プロローグ
「馬の足」という言葉がある。これは演技が未熟な役者を指す比喩表現であり、その語源は芝居劇で作り物の馬の前脚と後ろ脚として配役される見習い俳優を意味している。未だ名のある役を任されず、小道具として舞台を盛り上げる役者未満の若者を、半ば嘲笑的に揶揄した言葉である。人を馬鹿にした、不名誉な隠語だ。もし役者を目指す者がこの心無い物言いを使われた時、即座に言い返したいと思うのならば、こう言ってやると良い。
十七世紀にイギリスからアメリカのカルフォルニアに移住したエドワード・マイブリッジという写真家が居る。彼のある作品は後に、かの有名なトーマス・エジソンの天才的な頭脳を刺激して、キネトスコープと言う射影機の発明をさせるに繋がった。マイブリッジが歴史上初めて成し遂げた偉業、それは疾走する馬の連続撮影である。そのエジソンが驚愕した、馬の動きを記した写真の連なりは、もはや従来の一瞬を切り取った静止画ではなく、連続した時間を記録した動画の雛型であった。1895年、人類はこのエジソンの映像制作技術を活用し、映画を発明する。
マイブリッジはどのようにして馬の連続撮影に至ったのだろうか?それはある些細な議論を検証するために依頼された実証試験であった。はたして、馬が疾走する際、全ての脚は地面から離れているのか?それを確認するためにマイブリッジは十二台のカメラを等間隔に並べて撮影を行った。話が飛躍する前に主軸に戻そう。世界最古の映画の雛型は、「馬の足」を見る為だけに撮られた。「馬の足」は全ての始まりであり、歴史上もっとも重要な役者である。
2015年三月下旬、朝比奈雄馬は着陸する為に旋回している飛行機の窓に目を向ける。鳥が制空権を得ている層から更に遥か上の空。機体を斜めに傾けた飛行機からは雲越しにカリフォルニアの大地が眺められる。窓に写っている地上には雄馬が想像していた経済大国の威厳はなく、むしろ身長の低い建物がぽつりぽつり、と疎らに配置されている。ここが俺の新しい居場所になるのか、と眠気と気圧の変化でぼう、とする頭の中で呟いた。
ふと、視界の外から手が伸びる。雄馬が開けた窓のカーテンを隣の席の老婆が態々腕を伸ばして閉め直す。ゆっくり寝ていたところを差し込んだ陽射しに邪魔されたのだ。老婆は恨めしそうに雄馬を見て、小声でなにかを呟いた。雄馬はバツが悪くなって頭を下げる。大抵の乗客はこの老婆同様、飛行機が太平洋を丁度半分過ぎたあたりで眠り始めた。機内の照明が消え、就寝のアナウンスが流れた。だが、雄馬は眠れなかった。なにせ、これが雄馬の人生で初めての国外旅行だ。
眠れない時間は映画を見てやり過ごした。画面は小さいし、機内は乱気流の中で揺れる。備え付けられたイヤホンは明らかに使い捨ての粗悪品で、耳に形が合っていなくて、軟骨が痛い。普段から落ち着いた雰囲気の、隠れ家的な映画館に通っていた雄馬にとっては、それは看過し難い環境だった。ただ、嬉しいこともあった。日本ではまだ上映していない海外作品がいち早く鑑賞出来る事だ。なんにせよ、この飛行機で雄馬はほとんど寝ずに到着を待っていた。もう直ぐ着陸しますよ、と言われれば気持ちが先走ってカーテンを開けてしまうくらい問題ないのではないだろうか?
だが、雄馬はそれを隣の老婆には伝えなかった。なぜなら、上手く英語を話せる自信が無かったのだ。おそらく彼女は文句を言ったのだろう。渡米に備えて英会話を習っていたこともあって、それは案外すんなりと脳が理解した。だが、自分が話すとなると怖気づいてしまう。特に自分の意見が長文になる予感がした際には、喉から声が出なくなってしまう。そう思って数瞬、雄馬はかぶりを振る。話そうと思えば話せる。乗務員が「夜食は豚肉にしますか?鶏肉にしますか?」と訊いてきた時は迷いなく注文することが出来たし、英会話教室では誰よりも学習速度が早いと、賞まで貰ったこともある。それに雄馬は今年で二十八歳になる。人見知りする歳ではない筈だ。
飛行機が着陸すると、雄馬は空港の案内掲示板を頼りに進んでいく。エスカレーターの様に自動で前に進む通路は、まるで引き返せない旅を暗示している様で勇ましい。もちろん何も手にせず戻るつもりなど毛頭ない。雄馬は動く歩道の上でさらに歩みを進めた。
「先輩。俺、どんなに距離が離れても先輩の夢を応援しますから」
携帯の電波が復帰すると、そんなメッセージが受信されていた。雄馬が所属していた劇団の後輩だ。歳が六年以上も離れている平塚大志という、自分と同じ無名の役者である。天邪鬼で人の言うことを素直に受け取らない大志は、しかし、自分がオーディションに落ちた日にだけ雄馬の稽古を熱心に見詰めるという癖がある。彼の目は何かを探す様に雄馬の演技をじぃ、と見定めていた。雄馬は稽古を中途半端な気持ちで臨んだことは無い。大志の存在が彼の役者生活に張りを与えていたのだ、と本人に言ったこともない。カッコいい先輩でいたかった。
「アメリカに着いたぞ」
手短に返信する。既読は付かない。今、日本は午後九時半だ。おそらく配達のアルバイトが忙しいのだろう。税関と入国審査を終えると、ようやく雄馬は空港の外に出た。空気が違う。なんというか、冷たくて、軽い。毎朝、安アパートに漂っていたゴミ収集車の匂いはもちろんしない。しかし、なんだか馴染みのある匂いだった。
「お別れはアメリカ流にしましょう」
つい昨日大志と交わした挨拶が、頭の中で甦る。拳を合わせ、握手をする、とみせかけて、するりと手を引き、二度ハイタッチ宜しく手のひらを鳴らす。本当にこれがアメリカ流なのか、これから知ることになる。雄馬は身震いして空を見上げる。時刻は午前五時半。太陽の光が夜空を押し上げる。それは、日本では見たことのない現象だった。空の上下で完全に色が分かれている。地平線のオレンジと、天上の群青。まるで出されたばかりで混ざり合っていないクリームソーダだ、と思う。厳密に言うと、色味の配置が逆さなのだが。口の中に甘みが広がっていく気がして、今一度思いきり空気を吸った。
あぁ、なるほど。
雄馬はひとり納得して、微笑を浮かべた。アメリカの空気は、ガソリンの匂いがする。