55 おはよう
デクの森(?)まで、あと三十メートルの地点で一旦停止する。
万能アイで昼間のように見えるが、生い茂る木々まで透かして見えるわけではない。まあ、やろうと思えば可能だろうが、木々がなくなってくれるわけではない。逆に動き難くなるのでそんなことはしない。
「翡翠。虫の鳴き声が聴こえないんだが、これはいつものことか?」
虫はなによりの警戒センサー。鳴いてたのが突然止まるとか、緊急警報鳴りまくりである。
「恐らく、猿どもがデクの反応が弱まったことを知り、天宝を食おうとしてるのだろう。食われるのは自分のほうだと知らずにな」
たぶん、猿とは鬼猿のことだろう。あいつらはバカで悪食だから。
「あの砂地にいる蟲が食うのか?」
「ああ。骨まで残らず食うぞ」
そりゃまたえげつない蟲だこと。
「なら、鬼猿は蟲に任せるとして、おれはデクを片付ける。翡翠は天宝を食ってろ」
「主は食わんのか? 美味いぞ」
「採取ドローンで集めて、あとで食うよ。旨いなら育てたいしな」
万能さんにかかれば天宝だろうと栽培できるはず。毎回こんな苦労させられるのはごめんだわ。
「おれは、デクを狩ってくる。鬼猿はそっちでなんとかしろよ」
「勝手に自滅するわ」
鬼猿の魔力も欲しいところだが、あれもこれもは身の破滅を呼ぶ。まずは、デクの魔力をいただきましょう、だ。
銃ーーって言うのも味気ない。マギガンと呼ぼう。あ、でも、これはライフルだし、マギライフルになるか? なんかそれも味気ないな……。
なにがいいかなと月のない夜空を見上げる。
「……神無月……」
すっと出た。
「ふふ。神の慈悲はなし、って感じでいいかもな」
まあ、相手の手(枝)が届かないところから魔力根こそぎいただいてるお前が言うな、だな。フフ。
「これで百十五本っと」
そして、吸いも吸って三十万。山の魔物は恐ろしいもんだ。
「しかし、三十万、いや、前のがあるから三十三万だが、よく貯められるよな」
最初に願ったのが無限に湧き出る魔力炉だから、容量は無限ってことか? ほんと、鬼畜だわ。
「少し一休みするか」
肉体的疲れはまったくないが、精神的、と言うか、気分的に滅入った。もう狩りじゃなく作業だぜ。
顔を覆うバイザーを解き、ビールを作って一気飲みする。あー旨い。
「これで当分はビールに困ることないな」
もう一本作り、今度は味わいながら飲む。
……五臓六腑に染み渡るとはこのことだな……。
「ーーなにを笑っておる?」
気配も音もなく、すっと翡翠が現れた。
「笑ってるのか、おれ?」
「そのまま事切れてしまってもおかしくない、満足そうな顔をしておるぞ」
「狛犬に人の表情がわかるのかい?」
おれにはお前の表情はさっぱりわからんがな。
「我は昔、人と暮らしていたときがある」
まさかの告白だが、それ以上語るつもりはなく、黙っておれを見ていた。
「おれには前世の、こことは違う世界で生きていた記憶があるよ」
たぶん、誰にも言うつもりはなかっただろう翡翠の告白に敬意を示し、おれも誰にも言わない告白を返した。
こんなところで感じるのどうかと思うが、今のおれは幸せを感じていた。それが顔に出たのだろう。
前世を含め、おれの楽しみと言えば、タバコとビール。そして、軽い温泉巡り。
つまらない男ーーと前世で面と向かって言われたことがあるし、今生では暗い男と面と向かって言われたこともある。
まあ、前世は社交的な性格ではなかったし、今生は殺伐とし過ぎて楽しいとも感じなかったから、別に不幸だとは思わなかった。今生ではクソったれな毎日だとは思ったけど。
「ビールが飲めることが幸せでたまらない」
いや、ちょっと違うな。ビールを旨いと感じられるのが嬉しいのだ。
前世じゃ独身。今生も独身だが、おれの帰りを待っててくれる者がいて、お帰りと言ってくれる者がいる。
自分だけなら神様からもらった力など不要だ。記憶もないほうがいい。ただ、一人でいることが当たり前で、誰にも知られず死んでいくものだと思っていた。それもしかたがないかと思っていた。
「……あぁ、家に帰りたいな……」
前世を含めてそんな感情は初めてだ。口にしたのも初めてである。
……神様はどこまで見通しているんだろうな……?
三十六年も記憶を封印したのはこのためか。たんなる偶然。神のみぞ知る、だな。
「ほれ。天宝は食ったし、主も魔力を吸い取ったのなら帰るぞ」
「デクはこのままでいいのか? 天宝は枯れたりしないか?」
散々荒らしたおれのセリフではないがよ。
「なるようになるのが山じゃ。気にする必要もないわ」
実るも枯れるも森羅万象。人の力など立ち入る隙はない、か。
「そっか。じゃあ、家に帰ろう」
「乗れ」
別に疲れてないし、同じ速度で走れるが、翡翠の好意を無駄にするのも失礼だと、ありがたく背に乗せてもらった。
家に着くと、山の稜線が明るくなってきた。
「我は寝る。飯はいらん」
そう言うと犬小屋へと向かい、丸まって寝てしまった。
おれも眠りたいが、もう一時間もしないで皆が起きてくるだろうし、寝床に向かって起こすのも悪い。
万能さんの生命維持により、一日二日眠らなくても体を痛めることなく維持してくれる。
花崎湖を眺めるように置いた丸太に座り、万能スーツを解いてタバコをふかした。
少しずつ明るくなる世界。思えばこんな穏やかな気持ちで朝を迎えるなんて、いつ以来だろうな?
日が完全に山から出る。今日はいい天気になりそうだ。
「おじちゃん!」
「おじちゃんおはよー!」
背後から元気な挨拶が飛んでくる。
タバコの灰を万能ゴミ箱へと捨て、丸太から立ち上がり、こちらに駆けてくる皆に振り返る。
「おう、おはよう」
さあ、今日も元気に生きますかね。
まずは、自分を救った感じで一章終わり。