9.とっておき
「それで? お前が街に来るなんざ珍しいじゃねぇか。どうしたんだ?」
店頭には既に【Closed】の看板を下げてある。
誰にも聞かれたくないというヴィーネたっての願いを快く引き受けたロアルトは店内の一角にある商談用のスペースに俺とヴィーネの二人を座らせると、小馬鹿にしたような笑顔を浮かべ、そう問いかけてきた。
相変わらず何に使うのかよくわからない怪しい品々が並ぶ薄暗い店内は机の上に置かれた僅かな光量を放つランプと窓から差す月明かりによって何とかお互いの姿が見える状態といった具合だ。
既にロアルトとヴィーネは簡単な自己紹介を済ませている。
しかし先程の事が尾を引いているのかヴィーネの方はソワソワと落ち着かない様子で辺りを見回しているが、俺としても何らかの薬品が異臭を放つこの店にはなるべくなら長居をしたくはないというのが本音なので挨拶もそこそこに本題に入る事にする。
「あぁ、少し用事があってな。単刀直入に聞くがお前、王の舌を唸らせるような食材に心当たりは無いか?」
「王の舌を、ねぇ……そりゃまた難儀な」
俺の突然の問いに怪訝な顔を浮かべる事もなく、顎に指を当てながら思案するロアルト。長い付き合いをしているだけにあれこれと細かい話をしなくても通用するのは本当に助かる。
先程まで豪快に喋っていた大男が突然神妙な様子で悩み始めるものだから、その光景は何とも言えない違和感が醸し出されているのだが、俺もヴィーネも黙ってロアルトの返答を待つ。
実の所、元冒険者であるロアルトのツテは膨大な範囲にまで広がっており、その手腕は裏社会、引いては貴族にまで及ぶという驚異的な繋がりをあちこちに持っている。
雑貨屋の店主というのもあながち間違いでは無いが裏家業である情報屋の顔も持ち合わせているため、薄暗い過去を持つ輩の対応にも慣れているのだろう。外からは様子が伺えない隅の方に商談用の机と椅子を用意しているのがその証拠だ。
料理を作るヴィーネが素人同然である以上、並みの食材ではとても王の舌を唸らす事など望めないと判断した俺は、せめて食材だけでも一級の物を用意する事が出来ればと藁にもすがる思いで友人であるロアルトを頼りにやってきたという訳だ。
そうして暫く唸るように思案していたロアルトは心当たりがあるのか、言い辛そうな様子でその野生的な口を重苦しく開いた。
「一応、心当たりはあるにはある。それもこの店にな。まぁ待ってろ」
そう言ってその太い腕から伸びる両手を机に付き、足早に席を立つロアルトの背中を見送る。部屋を出て倉庫であろう奥の方に姿が消えるのを確認すると今まで黙っていたヴィーネがようやく口を開いた。
「ルクス、私があれほど頼んでも同行を嫌がっていた癖に何故今になって心変わりをしたのだ? いや、実際助かったのだから感謝してもしきれないのだが」
そう言って疑わしそうな視線を送るヴィーネとはなるべく目を合わせずに、俺は冷静に言葉を返す。
「どっかの誰かさんのせいで武器の納品が遅れちまったからな。その詫びと、ロアルトの性格を思い出したからだ。存分に思い知ったとは思うがあいつは極度の女好きでな……見境が無いんだよ」
「そ、そうか……確かにあれには驚かされた……うむ、それは度し難いな……」
尻すぼみに消え入るように喋るヴィーネのその姿はその辺にいる町娘と全く変わらない。
まぁ、実際年もまだ若いのだからそういった経験も乏しいのだろう。
なんだかんだであんな熱烈に告白された事は無かったのかもしれないな。
何処か微笑ましいその姿を見ながら出された茶を飲んで待っていると探し物が見つかったのか、ロアルトが奥の部屋からヌッと姿を現した。
その手には包みで全体を覆われた拳大ほどの大きさの奇妙な物体を抱えている。
あれが先程言っていた心当たりというやつだろうか。
