第一章 掠め取る者
「あああああぁぁ!!!」
真新しい廃墟の中で、ハスキーな絶叫が木霊する。
「また!またですよ!」
「苦ッ労して開けたのに空っぽ!また!カラ!マジか!マジか!」
小柄な少女は悪態を突きながら、目の前の箱を蹴りつける。
その少女がすっぽりと中へ収まりそうなサイズに見合った、見るからに頑丈な外観。加えて、複数の鍵穴と魔法による護りは相応のスキルを持つ者でも一筋縄ではいきそうにない。
「流石におかしくないですか?!ここまだオープン直後でしょ?!」
「オープン直後ってのもアレだけど、まぁまだ見つかったばかりではあるね」
そう言って高い天井を見上げた大柄な青年は、軽く伸びをしてから周りを見回した。壁の所々に空いた大小の隙間からは外の強い日差しがまっすぐな線となって差し込んでいる。
数日前、街の郊外にこつ然と現れたその館は、奇妙なことに最初から廃墟だった。その成り立ちもさることながら、誰からともなく口の端に上った数多財宝の噂は瞬く間に近隣の探索者たちの話題となった。
「わたしたち、ほぼ一番乗りだったと思うんですよ」
開いた宝箱の縁に腰掛け、青年を見上げながら少女はぽつりと言う。
「まぁね。実際、一番乗りだった連中にはご退場頂いたからね」
そういう青年の篭手には、まだ明るい血の飛沫がこびり付いている。
「なのに3つめ。3つめの宝箱もカラ。しかもご丁寧に開けたものをまた閉めるという底意地の悪さ×3!この丁寧さは職人か!いじわる職人のしわざか!」
「それ、なんの職人かわからないけど、確かにわざわざ閉め直すのもおかしな話だね。まぁこうやって、後続を足止めする時間稼ぎにはなってるんだけど」
それにしたって閉め直す手間も相当に掛かるだろうと、青年はその意図を考えるともなく考えながら、さあ次だと少女を促した。
再度再度の無駄骨から気持ちを切り替え、探索を再開したふたりは館の中央にある階段から階上を目指す。
「ん?」
階段の途中で急に立ち止まり、耳をそばだてる少女。
「今、なんか鳴りましたよね、ていうか鳴ってますよね」
「あぁ、鳴っている」
上階のどこか、そう遠くはない場所から微かながら、規則的な金属音が響いている。
「いますよね、こりゃ先客が」
「そうみたいだね。ちょっと、行ってみようか」
「行ってみましょうか」
ふたりは姿勢を低くして階段を上がり切ると、変わらず響き続ける金属音に向かって慎重に廊下を進んだ。
「ここみたいです」
廊下の突き当り、朽ちた扉の向こうからその音は聞こえているようだった。
「……いるね。じゃあ、僕が先に行く」
「たのんます!かっこいい!ヒュー!」
「うん、嬉しいけどね、静かにしようか?」
扉はドアノブが腐り落ち、その穿たれた穴からは部屋の中が伺えた。
青年が覗き込むと、薄暗がりの中に人がいるのがわかった。
「505、506、507、508……」
暗さに目が慣れて見えてきたのは、ぶつぶつと数字を数えながらショートソードを宝箱に打ち付けるひとりの男。音の正体がそれであることは一目瞭然だったが、やっていることには皆目見当が付かない。
「どうです?なんか見えました?」
「いや、視えてはいるけど、見えてないというか」
「は?」
青年が思いあぐねていると、瞬間、ショートソードが箱に食い込んだかに見えたところで男の手には、恐らくその箱の内容物であろう革袋が握られていた。それを見た刹那、青年は考えるより先に部屋の中へと躍り込んでしまった。
砕け散る扉の向こうから現れた大柄な戦士に、部屋にいた男は一瞬怯んだものの、戦士との間に頑強な”未開封の”宝箱を挟む位置へ移動して、体勢を整える。
