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井戸の中に死体

作者: 6u

 


 例えばここに一つの秘め事があったとする。誰かに知られてしまえばそれだけで破滅する、そんな大きな秘密だ。それが何かの拍子に、とある一個人にばれてしまったとしよう。そこで秘密を抱えていた者がとるべき最良の選択とは、一体どのようなものだろうか。

 


✳︎


 騒々しい物音に目を覚ますと、裏手の空き家の方からなにやら人の声がする。眠れやしないと文句を言うには、日は高く登りすぎていた。

 私が住んでいるのは春原荘という下宿屋の一室だ。三畳一間の古くて狭い部屋は快適とは言い難く、家賃の安さ以外には一つも良い所が無い。ここに騒音まで加わったとあっては、本気で引っ越しを考えなければなるまい。私は寝起きの重い頭をポリポリ掻きつつ、窓から首を出してガヤガヤとした音の方を覗いた。

 春原荘の裏手には、いつの頃からあるか知らない空き家がある。ろくに手入れもされていないおかげで、いつもは幽霊でも出そうな寂しい雰囲気を出している。そんな空き家の庭に、珍しく人が集まっていた。しかもその人集りというのが尋常ではない。青い制服を着た物々しい集団なのだ。空き家の庭には黄色い帯で仕切りがなされているし、道に白黒の色合いをした自動車が停まっている。警察である。どうやら物騒な事件でも起きたらしい。

 私は寝巻きから着替えると一階へ降りた。今日の春原荘は妙に静かだった。人の気配がない。共用の洗面所で顔を洗って歯を磨く。諸用を済まし終えて春原荘の中を歩き回ってみたが、なんと私の他には誰も居ない。激しい孤独感に襲われた私は、下駄を履いてよろよろと外に出た。

 通りに出るとすぐ大家の奥さんと出会った。彼女は私を見つけると大声で話しかけてきた。

「おお小林さん起きたのかい! 相変わらずあんたは寝坊助だねぇ! あ、そうそうそんなことよりちょいと聞いてくれよ大変なんだよ大変なんだよ! 裏の空き家でね、出たんですって!」

 余程興奮しているのか挨拶すら無い。その上喚く度に少し唾が飛んでくる。汚いと思った。

「はあ、何がですか?」

 尋ねると、奥さんは得意気な顔をした。

「死体よ!」


 空き家の方に回ると、そこには下宿屋の住人が全員揃って野次馬していた。春原荘に誰もいなかったのはこれが原因だった。つまらない真相である。誰か一人くらい神隠しにでもあっていてくれないものか。

 野次馬の中には、何故か大家の娘のいづみちゃんもいた。平日のこの時間、彼女は中学校に行っていなければならないはずだ。警察の目前で堂々とサボるなど、頭がおかしいとしか思えない。

「違いますよぅ小林さん。私はねぇ、第一発見者なんです。あの死体を一番始めに見つけたのは、この私なんです。市民の義務として警察に詳しい事情を話さなければならないので、仕方なく、涙を飲んで、学校をサボっているんです。別に一時間目の数学の小テストが嫌だからじゃないんですぅ」

 と、いづみちゃんは言い訳した。語るにおちているというよりは、彼女なりの冗談らしかった。

「へえそうかい。そいつは凄いね」

 私が感心すると、いづみちゃんは得意気に笑った。母親とそっくりな表情だ。死体を見つけたからといって誇るのは不謹慎だと思ったが、かと言って眉をひそめるような感性を私は持ち合わせていなかった。

「ふふ、ふふ、聞きたいですか? 私が死体を見つけた話。どうしよっかなぁ、小林さんが知りたくて知りたくて仕方がないって言うんなら、教えてあげなくもないなぁ」

 言葉とは裏腹に、教えたくて仕方がないといった顔だった。

「聞いてやらないでも無い」

「ならば教えてさしあげましょう」

 いづみちゃんは薄い胸を張った。

 

「実は私、本日遅刻しかけましてね。近道をするために空き家を通ったんです。結果として遅刻どころかサボっているわけですが。ええ、あそこの庭を通り抜けると近道になるんです。草ボーボーなので普段は使わないんですけどぉ。草が足に当たって痒くなりますし。それでですよ、あの空き家、庭に井戸があるんです。もう枯れてるんですけど。知っていましたか? ご存知なら話は早いです。あの井戸、いつもは蓋がしてありますよねぇ。今朝はそれが無かったんです。それだけじゃありません。井戸の近くに木があるじゃないですか? 幹が私のウエストと同じくらい太い木ですよ。あ、違います、私のウエストと同じくらい細い木です。細い木です。その木に縄がくくりつけてあったんです。小指くらいの太さの縄でした。それがこう、ぐるりと一周しててぇ。縄は井戸の中へと続いていました。ここまでくれば当然、井戸の中が気になるじゃないですか。気になりますよねぇ? だから覗いて見たんです。遅刻しかけていましたけれど、ちょっと見るくらいの余裕はありましたし。縄は井戸の中程でぶらぶら揺れていました。でもって底の方には死体が落ちていました。たまげましたね、私」


