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千年呪妃  作者: 黒崎リク
22/25

(14)


 重い荷物を持っていれば、代わりに持ってくれる。

 部屋を出ようとすれば、ドアを開けてくれる。

 道を歩くときにはさりげなく車道側に立って、晩霞が躓いて転んだとしてもすぐに支えられるよう傍らを歩く。


 楚天華の行動は紳士的、レディーファーストと言っていいだろう。

 それ以外にも、しょっちゅうランチ(しかも薬膳や健康志向料理の店)に誘われたり(いつの間にか支払いは済んでいる)、休憩時にはタイミング良くお茶を淹れてくれたり、晩霞の好きそうなお菓子を持ってきたり、急な雨の日には己の傘を差し出してきたりと、甲斐甲斐しく献身的だった。

 そんな晩霞と天華の様子に、陶は最初のうちこそ「やっぱり、オーナーは晩霞ちゃんに気があるのよ!」とわくわくしていた。陶の好きな恋愛ドラマに出てくる、スパダリ御曹司と平凡OLの設定に重ねては、当の本人である晩霞よりも照れたりはしゃいだりしていたものだ。


『ねえねえ、何か進展はあった?』

『晩霞ちゃんはオーナーのことどう思ってるの?』


 期待に満ちた目で陶に尋ねられても、晩霞は「何もありません」と答えるしかない。


 そう、本当に何もないのだ。

 かれこれ一ヶ月以上経つものの、晩霞と天華の間には何も起こらなかった。

 保管室で手に触れられて以来、進展はまったくと言っていいほど無い。せいぜい、晩霞が遠慮したり断ったりすることを諦めて、天華の至れり尽くせりの世話を受け入れるようになったくらいである。

 甘酸っぱい話の一つもないとあれば、陶の関心は次第に薄れていった。今は、新しく始まったブロマンス古装劇の魅力をたっぷりと語ってくるくらいだ。

 陶の追及が無くなってほっとしたものの、もやもやとしたものは残った。

 その正体を掴めぬまま日々を過ごし、企画展まで三週間を切った日のことであった。





「お先に失礼します、お疲れさまでした」

「お疲れさまです」

「お疲れさまー」


 まだ残って作業をすると言う周館長と林主任に挨拶をして外に出ると、当然のごとく門のところで天華が待っていた。

 十月に入り、日が沈むのが早くなった。しかも企画展が近づくにつれて残業することも増えている。公園内の外灯は少なく、道が暗いからと、天華が最寄り駅まで送ってくれるのが近頃の日課となっていた。最初に車で送迎しようとしたのを固辞したら、晩霞に合わせて電車通勤に変える徹底ぶりだ。

 事務の陶は定時に帰り、周館長と林主任は晩霞よりも遅くまで残ることが多いから、駅までの道は必然的に天華と二人きりになってしまう。

 一応、大丈夫だからと三度断った。そして三度とも押し負けた。穏やかそうに見えて、この男は強情だ。

 諦めの境地で、晩霞は斜め前を歩く彼の後を大人しくついていった。


「足元に気をつけて下さいね。よかったら僕の腕を掴んでいいですから」


 いつものように言ってくる彼に、晩霞はふと尋ねてみる。


「……楚先輩は、どうしてそんなに優しくしてくれるんですか?」


 晩霞の問いかけに、天華が振り返る。ちょうど外灯の下で、きょとんと目を丸くする彼の顔がよく見えた。


「どうして……とは?」


 不思議そうに首を傾げる彼に、晩霞は言葉を探しながら続ける。


「あのですね、こんな風に優しく、親切にされ続けていると、勘違いする人も出てくるかもしれないというか……」

「勘違い?」

「あー……例えばですよ。その、優しくされ続けると、その相手が自分のことを好きなんじゃないかって、そう、勘違いしまうんです。ほら、友達とか恋人とかに、優しくするでしょう? 相手に好意を持っていて、そういう存在になりたいから、優しくするんじゃないかって……」


 こんな細かいことまで言わせるなと思いつつ、晩霞は何とか言いきった。

 そう。これが、晩霞の中でもやもやとしていたことだ。

 晩霞は、天華に親切にされる理由が思い当たらなかった。ただただ優しく、甲斐甲斐しくされるのは、どうにも落ち着かなかった。

 それが彼の好意であるとするなら断ればいいだけだし(多少気まずくはなるが)、それ以外の理由でもいい。ふわふわと曖昧な今の状況は不安を駆られてしまう。何かしらの決着をつけたいと思ったのだ。

 だが――


「……いいえ。そんなこと、少しも考えたことはありません」


 戸惑いながらも答える天華の声は、いつもよりもどこか強い口調だった。

 そんなこと、と繰り返す彼の頬は少し強張っている。

 しごく真剣で、嘘をついている様子は無い。むしろ、なぜそんなことを晩霞が聞いてくるのかという、訝しげな表情をしていた。


 今までにない天華の態度に、晩霞は居た堪れなくなる。

 だったら紛らわしいことをするなと思う反面、不思議と納得もしていた。

 天華には下心というか、恋心のようなものがまったく見えなかったからだ。何というか、晩霞に尽くすのが彼にとって『当たり前』という自然な態度で、それは友人とも恋人とも違う距離感に思えた。


 そう、まるで――呪妃に仕えていた、小華のように思えていたのだ。


 晩霞は気付けば、再び口を開いていた。


「じゃあ、どうして楚先輩は私に親切にするんですか」


 最初と同じ問いを、別の意味で問いかける。

 何が目的なのだ、と。

 鞄を持つ手に力が籠り、天華を見上げる目はどうしてもきつくなった。


「……」


 しばらく無言で見つめ合う。天華は何か言いたげに口を開きかけては閉じ、やがてぽつりと零した。


「……僕が親切にするのは、小朱、あなたにとって迷惑でしたか」


 蜜色の目が揺らぐ。小さな子供が親に叱られるのを恐れるように、晩霞の表情を伺っている。


「あなたが不快に思うのなら、今後は控えます。ですが、僕はあなたを……」


 天華の言葉が途切れる。薄暗い道の向こうから複数の足音が聞こえ、晩霞達の横を学生らしきランナーの集団が、軽快な足取りで通り過ぎて行った。

 思わず彼らに目をやっていた晩霞が視線を戻した時、そこにはいつも通り、柔い微笑みを浮かべる天華がいた。


「……暗くなってしまいます。今日はもう帰りましょう」


 そう言って、彼は歩き出す。

 問いに答えを返してもらっていない。だが、晩霞もまた、それ以上問い詰める気にはなれなかった。

 生まれた疑問と不安を、はっきりと形にすることが怖かった。



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