6.お約束というやつ
燦々と輝く太陽が賑わう都市を讃えるように輝く。
太陽に照らされ、街の至る所に建物の影が作り出されるほどに発展した都市が平原の真ん中に築かれている。
ここはルクスの隠れ住む森から徒歩で半日程かけた場所に存在する活気溢れる一大都市。
その街の名は商業都市エルズワース。
いくつもの区画に分けられたその街並みには、人間が住む石と煉瓦で作られた一般的な家や大木をそのままくり抜いて再利用したような一風変わった形の家など、様々な形態の住居が建ち並んでいる。
ある程度整理されているとはいえ、様々なデザインの家々が一望できるその景色はそこに住む者達の個性が浮き出た少し異質な空間を作り出していた。
それもその筈。街で見かけるのは人間は元より獣の特徴を備えた耳や尻尾の生えた種族、昆虫のような透明な羽を持った小さな種族など、多種多様な姿を持った亜人達。
そのような者達が共に暮らす街となれば住居の形も様々であるのは当然と言える。
この街はいくつもの種族が集まることに寛容な風土を持った土地であった。
街の発展に貢献し、他種族に迷惑を掛けないというルールさえ守れば後は勝手にしろと言わんばかりの自由の街。それが商業都市エルズワースである。
通りに面した店の前では姿の違う亜人同士が昼間からエールの入った杯を打ち鳴らし、赤みを帯びた顔で何事かを話している。
その様子は酷く楽しそうで時折笑い声まで聞こえてくる程だ。
人と亜人が共存する世界でも有数の平和な世界。そこは誰もが笑顔で過ごすことのできる言わば理想郷である。
そんな活気のあるメインストリートを歩く印象的な人影が一つ。
全身を覆う銀の鎧は竜の鱗を連想させる程に一つ一つのパーツがしっかりと磨かれ、辺りを照らす陽光を上品に跳ね返す程に洗練されている。
腰に巻かれた赤い装飾布は一歩踏み出す度に舞うように揺れており、まるで妖精の舞を見ているかのようだ。惜しむ事なく気品さを振り撒くその光景は思わず見惚れてしまうほどに美しい。
少し目線をずらして腰に帯びた青白く立派な作りの鞘を見てみれば中に収めてある剣が相当な業物であることは誰の目から見ても明らかである。
その佇まいは胸を張り、力強く歩けば一目で名のある騎士であると連想させられる程に立派な物だった。
だが、そんな立派な鎧姿の騎士から漂う強烈な違和感が二つ。
一つは両手をまるで物乞いがそうするように前に出し、いかにも手抜きで作ったと思われる鞘に収められた刃物らしき物を大事そうに乗せて歩いている点だ。
それは手に持った刃物をうっかり落としてしまおうものなら命を無くしてしまうのではないかと、見ている者が不安になる程の力無い足取り。
ソロリソロリと歩くその歩みは出来れば立派な作りの鎧を着込む事なく行って欲しいと見る者全てが思うほどに残念な光景を作り出している。
もう一つはその鎧を着た者から放たれる強烈な負の感情だ。
本来であればその鎧から感じる筈の自信や誇りと言った正の感情は微塵も感じられず、その姿を見る者が感じるのは悉く逆の物ばかり。
耳をすませてみればブツブツと何事かを呟いているようだが、よっぽど近寄らなければ聞こえない程の音量を拾おうとする命知らずはこの街には居なかったようだ。
途端、通りを駆け抜ける一陣の風が吹く。
その風は件の騎士を包み込み、優しく通り抜けていくと近くを歩いていた犬人の耳にその何事かを喋っている声を届けた。
「ぐぅぅぅ……あの薄情者めぇぇぇ。おのれぇぇぇ」
しかし聞こえてきた声はその声質に似合わず、怨嗟の念に支配されていたのだ。
犬人はそんな謎の騎士の言葉を聞き、逃げ出すようにしてその場を去っていった。
