日数を数えていた。

 テレビでは笑顔を見せているが、自宅マンションでは笑みは微塵もなく、前はオレが構成に携わっている番組を一緒にチェックする事もあったがそれもなくなり、露骨に疲弊したままの表情が続いている。

 社内で苛めかパワハラを受けているのではないだろうな。そんな事も推測し始めた。

 


 そして相方、奥村真子の様子がおかしいと気付き始めて2ヶ月が経ったある日、帰宅すると奥村のハイヒールがあったのだが部屋は真っ暗。リビングの方へ向かうと彼女は仄暗い部屋で泣いていた。奥村真子は悔しい時にしか涙を流さない性質。「嬉しい時、悲しい時には涙は出ないんだよね」と言っていた彼女が泣いている。

 リビングの明かりを点ける。こういう時、何と声を掛けたら良いのだろう。そっとして置く。「どうした?」と声を掛ける。何が正解に近いのだろうか……。

「どうした?」

 相方の横に座り声を掛けた。そっとして置く事など自分には出来ない。やはり何食わぬ顔をしおくというのは憚られた。もうこれ以上はいたたまれない雰囲気なのは、幾ら遅疑な奴でも明白。

「……」

「無理に言わなくても良いけどな」

 立上り、冷蔵庫からビールを取出そうとすると、

「……私にもお願い」

か細い声だが缶ビール二つを持ってソファに戻る。

『プシュッ』相方は一気に三口飲んだ。

「悔しいんだろ? ……何があったんだよ?」

「……セクハラ……」

「えっ? ……セクハラって?」

「……取材先でセクハラを受けてるの。昨日、スカートのファスナーを開けられて、パンツに手を入れて来てお尻触られた……」

 相方はアナウンサーはアナウンサー。務めて端的に伝えようと言葉を選んでいる。こんな時にも……。もっと素を出せば良いのに。

「……そりゃ酷い……。会社には相談したのか?」

「勿論したよ! でもこの件を報道すると私本人が特定されて、二次被害が予想される。だから報道は難しいって言われるだけだった! ……」

 相方は涙ながらにやっと告白してくれて、下唇を噛んた後にビールを一口。アルコールで悔しさは緩和されないだろうに。でも紛らわせるしかないのだ。

「……ごめんな。気付いてあげられなくて……」

 オレも謝る事くらしか言葉が見付からない。自分の頭の回転の悪さを痛切する……。この様な時に頭の中は真っ白だ。

「……これに証拠が入ってる」

 奥村はボールペンを一本差出して来た。

「……セクハラ発言や腰を摩ったりする言動が繰返されるから、自分の身を守る為に録画が出来るペンを、秋葉原で買ったの……」

「……そこまでしてたのか……」

 「自分の身を守る為に証拠を残す」。賢明な判断。相方の表情には、打明けるか否かの躊躇いが感じられた。それは当然。女性にとっては屈辱でしかない。正直に白状してくれたという事は、オレを心底信頼してくれているからだ。

「これ……、パソコンで観れるから」

「だろうな」

 オレは早速ノートパソコンを起動させ、USBにペンを繋ぎ再生した。

 


 動画には「抱きしめても良い?」「胸触っても良い?」という中年男性の顔と声。「それはちょっと……」「私、一応相手がいるんで……」と苦笑して返す奥村真子の声が録画されている。「一応相手がいる」の「一応」という部分には引っ掛かったが、それは口には出すまい。オチを付ける場面ではないから。

 動画は更に「もう我慢できない!!」「ちょっと……止めてください!!」奥村の必死な声と共にファスナーを開ける音がし、「ちょっと待ってください!!」抵抗する彼女の声と、「一度くらい良いじゃないか」同じ男性の顔と声。そして……。

「やっぱり若い女の尻は柔らかいな」

 にやついた顔と声が確り録画されていた……。そして。

「やめろ! クソオヤジ!!」

 流石は「勝気な奥村」と言われるだけはある。この期に及んで「下品な言葉」を……。

そりゃ口にもするわな。だってガチで「クソオヤジ」なのだから。

 相方は努めて冷静を装って動画を観ているけど、彼の目は血走り怒りで潤んでいる。

 私は本当は「クソオヤジ!!」と叫んだ時に、平手打ちを喰らわせるか股間を蹴飛ばそうとした。でも……出来なかった。

 何故なら、一瞬、中山裕介の顔がフラッシュバックしたからだ。「相手が相手」。ここで手を出したら、私どころか中山裕介までも「閑職に」回されてしまう……。

 私が出来た事は、ペンの録画機能を起動させるだけだった。女はこういう時でも、「冷静な目」を持っているものだ。彼まで巻込むのは正直心苦しいし憚られた。

 だから、私からは、この事については何も言わない。

 女性は「クソオヤジ!!」程の怒りがあれば保身で手や足が出そうなもの。男だってその様な言動に出るだろう。何故真子はそうしなかったのだろうか……。

 ……まさか、オレを想ってグッと堪えていたのか?

 だとしたら、この「女」……男にフィジカル面でもメンタル面でも打撃を受けながらも……。それでも「男」を気遣うとは。

 一体何故なんだよ! ……。正直、「男」に産れてこれ程までに「情けない」と思ったのは初めてだ。

 「男」である事がいたたまれない。

「これが昨日の事だな?」

 相方は無言で頷く。

「これはもう、強制性行じゃないか……」

「そうよ!……そのペン、ボタンを押すと録画出来るの」

「上司には観せたんだろ」

「観せたよ! それでさっきの答えだったの!」

 相方の涙は止まらない。相当な悔しさと屈辱感を受けたからだ。こんなに涙を流し続ける奥村真子は初めて見た。

「この男は誰なんだ?」

「……財務省の、佐藤政和財務官。「オレは何れ事務次官に昇進する。そしたら君を贔屓の記者にしてあげよう」初めはそんな感じだったけど、徐々にエスカレートして行って……」

「それで、昨日あんな暴挙に及んだ?」

「そう……」

「あれは会議室かどこかか?」

「2人で話したい事があるって、無人の会議室に通されたの」

「これだけ散々な目に遭って、予感はなかったのかよ」

「当然あったよ。あったけど、記者ってそういうものだから。何か特ダネの為なら身の危険を予感しても、追求しなくちゃいけない。放送作家もその点では同じでしょ」

 相方はやっと涙が止まり、いつもどおりの冷静な口振りに戻った。

「確かにそりゃそうだけど……」

 「身の危険を呈してまで……特ダネの為って……正直大バカ野郎だろ! よりディープな情報を求める側もだけど」。言葉は出て来たが口にはしない。アナウンサー兼報道記者の奥村真子のプライドと意地を傷付けるからだ。

 しかし、メディア業界で働く者同士、因果な世界で生きている……まざまざと知らしめられた。

 


 これだけの証拠がありながら、奥村が勤務するTTHはこの映像を観ても、何の対処もしないのだ。酷い……酷過ぎる。殺生にも程がありはしないか。

 オレの中でも怒りと悔しさが益々込上げて来る。気付けばオレは立上り、相方を抱きしめていた。

「悪かったな。相方の事を、何にも見てなかった」

 改めて謝罪する言葉しか出ない。相方は何も言わず、一旦止まった筈だが、オレの左肩で再度泣き続けている。黒いジレと白いYシャツに涙が染みて冷たいが、それは言わないのが当り前。

 奥村真子の悔しさは計知れないし、女性なら悔しく怒りの感情を抱いて当然だ。

 それと、オレも佐藤政和財務官と一緒で尻フェチなのだが、今は触ってはならぬ……。これも、無論当たり前だ。

「相方、この動画貸してくれ」

 相方はやっと顔を上げ、

「放送作家に何が出来るの」

やや不安げな口振り。

「やるだけの事はやってみる」

 確信はないが動画をUSBメモリーに移した。オレにとっても屈辱的な動画。

 ますは動画を「誰かに」観て貰わねば。真っ先に顔が浮かんだのは大石さんだった。明日は会議の日ではないが、来週まで待つ程悠長な問題ではない。

「明日ちょっと時間を貰えないでしょうか?」

 直ぐに大石さんにメッセージを送信。約10分後に『どうかした?』と返信されて来た。

「観て貰いたい動画があるんです」送信。『解った。何の動画かは知らないけど、夜なら良いよ』と返信が来た。



 翌日。他局で打合せやら会議に出席している時も夜が待ち遠しくうずうずしていた。

 19時ちょっと過ぎ、TTHの『高ネオ STREET』のスタッフルームに大石さんを訪ねる。

「時間を作って貰ってありがとうございます」

「良いんだよ、別に。それより「観て貰いたい動画」って、何か面白いものでも撮れたの?」

 大石さんは事情が解っていない為、今は破顔している。

「面白いっていうより陰惨を極めます」

「陰惨? てどんな動画?」

 オレが真顔な事もあって、大石さんも笑顔を消す。

 オレはノートパソコンを起動させ、持って来たヘッドフォンとUSBを取り付けた。

「音が漏れちゃヤバいの?」

「ええ。ここだけにしておいた方が良いと思います」

 早速動画を再生する。

 数分動画を観て、大石さんは眉間に皺を寄せ顔をしかめた。

「えっ!? 何これ? AVの隠し撮り企画とかじゃないよね?」

「被害に遭ったのはこの局、TTHのアナウンサー兼報道記者の、奥村真子です。そして加害者は財務省の佐藤政和財務官だそうです」

「これほんとにヤバいやつじゃない。どうして私に観せてくれたの」

「TTHはこの件を報道すれば二次被害が出る恐れがあると言って、報道するのを渋ったそうです。だからこの動画をTTH独占スクープとして報道して貰いたいんです」

「うーん……。気持ちは解るけど、うちでは難しいんじゃないかなあ。他の局間で軋轢を生む可能性もあるから」

「TTHはやっぱり保身に走るんですね」

 腕組をして頭を捻ってくれている人に対して無礼な言葉が出てしまう。だがオレも切羽詰っている。

「これはTTHの問題だからさ、どうしたら局が動くか、それを考えよう」

「局を動かす……」

 今度はオレが腕組をしてしまう。

「TTHの報道局次長かアナウンス室長はこの動画を観てますから、僕が玄関から入っても無駄足でしょうし、テレビ局が駄目というのなら……週刊誌くらいでしょうか」

「そうだよユースケ君! 週刊誌に持って行くべきだよ。この動画を観たら黙ってはいないと私も思う」

 大石さんは確信を持った目で言うが、人間は困惑、面倒な案件を持出された時、他へ目を向かせようとする。大石さんもその類だ。こっちから依頼しといて無礼だが。人間の恐く狡猾な所。だが……。

「解りました。明日にでもこの動画を週刊誌に持って行きます。時間を取らせて、ありがとうございました」

 人間の目線の外し方と豹変ぶりを改めて痛切し、若干の悔しい感情を抱いても、慇懃に頭を下げる。でもヒントはくれた訳だから。

「うん。そうしな。ごめんね、このくらいの事しかアドバイス出来なくて。でも奥村の動画を持ってるなんて、ユースケ君彼女と友達なの?」

 案件を他へ向けさせたら今度は素朴な疑問、っか。

「まあ友達というか、交際してるんです。実は」

 愚直に答えてしまう。

「そうだったんだ。奇麗な人よだよね、奥村アナって」

「普通の女性ですよ」

 勝気なくせに極度の上り症ではありますが。

「彼女を守ろうと動くなんて、存外男気があるんだね、ユースケ君も」

 にやついた目で言われ小っ恥ずかしくなり、

「別に。黙って見ていられなかっただけですから」

「そこが男気なんだよ。その気持が大事」

「それじゃあ失礼します」

再度頭を下げて足早にスタッフルームを後にした。



 翌日の午前中、オレはUSBを持参して『週刊現文』の編集部を訪ねた。応対したのは女性編集者。

「突然失礼します」

「貴方は?」

「放送作家の中山と申します」

 名刺を差し出す。

「ああ、私は編集部の酒井と申します」

 一応名刺交換。

「それで、今日はどういったご用件で?」

「TTHの女性アナウンサー兼報道記者が財務省の佐藤財務官からセクハラを受けています。証拠は、これです」

 USBメモリーをバッグから取出す。

「ご覧になりますか?」

 というより観て貰いに時間を作って訪れたのだ。

「確かに事実ならスクープですけど、まずは動画を観せて頂かない事には。こちらへどうぞ」

 編集部隣の会議室に案内される。オレは自分のノートパソコンにUSBを繋ぎ、動画を再生させた。

 酒井記者の感想は、

「これは、酷過ぎますね……」

あまりの映像に言葉が出ないようだ。顔も真っ青になり眉間に皺を寄せている。

「これは彼女が自分で録画した物です。声や動き、顔まで入っています。明らかに佐藤財務官で間違いないでしょう。しかも、最後の下着の中に手を入れる行為は、言わずもがな犯罪」

