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興味深げに、琥珀の瞳がわたしを覗き込む。逸らすことも閉じることも許されず、私はただ、されるがまま大人しくしていた。
「異常、であるはずなのに、異常はない」
魔術学院長はそう言って、私の前から身をひいた。長椅子の背もたれに埋もれて、ため息を吐く。
意味深な言葉に、その場の全員がその意味を問いたげに、視線を集める。兄と学院長が向かい合わせに座り、私は彼らの横顔を見る位置、一人用の椅子に座っていた。兄の従者は、いつものように兄のすぐ後ろ、下手に当たる扉側に立っている。私は兄の従者をちらりと見るけれど、彼がこちらに視線をよこすことはなかった。
「どういうことだ」
「目の色が変わるだなんてことは、異変に違いないですけどね。その原因が不明ですよ」
ただ、魔力の質、精度、量が桁違いになっている。学院長の言葉に、兄は少し考え込んだかと思うと、私の方を向いた。
「ファナリア、物語の話になるけどね」
突然問いかけてきて、私は瞬いて向き直る。
「例えば、目覚めた古竜、例えば、封印のとけた魔王。退治するのはいつだって強大な力を持った勇者、英雄など。けれど、そういった時代、瞬間、世界の危機に、そう都合よくも勇者がいるものだなと、感じたことはないか」
突然なんだろう。そんな風に捻くれた頭で物語を読んだことはない。そんな風に物語の裏を考えられるようになる頃には、その手の物語は卒業している。
眉をひそめる私に、兄は真面目な顔で、問いかけた。
「強大な力を持つ者がいたから、そういった世界の危機が訪れた、そういう考え方は、ないものかな」
目を見開く。妹に向かって、なんてことを言い出すのか。憤慨しようと口を開くのに、言葉が出なかった。目が泳いで、魔術学院長に助けを求める。
「……あなたは、冗談が過ぎますよね。昔から」
兄に向かってため息を吐いて、彼は私を見つめた。
「アレは物語だからです。きっと、そうでないことの方が多い。そうだと思いませんか」
こくりと頷く。そうでなければ困る。きっと、世界の危機が訪れたとして、抗う力がないまま翻弄されることの方が多いはずだ。伝説の中でさえ、救世主が現れることなく、春が訪れないまま千年の冬に晒され続けた帝国の物語もあったというのに。
恨みを込めて、兄に言う。
「禍を、私が呼ぶというの。もしそうなら、兄様は私をどうするの」
兄は素知らぬ顔で、肩をすくめた。
「言ってみただけだよ。もしそうなら、そうだね。この屋敷に閉じ込めてやるのが、お前のためかな」
絶句する。この兄はいったい。学院に通っていた頃は忙しすぎて何とも思わなかったけれど、思い返せば、近頃極端に辛辣であり、その上で過保護すぎやしないだろうか。それも、半年間行方不明になって以来、と思うと、何も言えないのだけれど。
「何かあったとして、あなたがいれば安心だとも思います。王の結界も盤石で、そろそろ代替わりの時期ですが、王太子も才能溢れる青年に育ちました。心配することはありませんよ」
それなら良いのだけれど。何かあるとすれば、結界の弱まる代替わりの時期だろう。これから先、何度そういった危機がこの国を襲うのか。
この先、私がいる間。この国だけでなく、世界を襲う、禍があるというのか。
確証のない災害に怯えた所で無意味だ。私は妄想にとらわれそうになるのを必死で抗い、兄と魔術学院長を交互に見やる。
「この赤い目。結局、どう抱いて行けば良いのですか」
「様子を見るしかない。その一言につきる。一時的なものかもしれないし」
「竜退治を命じられたなら、行くしかないな。そんなことになるくらいなら、いっそ潰しても良いんじゃないか」
今度は即座に、冗談でそんなこと言わないでください、と学院長が咎めた。私は再び何も言えずに、黙り込む。
兄とは元々会話が少ない。ごくまれに言葉を交わすたび、本当に血がつながっているのかと疑わしくなるくらいに理解ができないことがあった。
兄は真面目な顔で私を見つめる。
私はそっと、視線を外すしかなかった。
いつか来ると思っていた。
遅すぎると思ったくらいに。
「……ファナ、様? いや、ルゥ……?」
背後から呼びかけられて、足を止める。見つかってしまった、という思いと、今までどうして出会わずにこれたのだろうと息を吐く。
王宮魔術師になって、城で寝起きするようになって、三ヶ月。私が陛下の執務室に出入りする日に限り、陛下がこの人へ休暇をだしていたことなど、知る由もなく。
なんと言えば良い。陛下は素知らぬ振りを通している。その上で、ベアトにだけ昔なじみのように言葉を交わすことは許されない。何より、私自身がそれを許せない。
かといって、人違いではなどと笑いかけることも、できそうになかった。
金髪のベアト。陛下のためのベアト。女の子が苦手だった、優しい、ベアト。そして、金の鳥籠に閉じ込められた私に、憎しみの眼差しを向けていた、金髪の男。
「……」
何も言わず、振り返る。彼の顔を見つめて、あぁ、と嘆息した。表情で分かった。私に向ける、その眼差しで。
「ルゥ、様……?」
きっと、彼は、乗り越えていなかったのだ。……いや、それとも、
「誰だ、お前」
彼の中のルゥは、ファナは、きっとあの頃のまま止まっている。同じ姿、同じ声、けれど、同じ存在があの時とほんの少ししか変わらない、若い娘の姿のまま、この時代に存在しているわけがない。二十年も経っているのだ、そう考えるのが当たり前だ。陛下の物わかりの良さが異常だったのだ。
それとも、陛下こそが今もまだ狂っているのだろうか。
金髪の彼はあのとき言った、私の存在は、冒涜だと。
十年前に失った少女とそっくりな外見。同じ呼び名で、同じ存在として、疲弊した陛下を癒すためだけにとどめ置かれたあの時の私。
そして、その私も消えた。最初のルゥと、おなじようにして。
だから私は、彼にとってみれば三人目だ。
最初のルゥを、きっと彼は今でも大切にしている。
ならば今の私も、きっと、彼にとって冒涜的な存在に違いない。