「お前かー!!私らの獲物を根こそぎ持っていった悪党はー!」
遅れて飛び込んできた少女は、まだ目が慣れていないのか、青年の方へと罵倒の言葉を投げかける。
「こっちじゃない、あっち、あっち」
青年は男の方を指差しながら、改めて武器を構えた。
「あ、失敬失敬」
改めて男の方へ向き直り、少女は再び吠えた。
「一度ならず二度までも、かてて加えて三度まで!」
「この私のスゴワザを無駄遣いさせた罪、ここで償って貰いまっせ!」
一時の沈黙。
男は少女と青年以外に部屋へ入ってくる気配がないことを確認すると、手にしていた革袋を腰紐に結わえて身構えていた体勢を戻す。
両の手のひらをパンと打ち付けると、穏やかに言った。
「あー、そうか。そりゃすまないことした」
「え?」
男の態度の急な変容に対応できず、思わず声を漏らす少女と青年。
「ちょっと待っててくれ」
男は宝箱の向こうから、ふたりの手前まで歩いてくると彼の持ち物であろうズタ袋にしか見えない足元の袋の中から、一つの品物を取り出した。
「お詫びと言っちゃあなんだけど、これを貰って欲しい」
男が投げてよこしたのは、使い込まれた厚い革のベルトだった。
「何でこんなきったな……ィエェェェェェ!?」
「どうした?」
「見てコレ!この焼印!エルダーなんとかのヤツですよね!」
「へぇ。エルダーヴェインだね……」
ベルトの端に焼き入れられた蛇と雷の紋章は、それが由緒正しき代物であることを顕していた。
「装備したら多分、加護や恩恵があると思うし、売ってもそこそこにはなる」
「そこそこなんてもんじゃないよ。しばらく遊んで暮らせるぜ!」
「まぁそれなりに栄えた街までいかないと売れそうにはないけどね」
古びたベルトを屈んで拾い上げ、少女は男を見上げて訊く。
「……ほんとに貰っていいの?後で返せって言われてもそれはムリな話なのよ?」
「言わないよ、もうそれはお嬢ちゃんのものだ」
「いきなりのお嬢ちゃん呼ばわり!いけ好かねぇな!」
そう言いつつも、まんざらではない様子。
「それはそれで、とてもありがたいんだけど」
青年はベルトを装備しようとしている少女を横目に、にこやかな、けれど笑っていない顔で男を見る。
「僕としてはそれよりさっきの魔術?スキル?……なんだか教えて貰えない?」
男は頭を掻きながら目を逸らした。
「あーあれは見なかったことにしてくれ。というか、忘れてくれ。俺のことも含めて」
そう言って立ち去る素振りを見せた男の退路を、少女が素早く遮った。
「それじゃ困るんだよなぁ。こっちは苦労と見返りが釣り合ってない……まだ!」
「せっかくだから身ぐるみ剥がせて頂くゼ!!キィェェェエ!!」
青年は彼女と男の間に割って入ると、飛びかかる少女を片手で受け止め少し遠くへ放り投げる。器用に宙返りして着地する少女。
「待て待て。それじゃただの追い剥ぎだよ、相当頭の悪い部類の」
「相当!」
男の方へ振り向き、青年は困ったように笑う。
「まぁ力づくで聞き出そうって訳じゃないんだ。済まなかったね」
「だからその、物騒なものを引っ込めてくれないかな」
いつの間にか男の手には、夥しい数の小さな宝石が埋め込まれた短剣が握られていた。青年の言葉を聞き、あぁわかったと男は切っ先を収めた。
壁や天井の隙間から差し込む日差しは、少し淡くなっていた。
結局、ふたりとひとりは一緒に来た道を引き返し、大階段から広間に降りた。
「お前たち、他に仲間は?」
「……もう1人」
青年が指差す男の前方には麻袋。
男は無言でそれに近づき、縛られた袋の口を開く。
中には少年の死体があった。