 死体は井戸の底で、窮屈そうに転がっていたらしい。頭の形が無惨に変形していたので、それが死んでいるということは、一目で分かったのだとか。

「うんうん。まったく恐ろしい話だね。この間も泥棒がでたって騒ぎになっていたのに」

 加えて言うならば、つい数時間前に死体を見たというのに然程普段と変わらないいづみちゃんも、恐ろしいといえば恐ろしい。

「そうですね。最近この辺りは物騒ですね」

 言いつつも、いづみちゃんの表情は呑気なものだった。私はゴクリと唾を飲み込む。

「しかしどうして、そんなところに死体があったんだろう?」

「へぇ、やっぱり気になりますか」

「まあね」

 いづみちゃんはおもむろに右手を上げると、人差し指、中指、薬指の三本を伸ばした。

「考えられる線としては、大きく分けて三つですかねぇ。事故死。自殺。他殺」

「他殺の場合二種類あるね。この場で殺したのか、または別の場所で殺してここまで運んできたのか」

「別の場所で殺した、というのは無いと思いますよ。それってつまり井戸に死体を隠そうとしたってことでしょう? 死体はちっとも隠されていませんでしたもん。蓋の開いた井戸とかぁ、木にくくりつけてあった縄だとかぁ、跡を残しすぎです」

「そりゃそうだ」

 私は頷く。

「自殺の可能性も低いと思います。遺書は見当たりませんでしたから」

「じゃあ事故か他殺だね。被害者はこの場で死んだ、ということにしておこう。何時頃死んだのかな」

「少なくとも昨日の朝にはなかったと思いますよぅ」

「察するに、君は昨日も遅刻しかけたんだね?」

「名推理ですねぇ小林さん。その調子で事件の謎も解いてください」

 このくらいのことは小学生でもわかる。

 私は顎に手を当てた。井戸の中の死体と、意味あり気な縄。これだけ条件が揃えばたいして考える必要もない。


「さて――――結論から言うとこの事件は事故だ。

「被害者は井戸の中に降りる必要があった。そのために縄を用意したんだ。昇り降りしやすいようにね。

「そして降りるだか昇るだかしようとした途中で、つるり手を滑らした。夜中の事だったろうから、視界も悪い。井戸の壁に頭を打って天に召されたのさ。

「一目でわかるほど頭部が変形していたんだ。よほど強く打ったんだろう。

「言っちゃなんだけれど、間抜けな死に様だ。

「ん? どうして被害者は井戸に降りる必要があったのかって? 

「たぶん、井戸の底に何かを埋めでもしていたんだろう。予想だけれど、お金だとかを。

「あの被害者はおそらく盗人だ。ほら、最近近所で泥棒が出ただろう。あの犯人さ。だから深夜に井戸に潜ったのさ。人目を憚って。

「そう。盗んだ品を井戸の底に隠していたんだ」

 

