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――きみとのきおく――
「蓮夜が痛い思いしたら、わたしも嫌なんだからね。気を付けてよ」
「でも別に、痛いってわけじゃないし」
彼女が、俺の服の袖を引っ張りながら言う。
「それでも! わたしは、蓮夜が消えるのがイヤなの」
セミロングの髪が、そう言った拍子にさらっと流れた。
「ちゃんと考えて行動しなさい」
「……うん、ありがとう」
今引っ張られてる袖、きっと伸びて長くなるんだろうな、とか思いつつも……俺は、俺の事を考えて貰えたことを心から嬉しく思ったんだ。
こういう優しい所、全部が好きだったんだ。
――――
気が付くと、俺達はざわついている朝の教室――それも、あの空間に行く前と寸分変わらぬ場所に居た。
助かった。
敵だと思っていたはずのあの男は、一体何者だったのだろうか。
「何だったのよ、一体!」
怒ったような、泣き出しそうな、変な顔をしてセンが苛立たしげに吠えた。
ざわついた教室の中のモブキャラさんたちは一瞬こちらを見たが、やがて各々、興味のある分野の話しへと戻って行く。教室の中で注目されたのは、本当にちょこっとだけだ。
楽と言えば楽。面倒くさいと言えば面倒くさい。寂しいと言えば寂しい、現代社会って、複雑だ。
「あーもー、俺が知りたい位なんだけど」
「結局あたし、あの状況で百合の事、ちょっとも守れなかったし……こんな事、ずっと続いていくの?」
先程吠えたあれは、どうやら無力な自分に対しての腹立たしさだったようだ。
主人公の王道、異能力フラグである。「大切な人を守りたい。こんな無力な自分じゃなくて」何て思っていると、凄い力を手に入れて、誰かと無駄に戦う系。
ま、残念ながら、センは主人公じゃないけど。
「蓮夜、大丈夫なの?」
「何が?」
モモが俺に心配そうな視線を向けて来た。よく分からないけどありがとう。
「傷。いっぱい、血っぽい物出てた」
「あー、うん。大丈夫と言えば大丈夫、駄目と言えば駄目かな。でも俺達、この身体になってからは中身がインクみたいな物だし、血については気にしなくていいよ」
俺の大雑把な説明にモモは目を丸くし、筆箱から一本の黒いペンを取りだした。
「……これ、あげる」
「へ?」
「ボールペン。飲む?」
「うん、飲む飲む! ありがとー!」
モモの発想と行動は斜め上だけど、気持ちはかなり嬉しかったので、俺はモモが授業を受けている最中、ずっとボールペンをちゅーちゅーしていようと決心した。
「とはいえ、別にこれでは回復しないんだけどね」
俺はボールペンのキャップを外しながら、自分の身体について話す事にした。
「あんた、なんでボールペン啜とうとしてるのよ」
「モモが! 差し出してくれた! ボールペンだよ! 飲まずにいられる!? センは飲まずにいられるっていうの!? 人類への冒涜だよ!」
「いや、知らないわよ。少なくともあたしは飲まないし、飲まないからと言って人類への冒涜になるとは思えないし」
セン、やっぱり全然分かってない。駄目だこいつ。
「回復、しないの?」
モモが不思議そうに首を傾げている。傾げてるモモも可愛い。
「そうそう。今の俺は、単純に、力が弱まってるって言えばいいのかな。人を侵食する能力が大分薄まってるっていうか。ついでに攻撃力もダウンっていうか。ステータス異常っていうか。回復、する方法もあると言えばあるんだけどね」
「どうするの?」
「簡単な話だよ。同族を喰うんだ。汚れと汚れが合体したら、大きな汚れになるからね」
今までの、センとの流れをなかった事にしてモモとの会話を続ける。
「逆に、汚れが減ったら俺の存在は薄くなる、っていう話」
「……そう」
「ま、百合にとって安全になったんじゃないの?」
「んー、そうでもないけど」
