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「わたし、やっぱりわたしはわたしだと思う」
百合は、黒百合に対してはっきりと言った。
「ワタシの質問は、樒は誰の侵蝕者《カキソンジ》か、っていう物なんだけど」
「関係、ある?」
百合が、ゆっくりと首を傾げる。
「樒の元が百合って言いたいんだろうけど、その百合は私じゃない。どれだけ黒百合っていうか、樒? に何か言われたって、わたしにはわたしの考えがあるから」
頑なな言葉に、黒百合は眉間に皺を寄せた。彼女(あるいは彼)の望む反応を、百合は一切しない。それ故にもどかしく、苛立ちが募っているようだった。
「今の百合は、神様が、何度も接触してくる蓮夜の対策として、周りに興味を抱かない百合に変えていった存在なの。良い様に作り替えられて、結果としてワタシが生まれた」
「うん」
「うん、って、それだけなの? ねぇ、それしか思わないの? そんな風に作り変えられてしまっているから、そうなの?」
百合が頷くと、黒百合は矢継ぎ早に言葉を浴びせた。
「……蓮夜と会ったせいで消えちゃったんだ、って、人のせいにしてるの?」
それでも、百合は変わらない。再度、ゆっくりと首を傾げる。
「そうじゃない」
「変わったわたしに、当り散らすの?」
「そうじゃない!」
二人の他に誰もいない、真っ黒で真っ暗な空間に、黒百合の声が響く。
「だって、理不尽じゃない!」
「ん。理不尽」
「例えば、今の百合が結局消されることになったら、冷静でいられる?」
「多分、いられない」
百合の簡潔な答えに、黒百合は眉間の皺を良く揉んでから、大きくため息を吐き出した。猫で言うとグルーミングをしたのだろう。心を落ち着けるための、毛づくろいだ。
「例えば、百合が侵蝕者《カキソンジ》になってしまったら、どうする?」
「……蓮夜は、どうして百合に固執してるの?」
「ワタシの質問は無視?」
「樒は、どうしてこんな事をしているの?」
「……これ、主人公《ヒロイン》の反応? どこまでも自己中心的で利己的で自愛に満ちているんだけど。慈愛はない癖に」
黒百合の質問には一切答えず、どこまでもマイペースに自分の疑問だけを口にする百合に、彼女(彼)は毒づく。
「ワタシは樒で、百合なんだよ。百合がいくら違うと言っても、同じ存在から枝分かれした先にある存在。大元を辿れば同じなんだ」
どちらも、自分の考えを曲げる気はないようだ。
「蓮夜は、最初に優しくしてくれた《百合》が好きだった。だけど侵蝕者《カキソンジ》に話を汚された神様が怒って、《百合》を書き変えた。それでも《百合》が忘れられず、彼は《百合》を《モモ》と言い換えながら、何度も何度もワタシたちの前に現われるの」
「でも、わたしは最初の《百合》じゃないし、次に《モモ》と呼ばれた百合でもない」
「そんなの関係ないよ。だって、初めて侵蝕者《カキソンジ》の自分を見つけてくれた人だから、ずっと一緒に居たいって考えたんだから」
「そう。確かに、一人は寂しいだろうし、それは分かる」
「だったら――」
「でも、違う。わたしはわたしで、何番目の百合とかそういうのは関係ない。だって、例えばわたしが蓮夜にとって、すごく嫌な人だったら、無理してまで一緒に居る?」
黒百合の言葉を遮り、百合ははっきりと口にした。
互いに違う考えだからこそ、対立というものは存在する。それを体現しているようなやりとりに、今の所終わりは見えない。
「一緒に居る時間は凄く短かったけど、少なくとも、蓮夜は今の百合として、わたしを見てるんじゃないかな。最初こそ、重ねていたとしても。仮に、本人は認めていなかったとしても」
百合は一度言葉を切ると、「それで」と、改めて黒百合に向き直った。
「樒はどうしてこんな事してるの?」
一度した質問を、再度する。
「もう一度、みんなと遊びたいからだよ」
「他には無いの? わたしには、それだけだとは到底思えない」
黒百合は暫し考えた様子を見せたが、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……百合は、ワタシと一生を共にする気はない?」
「意味が分からない」
「あぁ、ごめんごめん」