「これだけの証拠があれば記事には出来ますけど、警察の方には?」

「警察沙汰にする前に、まずは現文さんの方で公にして貰いたいんです。事件が事件ですから、遅かれ早かれ警察も動くとは思いますが」

「TTHの方は対応していないんですか?」

「報道すれば彼女が特定されて二次被害が出ると懸念して、全く動く気配もないそうです」

「そうですか。それで、幾らで売って貰えるんですか」

「高額を吹っ掛けるつもりはありません。でも条件があります。被害者は「TTHの女性記者」と匿名にしてください。それと、記事によって財務省、TTHがアクションを起こすような内容になるようお願いします。この二つの条件を呑んで頂ければ、僕は幾らでも構いません。もし出来ないのであれば、他の週刊誌を当たってみますが」

 若干揺さぶりを掛けてみた。

「いや、同じ女性として佐藤財務官の行為は許されるものではありません。私に書かせてください」

 酒井記者は真顔で、目には怒りの熱が籠る。

「そうですか。じゃあ宜しくお願いします」

「解りました。任せてください。それで、中山さんと被害者の女性記者との関係は?」

「「懇意にしている友人」、又は「放送作家N」でも、僕は構いません。只、この件を公にしたいだけですので」

「了解ました。じゃあ「懇意にしている放送作家N氏」で行きましょう。中山さんが出された条件で記事にしてみせます」

 酒井記者は頼もしく決然とした表情を浮かべてはいるが、さあ、どのような内容になるのか。奥村が望んでいるようになるのか、確信もなければ確言も出来ない。だが……。

「ぜひ宜しくお願いします」

 もう後には引けないのだ。

 オレは酒井記者のパソコンに動画を移し、託した。これで今オレが出来る事はやったつもりではいるが、さて、財務省とTTH、警察がどのような反応を見せるのやら……。



 翌週の水曜日、週刊現文は『財務省のスキャンダル! TTH女性記者にセクハラ言動』と題してトップ記事にしてくれた。奥村は「TTHの女性記者O」、オレは「記者が懇意にしている放送作家某氏」と少し変えて記載されていたが、事件が公になれば良い事。

 この報道を受け酒井記者から『音声だけは公開しても良いか?』と連絡が入り、奥村に了解を得た上で承諾した。

 音声が公開された事で、一般紙、スポーツ各紙、報道、情報番組でも大々的に報じられた。TTH以外では。所が……。

 記事が出た7日後、TTHは報道局次長を代表として急遽会見を開き、

「社員の人権を徹底的に守って行くと共に、財務省に対し正式に抗議する」

と述べた。

 


 財務省側も田崎大介財務大臣が会見にて「事実ならアウトだ」と述べ、TTHの会見から8日後、佐藤政和財務官のセクハラ行為を認定。佐藤財務官は疑義を抱かれ追求される中辞職し、退職金約5千万円の内、処分相当額の約140万円が差し引かれた。

 田崎大介大臣は、

「行政の信頼を損ね、国会審議にも混乱をもたらす結果となっている事は誠に遺憾で、深くお詫び致します」

と謝罪。野党側は佐藤前財務官の参考人招致を求めたが、与党は「佐藤政和前財務官は既に辞職している」と拒否した。

 しかし、佐藤前財務官はやった事がやった事。警察も看過せず、佐藤政和前財務官は強制性行の疑いで在宅起訴される。



だが事件はまだ終わらず、田崎大介大臣は、

「被害女性が名乗り出なけりゃ佐藤の立場はない。佐藤には人権なし、という訳ですか?」

会見で身内を庇う問題発言をした。

 この様子を夜のニュース番組で観ていた奥村は、

「そう来たか」

表情は無機質だが目には何か画策しているようにオレには見えた。

 田崎大臣の言葉を受けて奥村が取った行動は……。

「被害を受けたのは私です」

 報道局次長とアナウンス室長を同席させて会見を開く、だった。

「私は佐藤政和前財務官が起訴されようが、その罪を許す事は出来ません。佐藤前財務官には、自分が犯した罪と真っ正面から向合って欲しいと思います。でも私は氷山の一角に過ぎません。私以外にもセクハラで苦しんでいる女性記者は沢山います。それだけ社会的重い立場の役職に就いている人達によるセクハラ行為が、罷通り曖昧にされるのは許されない事ですし、由々しき事態です。その様な問題に真摯に向き合ってこそ、国会のセンセイ方がお決めになられた、男女均等法の在り方ではないでしょうか」。

 終始正面を向いたまま、俯いてメモに目を落とす事は少なく、眼光も鋭くて表情からは緊迫感が感じられた。口振りも淡々としていて語気は強い。何とも奥村真子らしい会見だ。 



 その日の夜。

「あの動画を現文に提供したの、相方でしょ?」

「オレは、彼女を守る為じゃなくて、ちょっと動ける範囲でやったまでだよ」

 敢えてクールに流した。

「ありがとう! ユースケ」

 相方は破顔。

「別に良いよ。それにしてもよく会見を開く事、上司がOKしたな」

「だって田崎大臣は名乗り出ろって言ったでしょ? 売られた喧嘩を買っただけだよ。ああ、これですっきりした!」

「それは良かった」

 奥村は尚も破顔。画策の目は自分が公に出る、て意味だったのか。今まで溜まっていたものが吐出されたようだ。

「あんたはやっぱり勝気だよ、相方」

 オレはクールに彼女の話を聞き、顔を窺っているだけ。「女は皆決然」といった所かいな?



 翌日、

「「放送作家某氏」って中山君の事でしょう?」

会議前に事務所に立ち寄ると、早速陣内社長ににやつかれた。

「さあ、何処かの英雄気取りの作家じゃないですか」

 適当に誤魔化した。が……社長は奥村真子とオレが交際し、同棲している事を知っている。

「社長、何でユースケ君が「作家某氏」って解るんですか?」

 ナギジュンも何かを察しニヤニヤ。

「中山君が奥村アナと交際してるのを知ってるからだよ」

 社長、余計な事を吹き込むな!

「えーっ! ユースケ君が付合ってるアナウンサーって、奥村さんの事だったの!?」

「ナギジュン、白々しいんだよ」

「しかも同棲中なんだから」

 陣内社長もニヤニヤ。また余計な事を……。

「へえー」

 2人のにやついた目と表情、オレにアドレナリンが出てしまう。

「ガールフレンドを守る為に東奔西走するなんて、中々熱い男なんだよね、中山君って」

「そうですよね。何か見直しちゃった」

「今まで見損なってたのかよ」

「ううん。そうじゃないけど、改めて良い三従兄妹、教育係に出逢ったなあって思った」

 2人のにやつきの目に変化はなし。誉められてるんだかからかわれてるんだか……ツッコむ気にもなれず、唯々恥ずかしいのみ。



 『高ネオ STREET』は何事もなく、10月以降も継続が決定し、2年目に入っている。

「高ネオは3月契約終了の筈だったのに、また1年契約が伸びましたか」

「そうよ。貴方達作家もね。「この番組は続く!」って直感したからホンに「001」って三桁の数字にしたんだから!」

 大石さんは破顔し、自分を信じた事を誇りに思っているな。

「初プロデュースの番組が当たって良かったあ。あたしもプロデューサーとして自信が付く」

 下平も然り。気持ちは解らなくもないが。

「でも傲慢になっちゃ駄目よ。気を引き締めてプロデュースして行かなくちゃ!」

 大石さんはプロデューサーの先輩として釘を刺したのだろう。流石は敏腕プロデューサー。

「ヤンキーは調子に乗り易いっすからね」

「ナリ、別に調子には乗ってないしあたしは元ヤン。仕事も一生懸命やってるっつーの!」

 下平よ、流石は元ヤン。反論する事も忘れない。

「それより昨日、ニュース観ました?」

「何? 貴子ちゃん。それよりって」

 気色ばむ下平は放って置いて。

「観たよ。ニュースどころか一般紙、スポーツ紙でも一面だったね」

「何ですか? 昨日のニュースって」

 ナギジュンはきょとんとしている。

「宇多川首相の女性スキャンダルが明るみに出たの」

 臼杵の澄まし顔の表情に対し、

「ああ、そのニュースね。今朝のニュースで観たよ」

ナギジュンは白々しい口振り。

「知らなかったんでしょ?」

「だから知ってるって!」

 臼杵の返しにナギジュンはムキになるが、

「ナギジュン、もう遅いって」

彼女の右肩にポンと手を置いた。ニュースや新聞によると……。

 


 宇多川首相は六本木のクラブ経営者に対し、

「私の愛人になってくれたらこんだけあげるよ」

と指を3本出したという。

「30万」

 ママが訊くと、

「0が一つ足りないよ」

と返したそうな。

 結局ママは宇多川首相の愛人にはならなかったが、「こんな男が総理大臣であってはならない」と考え、マスコミにこの事実をリークした。というのが昨日までの流れ。

 この報道を受け、与野党のみならず、ワイドショー、週刊誌各社が宇多川首相を批判し始める。

 だが当人は「個人的な問題。今は職責を果たして行くのみ」とコメントしただけ。が、宇多川首相のスキャンダルは海外メディアでも取上げられ始め、与野党からも「もうアウトだ」との声が聞こえ始めた。

 皮肉にも指を出して「0が一つ足りないよ」のやり取りは世間で流行り出してしまう。

 


それは番組の会議でも……。

「下平、ギャラ上げてくれよ」

「これぐらいで良いって事?」

 彼女が出した指は2本。

「0が一つ足りないな」

「20万も出せる訳ねえじゃん!」

「20万貰えたらマジリスペクトっすよ。下平さん」

 ナリ君は目を輝かせる。冗談のやり取りだと解っているのやら。

「私は20万円でも別に良いですけどね」

 お貴さんは澄まし顔。彼女はオレ達とは次元が違う。

「だから出せねえっつーの!!」

「今のギャラで何とかお願い」

 脹れっ面の下平と苦笑いの大石さん。だから冗談のつもりなんだけど。

 しかし、こんな戯言でも企画案は出て来るものだ。

 出演者がギャラを告白し合う、トークの40分間のコーナー。最初はギャラを告白し合う内容からファーストキスはいつだったか、どんなシチュエーションだったかを告白し合う内容へとシフトして行く企画に肉付けされた。

