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糖分補給は小説で

「糖分補給はいかが?」


 歩美あゆみはそう言って本を差し出した。


 表紙を見るに、確かに糖度が高そうな空気が漂っている。いわゆるイチャラブ話というヤツだ。


「そうね、借りておくわ」


 あたしは彼女から文庫本を受け取り、中を見る。口絵からイヤラシイ空気がプンプンしており、実にけしからん。だが、電車の中で読むのに少し躊躇いが出るくらいが今のあたしにはちょうどいい。


「……ってかさぁ、そろそろ二次元からちゃんと三次元に目を向けたら?」


 歩美が心配そうに問うてくる。


「愛だの恋だのは二次元で充分よ」


 ピシャリと告げて、あたしはアイスコーヒーをすする。


 あたしが物語の中だけの存在に擬似的な恋愛をするのは、現実でさんざんな目に遭ったからだ。おかげで今は就職活動中のフリーター。酷い話もあったものである。


史奈ふみなさぁ、そんなこと言ってると、ことだまに縛られて本当に恋することができなくなっちゃうよぉ?」


「こうやって餌付けしてくるくせに、そういうこと言うの、ズルくない?」


 あたしの身の上に起きた顛末をよく知っているくせに、と恨めしく思う。


「だって、一時的なものかと思ったら、もう一年くらいになるでしょう? 恋愛から逃げる口実に本を勧めたわけじゃないんだよぉ?」


 ムスッとして、歩美が言う。彼女は今の恋愛がうまくいっているようで、同棲中の彼と婚約したところだ。


「男なんていなくても、楽しく生きていけるわよ、あたし。いくえの知れない身空の夢が結婚だとは思ってないし」


 言い方が悪いかもしれないと思いながらも、あえてこんな台詞を選ぶ。


 歩美が心配して、官能的な恋愛小説を貸してくれるようになったのには理由がある。現実で嫌な恋愛を経験したとしても、それが恋愛のすべてではないということを伝えたかったってことだ。愛されることがどんなに幸せなことなのか、忘れてほしくないという意思表示。


 わかっている。


 だけど今は、それがお節介の押し付けに感じられた。歩美の気持ちは嬉しかったのだけど、あれから一年くらい経つのに何の進展もなく歳を取ってしまったことによる焦りが、彼女への八つ当たりに変わる。


「史奈……」


 結婚を決めた自分への言葉だと感じたのだろう。歩美は俯いて、震える拳を膝に置いた。


 あたしは続ける。


「歩美は幸せな結婚生活を送ればいいと思うよ。でも、そのこととあたしのことは別の問題だから」


 傷つけるつもりはない。そのための台詞のはずだったのだけど、歩美は悲しそうな顔をして立ち上がった。


「うん……そうだね。今日は帰るわ」


「……歩美?」


 様子がおかしい。引き留めるつもりであたしも立ち上がるが、離れていく彼女を掴まえることはできなかった。





 それから、ショートメッセージアプリでも応答がない。


 別の友だちから歩美のことをそれとなく聞くと、どうもうまくいっていないらしかった。恋愛と結婚は別ということか。


 借りた文庫本で糖分補給をするつもりが、歩美が心配になってコーヒーみたいに酸味と渋味が広がる。


 ――直接、会って話そう。


 今は十七時。住んでいる場所ならわかる。


 あたしはスプリングコートを手に取って家を出た。





 職場までの時間を短くするために借りた家は、駅からとても近い。


 あたしは歩美の住むマンションにたどり着いた。インターフォンを鳴らそうと手を伸ばしたとき――。


「もう健太朗けんたろうなんか知らないっ!!」


 ドアがいきなり開いて、歩美が飛び出してきた。背が高めのあたしの胸に、一五〇センチに満たない歩美がぶつかる。


「ご、ごめんなさい……って、史奈!?」


「行こう、歩美」


 あたしは歩美の手をすぐに取って走り出す。驚いた顔の歩美はついてくるのに精一杯だ。後ろから追ってきていたはずの健太朗さんは、階段を駆け下りている途中で諦めたらしかった。





 駅前の喫茶店。歩美の話をとりあえず聞いて、あたしは微笑む。


「そっか。大変だったね」


「史奈はバカにしないの? ……結婚に良いイメージ持ってないみたいだし」


「そんなつもりはなかったんだけど」


 ため息。


 気を取り直して続ける。


「好きな人と一緒にいられるのは幸せだろうとは思うけど、そのために自分を犠牲にする生き方はしたくないってだけ。歩美は自分を犠牲にするような恋はしてないって思っていたんだけど、苦しいならやめちゃえば?」


「でも……」


「しばらくならあたしと一緒に暮らしても良いから、無理しちゃダメだよ」


 あたしは言う。歩美は笑顔になる。


 新しい恋は、まだまだ先で良いなって思った。


《了》


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