幸いな事はその事にこの騎士が気づかなかった事であろうか。
事は二日ほど前に巻き戻る。
ルクスのベッドを占領していた金髪の美女ヴィーネは鳥の囀りとともに気持ちの良い朝を迎えていた。
「……はぁ。夢じゃない。くふふぅ……」
シーツ越しに触れる硬く、重い物体は昨晩この家の主であるルクスが丹精込めて作った自分の為の包丁。その事を思い出し、思わず懐へと大事に抱え込む。
巷で一番の評判を誇る職人が打った世界にただ一つの包丁。
そんな触れ込みを思い浮かべ、胸が高鳴る爽やかな目覚めを感じたヴィーネは朝から良いスタートが切れたと晴れやかな気分で勢い良くベッドから降り立った。
窓から差し込む朝日を浴びて思い切り体を伸ばす。こんな動作をするだけで全身から力が漲ってくる。
今日一日はどの様な素晴らしい日になるのか。笑顔を浮かべて高鳴る胸を落ち着かせつつ振り返る。
しかしその後に続く、振り向いた先に居た存在からかかる言葉を聞き、ヴィーネの爽やかな朝は儚く消え去ることとなるのだった。
「お、おま……その格好のまま寝たのか……」
目の前に立っていたのはこの家の主。
短く切り揃えた白髪に程よく鍛えた引き締まった体つき。
昨晩まで着ていた作業着とは違う簡素なエプロンの様な物を巻いている辺り、朝食の支度をしていたのだろうか。
机の上に並べた二人分の朝食は出来立てである事を証明するかのように湯気が立ち込めており、思わずヴィーネは腹の虫が泣くのを抑え込む。
腹の虫が無事抑え込んだヴィーネは次に声を発したルクスを見やると、そこには何故かわなわなと口を震わせ、青白くなった表情のルクスが立っている。
そんな姿を見てヴィーネは形の良い眉を顰め、せっかくの爽やかな気分を台無しにされた事を不満に持ちながら口を開いた。
「おはようルクス。良い朝だな。起き抜けに何なのだ? 私に何か変な所でも……」
ルクスの視線の先、ヴィーネは自分の体へと視線を下げる。
そこにあったのは白く、艶やかに光る自らの肉体。
張りのある豊かな二つの双丘はしっかりと自らを主張し、その視界を遮っている。だが正面に立つ男性からは丸見えとなっている筈だ。
他者に、ましてや異性になど見せたことの無い一糸纏わぬ自らの裸体。
本来であれば腕で隠すなり、ベッドに戻ってシーツを被るなり、いくらでも対処はあったのだろうが、ヴィーネはそんな事を考えている余裕は無かった。既に頭は大パニックである。
「「…………」」
この家に来てから何度か味わった静寂が訪れる。もはや常連さんだ。気軽に挨拶でもすればこの空気は打開できるのだろうか。
思わず右手に力が入る。
目の前の男から放たれる制止の声はヴィーネの耳を右から左へと駆け抜けていく。
瞬間、右手に握るソレを左手に添える。
その動きは正に明鏡止水。
一点の曇りなく、ただ穏やかに刃物を抜き取るその様は清らかな河を彷彿とさせる。
剣の極致とも言えるほどに速く、美しく、それでいて心は水の様に澄んでいる。
周囲の動きが緩慢になり、外で吹いている筈の風の音は一切聞こえない。
一瞬で抜き放った刃は空気を切り裂き、その軌道に紫紺の光だけを残すと剣先を目の前へと向けて刃物本来の役目を果たさせるべく、行動を開始する。
ゆっくり、ゆっくりと足取りを進めるヴィーネ。
目頭が熱くなるにつれて歪む視界が鬱陶しい。
今も何かを叫ぶ獲物を朧げながら視界に収めるも自分でも何をしたいのかがわからない。
動く者全てが動かなくなるまで暴れよう。
そう決めたヴィーネは早速行動へと移していく。効率良く、徹底的に。
抵抗し、逃げ回る目の前の獲物が動きを止めたのはそれから暫く後の事であったという。