57 神をも凌駕する
朝飯を腹一杯食える幸せ。だが、人とは慣れるものであり、欲を重ねるもの。旨い飯に旨い味噌汁。鱒の塩焼きに菜っ葉の漬け物。田舎の朝飯としては上級どころか殿様の朝飯より勝るだろう。
これ以上は贅沢。なにを求めるとお叱りを受けるだろう。だが、前世の記憶がある故に求めてしまう。願ってしまう。卵食いてーと。
「なあ、ハハル。木崎集落に鶏を飼ってる家、あったよな?」
こう言うのはカナハよりハハルが詳しいのだ。
カナハは無口ではないが、集落に同年代がいないせいで社交性が育つことはなく、使われる立場だから上の者と話すこともない。
逆にハハルの年代は結構いて、その社交性で世を渡ってきた。そのせいか、村の噂や事情は人一倍知っているのだ。
……こいつは、ちゃんと育てないと詐欺師とか悪女とかになりそうで怖いわ……。
「ヤルタさんちで二十羽くらい飼ってたかな? 他にサカハさんちとアタルさんちで五、六羽飼ってたと思う」
集落で三軒だけか。にしてはよくおれのところまで回ってこれるな? その数では集落内で消費されるだろうに?
「おじちゃん、鶏飼うの?」
「ああ。できれば飼いたい。なにより卵が食いたい」
欲望丸出しだが、おれの嘘偽りない叫び。卵かけご飯が食いて~。
「卵、そんなに美味しかったっけ?」
と、ハハルだけではなく、他の皆も不思議そうな顔をしていた。あれ? なんか不人気な感じ?
「……ちなみに、どう言う食べ方してるんだ……?」
「茹でて食べてるよ」
「あたしも。他に食べ方あるの?」
ハハルとミルテの言葉に絶句する。まさかだろ?
「カナハ、本当か?」
何日か置きに卵を持ってきてくれるカナハに尋ねる。
「うん。皆食べないからあたしがもらってた」
なにか、満面の笑みを浮かべるカナハさん。こいつ、意外と腹黒い?
「……あ、まあ、そのお陰で卵が食えたんだから、カナハ、よくやった!」
今はカナハの腹黒ーーいや、ナイスな機転に感謝だ。
「へへ」
「あ、あんた、卵の違う食べ方知ってたのね!」
「おじちゃんのところに持ってくると、美味しいの作ってくれるからね」
「だから頻繁におじちゃんのところにいってたのね! ズルい!」
「あたしはちゃんと誘ったよ。でも、ねーちゃんは嫌だって言ったじゃない」
「卵が食べられるなんて言ってないじゃない!」
「確かに言ってないけど、いいことはあるよって言ったよ。なのに、何度誘っても村の外にはいきたくないって言ったじゃない」
それはハハルが悪い。が、たぶん、一番悪いのはおれだと思う。上手に賢く生きる知恵を教えたから……。
「……あ、あんた、大人しそうな顔してとんでもないわね……」
「事を成し遂げたいのなら無能の皮を被れ。真実は真実を持って隠せ。おじちゃん直伝だもん」
うん。おれが教えたんだから直伝ですね。よく学び、よく考え、よく実践してて、師匠として誇らしいよ……。
「おじちゃんはカナハをどうするつもりだったのよ?」
ジト目で見ないで。おれはなにも悪いことは教えてないんだから。
「別にどうすると思って教えたわけじゃない。ただ、逃げ出す力を授けてやろうと思ったまでだ」
「逃げ出す力?」
ハハルだけではなく、カナハやミルテたちも首を傾げていた。
「そう難しい話じゃない。カナハがなにかを願ったり、なにかを求めたとき、村から逃げると言う選択を選べるようにしたまでだ」
「さっぱりわかんないよ」
そう言われてもおれだって上手く説明できんよ。
「おれは、小さい頃から逃げることばかり考えていた。貧しい家もクソったれな村も嫌いで、ただ感情のままに抵抗していたもんさ。でも、力がないから逃げ出せず、物のように捨てられた」
それでも運よく生き残れたから、あの頃の抵抗も無駄とは言えないか。
「ハハルは賢くて要領がいいから、あの家でも生きていけるだろう。だが、カナハは無理だ。こいつは優しいから家族を押し退けてハハルの居場所を奪いはしないからな」
誰に似たのか家族思いの子だ。自分が損をしても家族を優先するだろう。
「こいつの優しさを無駄にしたくなかった。こんなクソったれな世界に殺されるなど許せなかった。知識は選択を作る。知恵は選択を見極める。技術は道を示し、欲が決断へと導く。追い込まれたとき、滅びるのではなく、逃げることを選択して欲しかったんだよ」
逃げ切れば次に繋がる。悪意や狂気から逃げて、優しい心でいられる場所まで逃げて欲しかったのだ。
「だがまあ、それも昔のことだ」
ニヤリと笑う。
「これからは自分が望む未来を築ける知識と知恵、力と技術を身につけさせてやる。もちろん、カナハだけではなく、ハハルにもハルマにも、ミルテにハルミにも身につけさせる。幸せになるためならおれは手段は問わない。遠慮もしない。邪魔するものは何人たりとも容赦はしない」
そのために三つの能力を願い、こちらの神様がルールを強いた。なら、許された範囲で幸せを勝ち取るまで。人の知恵と欲望は神をも凌駕すると知れ、だ。