 会議中は、

「ぶっちゃけユースケ君クラスになるとどれくらいなのか、私も知りたい」

「そうだねナギジュンちゃん。オレも知りたいっすよユースケさん」

 ナギジュンとナリ君も乗かって来る。下世話好き共め……。

「別に皆とほぼ一緒だよ」

「ぶっちゃけ20万とか?」

 金に不自由しないだろうお貴さんまでにっこり。

「制作費考えてみなよ。そんな額貰える訳がない。プロデューサーやディレクターより少ないよ」

「あたし達を巻込むな!」

「私達を巻込むな!」

 下平、枦山からのユニゾンのツッコミ。でも事実ではある。

「でも一度で良いんで教えてくださいよ」

 臼杵まで入って来る。

「どいつもこいつも仕方ねえなあ……10万だよ」

 結局、愚直に答えてしまった。

「マジっすか!? オレより3万も多いっすよ、ユースケさん」

 ナリ君は目を丸くし、

「私より2万多いですね」

お貴さんはやっぱりにこやか。

「お貴さんは良いですよ、実家がお金持ちなんですから。私達より5万も多い」

「早く10万近く貰えるように成りたいね。でもユースケさんクラスでも10万円なんですね」

 臼杵はナギジュンではなく下平の方を見る。

「悪かったね。大した額しか出せなくて。でも作家は良いよ、何本もレギュラー番組掛持出来るんだからさ」

「下平だって制作プロダクションなんだから掛持出来るだろ」

「あたしはまだ他の番組じゃディレクターだもん。この番組でも半ディレクター扱いみたいなもんだし」

「ナリ君とか釈迦に説法だろうけどさ、プライムタイムの番組でも作家のギャラはプロデューサーやディレクターより額は低いんだよ。作家なんてコンビニの時給より低い額で働いてんだから。掛持出来たとしてもね」

「確かにそうっすよねえ」

 ナリ君はやっと納得してくれた。

「ごめんね。安いギャラで働かせて」

 今まで苦笑しながら黙っていた大石さんが口を開く。

「でも希ちゃんさ、何れはどの番組でもプロデューサーに成れるんだから、今は修行だと思って」

「そうそう。1本でもプロデューサーに成れて良しとしなきゃな。オレ達なんかまだディレクターなんだから」

「私だってそうだよ、希」

 大石、大場、枦山の順で慰められる新人プロデューサーって一体……何?



「それよりお貴さん、今六本木で暮らしてるんだよねえ? 場所覚えられた?」

「ええ。何とか、やっと」

 ユースケ君が話題を変えたけど、お貴さん自宅の場所も覚えてなかったって訳?

「何回か不動産屋に電話して訊いてたみたいだけど、自宅マンションを覚えられないなんてスケールが違うよね」

「私は別にスケールが大きいなんて思ってはないけど」

 枦山さんの言葉にお貴さんはにこやかだけど、笑顔で言った枦山さんは百パー皮肉だよ。

「お父さんに援助して貰ってるって、この前聞いたけど、月どのくらい?」

 ユースケ君だって人の金銭面に興味あるんじゃん。

「そんなに多くはないですよ。3百万くらいかなあ」

「そんなに!? パパ活じゃないですか!」

「智弥ちゃん、そういう問題じゃなくない? 良いですね、富裕層の人は」

 智弥ちゃんは笑ってるけど私は敵意むき出し。だって私も実家暮らしだけどそんな父親いねえし。

「月3百万くれる親がいるなんて、マジリスペクトっすよお貴さん」

「ナリ君、リスペクトする所がおかしいって」

 ファーストキスの話題にまでは及ばなかったが、金の話は下世話で盛上るというのは立証された。まあ解り切ってはいた事だから企画案に出せれたんだけど。

 後は男女の芸人を数人ゲストに招いてトークをさせれば盛上る事間違いなしだ。数字は、どうなるかは知らんが……。

 一方、日本国内では……。



 宇多川首相の女性スキャンダルで支持率は10%前半にまで下落。野党の女性議員、女性市民団体が国会議事堂前で「スキャンダル総理は即辞めろー!!」とデモを起こす事態に。

 そして11月24日、宇多川首相は退陣を表明。最後の会見で、

「総理の職を辞する事と致しました。今は朗々とした心境でございます」

と口にし、表情は終始にこやかだった。

 世間では号外が出され、メディアでも『宇多川内閣総辞職』と大々的に取上げられる。

 3月14日に発足した宇多川内閣は、8ヶ月で終焉を迎え、名実共に「令和初の短命内閣」となってしまった。

 オレとナギジュンは事務所のテレビで夜のニュースで会見を観た。

「まるで令和発表と消費税アップの為だけに作られた内閣みたい」

 ナギジュンが呟く。彼女が言う通り、消費税は10月1日から8%から10%に引上げられたばかりだ。

「かもな。宇多川さんがやった事ははっきり言ってバカだけど、「美味しいとこ取り内閣」だったのかもな」

 オレも呟くばかりなり。



 12月に入り、臼杵が競馬イベントのイメージガールの1人に選ばれた。彼女はイメージガールのアルバイトをしていたのだ。

 ご丁寧にうちの事務所にもポスターが送付され、重留が「競馬なんてやる暇あるんですか?」とぼやきながら掲示板に貼っていた。それを見ていたナギジュンはというと……。

「社長、何かイベント事の仕事ないんですか? 私もコンパニオンやりたいんですけど」

「ナギジュン、そんな所にまで対抗意識を燃やすな」

「そうよ。イベントのオファーは来てないし、ベーシックにいえば、うちは芸能プロダクションじゃないんだからね」

 オレも陣内社長も呆れて笑うしかない。

「それは解ってますけど、マガジンのグラビアにもまだ声が掛からないし、智弥ちゃんは慶應出てるけど私なんか倍率1・5倍の大学しか出てないから。彼女には敵わないのかなあ」

 珍しくセンチメンタルな顔しやがって。が……。

「へえー、倍率1・5倍って。フフンッ」

「何で嗤うんですか!?」

「社長、今人間性の悪さが出ましたよ」

 ナギジュン、オレの順でツッコむと、

「ハハハッ! 。別にバカにした訳じゃないけど、倍率で大学選ばなくない?」

オレに同意を求める。

「まあ、初めて聞きましたけどね」

「ユースケ君もバカにしてるじゃん!」

「別にバカにはしてないって。それより、もう作家としてだけに対抗心を持て」

 目力を込めて諭したつもりだった。が、

「大学も1・5倍で勉強も大して出来ないんだよ」

まだ解っとらんな、こいつ。

「大学や勉強のせいにすんなよ! オレも学生の頃陸に勉強して来なかったから、今でも語彙も少ないし英文なんか意味も発音すら解らない。だから今頃になって毎日辞書引いたり英語の発音や意味は恥を感じながら人に訊いたりしてる。時にはネットの辞書も遣う。その分通信料は掛かるけどしょうがないんだよ。学生の時だけじゃない。人間幾つになっても勉強して行かなきゃいけないんだよ。良いか、教育係として言っておくぞ。放送作家っていう職業は1年中、365日「受験勉強」してるようなものなんだよ。これは作家に限った事じゃない。新しい商品、新たなプロジェクト、会社員の人達だって皆勉強してるんだよ! ナギジュンは勉強して来なかった学生時代に引けを感じてるばかりで、今の自分から目を背けてるだけじゃないのか!?」

 思わず熱弁してしまった。でも間違った事を言ったつもりはない。

「ユースケ君もまくし立てたねえ。びっくりしちゃった……解ったよ。私も作家に成れた事だし勉強して行く」

 ナギジュンの目が真剣になった。

「そう。中山君が言った事が放送作家、社会人としての序論だよ。ちょっと熱が籠り過ぎてたけどね」

 陣内社長はにっこりなんだか苦笑なんだか。

「でも社長、グラビアの件はお願いしますね!」

 そこの拘りは説得出来なかったか……。

「もう解った解った。特別に年明け最初のグラビアに推薦しとくから……」

 社長の面倒臭そうな口振り。でも……。

「ほんとですか! 宜しくお願いします。脱ぎますから!!」

「だから脱がなくて良いって! 何回言えば……」

 解るんだ。社長も頭を抱えてしまう。でも採用したのは貴方ですからね。



 12月中旬の夜。

「この前小銭も入ったし、何処か小旅行にでも行くかなあ」

 何となく相方に言ってみた。

「良いねえ。でもお休み取れるの?」

「半日くらいだったら泊りでも何とかなると思う。そっちは?」

「私も繁忙期ではあるけど、今年は有給使ってないから何とかなるとは思う。それで何処に行く?」

「近場だと新幹線で静岡とかどうだろう」

「良いねえ。浜松は鰻が美味しいし、海鮮丼も名物だから」

 笑う奥村。スレンダーな大食い。食欲も戻り安心はしたのだが。

「その前に駿府城に行ってみたい」

「そんなお城あるの」

「静岡市にね。家康の隠居城。あそこは2014年の4月に二の丸坤櫓が復元されてて、オレまだ写真でしか見た事ないんだよ。巽櫓は見たし中に入った事もあるけど」

「目を輝かせて言うね。流石はThe Castle Geek(城オタク)」

 呆れて嗤われ、

「悪かったな、それぐらいしか趣味がなくて」

ついムキになってしまうアラサー男。我ながら心が小さい奴。

「別に悪いというニュアンスで言ったつもりはないよ」

 目が嗤ってんだよ。だが構わず。

「最近じゃ天守台の石垣や金箔瓦が発掘されてて、天守台を復元するって方針も静岡市は打ち出してる」

 薀蓄を吐き出してしまうのだった。好きな分野だから……。

「忙しい仕事に就いてるのに、良くそんなに勉強する時間があるね」

「やっぱ呆れてるだろ。好きな事は時間を見付けてネットで調べるよ。日本史をおちょくるなよ!」

 自分でも呆れるがムッと来る。

「別におちょくってないって。早く日日決めよう。私も会社に伝えなきゃいけないし」

 相方は明らかにからかいの嗤いだが、確かに行くとなれば早く日日を決めなくては。



 翌日の午前中。会議前に事務所に出向いた。

「半日だけ休みが欲しいって、どうするつもり?」

 陣内社長には正直に言うしかない。

「駿府城公園……」

「駿府城公園?」

 だが口が中々回らない。

「に、行きたいんです。静岡市にあるんですけど、家康が隠居する為に増改築させたんです。オレ、日本史と城巡りが好きなんで。今は門と櫓が数棟復元されてるだけなんですけどね」

 何の事はない。陣内社長にも薀蓄を吐き出した。

「そう。それは解ったけど、ほんとにそれだけが目的なの?」

 相変わらず鋭い目……。仕方ない。

「独りで行くんじゃないんです。交際してる彼女と」

「奥村さんね」

「はい……奥村真子を、少しでも癒してあげたいんです」

 これでは自分から「放送作家某氏は自分です」と自白しているのと、同じ……。

「やっぱり「あの件」、中山君だったんだ」

「いや、それは違いますけど」

 頑なに嘘を付いたがもう遅い訳で……。

「ふーん。何処かの正義の味方の作家だったんだ。でもデートが城跡なんて、フフフンッ! あり得ない! 奥村さんを癒すんじゃなくて自分が楽しんでるんじゃん」

「静岡は海産物が旨いんで、食事に関しては楽しみにしてるみたいですけどね」

「なら良いけど、ちょっとの間だけゆっくりして来な」

「ありがとうございます」

 陣内社長の目は呆れというか物珍しい者を見るというか。幾ら爆笑されようが、オレはそういう事しか出来ない、性質な人間、でございましてね。

「話は変わるけど、ちょっとこの写真見てよ」

 社長は苦笑いを浮かべながらA4の写真を数枚封筒から出した。

「脱がなくて良いってあれ程言ったのに、ナギジュン本当に脱ぎやがったの」

「セミヌードのグラビア、ですか」

 見るとバスタオル一枚で胸を隠し半ケツのナギジュンがドヤ顔で笑っていたり、「細工」されたであろう胸を隠して歯を磨いているナギジュン。仕舞には全裸で正座し、胸とあそこを隠し微笑んでいるナギジュンが写っていた。

