(5)
「いやあ、あなたが来てくれて助かりました。急に一人辞めることになってしまって……募集を掛ける前に王先輩に話してよかった」
いや、むしろ助かったのは晩霞の方だ。
周館長が王教授に相談し、王教授が「そういえば」と晩霞を紹介してくれたおかげで就職が決まったようなものだ。
「私の方こそ、採用して頂いてありがとうございます」
「いえいえ。ちゃんと学芸員の資格も持っていますし、先輩からは真面目で優秀な子だと聞いていますよ。あなたの書いた論文も読ませてもらいました。唐が凋落し、幾つもの王朝と地方政権が乱立したあの時代を、特に地方政権に焦点を当てて綺麗にまとめられていましたね。素晴らしかった」
「ありがとうございます、恐縮です」
自分の前世を調べた延長で論文を仕上げたものだが、どうやらそれが功を奏したようである。
ほっと胸を撫で下ろす晩霞を、周館長はロビーへ案内する。
美しい大理石が敷かれた広いロビーには、ガラスケースの台が置かれていた。中に収められているのは玉の彫り物だ。
緑や白、青に紫色の上質の翡翠を、牡丹の花や小鳥をモチーフに精巧に彫り上げたそれらは美しく、見るからに高価なのが分かる。
ケースの台に使われている木材も、艶のある赤みがかった色が美しい。紫檀だろうか。
横目で見ながら通り過ぎ、ロビーの窓側にある応接スペースらしいソファセットを示され、晩霞は腰を下ろす。
少し待っていてくださいね、と周館長は入り口近くの受付へと引き返し、書類の入ったファイルやバインダーを持ってくる。晩霞もまた、鞄の中から採用通知書を取り出した。
両手で差し出すと、受け取った周館長はさっと目を通して確認する。その後、通知書と共に、ファイルと分厚いバインダーを晩霞に渡してきた。
ファイルには入社説明と契約書関連の書類、バインダーの中には『四海グループ』のパンフレットや社史、広報誌、そして業務マニュアルが挟まれている。
「まずは弊社の説明を……と言いたいところですが、四海奇貨館の業務内容はグループが展開する事業内容とだいぶ異なります。『奇貨』という名前の通り、四海グループが所有する珍しい宝物や美術品といった、歴史的、芸術的価値のある文物を収めた、私設の博物館です。元々は蒐集したものを保管するために造られましたが、この十年ほどは賓客の接待や、近隣の学校、団体などの社会見学などで開放しています」
この辺りの説明は面接の際にも軽く聞いていたので、晩霞は頷きながら話を促す。
「ですので、ここでの業務は博物館とさほど変わりありません。朱さんには、来客時の対応、展示物の管理や入れ替え、社会見学用の企画など、前任者が行っていた業務をそのまま引き継いでもらいます」
「はい、わかりました」
「一階と二階が展示室で、三階は保管室になります。一階は基本的に常設展、二階の一室は企画展用の部屋となっていて、企画ごとに展示物を入れ替えます。展示室と保管室に、合わせておよそ五千点の収蔵物がありますが、四海グループの所有する文物は膨大で……実は、私もすべて把握してはいません。時折、グループの会長一族の方がこちらに収蔵、展示する物の入れ替えに来られるので、その際に新しい者は登録証を作って管理します。登録証のナンバーはすでに一万を超えていますね」
「はあ……すごいですね」
思わず感嘆の声を上げると、周館長は悪戯っぽく笑む。
「数もすごいですが……ああ、これは実際に見た方が早いかもしれませんね。まずは、じっくりと見学して下さい」
周館長は立ち上がり、受付の奥にある事務室に晩霞の荷物を置かせた後、さっそく展示室に向かった。重厚な赤いビロードの扉を開きながら言う。
「では、あらためて。朱晩霞さん、ようこそ『四海奇貨館』へ」