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俺はガタガタの身体で必死に斬撃を止める。止めきれなかった勢いに、踏鞴を踏んてしまったが。
樒はと言えば、勿論これを好機と捉え、更にもう一太刀、もう二太刀と浴びせてくる。
誰がどう見たって、億が一にも俺が勝つことはありえないだろう。それどころか、引き分けに持ち込む事すら……。
「――くっ」
思わず小さな声を漏らす。
押されるばかりで、一向に攻撃に転じる事が出来ない。
「おっと、足が滑っちゃった」
言葉の意味を理解するよりも先に、俺の身体は浮遊感を覚える。気持ちの悪い感覚はいつまでも続く筈もなく、俺は背中からぐしゃりと《床》に倒れ込んだ。
つまり、俺はまたしても、足払いを掛けられて仰向けに転倒したのである。
「蓮夜!」
俺の名を呼ぶ声は、モモとセンの二人の物だった。
「ふふ、蓮夜はやっぱり可愛いなぁ」
二人に「大丈夫」という事も出来ず、ただ樒《敵》を見る。これも、睨む事すら出来ていない。
彼は俺に剣の切っ先を向けて、にっこりと笑っていた。
「はーい、胸にお注射入りまーす」
陽気な声と物騒な言葉。
「ちょ――」
一秒どころか刹那の躊躇いすらなく、俺の言葉の出番は塗り潰されて、注射針《レイピア》は俺の胸に振り下ろされた。
「ぐっ」とか「がっ」とか、とにかく俺が意図しない形で、自分の物とは思えない声が吐き出される。
「茜音は近づいちゃ駄目だよ。蓮夜に成り代わられちゃうから、動かないでね。百合は……ま、動けなさそうだからどうでもいいや」
樒の言葉から、センが俺に近づこうとしていた事が容易に想像出来た。それから、百合が受けている樒の侵食が、少しずつ進んでいる事も。
「大丈夫、彼はこのくらいじゃ死なないし、死ねないから」
ずし、と、鳩尾の辺りに重みを感じた。どうやら樒が俺に馬乗りになったらしい。
指の少ない手と、五本の指がある手。その二つが俺の首に伸ばされた。
ひやっとした心地の悪い温度が、俺に纏わりつく。
「そんなに百合が好き?」
「……あぁ、好きだ」
樒は歪んだ笑みを浮かべた。
「あの百合が好きなの? 僕じゃなくて? 僕だって百合なんだよ。今から成り代わるんだから、また主人公《ヒロイン》の百合になる。それじゃあダメなの?」
……俺には今の樒が、どこか悲しげな表情を浮かべている百合に見えた。けれどこいつは、百合じゃない。
今大切にしたいのは、しなければいけないのは、モモなのだ。
罪悪感はある。迷いもする。樒が百合に見えてくる。
けれど、それでも、俺は僅かに頷いた。
「ふーん、そう」
ぎり、と、首に纏わりつく温度に力が込められた。
酸素だとか窒素だとか二酸化炭素だとか、そう言った物の需要と供給が絶たれて、俺は金魚のように口をパクパクと動かす。これは、人間ではないが、そういった肉体の本能なのだろう。
「あーあ、蓮夜がもうちょっと可愛くなってくれればいいのになー。嫉妬しちゃうなー、羨んじゃうなー好き過ぎて殺したいなー」
首がへし折れる程ではないが、かなり強い力で締め上げられている。
……それでも、彼女の反応は尤もであり、酷いとは言えない。俺が、そうさせてしまっているのだから。
「でも、そうまでして大切にされちゃう百合に、早く成りたくなってきちゃった。これはこれで楽しいぞー♪」
唐突に締めつけから解放された。それから、鳩尾の辺りの重みからも。
百合が……いや、樒が俺から退けて、モモに向き直りに行ったのだ。俺の胸に突き立てた剣はそのままにして。
「侵食、開始。なーんてね」
樒は笑顔を浮かべると、掃除屋《シュウセイシャ》を閉じ込めていた壁を消失させた。と、同時に、俺の胸に刺さっていた剣も液体になって消えた。後に残っている黒は、俺の胸から噴き出している退色血《スミゾメ》だけ。
「あ、先輩開きましたよぉ!」
「お前の開けゴマのおかげか」
「そうに違いないです!」
んな訳ないだろ、馬鹿。俺が内心で毒づいた相手――能漸と藤は、バタバタとこちらに近づいてくる。
代わりに、壁と剣だった退色血《スミゾメ》は全て樒の元へと集まり、百合を染めていく。
「モモ!」
「止めて! 樒、止めてよ!」
俺は必死に身を起こしながらモモを呼び、センは樒に静止の声を掛ける。藤は樒に特攻しようとしたが、能漸に首根っこを掴まれた。
「あいつ――!」
「待て!」
藤が石鹸《ケシゴム》を持ち上げた所で、彼女を捕まえたままの能漸に止められた。
「このままだと、公庄百合や公森茜音にあたる可能性が高い。次にあんなことになったら……」
「それは、確かに……」
何があったのか知らないが、あいつらに頼れない事だけは分かった。
「じゃ、みんな指をくわえて待っててよ」
「……困る」
樒は楽しそうな声を上げたが、すぐ傍のモモが首を振る。
どんどん黒くなって、モモであれる場所なんてもう殆ど無い。それでも、中身はまだモモだ。いつまでもつかは分からないが、まだチャンスはあるかもしれない。
俺はよろめきながら立ち上がり、刀の切っ先を樒に向けてた。
こいつを、殺さなくてはいけない。そして、こいつを俺の中に取り込まなきゃいけない。
俺は勝たなくてはいけない。俺はモモを守らなければいけない。
たとえ樒が、百合だったとしても。
本当に、消してしまわないといけないんだ。二度と会えないんだ。あの百合に、もう会う機会なんてなくなる。
だけど、どうにかしないといけない。どうにかしなければ、と、口にしたり思ったりするだけじゃあ駄目なんだ。
「やっぱりわたしはわたしだから、困る」
モモははっきりと自分の気持ちを口にすると、退色血《スミゾメ》にまみれた手で、樒に抱き着いた。
「蓮夜、こいつを早く! わたしが抑えている内に!」
「あー、もう! 百合は可愛くない可愛くない可愛くない可愛くない。最後のあがきとか止めてよ。僕と同じじゃん。ワタシと同じじゃん。ワタシはもっと蓮夜と居たいのに。邪魔しないでよ百合《ニセモノ》」
あぁ、そうだ。百合なんだ。でも、モモは偽物じゃなくて、本当に百合で……二人とも百合で……。