センって、短絡的ー。俺がモモにとっての悪だと思うから、俺が弱くなる=モモから危険が去るって考えるんだよね。やれやれ。
「俺が弱くなった分、モモが襲われたときにやられる可能性が増えたんだ」
俺はキャップを取ったボールペンを弄びながら語る。
「たとえば、俺がやられた状態のまま、さっきの少女型侵蝕者《カキソンジ》と戦った場合、勝てる可能性は五分五分になる、と」
「まるで、最初は勝てる可能性が高かったような言い分じゃない」
「すべてを数値化した場合、俺は彼女よりも全体的に高かった」
「どうだか。あんたが自分の都合の良いように言ってるだけなんじゃないの? ……さっきの、掃除屋《シュウセイシャ》二人の件に関しても、ね」
センは、疑わしげな眼をこちらに向ける。別に何も思わないから、好きにすればいいと思うけどさ。
「大体、あんたが来てから百合が変わっちゃったのよ」
「ん。そう?」
「そうかなぁ?」
センの言っている事はよく分からない。ていうか、モモなら最初から変わってた。最初のころから、大分かけ離れて。
「百合には、あたしが居なきゃダメだったのに!」
「うわー、自意識過剰。キモーイ」
自分が居なきゃ、ねぇ。ま、友人《シンコウヤク》っていうくらいだしね。友達であり、話しを進行させるためのポジションである彼女は、百合が自主的に動いているのが気に入らないのかもしれない。
つまり、神様のおぼしめしで俺に八つ当たり? ヤメテヨー。ヤバイヨー。
「キモイってなによ! 今まで百合は自分から危ない事に足を突っ込んだりなんてしなかった! ちょっとぼんやりしてたし、あたしがいないとって……いないと、って思ってたのに!」
「茜音、どうしたの?」
「だって……だって、百合が危ない目に遭うかもしれないのに、あたしだけ蚊帳の外じゃない。あたし、ちゃんと百合の近くで、百合を守りたいのに」
これって、神様的展開? それとも、センの自意識過剰と過保護とが混ざり合った結果?
友人としての反応なのか、進行役としての反応なのかが、イマイチ分からない。どっちでもいいけどさ。好きじゃない事には変わりないんだし。
「そっか、ありがとう。わたし、茜音が好きだよ」
「あたしだって好きよ。大好き。だからっ、百合が危ない目に遭ってるんじゃないかって、そいつが変な奴で、あたしの見てないところで大変な事に巻き込まれてるんじゃないかって、心配で……」
「大丈夫だよ」
モモがセンの頭を撫でた。いいなー、俺も撫でて貰いたい。
「わたし、何とかなるって思ってるから」
「百合がそう思ってたって、こいつが危なかったらどうするのよ! あたし、こいつの事信じてなんかないんだから」
あー、はいはいそうですかー。
「別に信じて貰えなくてもいいけどね。モモにも、センにも」
自分が怪しいのは重々承知してるし、俺がモモに危険視されても当たり前だと思うし。
俺が体内に収めた靄のように、もやもやするだけで。
俺は肩を竦めて、いかにも気にしていませんというように言ってやった。
「ん。信じる」
……モモが、センの頭を撫でるのを止めて、俺の長く伸びた服の袖を握ってくれた。
「モモ……!」
「わたし、蓮夜の事、信じてるから」
モモが僅かに微笑む。同時にセンが、俺を睨み付けたが、気にならない。
「だから、消えたらイヤだよ」
やっぱりモモは、百合なんだ。
「うん。消えないように、頑張るよ」
「……あたしは、認めないんだから」
俺の答えの後、センが睨み付けて来る。それから数秒後、学校中に始業のベルが響いた。
俺はモモから離れて、教室の隅へと移動した。センも自分の席に戻りながら、もう一度俺を睨み付けたが、まぁ、全然気にならない。
センのことはともかく、と、俺は教室の隅でボールペンを啜りながらモモを想う。
あの百合はいないのに、モモに百合を見てしまう。どんな百合でも、モモでも、やっぱり俺は彼女が好きなのだ、と。