結果、最終的な質問を、工程を飛ばして言った事で、伝わりはしなかった。それでもお互いに気にすることも無く、会話を続ける。
「つまり、一つの身体を二人で共有しないか、っていうお誘いだよ」
「無理」
「まぁそう言わずにちょっと聞いてよ」
百合はにべもなく断ったが、黒百合が何とか愛想笑いを浮かべて話を振った。
「ワタシも百合も、同じ《百合》なんだから、同じ肉体を一日ずつ使ったっていいんじゃないか、って。ワタシ、もっと蓮夜や茜音と遊びたいの。だからどうか、ワタシにご慈悲を!」
「わたしに慈悲はないって、さっき言わなかった?」
「取り消すから! だから、ね? お願い!」
両手を合わせて、「悪いね! 埋め合わせは今度するよ!」と友人に気軽に言うようなポーズをする黒百合に、百合は「……んー」と唸る。
「やっぱり、無理」
考えたが、結論は変わらなかった。
「もっとワタシに同情的になってくれてもよくない? ワタシ達《百合》が報われないと思わない? 百合が受け入れてくれれば、万事解決オールオッケーなんだよ。みんなの悲願も果たせるというものだよ」
黒百合は明るく言うが、かえって胡散臭くもあった。先程は感情が見えた分、ストレートに受け取れた気がした。しかし今はまた、胡散臭く、嘘臭く、きな臭い、ほぼ同じ意味のKusaiが三つ集まった、3K状態になっている。
「とりあえず、答える前に質問。結局、茜音に何をしたの?」
「ワタシは《百合》だもん。友達だと思ってもらうのは割と簡単だったの。意識に潜り込むって言えばいいのかな? 不確かな存在であるワタシだからこそ、出来る芸当だとでも思っておいてよ」
黒百合はニマっと笑う。樒にそっくりな表情だ。と、同時に、百合が決してしない表情である。
「それから、茜音の心の中の黒い部分をちょっとくすぐってあげたんだ。だってほら、ワタシは侵蝕者《カキソンジ》だから……黒い事には縁があるというか」
「そう」
百合は嘆息を吐き出した。
「やっぱり、無理。《百合》の、っていうけど、今懇願しているのは樒だけだし、更に言うのなら樒になった《百合》だけなんでしょ? それって、可笑しいよ。わたしが、話が違うって喚いても文句言われなさそう」
嘆息の後に続いた言葉は、やはり拒絶だった。
吐き出した小さな息の中に込められた、悲しみや嘆きが、そのまま形を持ったようだった。残念ながら感心は含まれていないので、それだけは生み出される事は無い。
「だって、他の子は現実受け入れて侵蝕者《カキソンジ》にはならずに神様に消されちゃったんだもん」
「侵蝕者《カキソンジ》って、そうやって出来るんだ」
百合は冷たい視線を黒百合に向ける。
「だったら、尚更だよ。完全に一人の我儘だし、それは《百合》の悲願とは言わない」
一度言葉を切ると、百合は冷たい視線に鋭さを加えて、黒百合を睨み付けた。
「何よりも、わたしの大切な友達の嫌な感情をくすぐって自分の味方にした、だなんて悪質すぎる。特にこれが許せない」
「そっかー。ごめんねー」
冷たい百合に対し、黒百合は笑みを深くしながら軽く返した。笑みには、狂気を孕みながら。
「それにしても、交渉決裂か。仲良くなれればそれでよかったんだけど」
「交渉って訳でもなかったくせに」
百合は怯むことも無く言い返す。
「そこはほら、人によるじゃん。解釈の違いとも言えるし、感覚の違いとも言える」
「わたし達が違うって、認めてる」
「うん、まぁ、もういいかなぁ、って。ていうか、どうでもよくなった感じ」
投げ遣りな答えだったが、黒百合は表情を変えることも無く百合を見たままだ。
「……それに、逆にこれだけ頑固な百合だからこそ、蓮夜は今の百合の事も好きなのかもしれないね」
ほんの少しだけ声のトーンを落とし、黒百合は言う。
「さぁ、目を覚ます時間だよ。僕はとっとと蓮夜を大人しくさせて、君を乗っ取る。白い二人組も言ってたっけ。蓮夜を蓮夜としてメイン入りさせる、って。その相手役は、僕でワタシだ」
ククっと、黒百合は喉で笑う。この場所と相まって、不気味だ。
「じゃあ、また白黒の世界で」
そうして、真っ黒で真っ暗な世界から放り出された。
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