「これはもう臼杵さんとの対抗心っていうより、自分はこれだけ身体に自信があるっていう見せびらかしですね」

と、しか感想は出て来ない。女性の裸体だが、興奮というより呆れ、笑う気すらしない。

「私も彼女から明日グラビアの撮影ですって連絡来た時、やらかすだろうなとは予想してたんだけどね」

 陣内社長も然り。序に溜息と頭を抱えてしまう。

「まっ、悪事を働いた訳ではないんですから、今回は大目に見てあげましょうよ」

「そうするしかないね。意識し合うライバルがいるっていうのは良い事だけさっ……」

「仕事で張合えって言いたいんですね」

「まあね」

「でも女性だけとはいえ、放送作家がグラビアを飾るようになって、何か作家も芸能人化して来ましたね」

「中山君もアナウンサーと交際してるし、その内スポーツ選手とかITの社長とかと交際する作家が出て来るかもね」

 2人の心は呆れから諦め、未来予測へとシフトして行く。

「良いなあナギジュン。私も水着で良いんでグラビアに出てみたい」

 ぼやくのは……。

「重留さんか」

 いつの間に、ていうかここにもいたか、「見せたがりな奴」が。



 そして12月下旬、出発の前日。

「かってえなあ……この財布」

 新品の合成革の財布と格闘していた。カードもまともに入りゃしない。

 何とか紙幣、小銭、免許証などのカードを無理やり詰込み終え、チェーンを付ける。

 今まで使っていた財布を眺めていると、奥村が帰って来た。

「財布変えたんだ。明日に備えて」

「別に備えた訳じゃないけど、もう7年も使ってボロボロになったからな」

「7年も?」

 物を大事に使ってと感心しているのか、世知辛い奴と思っているのか、何とも解らない表情。

「作家に成る前、派遣社員の頃に買った。あの頃は一応安定した収入を得られてたから」

「今でも安定した収入を得られてるじゃない」

「まあな。ありがたい事だけど。でも財布って3年に一度は変えた方が良いって、ある占い師が言ってた。その方が運気が上がるって」

「4年オーバーしちゃったね」

「7年大切に使ってたつもりだけどな。時には洗濯してみたり」

「財布を洗濯!?」

「その方が運気が上がるんじゃないかって思ってさ」

「ハハハハハッ! 何か相方らしい。物を大事にするっていうか、お爺ちゃんみたい」

「悪かったな! 精神年齢がお爺ちゃんでよ! まあ、7年間、ありがとうございました」

 使い潰した財布をごみ箱に投げ入れた。

「フフンッ。やっぱり中山裕介って変! 突飛な人。私が思ってた通り」

「誉めてんのか? その言葉」

 相方の嬉々とした表情。彼女の反応と言葉からすれば、只の奇人変人に見られているだけ、かもしれんが。



 出発当日。品川から10時10分発の新幹線に乗車し、11時3分には静岡駅に到着する予定だ。まだ帰省シーズン前なので混雑はしていない。

「お城の跡を見に行くのは付合うけど、私の楽しみもちゃんと考えてくれてるんだろうね」

 念押しする鋭い目と微笑み。

「解ってるよ。数日前からネットで調べてるの見てただろ」

「見てたけど、お城のホームページじゃないだろうね」

 鋭い目と微笑みは崩さず。

「お城はもう調べたから、これ以上リサーチする必要なし。食事処のページだよ」

「なら良いけど。私窓側座っても良いよね?」

「どうぞ」

 自由席に座り、オレはヘッドフォンで音楽を聴いたり本や資料に目を通す事にした。

 発車3、4分前になりふとプラットホームの方へ目をやると……5百ミミリリットルの缶ビールを飲みながら途方に暮れた表情でベンチに座っている佐藤政和前財務官がいるではないか。

 服装は白いYシャツにグレーのスーツ。間違いなく、あの人だ。オレの悪戯心に火が点く。

「おい、あれ」

「えっ?」

「どう見ても佐藤政和前財務官じゃないか?」

「誰が?」

 相方は小声で怪訝そう。

「あの人だよ」

 オレは指差し相方もプラットホームを見る。

「ほんとだ……」

 奥村真子は確認すると途端に獣を見る目付きに変わり、眉間に皺を寄せた。

 オレが聴いていた曲はウルフルズの『ええねん』。

「そんな顔するなよ。ほら」

 オレは相方にヘッドフォンを装着させ、巻き戻してイントロから聴かせる。すると曲調も手伝ってか奥村真子は打って変わってニヤリとした。言外な喜色満面な表情が、ガラス越しに映し出される。

 相方はヘッドフォンを外し、

「エンディングで似たような作品あるけど、大丈夫なの」

若干心配そうに訊く。

「良いんじゃないの。内容も曲も違うし。それよりあそこにいるって事は、傷心旅行にでも行く気なのかねえ」

「傷心旅行は私だよ!」

「そうだな、ごめん。なあ、手でも振ってやったら」

 そっと耳打ちした。

「何かそんな気しないんだけど」

 とは言いながら、奥村は笑顔のまま佐藤前財務官に向け手を振り出す。

 数秒後、佐藤政和前財務官は奥村真子に気付き、笑顔で手を振る彼女を忌々しい表情で睨んだ。オレは面識はないが、手を振ってみる。

 笑みの被害者と屈辱を浮かべた加害者は、お互い目を合わせたまま発車し始めた。

「乗らなかったな」

「うん。フフフフフンッ!」

「ハハハハハッ!」

 加害者だって所詮は人間。猛省し改心する事を祈るばかりなり。でもあの表情を見ると、まだまだだろう。



 1時間ちょっとで静岡駅に到着した。まずは相方こと中山裕介が楽しみにしていた駿府城公園へ。

 坂を上がって行くとやがて復元されたという櫓が見えて来て、

「やっぱ天下人の城とあって櫓も大きいなあ」

私が言う訳ではなく、ユースケの第一声。その声はまだ城跡の中に入ってもいないのに嬉々としている。

「前に来た事あるんでしょ」

「改めて、だよ。何回見ても圧巻」

 私は歴史は嫌いではないけれど、櫓を見ただけでは感動しない。

 復元された東御門高麗門と東御門櫓門から城内へ。と言っても建造物はない。同じく復元された巽櫓や坤櫓にはまだ入らず、相方は本丸の方へと歩いて行った。私も黙って後へ続く。

「見てみろよ。昔時は家康に謁見する為に大名にとっては「緊張の空間」だった場所も、今じゃ市民にとって「憩いの空間」だよ」

 相方は薀蓄を口にするでもなく、素直な気持ちを言ったのだろう。

「そうだね」

 園内には子供連れの母親や男女のお年寄りが集っている。お正月前だけど、父親と一緒に凧揚げを楽しんでいる男の子もいた。

 天守跡の方へ行ってみると現在発掘調査中。

「この城の天守台は江戸城を上回る日本一の大きさだったんだ。復元するには60から百億円が掛かるらしい。豊臣方の大名が城主となって家康が増改築した。秀吉は城主となった家臣に天守を造らせたそうだけど、家康は秀吉の死後にもっと巨大な天守を天下普請で造らせた。専門家は豊臣方と徳川方の天守台の遺構が同じ場所に現存するのは駿府城だけだって言ってる」

 はい、良く勉強されて。

「そうなんだ」

 覚悟はしていたけど、これも後のお楽しみまで我慢我慢。「何で天守台はなくなったの」なんて訊こうものならまた話が長くなるのは必至。だから相槌だけにしとく。

 ユースケはスマートフォンで写真を撮って行く。その後は巽櫓と坤櫓の中へ。内部は忠実に復元されていて、巽櫓の中には天守の復元模型が展示されているんだけど、ユースケはまたスマートフォンで『パシャ』。

