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俺は包丁を刀のように構えると、走り出した。
この格好、刀だと格好いいのに、包丁だとどう見ても通り魔だ。センが、「きゃあ!」と悲鳴を上げている事からも、今の俺の姿が恐ろしい事が分かる。
黒いヤツは、センから手を離すと、俺に向かって退色血《スミゾメ》を放ってくる。
「おっと」
俺は放たれた退色血《スミゾメ》を、包丁で切り裂く。
液体を切り裂くというのもおかしな話だが、意思を持ったような血液は、包丁に当たり負けして飛び散った。若干センにかかったけど、ま、仕方がない。
モモが「茜音!」と、俺の後ろで悲鳴を上げている。うーん、これ以上好感度落としたくないんだけどなぁ。
「オまえ、ヲ、くウ」
「じゃ、お互い食べ合っちゃおうか。存在を、さ」
俺は包丁を構え直した。一方黒いヤツも、すっかり俺だけを見つめて、やる気満々だ。
意識して貰えるのは嬉しいけど、俺にはモモっていうご主人様がいるんだ。だから……まぁ、なんて言ったらいいかわからないけど、とりあえず――
「俺の為に死んじゃってよ」
こう、言葉にしておこう。
動いたのは二人同時だったと思う。でも、有利なのは俺だ。
同じ存在だけど、俺の方が有利。しかも契約しちゃったから、もう俺チート。多分ね。今の所、アイツが万に一つ勝つ可能性はない。
分かっていてやった。分かっていて、俺はモモと契約するために、アイツを噛ませ犬に仕立て上げたのだ。
こんなに上手くいくとは思わなかったけど、そこはほら、運が良かった、とか、ラッキーってやつって事で。流行りの俺TUEEEEって、そういう物なんでしょ? やたら強くて、なんかちょっと欠陥あるっぽい風を装って、でも絶対負けない能力を持ってる。あとは、崇め奉られれば完璧。俺に足りていないのは、崇め奉られる、っていう部分か。
モモ! 俺の事を崇め奉ってもいいんだよ! ……いや、無いな。絶対ない。
「シ、ね」
黒いアイツは、呪詛みたいに黒い液体を纏わせて、俺に向かってくる。
俺はと言えば、これ幸いと黒いアイツの懐へと入り込んだ。熱い抱擁ってやつだ。俺に向かってくる相手→←相手に向かう俺。矢印の間には愛と憎しみが渦巻く! 素敵な昼ドラの完成だ。
……なーんて言っても、現実は違う。
俺の方がノッポさんだから、懐に身体を滑り込ませるなんて不可能なのだ。せいぜい屈んで、相手の懐に包丁を突き刺すくらいしか出来ない。
つまり、俺に向かってくる相手→←相手の腹に刃物を突き立てる俺。矢印の間には、偽物の血液と憎悪が渦巻く! 愛情なんて、これっぽっちも無いのだ。
ま、愛情だけじゃなくて興味も無いんだけど。
「ぐ、ゥ……」
ずるり、と崩れ落ちたのは、勿論相手だ。
俺の使った包丁の先から、真っ黒な液体が滴り落ちる。
「さて、君の黒を、俺の黒が包み込んで離さない、『永遠に一緒ルート』に入ろうか」
センは相変わらず黒いが、ひとまず侵食は収まっているようだ。後は俺が、こいつを食べるだけ。
状況を見て、もう近づいてもいいと判断したのだろう。モモがセンに駆け寄って、ギュッと抱き着いている。うわー、素敵なお涙頂戴。俺もそっち側にいけば、愛され系男子になれるかな? いや、別に愛されたいなんて望んでないけど。
「茜音、大丈夫?」
「大丈夫よ。それより、どうして……」
「だって、茜音が……」
わーお、安っぽくて素敵ー。白けちゃうー。俺とコイツは黒いけどー。
俺が、黒い目玉を白い眼に変えながら眺めていると、空間に異変が起こった。
チェスボードの床はそのままに、黒い《壁》の部分に、真っ白な切込みが入ったのだ。
俺は慌てて、黒いヤツから飛び退くと、白い切込みと距離を取った。
「おっ邪魔しまーす。みんな大好き大嫌い、大司藤ちゃんの登場でーす、拍手拍手ぅ。ぱちぱちぱちー」
