平面世界に喝采を!
進歩というのは上昇だけでなく下降をも可能にする、と言った二十四世紀の偉人は誰だったか。
とりとめのない思考を繰り返しながら、ぼくは目蓋を開けて二度、三度と首を振った。
「あ、あーあー。テステス」
言葉が波となって聴覚を刺激する。喉が流れを生み出す。どうやら今回も成功らしい。
もちろん転換に失敗なんて今時ほとんどないのだけれど、それでも確認してしまうのは生真面目と人から言われる気質の性か。こればかりは、いくら損な性分だと言われても中々直る気配はなかった。
視界に――どこまでも『平たい』視界に、無数の色と形状が飛び込んでくる。
それは、明らかに異常な描像。理解不能なはずの世界の、認識不能なはずの光景だ。
けれどぼくは、それをごく当たり前の景色として見ることができる。普段過ごしている四次元世界の街中と同じ、ごく普通の風景として。
平面世界。二次元領域への「下降」を可能にした次元干渉技術は、ぼくのように四次元で暮らす人間だろうと、古式ゆかしい三次元で生活を営んでいる人だろうと、分け隔てなく次元の上昇と下降を許してくれる。
さながら次元境界を行き来する便利なエレベーターだ。どこにでもある五感翻訳機のように、上位次元の拡張された感覚を上手く落とし込んで、違和感なく認識させてくれるオプションまで込みで、
次元転換サービスは月額五十幇ドルと格安だった。サブスクリプションモデルはこれだから有難い。
ぼくは頭の中で「クローゼット」を呼び出し、空間に黒い円を描いて現れたそこに手を突っ込んで、必要な道具を取り出した。見た目は手のひらサイズのリモコン、というより携帯用ゲーム機に近い。
勿論自分で設定した各種のショートカット機能はどんな形式でも呼び出せるのだけど、こうして画面とボタンを用意された方が扱いやすいのは、ぼくがレトロゲーマニアだからなのだろう。
今更、誰にその非効率を咎められるわけでもない。ぼくはボタンを何度か操作し、自分を目的地へと送り込む。
「おお、レジェンド! 来てくれましたか!!」
ぶわ、と転送が完了する感覚が訪れるよりも早く、その騒々しい声が鼓膜(のような感覚)に飛び込んできた。
ぼくはうげ、と少しだけ嫌そうな顔になる。ぼくがこの平面世界で取っている身体デザインは黒いロングヘアの女の子なので、カジュアルな格好の女の子に嫌そうな顔をされる男、という哀れな状況が生まれる。
「レドラ、まさかずっといたの? ていうかその呼び方やめてって言ってるじゃん」
「はっはっは! すみませんレジェンド! しかしこればかりはね!」
男――とは言ったものの、彼、レドラのデザインは別に少しも男らしくはない。というか人間らしくもない。
宙に浮かぶ機械的な継ぎ目のあるボールに表情を表す電光掲示板の顔と、ロボットアームが一対生えている。それが、このレドラの平面世界における身体デザインだ。
まぁ、別に平面世界で人型をしている必然性は何もないので、レドラのようなデザインは珍しくもない。
ぼくは周囲を見渡し、師走らしい喧噪に包まれた街中の賑やかさに目を向ける。
そこは平面世界第三の都市、「カリコロ」。
人型やそれ以外の住民が雑多に暮らす、娯楽をメインの文化とした平面都市だ。
上位次元から平面世界へと移り、戻ることをやめた『永住者』は比較的少なく、上位次元に本来の姿を持ってこちらには余暇のレジャーとして訪れている人が多い。
その気軽さも、ぼくがこの都市を好んで居場所にしている理由の一つだった。
「で、レドラ。今はどんな感じ?」
「それはもう、クリスマスまであと一週間ですからな。皆張り切って「手入れ」をしておりますよ。もちろん、レジェンドも参加なされるのでしょう?」
「ま、そりゃね。そのために来たんだし」
一向に呼び方を改めないこちらでの旧友への指摘を早々に放棄し、ぼくは本題に移る。
一部の地域を除いて時間の概念を上位次元と同期させてある平面世界では、クリスマスに年越し、バレンタインからサマーバケーションといったイベント行事の類も揃っている。
何なら三次元四次元のあらゆる国家、あらゆる集団の文化がごちゃ混ぜになっているので、上位次元よりもイベントの数は多いくらいだ。
とはいえやはりクリスマスはかなりの一大行事であり、だからそれに合わせて多くのイベントも開催される。