「この子、腐り堕ち間近だな」
「……わかるのか」
「まぁ大体はわかる。あと2回、いや1回半ってとこか」
「元々、急拵えで集まったんだ。詳しい素性も知らない」
「それでも、ちゃんと持って帰るのか」
「死んだら連れて帰ってくれって先に言われちゃったから」
少女はいつの間にか、男の傍らで袋の中を覗き込んでいた。
「いいパーティだな」
「普通だよ」
少女と青年は同時に応える。
しばらく死に顔を眺めていた男は、意を決したように二人に言った。
「見逃してくれるお礼に、この子を蘇生してやろうか」
「え!できんのアンタ?見たところ活神官には見えないけど」
「しかも」
「しかも?」
「腐り堕ちもリセットしてやる」
麻袋から引き摺り出された死体は、館の2階にある広間の中央、申し訳程度に敷かれた外套の上に仰向けで横たえられた。
死体を跨ぐように立った男は、調理用の飾り気のないナイフを数本取り出すと、死体の四肢と鳩尾に突き刺す。死体は微動だにしないまま、刺された箇所には血が薄く滲む。
一呼吸おいて、状況を理解した少女が狼狽える。
「え、ちょ!ちょ!遺体損壊も甚だし……」
「いいから、黙って見ててくれ」
男はその反応を予想していたのか、少女の言葉を遮って語気を強めた。
「もし、失敗したらお嬢ちゃんのせいだからな!」
「うっ」
青年はと云えば、男の異様な行動に面食らいはしたものの、それが何らかの儀式的なものと考え静観することにした。むしろ、これからの展開に期待している顔だった。
持っていたナイフを刺し終わると、男は瓶に入った液体を死体へ振りかけ、抑揚のない短い呪文を唱える。呪文を唱え終わる間際、少年の体から黒いもやが瞬間立ち上り、消えた。
「……ん、んん……い、いたい……」
「遺体だけに!?」
少女が思わず反応する。
「……痛いッ!痛い痛い痛い痛いー!」
先程まで死体だった少年は、身じろぎしながら苦痛を訴える。
「あぁ悪い、もうちょっとじっとしててくれ」
「痛くて動けないよ!ていうか、誰!ていうか、死にそう!」
男は刺したナイフを手早く抜くと、別の小瓶を取り出して、中の軟膏を傷口に塗り込んだ。
「いたたたた!……くはない?あれ?」
ナイフによる刺傷は消え痛みも癒えたらしい少年は、それでも訝しさを満面に湛えて起き上がった。
「……とりあえず、ありがとう」
傍らの男へ、不精不精に礼を告げると周りを見回し、ようやく状況を飲み込んだらしく、少しほっとした顔で青年を仰ぎ見た。
「ちゃんと約束どおり、町まで連れてきてくれたんですね」
「いや、まだ現場だけどね」
「えっ、あ、ほんとだ!」
改めて辺りを見回してから、さきほど礼を伝えた男を指差す少年。
「じゃ、この人はいったい?」
「遺体だけに」
少女はしつこく繰り返した。
「もう遺体じゃない、だまれ」
少年は少女の方も見ずにぴしゃりと言う。
「通りすがりの親切な謎の人だ」
青年が真面目な顔で応えると、少年の困惑は更に深まったようだった。
「とまぁこんな感じだ」
そう言いながら青年に向き直り、手のひらを左右に広げる男。
「感謝する。それにしても、これはまた僕の知らない……」
「あー、もういいだろ、そこらへんは」
「……そうだな。失礼」
そう詫びつつも、諦めきれない表情。
察したのか、男は少し考え込み言葉を選ぶ。
「んー、まぁ一言で言ったら」
「この世界はまだ、お前たちが思ってるより、ずっと雑なんだ」
一つの章は表裏で構成されています。
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