「いけないんだあ。資料館の展示物を撮っちゃ」

「2、3枚は良いだろう」

「枚数の問題じゃないよ」

 今のこの男には何を言っても無駄だ。

 坤櫓は二の丸の南西にある。

「この櫓は外観は二層だけど、内部は三階構造で、縦横約14メートルととても大規模な櫓なんだよ」

 また始まった……。見れば大きいのは解るよ。家康のお城なんでしょ? またツッコんでやろうかと思ったけど、気分を害されるのも悪いので、

「へえー、そんなに大きいんだ」

調子を合わせてあげる。私もお人好しだけど。

 中へ入ると木の馨しさが鼻腔をつく。相方はまた櫓の中から外の景色を『パシャパシャ』と……。

「写真ばっかり撮ってるけど、せっかく来たのにちゃんと見てるの?」

「見てるよ。確り見た上で撮ってんだからさ」

 どうだか。私は放っておいて中をゆっくり見学する事にした。

 櫓から出てユースケはリュックから携帯灰皿とタバコを取り出し一服。さぞや美味しい事でしょうね。

 心底安心した様子で吸う彼を見ている内に、私の心中で「タバコへの興味」が沸立って来た。

「私にも一本ちょうだいよ」

「吸うの?」

 彼の意想外そうな表情が何ともいじらしい。

「急に吸いたくなっちゃった。何かタバコって、吸口の所に穴を開ければミリ数が軽くなるって、聞いた事あるの」

「ふーん。オレは聞いた事ないけど。でもこれ1ミリだから」

 ユースケがタバコの箱を私に差出し、1本抜取りバッグの中からボールペンを取出して、吸い口にペンの先を押付けて穴を開けた。

 彼は、冬用の厚手のジージャンのポケットからライターを取出すと、手をかざして火を点けてくれる。

 タバコを吸うのは、東大生の当時にやっぱり興味本位で友達数人と一緒に吸って以来だ。思いっ切り吸い込んでみる。

「ゲホッゲホッゲホッ! やっぱ美味しくはない」

「いきなりオーバーに吸い込むから噎せるんだよ。只吹すんじゃなくて、煙を肺に入れるのはご存知の様だけど」

 相方は「フンッ」と鼻で嗤ってニヤリ。

「タバコの吸い方くらい知ってんだよ! こんな不味くて舌に脂が付いて苦味を感じる様なの、良く毎日何本も吸ってるね」

「鼻から煙出しちゃって。考え事とかしてると、頭が覚醒して良いんだよ。価格は上がる一方だけど」

「一箱千円になってもヘビースモーカーでいるつもり?」

「吸ってる場合じゃないだろうな。一箱千円なら。富裕層の嗜好品と化しちゃうだろうよ」

 相方は最後の紫煙を空に向け吐出すと、タバコを地面に擦付けて火を消す。

「得意満面で解説したかと思えば、急に苦笑い浮かべちゃってさ。残酷だよね、現実って」

 私も火を消し、ユースケが差出した携帯灰皿に入れた。

「苦笑い浮かべさせたのは誰だよ。さっ、一通り見終わったし最後に外から巽櫓や門と坤櫓の外観の写真を撮りたい」

 表情も口振りも満足そうでライト。けど、

「どうぞお好きに」

好きなのは解るけど流石に呆れる。ていうかもっと前に呆れてるんだけど。



「私お腹空いちゃったんだけど、相方は空いてないの?」

 気色ばんで言ってみる。

「解ってるって。オレも空いてるからちょっと待ってろ」

 ユースケ、何故あんたも気色ばむ? なら期待するけど、まさか静岡にまで来てファストフード店だったらほんとにビンタするかもよ。

 私達は城外に出て、私はベンチに座って休憩し、相方は好きなようにさせてあげた。

「よし! 遅くなったけど昼飯にしよう」

 満足した笑顔の相方に対し、

「遅過ぎるんですけど」

態とムッとした顔。

「悪かったな。店は決めてあるから」

 自分の趣味に付合わせた事に「悪い」というのは自覚してるんだ、この男。



 待ちに待った昼食は駿河区にある鰻屋。

「いただきまーす!」

「どうぞ」

 蓋を開けると湯気と共に鰻とタレの香りが舞上る。

「うわ凄い。何か渋いよね、食べ物。美味しそうではあるけど」

「楽しみにしてたんだろ?」

「まあそうだけどさ」

 何かおかしくなっちゃう。肝吸いではなくお味噌汁だったのは少々不満だけど、鰻は皮はパリッとしていて身はフワッフワ。

「鰻美味しい。何かトロトロってしてない」

「うん。鰻もタレも旨い。でも食レポの達人がトロトロって」

「良いじゃん。今日は仕事じゃないんだから。今日は元気になるね」



 昼食が終わったら駅近くのホテルにチェックイン。夕食までにはまだ時間もあるので、

「ねえ相方、駅のショップでお土産買わない?」

これも私の楽しみの一つだ。

「お土産かあ。考えもしてなかった」

 相方はベッドに座り宙を見上げる。

「おいおい。事務所の社長さんやスタッフの人達には静岡に行くって言って休みを貰ったんでしょ」

 私は相方の隣に座り肩を『パシン』と叩く。

「<レッドマウンテン>と『高ネオ STREET』のスタッフの分だけで良いだろう。ちょっと見に行くか」

 相方は立上り、2人で駅へと向かう。

「まず思い浮かぶのはうなぎパイだよね」

「また鰻かよ。洋菓子のこっことかお茶もあるじゃないか」

「でも皆で分けて食べるんなら有名なお菓子の方が良くない?」

「まあ、お茶っ葉1人1人に配ったら量も多くなるしな」

 納得したユースケは一番量が多いうなぎパイを三箱、私も同じ物を二箱買った。でも買い物に来た序でなので……。

「まだ時間もあるし、他のお店やデパ地下も見てみたいな」

 甘えた声で言ってみる。

「……どうぞ」

 とは言いながら顔は「まだ見るか」て言ってる。午前中私を連れ回したから付合わない訳にもいかないのだろう。

 他のお土産屋さんやデパ地下を見て回り試食とか、気に入ったスイーツを買ったりしていたら、あっという間に18時を過ぎていた。



「そろそろホテルに帰ろっか」

「あれだけ試食して回ればもう夕飯は良いんじゃね?」

「それとこれとは別」

 女の胃袋をナメるなよ!

「そうですか……」

 荷物を置きに一旦ホテルへ戻り、夕食のお店へ向かう。

「あそこにハンバーガーショップあるぞ」

「またあ、ファストフードにしたらほんとに殴るからね!」

「街中で物騒な事言うな。ちゃんと店は決めてあるから」

「なら宜しい」

 駅から徒歩4分で海鮮丼が食べられるというお店に到着した。

 注文して約10分。運ばれて来た海鮮丼を見て唾液が分泌する。イクラやホタテの貝柱などが乗っていた。

 お昼の鰻屋もそうだったけど、まだ旅行、帰省シーズンじゃないからお店の中は以外と空いている。

「うわあ、美味しそう!」

 イクラはプチプチしていて鮪は中トロで軟らかい。15分くらいで完食してしまった。

「女は良く食うなあ」

「自分だって完食してるじゃない」

「オレはデパ地下で試食はあんまりしてないもん」

「甘い物と食事は別腹」

 古い事を言っちゃった。でも午後は楽しい時間を過ごさせて貰ったなあ。

 相方がお会計をする。今回の小旅行はユースケが誘い予定を立てたので、移動、食事、ホテル代は全て彼が支払う。

 新しい財布から出て行く「栄一」「梅子」「柴三郎」達に心中で「さようなら!」とでも叫んでいるのだろうか? お金が出て行くのは痛いだろうけど、「独り」ではない生活だからこれくらいの出費は仕方がないよ、ユースケ。

「キャッシュレスとかアプリ使ったら? そんなに紙幣持ち歩かなくても済むのに」

「いや、オレは性格上金を見ながらでないとどんどんキャッシュレスで決済しちゃって、後から物憂い気持ちになるから」

 何と頑な……。長子は頑固者が多いという。そういう私も長子だけど、やっぱり中山裕介は見た目は若くても中身はお爺ちゃんだ。

「せっかくスマートフォンも変えたばっかりなのに、何か勿体ない。それに、これからは現金は受付けないっていうお店も増えて来るよ」

「嗤うんだったら嗤えば良いさ。現金使えなくなった時に考えれば」

 また頑なな。そういや彼は幼児期の頃、よく母方の祖父の家で遊んでたって言ってたっけ。お爺ちゃんぽいのはその影響かもしれない。



 全ての予定を終え、やっとホテルで寛ぐ。オレはテレビを観ながら一服。奥村も自分のベッドにゆったりと座っている。

「タバコも近い内に全面禁煙になるからね」

「ニュースや新聞で見ておりますよ」

 一々煩えなあ……とは思うんだけど、世の中の動きは彼女の言う通りだからなあ。

 20時近くなってオレのスマートフォンがバイブし始めた。画面には下平希。

「プロデューサーから電話だ。ちょっとトイレで話して来るわ」

「うん」



 トイレに入って通話ボタンを押すと、

『旅行は楽しんだ? ファビュラスなプロデューサーですよ』

テレビ電話かい……。しかも居酒屋か何処かの店かららしく酔ってるな。

『ファビュラスなディレクターもいるよー』

 枦山さんも顔を出した。どうやら自撮り棒を使っているみたいだ。そこまでして……。

 それにしても2人共にこやかな顔な事。良い酒だ。

「何だよテレビ電話まで掛けて来て。今から緊急ミーティングでもするのか?」

『いや、ユースケが彼女と今頃ラブラブしてんのかなあって、夕貴と話してたの』

「まだしてねえよ。特に用がないんだったら切るぞ」

『ちょっと待って! あたしから報告があるんだよ』

「報告? 旦那と最近仲良くしてるとかか」

『その通り! 良く分かったね。ユースケ勘良いじゃん』

「ありがとよ。でも仲直りするのに随分時間を要したな」

『ほんとは夏頃に帰って来てくれたんだけど、何かぎくしゃくしててさ。離婚する! っていうような喧嘩だったから』

「そう。でも今は上手く行ってるようで何よりじゃん」

『ありがと。ユースケもせっかく休み取れたんだからラブラブしちゃいなよ。あたしも帰ってラブラブしちゃおっかなあ』

「フーー……」

 鼻から溜息が出てしまう。休みが取れたって、明日の午前中の新幹線で帰京するんだけど。

『死ねよマジで! 死ねほんとに!』

 オレの代わりに枦山さんがツッコんだ。

『じゃあそういう事だから』

『お土産楽しみにしてるよ! まさかないんじゃないよね』

 枦山さんの鋭い目。

「買ったよ。うなぎパイ。今度の『ーーSTREET』の会議で持って行くから」

『そう。じゃあ楽しみにしてるね。ファビュラスなディレクターと』

『プロデューサーでしたー』

 画面が元へ戻る。ファビュラスというのか、2人共頭の中はワンダフルというのか……。

 電話が終わったらしく、ユースケが出て来た。

「仕事の話だったの?」

「いいや。去年結婚した下平っていうプロデューサー覚えてる?」

「ああ、女友達でもあるっていう人ね」

「そっ。何か旦那と喧嘩してたみたいだけど仲直りしたんだってさ」

 説明するのもバカらしい。

「そうなんだ。良かったじゃない」

「ハーー……」

 相方は力が抜けたようにベッドに座った。

「ねえ、明日は何時の新幹線なんだっけ?」

「今日と同じ10時台」

「まだ寝るのは早いけど、久しぶりに一緒にお風呂入ろっか」

「誘われるとは思ってたけどね」

 ユースケは子細ありそうな表情。

「何? 私とはご不満なの?」

「いえ、とんでもない」

「じゃあ入ろう!」

 テレビを消した。

 私の精神状態も元へと戻った。今日、佐藤政和に向けて笑顔で手を振った事によって、吹っ切れたのかも。改めて、ありがとう、ユースケ。

「コミュニケーションの時間、復活! だね」

「風呂は禊ぎの場か」

 私は破顔して、相方は微笑を浮かべてベッドから立上った。



 12月28日の夜。小旅行から帰京して一日が経った。TTH内の『高ネオ STREET』のスタッフルームを借りてホンの仕上げをする。他にスタッフは誰もいない。

 ちょっと前ならスタッフルームで仕事をしていると、他のスタッフやプロデューサーから別の仕事を頼まれるという「危険」があった。だから作家はトイレに「避難」して籠ってホンや企画書を書いていた。ノートパソコンの充電がなくなればウォシュレットのプラグを抜いて「拝借」するという、姑息な手段。

 だが今は時代も変わり、大石さんからは、

「私達もう帰らなきゃいけない時間だから、スタッフルーム思う存分使っても良いよ」

笑顔で告げられ、他のスタッフも皆帰宅の途に着いた。働き方改革。これが「社員」と「非正規労働者」との違いである。

 まあ、大石さんクラスの立場の人は、帰宅しても自宅で仕事の続きをしているのだろうけど。サービス残業と同じ。人間が作り出すものに「完璧」なものはないから……。

 独りで仕上げを始めて終わりが見え始めたのは、2時間半くらい経った頃だろうか。時計は23時を回っていた。

 「フーー」鼻から息を吐き椅子の背もたれに身体を預けた刹那、側に置いていたスマートフォンがバイブし始める。画面には下平希。

 また旦那と喧嘩でもしたか? それとも飲みの誘いか? 将又仕事の用件か? 無視してやろうかとも思ったが、そうもいくまい。また事務所に押し掛けて来て貰っても困るし。



 仕方なく通話ボタンを押し……「出てやった」。

『旅行は楽しかったかい? 今日もファビュラスなプロデューサーですよお』

 またテレビ電話。これまた自撮り棒を使いやがって。しかも飲んでるし。

「……ああ、お陰で楽しんで来たよ。今日は土曜日だぜ、『ーーSTREET』の会議も打合せもない筈ですが」

『そうだけど、ちょっと様子を見てやりたくなってね』

「何だ見てやりたくなって。特に用件がないんなら切るぞ。オレはまだTTHにいるからな」

『いいやちょっと待て! お仕事ご苦労様。今日は大事な話があんの。最後まで聞け』

『ごめんユースケ、仕事中に。今日はオレもいるんだよ』

 大場が顔を出した。何かあいつがいるだけでも安心する。

『駿府城はどうだった?』

「久しぶりにゆっくり城跡見学が出来たよ。新しく復元された櫓の中にも入れたしな」

『そりゃ良かった』

『って事で大場との話はこれでお仕舞。本題に入るぞ』

 また下平プロデューサー殿のアップ。

「端的に言えよ。オレもそろそろ帰りたいんだからな」

『じゃあ手っ取り早く言う。来春からTOKYOーMS(東京メディアシティー)でワイドショーのプロデュースをする事になった。それで、ユースケにも構成に携わって貰いたい。っていう訳』

 下平はにんまり。

「TOKYOーMSでワイドショーねえ。時期的には丁度良い打診ではあるけど、どうせまだ事務所を通してないんだろ?」

『いいや、もう<レッドマウンテン>にはオファーしてある。今回はうちの会社からね』

 澄ました顔しやがって……。

 放送作家が仕事を受ける場合、制作プロダクションからオファーされる事もあれば、放送局、番組サイドからと、ケースバイケースである。

 それと、新番のオファーがされて来るのは番組開始3、4ヶ月前というのが通例。今回下平プロデューサーは通例に従った訳ではあるが。

「でも社長からは何も聞いてないぞ」

『明日にでも伝えられるんじゃね? 陣内社長は忘れる人じゃないじゃん』

「まあな。でもいつも「急にオファーした方が仕事を躍起になってやる」とか言って、事務所を通す前に伝えて来るあんたが、珍しいじゃん」

『ユースケ、あんた作家に成って何年目?』

「24の時に<レッドマウンテン>に入所したから7年目」

『もうお互いアラサーだしあたしもプロデューサーに昇格したんだから、いつまでも若手じゃないんだよ』

「まっ、それもそうだな」

 変な所で自分のキャリアを自覚させられた。オレも人の教育係を任せられるようになったし。

『今回はオレもディレクターとして携わるんだよ。引き続き宜しくな!』

 破顔する大場。まだ承諾はしていないのですが。だが陣内社長の事だからまた背中を引っ叩いてGOサインを出すのは火を見るよりも明らか。諦めるしかないって事か。

「こっちこそまた宜しく。オレ、今回の新番入れたらレギュラー7本になるな」

『良い事じゃねえか。仕事があるってのはさ。仕事は出来る奴の所に来るようになってんだよ。売れっ子作家さん』

 いつもクールな大場花が持ち上げるとは、これまた珍しい。

 画面はまた下平へ。

『もう番組のコンセプトは決まってるの。一週間のニュースを集めて、出演者全員が時事ネタで時事漫才をするってね』

「時事漫才ねえ。情報番組が嫌で会社に懇願してバラエティ担当にして貰ったんじゃなかったの?」

『だから情報バラエティ番組。制作もTOKYOーMSのバラエティ制作室が担当するのも決まってるから』

「バラエティ班がワイドショー? ドラマ制作なら聞いた事あるし観ても来たけど、情報番組は初耳だぞ」

 怪訝そうなユースケの顔。まさかこいつ「嫌だね」とか言ってオファーを蹴るとか、正当な理由もなくまた「降りたい」とか言うんじゃねえだろうな。もしそんな事言って来たらガチで絶交だしぜってえ許さねえぞ!

