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黒髪の少年が、かつて言わなかっただろうか。
『たくさんいるベアトの一人に、女の子がいるんだよ』
その意味を、私はその時知ったのだ。
気がつけば我を失って掴み掛かっていた。なのに、この屋敷のベアトだと名乗る彼は、受け入れるように私を抱きしめる。
「落ち着いてください」
「あなたがベアトと呼ばれている所など聞いたことがない!」
「主から賜った名で呼ばれています。ファナリア様、落ち着いてください」
心からの祈りのような声音に、私ははっとする。
「お願いですから、もう、どこにも行かないでください」
音が、していた。
ぱらぱらと、何かが少しずつ欠けて行くような、音が。瞬いて、めがさめる。私ごと、兄の従者を中心にして展開される結界に。
私の魔力が暴走する前に、おさえようとするように。
私を中心にして広がる光が、それより一回り大きな彼の力をじりじりと削っている。
「あなたがまたいなくなったら。今度こそ、本当に戻って来れなかったら」
残された兄はどうなるのだ、と、彼は言っているのだろう。この人は、兄の従者。この屋敷のベアト。胸の内の激情が次第に凪いで行く。あぁ、この人は、兄のために、私を助けたがっている。
私は私の中にやってきた物に、名前が付けられないでいた。せめぐ数多の感情の中の一つに、寂しさがあるとだけ、それだけ、気付いて。
気付けば光は私の中に集束し、ぼんやりと俯く。
落ち着いたように見える私から、兄の従者はそっと離れた。ただ両の手を握って、少しかがんで、視線の下がっている私の目を覗き込んでくる。
「それぞれのベアトと繋がりはありませんが、調べてみます。時間はかかりますが……。ファナリア様の探すベアトについて、何か手がかりになりそうな情報はありませんか?」
「……十五歳なの」
咄嗟に出てきたのがそれだった。連なるようにして、ぽつりぽつりとこぼして行く。
「金髪で……、小さな男の子を、主に、していて……」
アレクのことまで告げることははばかられた。何故だろう。私は、白い陛下のことも、金髪のあの人のことも、その核心的な部分まで告げられないでいる。
彼らが王家の人間だと、まだ誰にも言えないでいる。
黙り込んだ私の頭に、兄の従者が軽く手を置いた。長年兄を支えているということは、それだけこの屋敷にいるということで、私が、小さな頃から、屋敷にいるということで。
「子ども扱いを、しないでください」
「失礼いたしました」
笑っておどけるその仕草も、子ども扱いだ。
なんだか気が抜けて、私は小さく笑った。すると、我が屋敷のベアトも、なんだか嬉しそうに笑った。
「年下に仕えるベアトは珍しいです。仕える方の年齢は分かりますか?」
「八歳、だったと」
笑みがふと、強ばった気がした。考え込むように視線が伏せられ、分かりました、と彼は言う。
「時間がかかるかもしれませんが、必ず見つけます」
それから私は魔術学院を休学したまま、一年遅れて復学することを決める。屋敷で一人、今までできなかった魔術の基礎を学び直すことに日々を費やした。
座学については今までやってきた物が十分通用し、おさえるべきは実技だけ。学院でも試験のみの出席免除科目などがあるだろう、とは、魔術学院長から直々のお言葉だ。
そうして私は、馬車にまろび出たあの日、学院事務から受け取った学生証を手に、再びその大通りを歩いている。
学院事務員の魔術師による登録更新が必要であるため、その手続きだ。復学手続きも済み、あとは日を待つのみとなる。
あれから一度も斬らずにいる髪は、少し伸びた。きっと、白い陛下の大切な『ルゥ』よりも。
「ファナリアさんですか」
学院の正門脇にある事務所に着くと、若い事務員さんが優しい笑顔で迎えてくれる。私が差し出す学生証に軽く手をかざし、小さく光ったかと思えばこれで終わりだ、と言われた。ありがとうございます、と呟いて、本当に行って帰るだけの用事なのだと思いながら、踵を返す。
そこに、事務員の声がかかった。
「多少、話は伺っています。もしお時間がよろしければ、学内を見学されてはいかがでしょう」
門の向こう。学院の中を、示される。
私は瞬いた。それは思っても見なかった提案で、次の瞬間には笑顔で頷いていたのだった。
教室をはじめとして、図書館、食堂、講堂、礼拝堂など、その華麗な装飾に、都の名所の一つになっていると言う場所まで案内され、学内でもそんな場所になり得るのかと私は感心するばかりだった。もうじき通うこととなるこの場所。ここでの生活に、楽しみな気持ちがまして行く。
休暇中の学内は静かで、時折、研究熱心な生徒たちが中で討論を重ねている部屋を見かける。修練場では、外界に大きく作用する属性魔術の式を実践形式で試している生徒もいた。
面白い。
お礼を述べるために事務員を振り返る。そこで、廊下の向こうからやってくる人影に、足が止まり、笑みも消えた。
「ファナリア様」
兄の従者。我が屋敷のベアトが、私を見つけ早足でやってくる。何故私は立ち止まってしまったのだろう。そんなことよりも、彼がここにいることに驚いていた。
「ちょうどよかった。調べがついた所です」
何が、とは聞かない。忘れたことなどなかったから。震える唇で、ベアトを見返した。
「ファナリア様の探す、十五歳の少年と言う、ベアト。その人物は」
はい、と無意識に相槌を打っていた。
「存在しません」
凪いでいた。
半年と言う、長い時間があったからかもしれない。見つけたくて、ただもう一度会って、ただ一言、二言、言葉を交わしたかっただけで。
服の下に隠している、青い宝石を思わず服の上から指先で探す。硬い感触、これが、ここにあるという事実は、全てが夢でなかった証だった。
「……動揺しないんですね」
すれば良かったというの、と思わず微笑む。言葉を発していないのに、彼は失礼いたしました、と目を伏せた。
そうして、ふいによくわからない言葉をかけられる。
「あいますか」
瞬く私の手を引いた。案内の事務員さんに軽く頭を下げて。呆気にとられる私は事務員さんにお礼も言えないまま。
連れて行かれるまま、この人は、何を考えているのかと、大人の手のひらをぼんやりと見つめた。




