(2)
――朱晩霞には、前世の記憶がある。
そんなことを言えば笑われるか、病院に連れて行かれるかなので、誰にも言っていない。
だが、決して冗談でも病気でもない。
晩霞ははるか昔、『呪妃』と呼ばれていた。
自分で言うのもなんだが、それはそれは冷酷非道で最低最悪の悪女であった。
悪行三昧のせいで反乱を起こされて、無残な死を遂げたものだ。まあ、それは仕方ない。自業自得だ。
だが、ここからが酷かった。
晩霞は呪妃の記憶を持ったまま、幾度も生まれ変わって死んだ。転生が二百回を超えたあたりから、数えるのを止めた。
何しろ、生まれ変わるのは人間以外の生き物。
しかも、虫や小動物といった、食物連鎖ピラミッドの下層に位置する物ばかりだった。
魚の卵の中の無力な命として、生まれる前に別の魚にあっさりぱっくり食われた。
卵から生まれることができたと思ったら、直後、自分より早く生まれていた兄弟である蜘蛛にばりばりむしゃむしゃと食われた。
何とか成長して茎の上を這っていた芋虫の時には、飛んできた鳥に咥えられ、巣の中で雛に奪い合われて食べられた。
蜂になった時は、巣を守るために犠牲となって、大型の肉食蜂に食べられた。
蜈蚣になって人間のいる場所に出てしまった時、鍬で身体を真っ二つにされ、蟻に運ばれて食べられた。
鼠に生まれた時は、やっと虫以外に転生できたと喜んだのもつかの間、猫に追いかけ回され、呆気なく食べられた。
ひたすら繰り返される弱肉強食の世界。
慈悲も無く奪われる生命。
これは因果であろう。呪妃として生きていた時、呪術に使うためにどれだけ多くの虫や動物の生命を奪ってきたことか。
何千匹、何万匹もの蜈蚣や蜘蛛、蛇や蜥蜴、蝶に蜂、鶏も猫も犬も……。自分が殺した分だけ償えと言わんばかりに、彼らの生死を体感させられる。
もう転生しなくていいです。転生させないで下さい。
地獄でいくらでも拷問を受けます。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。私が悪かったです。
お願いします。もう許して下さい――。
と、懺悔したところで許されるはずもない。
繰り返される転生をただ受け入れるしかなく、ひたすらに耐えた。かつての呪妃としての高いプライドも人間の尊厳も心もバッキバキに折られまくって、跡形もなく踏みにじられた。
そうして再び人間として生を得た時には、千年以上の時が経っていた――。
自分が蟻となって人間に踏み潰された感覚まで思い返してしまって、晩霞はぶるりと身を震わせた。
急いで羽毛布団の中へと引き戻り、悪夢をリセットするため二度寝を試みようとしたものの、傍らのスマホが六時のアラームを鳴らし始める。
「……」
無慈悲な電子音に、晩霞は布団から渋々這い出た。
さすがに今日は寝過ごすわけにはいかない。難航した就職活動で、ようやく決まった職場へ初出社の日なのだ。
一度呻った後、気合を入れてベッドから降りる。「よし!」と両頬を軽く叩いた。
「夢は夢! 前世は前世! 今の朱晩霞には関係無い!」
そう、それよりも、今日からワクワクドキドキの社会人なのだ。
一週間前に買ったばかりの無難なオフィスカジュアルの服に着替えて、練習していたメイクをして、希望に満ちた社会人第一歩を踏み出そうじゃないか!
気を取り直し、晩霞はさっそく顔を洗いにバスルームへと向かった。