「待たせたな。これがその食材だ。ただし、こいつを見せるのはお前らの事情を聞かせてからにしてくれ」
ドンと、そこそこ重量があるのだろうその包みを机の上に置くと、自らもまた席に着き普段の豪放磊落な態度からはとても想像が出来ない神妙な態度を取るロアルトに、俺は渋々とあまりに馬鹿らしいヴィーネのここまでの経緯を説明したのだった。
☆★
あれから一日後、俺たちは無事王都グラストンディアに到着していた。
「なぁ、私は本当にこのようなものを陛下に差し出さなくてはならないのか? 私は今日を最後に騎士の位を剥奪されるのではないか? それとも……」
何度目かもわからないヴィーネの問いかけを躱しながら王都の街並みを目で楽しむ。
わざわざ王都に足を運ぶのなんて滅多に無い事だからな。
屋台で見つけた串焼きを頬張りながら俺はのんびりと歩みを進めて行く。
時刻は昼前。
王様に飯を献上すると言うのが正午の鐘の鳴る時だと言っていたからあと数刻と言ったところか。
向こうに見える城が目的地と考えれば余裕で間に合うだろう。
包丁も見繕ってやったし食材もまぁ、とりあえず手に入れた。
後はヴィーネの腕に掛かっているのだが肝心のヴィーネが踏ん切りの付いていない様子。
最後の仕上げとして腹を決めてもらわなければな。
「いいか、ヴィーネ。お前はやれる事だけのことはやった。サンドイッチ作りもまぁ人間が食べられるギリギリの腕前にはなったと思う」
「おい」
「まぁ聞け。包丁捌きについても俺と同じくらいの腕はある。剣術とは勝手が違うとは言ったがお前は事刃物においては飲み込みが早いようだ。そこは認める」
「なぁ、先程から私の料理には期待していないような喋り方をしているのは気のせいか?」
「だからな、後はその食材に賭けるしか無いんだよ。ロアルトが太鼓判を押した一品だ。王の舌を唸らせることは間違いない。だから大船に乗ったつもりで行ってこい」
「ルクス? 私の目を見て言ってはくれないか? なぁ? 貴殿はこれをパンに挟んで食べたいと微塵でも思うのか?」
思いません。
などとは口が裂けても言えない。
だが嘘をつく事もしたくは無いので俺は満面の笑みを浮かべてヴィーネへと振り返る。
無論目は閉じたままだ。
しかし突き刺す様な視線は止む事が無かった。
ヴィーネがどんな顔をしているかは想像が付く。
「ルクス。ここはやはり貴殿にも城についてきて貰ってだな……」
「ヴィーネ様~!!」
ヴィーネが世迷い事をほざき始めた時、視界の端に城のある方角から一人の兵士が走ってくるのが見えた。
恐らくは迎えの者だろう。これで俺の仕事も完了したな。
兵士がヴィーネの元に辿り着くと甲冑の胸部分に手を当てて敬礼の姿勢を取る。
兜で顔はわからないが先程の声からしてこの兵士も女性と思われる。
「ヴィーネ様! お迎えにあがりました!」
ハツラツとした元気の良い幼さの残る声。
それだけでヴィーネの事を尊敬しているのだと解る程だ。
兜から覗くチラリと見える赤い髪が何となく快活な女兵士を思い起こさせる。
「ね、ネルかっ! お前が来るということはもしや……」
「はいっ! もう陛下もお待ちですよ! 謁見の間に急造の調理場まで設けてヴィーネ様の手料理を楽しみにしておられるご様子です。ささ、行きましょうヴィーネ様!」
「ま、待て! しばし心の準備をだな……そうだっ! こちらにいる男性を連れて行きたいのだが」
「どこの誰とも知れない者を陛下に合わせる訳にはいかないに決まってるじゃ無いですか! 馬鹿な事を言っていないでほら、行きますよっ!!」
「あっこら、ちょっ! る、ルクスーッッ!」
「頑張ってな~、もう二度と来るなよ~」
そうしてネルと呼ばれた兵士に引きずられて行くヴィーネを見やりながら、ロアルトへの土産を探す事にする。
背後から聞こえる叫び声は姿が見えなくなるまで続いたのであった。