『じゃあそういう事だから。あたしのプロデュース番組第二弾、宜しくねえ。敏腕な放送作家さん』

 敢えてにこやかに言ってやった。

「解ったよ。月曜の会議でお土産持って行くから」

 電話を切りやっと解放された気分。それにしてもバラエティ班がワイドショーを制作するって、不馴れな事をさせて……開始前から数字が心配だ。

 まあ良いや。帰宅の途に着く筈、だったが……。



 今度は奥村真子からの電話。

『今飲んでるの?』

「いいや、仕事してた。まだTTH」

『そう。私もうお風呂に入っちゃったよ』

「コミュニケーション取れなくてごめんな。オレ、来春からまたレギュラーが1本増える事になったよ」

『そうなんだ、おめでとう。私もアナウンサー兼記者だから擦れ違いが多くなるだろうけど、まあ何とかやって行こう。っていうか、何とかなるようになってるんだよ、世の中は』

「そうだな。電話やLINEもあるしな。もう帰るけど、先に寝てても良いから」

『そう。じゃあお互い無理せずお休み』

「お休み」

 ホンの仕上げはもう出来上がったに等しい。後は自宅マンションか事務所でだな。

「さっ、今度こそ帰りますかっ……」

 パソコンや資料をリュックに仕舞い、スタッフルームを後にして帰途に着いた。



「うなぎパイ美味しい!」

 陣内社長は笑みを浮かべて頬張る。

 翌日の午後、レギュラー番組の会議が終わった後にお土産を持参して事務所に立寄った。

「ほんとですね。流石は静岡名物!」

 隣のナギジュンも至福の表情。

「喜んで頂けたのならオレも満足です」

「ユースケ君、今度はいつ旅行に行くの?」

「そんなにしょっちゅう旅行なんか行ける職業じゃないだろ。ロケハンで地方に行く事はあるけどな。その内解るよ、休み少なき放送作家の実情が」

 現に30日の月曜にも『ーーSTREET』の会議はあるし。

「世間が年末だお正月だって言ってる時でも、会議や打合せの仕事が入るのがこの業界の常なの」

 社長はうなぎパイを食べ終えコーヒーを一口。

「冬休みとかもないんですか?」

「世間が休んでる時に休みがないのもこの業界の常」

「そうなんだ……」

「露骨にがっかりした顔すんな!」

「ナギジュンにもそのくらいの覚悟はして貰わないとね」

 陣内社長と2人でけしかけるように諭す。までは良いのだが……。

「社長、<プラン9>から仕事のオファーが来てるんじゃないんですか」

 オレの方から口火を切った。お土産を配るのは序で。本来の目的はこれから。

「珍しいねえ、中山君から仕事の話を持ち出すなんて」

「目を丸くしなくても良いじゃないですか。昨日下平から電話があって大方聞きましたけどね」

 白々しいリアクションだった。

「そうよ、レギュラー7本目おめでとう。今度はワイドショーらしいけど、TOKYOーMSの長谷川編成局長の肝煎りの企画らしいよ。うちからは中山君とナギジュンを構成に参加させるから」

「えっ! 私もなんですか?」

 ナギジュンも目を丸くする。彼女は初耳だからな。

「バラエティの要素が入ったワイドショー番組になるとは聞いたけど、中山君、またナギジュンの教育係をお願いね」

「はい。解ってます」

「ナギジュンもバラエティとはいえニュースを扱った番組だから、色々勉強して来るんだよ」

「はい社長! 頑張ります! ユースケ君また宜しくね!!」

 ナギジュンはガッツポーズまで見せる。言動にはかなり気合が入っているけれども、心中のやる気はどれ程のボルテージなのかいな?

「振り向けばTOKYOーMSって揶揄されるくらいだから、初回から二桁は難しいだろうけど、6%台に行けば及第点だろうね。私が言うのも何だけど」

 陣内社長は「フフンッ」と鼻で笑う。

「まあそうでしょうね」

 制作費も数字も他のキー局より正直劣るTOKYOーMS。数字までは誰も予測が着かない。でもベンチャーなコンテンツも多く、一部の若者にはウケているのもまた事実。今回の新番は若者ウケするのやら……。



 30日の『ーーSTREET』の会議。お土産のうなぎパイを振る舞い大石さんは、

「聞いたよユースケ君、また希ちゃんとバディを組むんだってね」

にっこりして一言。

「もう話が広がってますか」

 噂は直ぐに拡散するものだ。

「大石さん、オレもその番組のスタッフに入ってるんですけど」

「私もです」

 大場とナギジュンは控えめに手を挙げる。

「この4人が揃えば絶対に面白いコンテンツになるって信じてる。頑張ってね」

 破顔する大石さんだが、今の言葉は本音? 他局の番組は知らん! という気持ちか? 大石さんの性格上無責任な事は言わないとは思うが、こればっかりはどっちかどうか解らぬ。

「あたしも、またプロデューサーですから。こんなに早く第二弾が来るとは思わなかったなあ」

 下平の嬉しそうな顔。見ているこっちが何か不安になるのは何故か……バラエティ班が制作する数字だろうな。

「希ちゃんは『ーーSTREET』も当てて今ノリにノッてるから大丈夫よ。でも4人共、この番組も疎かにしないでね」

 大石さんは笑顔で念を押し目もマジ。これは本音だろう。

「別に手を抜くつもりはありませんよ」

「解ってますよ! 大石さん!」

 下平は声も弾み快活。

 


TOKYOーMSの20年ぶりのワイドショー番組。しかも編成局長も気合が入っているとは後で窺知した。

 大石、下平、大場、奈木野の笑顔を見ている内に衷心が浮かんで来るのであった。しかしバラエティ班が制作するワイドショー番組。下平希プロデュース第二弾、始まる前から疑義を持ってはいけないが、数字の面でも本当に当たるのや否や……。何れにせよ、やってみなけりゃ解らない、である。



 それから半年後の6月中旬――

下平希プロデュース第二弾となる、一週間のニュースで出演者全員が時々漫才をするコンセプトのワイドショー番組も開始され、こちらはある程度予測した通り、数字は2〜3%台で推移しているが、番組が定着するまで様子見という段階。

 一方の『高ネオ STREET』も未だ継続中。数字も10%台前半か半ばと推移していてこちらは安定している。

 大石Pの思惑通り2年目に入り、回ももう直ぐ50回目を迎える。このまま「何事もなければ」本当に「15%まで」行くだろう。飽迄も今の数字を維持し続け、何事もなければの話だが。しかし、やっぱり高速ラインNEOは「ディープ向け」コンビだったのかもしれぬ。

 オレは『ーーSTREET』のスタッフルームを借り切り、ナリ君とホンを執筆する前の打合せをしていた。という事は、大石さんら他のスタッフは働き方改革で帰宅している。

「この撰で書いて行けば良いんっすね」

「うん。その方が視聴者ウケすると思うんだあ」

「かもっすね。じゃあその撰で書きます」

 ナリ君は納得して「うんうん」と頷く。

「じゃあ帰ろっか。執筆は自宅や事務所でやれば良いしさ」

「ですね」

 オレもナリ君も帰り支度を始めた刹那、『ブブーブブー』スマートフォンがバイブし始めた。時計は22時近く。

「おっ、オレのだ」

 画面を見ると「小枝子」と表示されている。母親だ。

「ディレクターか誰かっすか?」

「いや、お袋」

 また愚直に答えてしまう。誤魔化しが下手な人間でして……。

「先に帰って良いから」

「そうっすか。じゃあまた。お疲れ様でした」

「お疲れ様」

 ナリ君はスタッフルームを後にした。

 母親からの電話なので、やっぱり「今仕事中だから」とか言って邪険にする事は出来ぬっか。



「もしもし?」

 オレは椅子に座る。

『裕介、あんたまだ仕事中なの?』

「ああ、また帰って台本書かなきゃいけないけど、一応もう帰るから良いよ。何かあったの?」

『秋久が結婚する事になったの。9月には子供が生まれる予定なんだって』

 秋久はオレのたった一人の弟だ。

 でも「なんだって」って、息子の事なのに他人事みたいな口振り。呆れる気にもなれない。小枝子はそういう性質でいつもの事だから。

「そうなんだ。授かり婚だね。おめでとうって伝えといて」

『兄貴なんだから自分で言ってやりなさいよ』

「オレ、あんまり羽村市まで帰れる暇ないだろう。あいつとももう3年は会ってないし」

『忙しい職業に就くからよ。暇な職業なんてないのは解るけど、あんたが特殊な職業に就いたのが悪い。来年のお正月にはもう産まれてるだろうから、ちょっとでも時間を貰って帰って来なさい。その時に「おめでとう」って伝えれば良いじゃないの』

「特殊な仕事ではあるけど、「悪い」って言われてもねえ。オレだって頑張って就いたんだし今も頑張ってるんだからな」

 念は押しておく。

『頑張ってるのは認めてるけどね』

「それで挙式は挙げるの」

『挙げないんだって』

「なら良かった」

『良かったって何よ』

 小枝子は電話の向こうで呆れている口振り。

「また時間を貰わなきゃいけないからちょっと安心したんだよ。つい出た本音」

『あんたも大変ねえ。私達親もこれから大変なんだけど』

「まあ大変だろうけど何が?」

『まだお嫁さんの両親と顔を合わせてないのよ。秋久は当然挨拶しただろうけどね』

「えっ! まだ両家の両親が顔も見ずに結婚するの!? そりゃちょっとおかしくね?」

『まあちょっと順序が違うけど、向こうの両親は授かり婚にも結婚にも反対はしてないそうだから』

 小枝子は声を弾ませているが、そういう問題じゃねえだろ。その点では、秋久も何を考えているのやら……。

「ふーん。親父は何て言ってる」

『お父さんは「まだ奨学金を返済し終わってないだろ」って最初は難色を示してたけど、子供が出来たって聞いて渋々だったけど納得はしたみたい』

「両家が顔を合わせてない事には?」

『それも「まああいつが決めたんだから仕方ないな」って言ってた』

「へえー。あの頑固者だった親父が理解を示すようになったか」

 父の譲一はオレ達が子供の頃は高圧的で、拳骨で子育てをし、堅実な「昔タイプ」の父親だった。

 そんな譲一が「あいつが決めたんだから」とは、年齢的なものもあるだろうが、子供の思念に耳を傾けるような性質に変わって行ったか。

「まあ、中山家にとってはおめでたい話って事は解った。初孫が生まれるんだしね。正月帰れるかどうかはまだ何とも言えないけど、念頭には入れとく」

『解った。お願いね』

 小枝子との電話が終わっても、直ぐに帰宅の途に着く気にはなれず、荷物を持ってTTH内の喫煙ルームで一服する事にした。



 喫煙ルームには誰もいない。聞こえるのは『ゴーー』と稼働する吸煙機の音だけ。

 弟が結婚する。しかもオレにとっては甥か姪まで生まれるのだ。何でもかんでも兄の先を行く弟だなあ。でも、オレにも義理ではあっても妹が出来るのである。万感が浮かんで来ながら紫煙を吐く。