 私が推理を述べ終わると、いづみちゃんはほほうなるほど、と感心した。

「凄いです。小林さん探偵みたい。名前はどちらかというと助手っぽいのに」

 パチパチと、小さな拍手をしている。褒められて悪い気はしなかった。

「まぁ私も薄々わかっていたことですけどね」

 本当だろうか。私はいづみちゃんの不敵な笑みを伺ったが、それが嘘が誠か判別できなかった。どちらともとれる表情だった。

「たしかにこれくらいのこと、誰でも考えつきそうだ。警察もわかっているだろう」

 探偵よろしく偉そうに警察の前で推理を披露するなんて御免被る。

「でもなんていうか、呆気ない真相ですねぇ。もっとこう、めくるめく惨劇みたいなのが展開して欲しかったのですが」

 私はさらりと恐ろしい事をのたまわっている女子中学生から視線を外して、なにかを見つけて騒いでいる警察の方々へと意識の矛先を変えた。

 警察達が見つけたのは、黒のバッグだった。若い制服の警官が中を改めると、紙幣が入っているのがちらりと見えた。

「ふむ、こいつが空き巣で間違いなさそうだ。いくらある?」

「二十万円です。盗まれた総額と同じですね」

 そんな会話が聞こえた。

「おおぉ、小林さん、どうやら正解だったみたいですよ!」

「そうみたいだね」

 私は平静を装って答えたが、口の端しがにやつくのを、上手く抑え切れた自信はなかった。

 事件はこれで解決したようで、警察は引き上げを始めた。野次馬達も次々と帰っていく。空き家は元通り人気がなくなった。

「よかったねいづみちゃん」

「え? 何がですか?」

「これで学校に行けるだろう」

 一時間目はもう終わってしまったかもしれないが。そう言えばいづみちゃんに事情聴取があるとか言っていた気がするが、あれはどうなったのだろうか。尋ねてみると、

「あぁ、事情聴取なら小林さんが起きて来る前に終わってますよ」

 などと平然とした顔で言った。

「じゃあなんで学校に行かなかったんだい?」

「言ったじゃないですか。一時間目に数学の小テストがあるからですよぅ」

 いづみちゃんは警察の目の前で堂々とサボタージュしていた。頭がおかしい。私は白い目で彼女を見つめた。いづみちゃんはそんな私に気づくことなく、呟くように、独り言のように語り始めた。


「ところで小林さん、私ちょっと気になる事が有るんですよぅ。

「縄の事なんです。

「木に括り付けてあった縄なんですが、括り付け方がですねぇ、幹に一周させて、結んであったんです。気にしすぎなのかもしれませんけど、一周だけってなんだかおかしくありません?

「井戸は結構深いしぃ、落ちたらただじゃすみません。実際被害者は落ちて死んでいる。だとしたら、縄はもっとしっかり括り付けておいてしかるべきではないでしょうか。木に、ぐるぐる何周も巻きつけて括り付けるものではないでしょうか。心理的にそうしたくなるのではないでしょうか。

「私の気にしすぎと言えば、それまでなんですけど。一周でも、人一人の体重は支え切れるはずですし。

「例えば、縄は誰かに切られたんじゃないでしょうか。縄を伝って降りるところを、誰かに切られた。そして抵抗もできずに落ちて死んだ。本来は何周も巻きつけてあって、縄を切った誰かがそれを隠蔽するために、一周だけという頼りない括り方に変えた……。そのあと自分も井戸に降りて切った縄を回収。

「その誰かが誰なのか、というのはわかりませんが。

「えぇと、被害者を殺した真犯人、とか。

「被害者を井戸に突き落とし、あたかも事故であるかのように装った。動機はわかりませんけど。

「なんて、まさかですよねぇ。根拠なんて一つもありませんし、こんなの、推理とも呼べません」


 いづみちゃんはあははと笑うと、学校へ行ってしまった。私は自室に戻って、二度寝をすることにした。昨晩は夜更かししてしまったから、今でも眠い。

 春原荘の二階、東の端が私の部屋だ。中は私が部屋を出た時のままだ。まだ敷きっぱなしの布団がある。脱いだきり床に放っておかれた寝巻きが丸まっている。開いた窓がある。その下におかれた机には、女子中学生の小指ほどの太さをした縄がとぐろを巻いている。

 私は窓を閉めた。窓からは空き家の井戸が見える。星明かりを頼りにすれば、夜中に井戸に近付く人がいても辛うじてわかる。それは例えば、盗んだ品を隠しにきた泥棒だったり、隠した品を回収しにきた泥棒だったりする。

 動機がわからない、といづみちゃんは言った。それはそうだろう。死体を見て平然としている彼女でも、私よりは正常だ。人を殺したくて殺したくて堪らなくて、でも警察に捕まるのは嫌で、誰にもバレないよう人を殺す機会を虎視眈々と狙っている頭のおかしな人間のことなど、想像すらできないだろう。

 いづみちゃんは真相に肉薄しつつも、結局届かなかった。恐るべきは女子中学生の勘である。まさか縄の括り方であそこまで看破されるとは思わなかった。彼女の推理を聞きつつ、私は心臓を掴まれた思いだった。

 心臓と言えば、あの泥棒、心臓がかなり小さいらしく、縄は十二重に巻きつけてあった。一周だけでも大丈夫だったというのに。

 私は布団に体を横たえつつ、思った。

 いづみちゃんは勘のいい子だ。今日は気付かなかったが、明日はどうかわからない。もしも真犯人の正体が悟られたら、私はどうすれば良いのだろうか。最良の選択とは、なんだ。


 決まっている。誰の耳にも入ることのないよう、その口を閉ざしてしまえば良いのだ。永遠に。

 いづみちゃんの望んだ、めくるめく惨劇だ。

 私は誰にもバレないような女子中学生の殺し方を思案して、その想像の愉快さににやけながら眠りについた。


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