何とも間の抜けた声と共に、真っ白い悪魔が入り込んできた。
「掃除屋《シュウセイシャ》の法理能漸だ。悪いが、掃除《シュウセイ》させて頂く」
白い悪魔は、二人。
一人は大司藤と名乗った、十四、五歳程の少女。ふわふわもこもこの長い髪をツーサードアップにして、身体には和服を模した謎の洋服を纏っていた。
この格好は、和ロリ、とでもいうのだろうか。それにしてはフリルやレースが足りていないようだが、とりあえず膝上十センチのバルーンスカートが髪の毛と相まって、もこもこさを強調している。もちろん、全部白。くりくりとした大きな目が薄青で、他は細かな模様と、帯のようなリボンが藤色だが、それ以外は白い。
一言で表そう。真っ白な綿埃。
もう一人は、がっしりとした十八歳位? の、少年。こいつも和服を模した謎の格好をしており、真っ白な着流しまで身に着けている。なにこれ、白無垢? 嫁に行くの? お前男だろ。
俺ってばカッコイイーのアピールか、モノクルまでしている。タレ気味の目が薄青なのと、帯のような部分にオレンジ色の花の模様が付いている以外は、やっぱり全て真っ白。
一言で表そう。白いコスプレイヤー。
この二人は、俺の敵だ。間違いなく。間違いようもなく。
「白染料《シュウセイエキ》、箒《フデ》」
能漸がそう言葉を吐くと、白い液体で満たされたバケツのようなものと、箒のように大きな筆が現れた。
彼は箒《フデ》にたっぷりと白い液体をしみ込ませると、俺に刺されて倒れていた黒いヤツに容赦なく振り下ろした。
「キエ、た……くなイ」
これが、ヤツの最後の言葉だった。
白い液体に黒い身体が覆われ、全身がそれ程の時間もかからずに真っ白に変わって消える。同時にセンの身体の黒も無くなり、普通の肉体へと変わった。
変化はその二点だけではない。
能漸が、筆をべしゃっと《床》に叩きつけると、黒が白へと変わったのだ。
黒と白の混じりあったオセロ盤の黒が、一瞬にして全てひっくり返って白くなったような光景だった。《床》が白くなると《壁》も白くなる。
何もかもが白くなった事で、あの侵蝕者《カキソンジ》のテリトリーは消失して、代わりにここは掃除屋《シュウセイシャ》のテリトリーになったのだと思い知らされる。
「あっれー、主人公《ヒロイン》さんと友人《シンコウヤク》さんじゃないですかぁ。何でこんなところにいるんですかぁ?」
「……侵蝕者《カキソンジ》がもう一体居るな」
ようやっと気づきました、とばかりに、藤と能漸が俺を見て言った。
やっべー。こいつら相手に俺TUEEEE無双は出来ないんですけど。
「っていうかぁ……藤にはヤバそうに見えるんですけどぉ。どうやってお掃除しちゃいますか、先輩♪」
「どうもこうもない。速やかに処理する」
俺は余裕がありそうな雰囲気を醸し出……せるように努力しながら、二人に近づいた。正確には、藤と能漸の近くにいる、モモとセンに。
「んー、困るなぁ。じゃ、こっちはさっさと帰ろうか」
ニコっと、モモに笑いかける。
内心は、「どうしよー」「ヤベー」「死ぬわー」「もう詰みそうー」ってものなんだけど、相手には気取らせないように頑張る。うん、もう、俺、超頑張る。
「どうやって?」
「言葉借りるね。現実への扉《カタミチキップ》」
俺がそう呟くと、言葉が零れ落ちる。
「《具現化》」
拾い上げて《具現化》と言ってやると、その場に扉が現れた。繊細な装飾の施された、どこの中世ヨーロッパの貴族の屋敷の扉ですか、という立派な物だ。これは、モモの中の扉のイメージ。今日、美術の授業があったから、影響を受けてるんだろうなぁ。
「契約していたか」
「先輩、直ぐ殺します!」
俺は白い二人組の言葉を無視して、モモとセンの手を握った。そして、文字通り両手に花を実行しながら素早く扉を蹴り開けて潜る。それから、出た先の『現実の教室』の扉を閉めた。
これであいつらは干渉してくる事が出来ないだろう。
はー。死ぬかと思った。