 秋久は子供の頃から負けん気が強い性格だった。何でも真に受け言われるがまま、されるがままで内憤を抱き、傷付き、惰眠を貪って消極的で受け身な性格のオレとは、真逆。同じ母親から産まれても、これだけの個体差がある。こればっかりは持って産まれた性格なので仕方ないとしか言いようがないが。

 秋久は中・高校と野球部に所属していたが、持ち前の負けん気で勉強も疎かにはしなかった。大学は大学院にまで進み、臨床心理士の資格を取得した。

 卒業後は都内の学校で臨床心理士として勤務していたが、現在は横浜市内の病院に勤務している。

 嫁さんになる女性にも負けん気と積極的な性格でアプローチしたのだろうて。まっ、オレも結婚を前提として奥村真子と同棲中ではあるんだけど……。

 一服が終わり、いつまでもここにいても仕方ないのでTTHを後にした。



「ただいま」

 自宅マンションに帰ると、

「おかえり」

奥村はまだ起きていた。

「これから入浴しようと思ってたの。一緒に入ろうか」

「コミュニケーションの時間だな」

 レギュラー番組が一本増えて擦違いが多くなるだろうなとは思っていたが、彼女が言うように何とかなるものである。

「何か表情が硬いけど、何かあったの?」

「入浴中に話す」

 準備をして浴室へ。

 相方に背中を含め全身を洗って貰いながら、

「秋久っていう弟がいるんだけど、結婚して9月には子供が産まれるんだってさ」

「へえ、おめでたい事じゃない。なのに複雑そうな表情なのはどうしてなの?」

 問題はそこだ。今度はオレが相方の身体を洗う番。

「きっかけはお袋の妹、叔母が結婚した時からかなあ」

「寂しかったとか?」

「何で解るんだよ?」

「だってそのくらいしか思い付かないんだもん」

 鋭い。看破されたか……。

「当時はまだ3歳だったかなあ。あんまり記憶はないけど、朝早くに起こされていつもとは違う服に着替えさせられて、訳も解らずにマイクロバスに乗せられて、府中市(東京都)のホテルまで行ったんだよ。そしたらいつもとは服装、メイクも含めて雰囲気が違う叔母がいた。隣には知らない男性もね」

「旦那さんだね」

「そう。何も分からないまま結婚式、披露宴が終わって、叔母は羽村の実家暮らしだったんだけど、叔母は実家からいなくなって府中に移った。多分寂しいと感じたのはその時だったんだろうなあ」

 相方の背中や腕を洗いながら当時を回想する。

 小枝子曰く、暫くは「姉ちゃんがいない。姉ちゃんがいない」と泣いていたのだとか。

 でも小枝子からは「姉ちゃんは結婚して、もう爺ちゃんのおうちには帰って来ないの」という説明もされなかった。それは叔母も同じ。

「だから友達が結婚するって聞くと、口では「おめでとう」とは言うしお祝いの品を贈ったりもするけど、何か自分から離れて行くようで未だに寂しい。幼児期の気持ちのまま、気付けばアラサー。仕方ないのか、オレがまだまだ成長してないのかもね」

 相方に今まで誰にも言わなかった心情を吐露し、少しすっきりしたような気もする。

「仕方ないんじゃない」

「あんたも確言するね」

 シャワーで相方の身体を流す。

「幼児体験は仕方ないよ。それもひっくるめて自分を受入れな。幼少期に感じた想いもひっくるめて今の中山裕介がいるんだから」

「自分を受入れる、かっ……」

「ねえ、弟さんが結婚したんだから、私達もそろそろ入籍の事考えない?」

「弟と同じ年に結婚。何も兄弟揃って同年に結婚しなくても。来年でも良くね? まだ2人の関係が続いていれば」

「続いていればって何?」

 奥村はふざけてムッとした顔付。

「じゃあさ、来年の2人の誕生日、どちらかに決めて籍入れようよ」

 私もアラサー。友達や後輩、同級生もどんどん結婚してもう子供がいる子もいるし。そろそろユースケにも真剣に考えて貰わなくっちゃね。

「解った。念頭に入れとく」

「失念しないでよ」

 相方を信用してない訳じゃないんだけど、鋭い目で念は押しておく。

「失念なんかしないよ。大事な事じゃねえか。2人にとっては」

 なら宜しい。



 そして9月8日、秋久には女の子が誕生した。年が明けて1月2日――

 「来なくて良い」とは言ったのに「ご両親に挨拶しとかなきゃ」と言って聞かず、奥村真子も羽村の実家まで付いて来て……しまった。

 陣内社長には事情を説明し、了解を得て午前中に他局で打合せを済ませ時間を貰った。

 今日はオレも秋久も日帰りだ。

「ここが相方の部屋なんだ。奇麗だね」

「お袋がたまに換気とか掃除してくれてるみたいだから」

 すると誰かが階段を上がって来る音がし、ドアをノックされた。

 「はい」と言ってドアを開けると、娘を抱いた秋久が立っている。

 秋久は奥村に気付き、

「初めまして。奥村真子さんですよね? いつもテレビで観てます」

「初めまして。ありがとうございます」

 秋久はクールに、奥村は破顔。

「子供が産まれたのは、見れば解る、よね?」

「うん。一目瞭然。おめでとう」

「おめでとうございます」

「オレが抱いたら泣くかなあ」

「いや、そんな事はまだないと思う」

 秋久から姪を抱かせて貰う。

「伯父さんですよお」

 とは言いながらも、まだ「伯父」の実感がない。

「名前はちえみっていうんだよ」

「字はどう書くんだ?」

「知るに衣で美しい」

「そっか。知識を身に纏って、美しい人間になれよ」

 オレは姪の身体を上下に揺蕩させながら、まだ赤ん坊の知衣美の顔を見て微笑を浮かべて言った。伯父としてその想いは衷心であるから。

「兄貴……」

 秋久は呟く。意想外な言葉だったようだ。兄の落着き冷静で優しい口振りに、意表を衝かれたのだろう。

「かわいい。私も抱かせて貰っても良いですか」

「どうぞ」

 奥村は姪を抱き、

「今年伯父さんと結婚する「お姉ちゃん」ですよお」

「おい!」とツッコミたかったが黙って見ていた。

「今年結婚するの」

 秋久に訊かれた。

「その予定。っていうかその撰で調整中」

 相方がいる手前、否定など出来ようか。

「兄貴もおめでとう。こんな奇麗な人と」

 秋久は微笑を浮かべる。

「ありがとう」

 一応礼は言ったが、両親にも紹介しちゃったし、奥村かオレの誕生日に籍を入れるのは確実、であろう。

 相方は秋久に姪を返し、3人で一階のリビングに降りた。戸を開けると義理の妹が破顔して一礼する。

「初めまして」

「初めまして」

 義理の妹の名前は由衣というらしい。由衣さんもうちの両親とは今日が多分初対面だろう。うちの両親も由衣さんの両親とは、まだ顔合わせもしていないそうだ。

「奥村さんですよね? アナウンサーの。初めまして」

「初めまして。ユースケと同棲してる奥村です」

 二人は破顔して挨拶。

「おい! 余計な事言うなよ」

 これにはツッコまずにはいられなかった。

「だって本当の事じゃない」

「ゴールイン間近ですね」

 女性2人で破顔。参ってしまう。

「おい、せっかく家族が揃ったんだから家族写真でも撮るか?」

 譲一がデジカメと三脚を持ってリビングに入って来た。譲一が家族写真を撮ろうと提案するとは今まで見た事がない。これも年齢のせいだろうか?

 しかも奥村真子も入って。これはもう結婚するしかない、だな……。別に別れたいとか不満がある訳ではないけれど、「寂しい」と感じ続けていた「結婚」に自分が足を踏み入れる。これに何か違和感があるのだ。

 家族写真、私も入れて貰えるんだ。すっごく嬉しい! 相方の顔を見ると無表情だけど目は複雑そうにしちゃって。

 でももう逃げられないよ、中山裕介。「フフフフフンッ!」心中でほくそ笑んでしまう私なのだった――



 夕方16時過ぎ。羽村の実家を後にしてオレが運転する車内。

「ねえ相方、入籍は私の誕生日の2月にする? それとも相方の誕生日の7月にする?」

 決めるなら自宅マンションに帰ってからとか後考にするよりも今だ。

「そんなに「結婚」に拘るか?」

 横目でチラッと奥村の顔を見ると、破顔というのかウキウキした顔。女性は結婚に対し「シビア」なのか? それとも男性が「疎い」だけなのか?

 ユースケの顔は気乗りしないというか、やっぱり複雑そう。

「何なの? 結婚するのがそんなに嫌なの? それとも私とじゃご不満?」

 態と声のトーンを上げた。

「いや、嫌とか不満とかそういうんじゃない。今まで「寂しい」と思って来た自分が結婚するとなると、何か実感が涌かないっていうのかなあ」

 これくらいしか返す言葉が見付からない。

「だったら結婚に自分から飛び込んでみるんだよ! 解る事もあるだろうし、ゴールじゃなくてスタートなんだよ。それに「寂しい」とも思わなくなるかもしれないし」

「……かもな」

 これ以上言うと奥村は気分を害する。それに端くれでも男、腹を決めるしかない。幾ら寂しい幼児体験をしたからといっても、自分も結婚していても可笑しくない年齢になった。

 自分が端くれであろうが、男は男。ここは運転中のながらであっても、ピシッとしなければ。何でもかんでも逆。背中を押されてばかりでは、本当に「女に尻叩かれ作家」だ。

「じゃあ7月までは時間が空き過ぎるから、相方の誕生日、2月8日にしよう。改めて言う。真子、もし僕で良ければ、結婚してください。それと、今後とも何卒宜しくお願い致します」

 お解りの通り、奥村とオレは産まれた年は一緒だが、彼女は早生まれで学年は一つ上なのだ。

「プロポーズ、だね。運転中ってのが、相方らしいけど」

 しかも「真子」て初めて名前で呼ばれた。嬉しいけど、あわよくばもっとロマンチックにして貰いたかった。やっと決心したかと思ったら、笑顔も見せず真顔で宣言しちゃって。

「「僕で良ければ」はいらないよ。何で私達、同棲までしてるの? はい、裕介と結婚出来て嬉しい。私の方こそ、末永く、何卒宜しくお願い致します。絶対約束だからね。もう後には引けないから。嬉しそうじゃないみたいだけどさ」

