初売り
瞬くと、暖房なのかなんなのか、顔を上気させて近づいてくる夫の姿を見つけた。
「いや、やっぱり正月って色々お買い得になってるんだね」
ホクホク顔の腕には別のショップの買い物袋が三つも下げられている。
「あなた、ヘソクリなんてあったんですか?」
妻は目を細めて問いただす。
「そんなもん、あるわけないじゃん」
心配を笑い飛ばして三太はもう他の店の福袋に目を奪われている。
「ですよね。なら、お小遣いで?」
そだよ、とあっけらかんと答えられて、柊はため息しかでない。
「まだ年が明けて3日ですよ? 今月、もちますか?」
改めて問われ、夫は伸ばしかけていた手を止める。
「でもさー。正月だしさー」
そう言って未練がましく袋の中身を確認して鼻の下を伸ばした。
「ほらこれ、良くない?」
明かりが点いたような顔で問われても、妻の表情は一ミリも変わらない。
「それ、同じようなの、持ってますよね」
そして核心を突いた一言で諦めさせる。
「じゃあこれ! これは持ってないよ」
一瞬、消えた明かりを灯して再度、三太はチャレンジする。
「確かに持っていない部類ですね」
その言葉に夫は一層、顔を明るくした。
「でも、そういうのはあなた、一度使ったらそのあとタンスの肥やしになるんですよね」
そう言われると返す言葉もない。
三太は口をへの字に曲げ、肥やしにするには高いその服を元に戻した。
「せっかく来たのに、お前なんにも買ってないじゃん」
「あなたの買い物を見てると、なんだかお腹一杯になるんです」
柊は自分の好きなものを考えなしに買えてしまう夫をどこか羨ましく思う。
「私だってお目当てのものくらいありますよ」
チラシに穴が開くくらいに精査してほしいものを二つに絞っていた。
「まずはこれ」
彼女は得意げにその袋を手に取り、説明を始める。
「パンツとニット、それにマフラー。さらに3千円分の商品券がついて1万円相当の商品が5千円になっています」
「おう、似合いそうじゃん」
夫の声など聞かずにそれを置くと、妻は一目散に対面のショップに移り、同じ要領で説明を始めた。
「これはパンツとニットに帽子。やはり3千円分の商品券がついて1万円相当の商品が5千円になっています」
「おう、こっちもいいね」
能天気な三太の声に、柊は持ち上げた袋をゆっくりと置く。
「迷いますね」
そして眉間に深いシワを刻んで重めに呟いた。
「どっちが気に入ってるの?」
「デザインはどっちも好きです」
「なら、どっちも買っちゃえばいいじゃん」
にっこり笑う夫を柊は険しい表情のまま睨みつける。
「パンツとニットを一気に2つ買う必要はありません」
正論を言われ、さらには3つの内に何枚シャツがあったか思い出せない男は、ぐうの音もでない。
「じゃあ、どっちにするんだよ」
苦し紛れの問いに、珍しく柊は答えられなかった。
眉間にできたシワが一層深くなったようだ。
「じゃあ、マフラーと帽子はどっちがいいの?」
この日一番冴えた質問にも、妻は答えに窮する。
「パンツとニットをお得に買いたいんです」
そして、苦しそうにそう言うと、徐にその場を離れた。
「どうしたの? 気分でも悪くなった?」
仏頂面に割と本気で心配して三太が問う。
「いいえ」
「どした? トイレ?」
その問いにも柊は首を横に振る。
ズンズンと来た道を戻っている。
「え? もしかして買わないの?」
夫は思わずそう問う。
「だって、使わないものを買っても無駄じゃないですか」
「パンツとニットはお得に買えるんだし、他のも使えない訳じゃないじゃん」
「それに、三千円の商品券って期限付きですよね? それまでに洋服を買うかわからないですし」
そう言うと柊は自分だけ妙に納得したように一つ頷いた。
「結局、また買わない」
夫に責められることなどほとんどない彼女も今回ばかりは反論できずに頬を膨らましている。
「お前って、迷ったら絶対に買わないんだよ」
三太はなんだか複雑な気持ちのまま、早足の妻を追いかける。
「俺のこととか家族のことはきっぱり決められるのに、自分のことは意外と決められないんだよな」
呆れ声を放つが、彼の足取りは重くはなかった。
いつでも完璧な妻のそういう一面が、彼にとってはどこかで愛らしく思えた。
いつもは夫の三歩後ろを歩く柊が、今日は逃げるように足早だった。
三太はその背中にもう言葉をかけることはなく、黙々と後を追うだけだった。