ある男の話
男は呟いた。
「書こう、いや、書かなければいけないんだ」
男は狂気に満ちた表情をたたえながら突如、文章を書き始めた。
事の発端は今日の昼間、職場での休憩時間に寛いでいる最中に起きた。
「もしもし中野さん?あんたいつになったら滞納してる金を払うんだい!?こっちは慈善事業で金貸ししてるわけじゃねえんだよ!金払えねえんなら覚悟しとけよ!!」
闇金業者の野太く荒々しい声が電話に出た男の耳元をつんざいた。
二十代も後半になって相変わらず底辺のフリーター生活から抜け出せないでいるこの男は、ギャンブル依存症とも呼べる程パチンコに嵌まった挙句に借金を作ってしまった。
しかもタチの悪い事にその借入先は法外な利息を請求する闇金融であった事から見る見るうちに借金は膨らみ返済額は数百万円になっていた。
「金だ、金が欲しい、なんとかして金を用意するんだ」
男は仕事の帰り道に、気を紛らわせる為に立ち寄った本屋で新刊の小説を手に取り読んでいた。
しかしその日に読んだ小説は妙につまらなく感じた。
男は思った。
(たいして面白くない作品だな、この程度の小説が本として書店に並ぶんであれば俺ももしかしたら作家になれるかもしれない、そうしたら作家になって金を稼いでこの借金地獄から抜け出せるかもしれない」と、唐突にひらめいたのだ。
それはあまりにも飛躍し過ぎた発想であり、もはや正常な人間の思考ではなかった。
しかし、闇金業者から日々執拗な取りてを受け続けて追い詰められていた男はその時、既に神経が消耗し正常な思考を働かせる事が出来なくなっていた。
男は帰宅してすぐさまネットで新人賞の募集を探した。
「あったぞ、これだ、これに応募して俺は新人賞を取るんだ」
男は偶然にも今からニ日後に締切られる某新人賞の公募を見つけたのであった。
男は決意をすると狂気に満ちた表情を浮かべながら突如、机に向かい文章を書き始めた。
それから何時間が過ぎたであろうか。
時間の経過も忘れるほどに一心不乱に書き続けた。
男は会社も無断で欠勤をしていた。
(どうだ、こんなに書けたぞ、きっと俺は才能があるんだ、新人賞を受賞して期待の新人作家となり必ず借金を返してやる)
男はまるで狐に憑かれたような眼差しで原稿用紙を食い入るように見つめた。
もはや妄想と現実との区別もつかない程に男は錯乱していた。
寝食を忘れる程に憑かれたように原稿用紙に向かい続け、そして、新人賞の締切日がきた。
物語の終盤まで順調に小説を書き進めたものの、どうしても納得のゆく結末を書く事が出来ずにいた。
今まで一度も小説を書いた事のなかった平凡な才能のこの男が読み手をあっと言わせるようなような結末をそう容易に思い浮かぶはずも無く、悶々としたまま物語の結末を考え続ける時間だけが過ぎていった。
(どうして書けないんだ、俺は書けるはずだ、いや、書かなければならないんだ)
刻々と近づく締め切りを前に焦燥感に駆られた男の額からは汗が噴き出していた。
(書くんだ、何か良い結末を書くんだ)
ペンを硬く握り締め必死に考えるが、しかし、何も書けないまま時間だけが過ぎていった。
そして数時間後、男は意を決したように結末を書いた。
「家族のみんなへ、死ぬことにしました、さようなら」
電気コードに吊るされた男の体が静かに揺れていた。
お読み頂きありがとうございます。
これが二作目の小説執筆作品です。
なんでも構いませんので評価のコメントを頂けると励みになります。
宜しくお願いします。