 今度は少々気色ばんでみる。私も初めて彼を名前で呼んだ。改めてだと照臭いけど。

「嬉しくない訳じゃないよ。実感が涌かないだけ。でも、オレも「守るべき存在」が出来たんだな」

 笑顔になるつもりはなかったが笑ってみた。

「やっと笑顔になった。「守るべき存在」、忘れるなよ! 早速区役所に婚姻届貰いに行かなくっちゃ。保証人は誰に頼もうかなあ」

「保証人はうちの社長と、作家の先輩で結婚してる人がいるから、オレから頼んでみるよ」

「そう。じゃあ任せるからね」

 横目で相方を見るとまた破顔。入籍する日が決まって満足したんだろうけど、今日はよく破顔する女性を見た日だ。そして参ったし疲れた。オレにとっては……。



 2月上旬――

 相方は先月中に港区役所で婚姻届を貰って来ている。オレ達の名前と捺印もして、後は保証人の欄を埋めるだけ。相方は「中山真子」になってくれるという。

「でも仕事では今まで通り「奥村真子」で行くから」

 らしい。

「うん。そう決めてるんならオレは構わないよ。まっ、中山家へようこそ、だね」

「こちらこそお招き頂きありがとう。でも私、相方のご両親には挨拶したけど相方はまだだよね。うちの両親も「放送作家と結婚する」には反対もしなかったし喜んでたけど」

「時間を作って挨拶に行かないとな」

 行かなきゃおかしい。秋久の事を「おかしい」とは言えない。兄が兄なら弟も弟、だな……。



「頼みたい事って何?」

 陣内社長はライトな口振り。会議や打ち合わせを終えて21時過ぎ、<レッドマウンテン>に立寄った。ていうか寄る必要があった。

「実は、これの保証人になって貰いたいんです」

 陣内社長に紙を見せる。

「婚姻届じゃない。中山君、遂に結婚する決心をしたんだ。おめでとう」

 社長はにっこり微笑む。

「えっ! ユースケ君結婚するの? おめでとう!」

 自分のデスクにいたナギジュンも入って来て破顔し、拍手をして祝福してくれる。

「ありがとう」

「相手は誰なの? 奥村さん?」

「そう。TTHの奥村真子さんとだよ」

 陣内社長に先に言われてしまう。まあ2人共、奥村とオレが交際していたのは既知しているから、もう放念だ。

「奥村さん、前にセクハラ騒動があったよね? その時週刊誌にリークしたのはユースケ君って噂で聞いてたけど、彼女を守ったんだよね。カッコ良いぞ!」

 ナギジュンが右腕でオレの身体を突く。

「もう2年近くも前の事だよ。ナギジュンは仕事してたんだろ。デスクに戻って良いよ」

「仕事どころじゃないよ。三従兄妹、親戚が結婚するんだもん」

 彼女は笑みを崩さない。「親戚」といったって「遠戚」なんだけど……。

「私、結婚の保証人になった事ないし、まさか初めて頼まれるのが中山君とは予想だもしてなかった。前に交際してたキャバ嬢の子と結婚するんだろうなあってばっかり思ってたけどね」

「えっ! ユースケ君キャバ嬢とも付合ってたんですか!?」

 ナギジュンが笑顔のまま目を丸くする。

「社長、余計な事を吹き込まないでくださいよ。もう過去の事なんですから」

 オレは以前、キャバクラで勤務していたチハルという彼女と交際し半同棲までしていた。長らく芳縁が続いていたのだが、オレの過失で喧嘩別れしてしまった。

「だって事実だしそう思ってたんだもん」

 陣内社長の笑みはからかいか……。

「キャバ嬢の次は女性アナ、ユースケ君も好き者だね」

 ナギジュンは今度は右肘でオレの身体を揺蕩させる。

「ほらからかわれるじゃないですか!」

 声のトーンを上げてツッコまずにはいられない。

「でも良かったんじゃない? キャバの女性は色んな男性客と接するから浮気の心配があると思うし、それに対して奥村さんは真面目そうな人だから」

 ナギジュンは言うが、キャバ嬢の人達への偏見だ。それにチハルはそんなタイプじゃなかったし。

「ごめんごめん。もう既済した事だしね。でもあの子を逃してもう結婚はしないんじゃないかって思ってた中山君がねえ」

 陣内社長は感慨深げ。

「それで、保証人にはなって頂けるんですか?」

「解ってるよ。ここに書けば良いんでしょ」

 社長は空欄に「陣内美貴」と達筆で書いてくれた。

「これで良いんだよね」

「はい。ありがとうございます」

「中山君、今度は失敗するなよ!」

 陣内社長は笑みは浮かべてはいるが目力は凄い。

「はい。心得てますしそれはコミットします」

 この人には誤魔化しは利かないし、衷心を口にするしかないのである。嘘を言えば絶対看破されるから。オレが顔に出易いだけなのだが……。

「これで中山君にも「守る存在の人」が出来たんだね。家庭も大事にして行かなくちゃいけないけど、仕事にも身体に気を付けながら精一杯やって行かなくちゃ。中山君は地道にこなして行くタイプだから大丈夫だろうと信じてるけどね」

 陣内社長は再び感慨深げな口振りで、今度は目も微笑みも優しい。

 オレが<レッドマウンテン>に入所した頃、教育係は陣内社長だった。その教え子が結婚するのだから、感慨も喜びも一入に思ってくれているのだろう。

「先を越されちゃったけど、改めておめでとう」

 そういや陣内社長はまだ独身だ。

「私も嬉しい。本当におめでとう!」

 ナギジュンも我が事のように祝福してくれている。

「ありがとうございます」

 笑顔で終わるかと思いきや、

「子供は何人欲しいの? それとも授かり婚?」

ナギジュンはまたにんまり……。

「授かってもないし、子供はまだ未定だよ」

「何だ何だ? 3人で微笑ましい雰囲気出しちゃって。何か祝い事ですか? 社長」

「ほんと何かあったんですか?」

 大畑が川並を連れてオフィスエリアに入って来た。

「ユースケ君がね……」

 口走ろうとしたナギジュンを肩を押さえて止める。

「しっ! あいつらには後日オレから言うから」

 そっと耳打ちしたがあの2人に伝えるつもりは、微塵もなし!

「社長もあの2人には内密にしといてください」

「うん、解ってる」

「何だよ、教えろよ」

 大畑は不服顔。

「もう用件は終わったから」

 社長が助け船を出してくれる。

「そうそう。あんた達は仕事に集中して」

 あの2人が入って来るとまた面倒な事になるのは明白。これも、衷心。



「これはこれは「江戸川さん」、今日は態々済みません」

「だからオレはその「コナン」じゃねえよ! 「虎」に「南」と書いて「虎南」だオレは!!」

 翌日の19時過ぎ。オレより10年先輩の虎南侑二さんに、

「明日、ちょっと時間を貰えないでしょうか? お願いしたい事があるのですが」

とメッセージを入れ、

『某局の社食でなら良いぞ』

と返信と了解を得た。

 この「江戸川さん」ネタ。発信者はオレ。別に本人は怒っている訳でもなくいつも「その「コナン」じゃねえよ!!」と全力でツッコんで来る。

 このやり取りを面白がって続けている内、作家仲間も真似するようになり、いつしか虎南さんはすっかりイジられキャラになってしまう。

 だがこれも後輩とのスキンシップだと本人も思っているらしく、「お前のせいでいい迷惑だ」とは言っているが、いつも笑って済ませてくれる優しい先輩だ。

「それで、お願いしたい事って何だ?」

「実は、これの保証人になって頂きたいんです」

 陣内社長の時と同じように紙を広げて見せた。

「それって、婚姻届じゃねえか。お前結婚するんだな」

「はい」

「相手は一般人か?」

「いや、TTHのアナウンサーの奥村真子とです」

 嘘を付いてももう婚姻届には「奥村真子」と書いてあるから所詮バレる。

「そうかあ。あの奥村アナとか。噂には聞いてたけどほんとに付合ってたんだな」

 今度は虎南さんがにんまりとし、自分の中で納得して「うんうん」と頷く。

 「人の噂も七十五日」とはいうが、噂は直ぐに出回り「七十五日」どころか俄然長い「噂」だ。

「なので保証人、お願いします。「江戸川さん」」

「だからオレはその「コナン」じゃねえって!」

「しっ! ここは社食ですよ」

 構って貰うのはありがたいが声を張り上げ過ぎ。

「お前から振って来たんじゃねえか。まあ、確かに今のは力が入り過ぎたな」

 独りで苦笑。

「いつも時と場所を弁える人が、今日はどうしたんですか?」

「保証人になってくれって頼まれたから動揺したのかもな」

 尚も苦笑。

「それで、お願い出来るんですか?」

「オレも結婚してるし保証人になってくれって頼んだ事はあるけど、頼まれるのは初めてだな」

 虎南さんはそう言いながら婚姻届を自分の方へ手に取る。

「うちの社長も同じ事言ってましたよ」

「この陣内って人だな? この社長も大変だな。お前みたいなやんちゃ者が社員にいて」

「いや、社長の方が一枚上手ですから」

「そうか。まあお前みたいな奴を面倒看るくらいだからな。すげえ会社だな、<レッドマウンテン>って」

 虎南さんは言いながら保証人の欄に「虎南侑二」と、社長と同じく達筆にサインしてくれた。

「ありがとうございました。「江戸川さん」」

「その「コナン」じゃねえっつってんの!」

 やっと声のトーンを下げる。

「これで後は役所に提出するだけだな。おめでとうな、幸せに成れよ」

 虎南さんは口振りも表情も優しくなった。

「まあ何とか頑張ります」

「お前も「守るべき存在」が出来たんだからな」

 今の言葉も社長と一緒。やっと「結婚」というものに実感が涌いて来た。

「まあ、お前は過去にセクハラ問題で揺れてた彼女を守ってるからな。大丈夫だろう」

 その噂も「七十五日」とはいかなかったか……。

 再度お礼を言って一礼し、

「コーヒー代はオレが払いますから」

「良いよ。今日はオレからのお祝いだ。コーヒー一杯だけどな」

虎南さんは財布を取り出す。

「じゃあ甘えます」

 社食を後にし、虎南さんとオレは各々の職場へと向かう。今日はこの後、某キー局でディレクターとの打合せが入っている。

 結婚するからといっても仕事と時間は待ってはくれない。どうせこの世はそんなとこ。あの世は逝った事がないので知らんが……。



 そして「運命」の2月8日、奥村真子の誕生日――

 やって来てしまったこの日が。

 2人の時間が合ったのは午前10時台から11時台。オレの運転で港区役所を目指し車を発進。

 オレは勿論だが相方も運転免許証を持参している。後は戸籍謄本と一番肝心な婚姻届である。

 車を走らせる事約30分で区役所に到着。2人で戸籍課へ向かう。

「さあいよいよだね!」

 相方の嬉しそうな、何処か安堵したような表情。に対してオレは……。奥村から婚姻届を受け取ったが、心臓は『バックン!バックン!!』状態。熱い季節でもないのに額には脂汗も滲んでいるような……。

 戸籍課の窓口に着き静かに深呼吸をして、

「お願いします」

免許証と婚姻届を、奥村は免許証、戸籍謄本を提出する。

「はい、確かに受理しました。この度はおめでとうございます」

 係員に事務的に言われ、

「ありがとうございます」

ユニゾンで会釈した。

 あ~あ、これでオレも妻帯者になってしまったか……諦めが悪いのは自覚している。

 ああ、これで私も後輩や友達に「結婚した」って胸を張って言える。何か肩身が狭かったんだよね、今までは。嬉しさと同時に爽快感が広がる。

 区役所を後にする道すがら、

「ねえ相方、指輪とか挙式は挙げなくて良いけど、記念写真くらいは撮らない?」

助手席で破顔している。彼女の中では撮る事が既に決まっているようだ。

「ウェディングドレス着たいのか?」

「まあ一度くらはね」

「また時間作らなくちゃな。念頭には入れとく」

「失念しないでよ」

「またそれか。しないよ。入籍する事も失念しなかっただろ」

 あれだけせがままれれば失念したくても出来ようか……。

「白いドレスに黒のタキシード。絶対だからね。っていうか念頭に入れとくんじゃなくて、一つなるはやでお願いしたいんですけど」

「解りました。近々また時間を作らせて頂きます」

 ユースケは吹っ切れたのだろう、表情も清々しく見える。

 でも、入籍したのはゴールじゃないからね。ここからがスタート。色んな事があるだろうけど、中山裕介、覚悟しとけよ!

 「フフフフフンッ!」やっぱりまた心中でほくそ笑む私なのだった――


                 了

 


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