白の王の陛下 下
抱きしめて、笑って、触れて、焦がれて。求めていたものがそばにある幸福に、酔いしれる。
ルゥがいる。ルゥでなくとも、ルゥになってくれた少女が、この手に。
幸せだった。だって、彼女は『白い陛下』に焦がれていない。知らない誰かを思って、泣くこともない。
何故だか時折、こちらをじっと見つめて泣きそうな顔をしているけれど。
その顔の意味を考えれば、きっとこの関係は終わってしまう。
彼女が仮に解放を願っていたとして、それを叶えてやることは、どうしてもできそうになかった。
彼女はどこにも行かない。とどまる理由となる怪我もないし、探さなければならない白い陛下もいない。
なれてきた頃、「意地悪ですよね」と小さく呟かれて、心外だ、と瞬く。そんなの、従者に比べれば物の数ではないだろうに。彼女は彼に何度も会っているわけではないから、そんな風に思うのだ。あいつに比べれば、こちらのしている意地悪など、大したことではない。
そんな風な戯れを、いったいどれほどの日々過ごしただろう。
いつもの中庭。密会のような、丈のある植物に囲まれた小さな東屋で。
傍らの少女に手を伸ばす。あぁそう言えば、ルゥにはずっとそばに居てもらおうと思っていたんだ。あの時から、自分の隣はルゥだと決めていた。
生涯の、伴侶は。
傍らの、柔く細い肩に手を伸ばす。その動作のどこかに、いつもと違う気配があったのだろうか。彼女が固唾をのんでその手の行方を見守っている気がした。
抵抗しないのを良いことに、そっと、その目尻に唇を落とす。
今まで願望はあったけれど、一度も実行したことのないそれ。異なる体温の触れる距離で、直に、唇を落とす。
案の定、瞬間振りほどかれた。
いつか覚えた、昏い炎がチリリと燻る。久方ぶりの拒絶に、伸ばす手に力がこもった。拒絶できる立場かなどと、居丈高な酷い言葉を投げた気がする。
怯んだその隙に付け入ろうとした時、冷や水のような制止の声が、背後からかけられた。
呆然として、振り返る。
金の髪の、ずっと一緒の従者。そろそろ、半身とも言える、年上の導き手。その彼が、執務を促してくる。
「わかった」
信じられない思いで、頷いて、その場をあとにした。少女と、従者、二人を置き去りにして。
彼が、制止の言葉をかけるなど夢にも思わなかった。
そんなにも、度を超していただろうか。確かに、従者の目のある所では、無意識に自制していたような気がする。最初こそ、不審人物として扱っていることを隠そうともせず、少女の方を見張っていると思っていたけれど。
近頃、見張られているのは自分なのでは、と思うようになった。やましいことがあるからではと言われればそれまでだったが、実際従者の目があるのとないのとでは、戯れ方に差があるようにも思う。
あぁけれど、その印象が間違いでなかったとしたら。
あいつは、少女を見守っているのだろうか。蔑むような目をして、触れること無く、ただ、見つめているというのか。
なぜ、そんなことを考えるのだろう。あぁ、従者に裏切られたような気持ちになるなど、もってのほかだ。今までどれだけの恩があると思っているんだ。考えては行けない。そんな、従者の忠心を疑うような、ことなど。
一度そう思うとたまらなくなって、その日の夜、もらった果実酒をあけた。
今まで飲むどころではなかった酒の類。嗜むようになったのは、それこそ王位継承間近で、特別強いわけでもない。
だと言うのに、そんな中、少女を部屋に呼び出した。
その顔を見て、ふと、思いつく。気弱になっている原因とも言える、それは時期の問題なのだ。
ルゥを失った季節が、近いから。
小さく笑ってそう告げれば、少女の眉が下がる。この少女は優しいのだ。だから、こんな風に付け入られる。
「ルゥ」
名前を呼ぶ。きっと、少女の本当の名前ではないだろうに。可哀想に、こんな無様な男に、少女はほだされているのだろうか。こうして抱き寄せても、抵抗しないなど。
あぁ、従者がきてくれなければ、きっと、止まらない。
ルゥを呼ぶ。どこにいるのかと、うわごとのように。酒が回っている。自制がききそうにないとどこかで焦りがあるのに、その焦りは上辺を滑るだけだった。
まずい、と思った矢先、手の中のグラスを奪われる。止める間もなく、少女は半分ほどはいっていたそのグラスを全てからにして、咳き込んだ。驚きの表情は咄嗟に取り繕えず、おろおろと少女の意識を問う。生返事で、ぐらぐらとゆれる身体に、既に途方にくれそうになった。
「ゆるさない」
少女が低く唸って、心臓がすくんだ。やはり、彼女は、こんなことをする自分を許しはしないのか。
「どこにいったのよ」
続く言葉に、様子が違うと思い至る。続きをききたくて、息を潜めた。
「へいかを、こんなふうにして……いなくなって……」
しんじられない、ふざけないでよ、と呂律のまわっていない口で呟く。彼女は、誰に怒っているというのか。
「へいかを、こんなふうに、さびしくさせたまま、いなくなって。ゆるさないんだから……」
これは、もしかしなくとも。
「でてこい。ゆるさない。ひっぱたいて、」
やる、と、語尾は、口の中で消えた。少し黙ったかと思えば、こちらに両手が伸ばされる。
「なかないで、へいか。ルゥのことで、しあわせそうな、へいか、すきよ」
ルゥ、みつけたら、ひっぱたいて、あげるから。
わらって、と彼女は言った。それを全部きいたかどうかで、たまらなくなって、
愛しいことをさえずる唇を、おもうまま、ふさいだ。
ルゥか、ルゥでないか。二人ともが目の前に居たとして、より大切なのは、どちらか。
ルゥはどう足掻いても隣にはいない。二人並んでいる所など想像もできない。だから、この場合、目の前にいるこの少女を守るべきなのだろう。
同じ酒気に巻かれて、同じ寝台に横たわる。意識を失ったように静かに眠る少女は、大人しく腕の中に居て、その腕の中の暖かさ想いながら、目を閉じた。
幸せだ、と思った。ルゥのことを抜きにして、この少女の傍らに在ることを。
今更この少女個人を知りたいなど、考えることも許されないだろうけれど。
ずっと、そばに居てくれると言うなら。
ゆっくり、時間をかけていっても、いいだろうか。
少なくとも、手放すことはもう考えられないから。
そんな、風に思った矢先。
少女は、あっけなくこの手から逃れ去って行った。
かつてのルゥと、同じように。
治癒者をともない、部屋に駆け込む。
「ルゥ?」
血溜りと、死体だけが残る室内に、少女の気配は無く。
再び、失ってしまったのだと、それだけをようやく理解した。
自分はきっと、間違えたのだと思い知る。
許されなかったのだ、きっと、少女にあんなことをして。
だから、きっと、罰が与えられたのだ。




