(9)
呪妃が気まぐれで助けた、美しい少年である。
もっとも、助けたというよりは、色好みの凌宇殿下への嫌がらせで少年を奪い取っただけのこと。そして奪ったものの、その後のことを呪妃は考えていなかった。
勝手にどこかで野垂れ死んでくれればよかったが、少年はしつこく呪妃の後を追いかけてきて、ついには後宮にある黒天宮までついてこようとした。
後宮は王以外の男子禁制であり、少年が入ることはできない。だが、『どうかお側に仕えさせて下さい』と縋る少年に、呪妃は溜息を付く。
ひとまず姿を眩ます術で少年を黒天宮まで連れて来た後、彼に投げ渡したのは粗末な襦裙だ。少年は訝しげにそれを見つめた。
『これは……』
『それを着て化粧をして、常に女として振舞い、私に仕えることができるか?』
『……』
『あるいは、宦官になるかだな。それがここに残る条件だ。……わかっておろう。ここは本来、王以外の男は入れぬ。お前のような者が居る場所ではない』
呪妃の言葉に少年は目を瞠り、さっと頬に朱を走らせる。
女装して女として振舞うことも、男の証を斬り落とされることも、どちらもさぞ屈辱的なことだろう。突き付けられた選びようのない選択に少年は俯いて、乾いた唇を噛みしめた。
……これで諦めるだろうか。そうしたら、先ほど使った姿消しの術を使ってやって、王宮の外に出してやってもいい。
気まぐれで手を出した責任くらいは取ってやろうと、呪妃は珍しく寛大になっていたのだが――。
『……わかりました。それでは、『女』としてあなたにお仕えいたします』
顔を上げてきっぱりと答えた少年に、呪妃は再び呆気に取られることになった。
そうして少年は、今も呪妃の目の前に居る。
未発達のほっそりとした身体は多少骨ばってはいるが、襦裙を身に付けて長い髪を二つに結い上げ、ほんのりと白粉をした姿は、素材がいいだけに美少女にしか見えなかった。
もっとも、年が長じてくればそうもいかない。五年もすれば傾国の美女になるどころか、身体つきは男のものへと代わって、いくら美しくとも女装姿は滑稽に映ることだろう。いっそ強制的に宦官にした方が少年のためであったかもしれない。
早く諦めて出て行けばいいものを、と他人事のように思いながら、呪妃は少年と顔を合わせる度に皮肉を言っていた。
それに対し、少年はいつも困ったように眉を下げる。ぐずぐずと泣き出すこともなく、どこか大人びた笑みを幼い顔に浮かべた。
「仕方ありません。呪妃さまが仰られたのですから」
彼の柔らかな苦笑に傷付いた様子は無く、呪妃の言葉がまったく効いていないようだ。
終始この調子で恐れる様子を見せない少年は、すっかり呪妃の側仕えとなっている。他の者が呪妃に近づかないせいもあっただろう。呪妃を恩人と思い込んで、その恩を返すべく健気に仕えていた。
鬱陶しく思う反面、なかなか便利ではあった。
朝夕の身支度や食事の用意など、少年は甲斐甲斐しく呪妃の身の回りの世話をする。
元々、身支度はいつも一人で行っていた。後宮に入るまでは身の回りのことは自分でしていたし、何なら人に仕える身であったから、特に不便と思うことはなかった。
むしろ、後宮に入ったばかりの頃に侍女に取り囲まれ、数人がかりで着替えや化粧をさせられたり、庭を歩くだけなのにまるで行進のように付いて来られたりと、常に側にいられる方が煩わしく感じていたくらいだ。多くの使用人達が去り、残った者も近づいて来ない、一人で過ごす今の方がいっそ気楽であった。
とはいえ、少し手を洗いたい時や茶が飲みたくなった時、自分で用意するのは少し手間だ。それを今は少年が率先して行っている。さらには、呪妃を恐れる他の使用人達との連絡係のようなこともしており、呪妃よりも彼らに重宝されているようである。
着々と黒天宮で居場所を作る少年が、机に水差しと盥を置く。どうぞ、と促されて呪妃は溜息をつきながら起き上がり、寝台から降りた。
「おはようございます、呪妃さま」
改めて挨拶をしてくる少年――小華は、呪妃がつけた名の通り、花が綻ぶように微笑んだ。