その内の一つが、「『カリコロ』都市デザインリニューアルコンテスト」だった。
「今年も皆さん粒揃いのアイデアが山盛りで。今回ばかりは、レジェンドといえど危ないかもしれませんぞ?」
「どうかな。ま、そのくらいの方が、勝ち甲斐があるけど」
ぼくはあえて不敵に笑い、レドラに「おお!」と興奮の叫びを上げさせてみせる。
その頃には周囲の人々もぼくとレドラに気付き始め、「レジェンド!」「レジェンドだ!」とはしゃいだ声で有形無形、多様な形態のカメラを向けてきていた。
ちやほやされて、悪い気はしない。
普段の生活ではうだつの上がらない……とまでは言わないまでも、取り立てて目立つようなタイプでもないからだ。
この平面世界で自分が思わぬ有名人になってからは、最初はビビったりもしたものの、今ではすっかり寄せられる称賛のゾクゾクとした魅力に虜になってしまっている。
危ない危ない、と自制心をどうにか働かせ、ぼくは軽く手を振って群衆の注目を霧散させた。いや、成功したわけではないけれど、とりあえずそうしようと努力はした。
ともかくこれから始める作業においては、自分自身の集中が肝なのだ。周囲がどうあれ、表面的なファンサービスはこれでおしまい、と自分に言い聞かせる。
クリエイターとして評価された以上、作品づくりから離れてしまっては元も子もない。それぐらいは、ぼくにだってわかっている。
「始めますか?」
「うん。リアル、っていうか職場はもう仕事納めだし。ここからは一週間、ぶっ通しでいくつもり」
「では、私はライブドローイングの中継とタイムラプスの録画係を務めるといたしましょう。レジェンドの作業過程とあらば、コンテスト優勝の暁にはカリコロじゅうの住民から引く手あまたですからな!」
ロボっぽいボディのビデオ機能を起動して撮影に入るレドラを気にせず、ぼくは「クローゼット」から作業環境を呼び出した。登録済みのアカウントから都市の基本設定にアクセスし、
都市デザインコンテスト用に用意された そこから。ぼくは、没入する。
街灯の並び、石畳のパネルカラー、貸し出し店舗のデフォルトセット、空の天候偏移、夜に輝く何百万の星々の運行パターンまで。
レイアウトに直接「触れて」、ぼくは脳裏に浮かぶ都市デザインの中から最良の物を描き出し、選び、配置し、構築していく。
指先は魔法の杖で、視線は神の息吹だ。瞬く間に時間が飛び去り、加速されたような体感時間を築き上げられてはパラメータを動かされる都市構造が波のように揺らいでは消え、消えては現れる。
そして、ぼくの指先が動かしていた中央広場に置く彫刻のアイコンが、最も美しい位置に配置された時。
ふっ、と解除されたデベロッパー知覚の外から、群衆の大歓声がぼくを出迎えてくれた。
「レジェンド……おお、おお! まさに貴方はレジェンドですとも!! 衰え知らずとはこのことです!!」
レドラはとても興奮した様子で、向けていたカメラも放り出さんばかりに狂喜乱舞していた。
まぁうん、わからなくはない。ぼく自身、今回は過去最高の出来だと言ってもいい達成感があった。
街角の時計で日付と時刻の表示を見ると、まさにちょうど一週間。
空腹や思考限界の設定を取り払って作業をした結果、どうやら予定通りのスケジュールでぼくは創作活動をこなせたらしかった。
来年の『カリコロ』の都市レイアウトを決める、毎年恒例のクリスマスリニューアルコンテスト。
ぼくはそれで、今のところ三連覇を果たしている。そしてたった今、造り上げた作品の出来から四連覇をできる自信が生まれた。
四次元世界では都市計画設計に携わる公務員をしているので、慣れた仕事ではある。だがこの平面世界を訪れるまでは、こうも自分の磨いたスキルを活かせる趣味が見つかるとは思ってもみなかった。
歓喜する群衆とレドラに取り囲まれながら、ぼくは照れ笑いを浮かべて幸福に浸る。
次元干渉技術。それは大層なものとして生まれ、けれど結局は使う者次第でもある。
どれだけスケールの大きな文明が築かれようと。こうしてくだらない使い道で一喜一憂するぼくらの娯楽に早変わりしてしまうのだから、人類なんて可愛げのある生き物だよな、だなんて。
調子に乗ってファンのインタビューに答えつつ。ぼくはとりとめもなく考えていた。