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なんて事のない午後のはずだった。
入学式の際、学院に入るのに必要になるからと、学院事務所に学生証を貰いに行った帰りだった。
気になる事と言えば、魔術学院入学目前にして、覚醒の兆しを見せない自分の魔力に、焦りを抱いていたくらいで。入学後に覚醒する者もいるからと事務官に宥められつつも、そういうわけにも行かないか、と、学生証を見つめて言われる始末だった。
仰々しい家名は、この国で知らぬ者などいない大貴族。
私こそ、没落しかけとはいえ建国の立役者、四大貴族『剣知魔癒』の一角を担う、魔の家系の末裔だというのに。
これで、ろくな力しか覚醒しませんでした、では、話にならない。
馬車の行き交う賑やかな大通りを歩きながら、気がつけば憂鬱なため息を吐いていた。容姿も十人並み、髪も瞳も、珍しくもないよくある色彩。それなら、せめて魔力の質だけでもよくなければ、四大貴族だと名乗った所で、学院の同窓に鼻で笑われてしまうに違いない。
学生証を眺めながら、私は途方に暮れるのだ。本当に、こんなのでやって行けるのかしら、と。
憂鬱に、ぼんやりと歩いていたのがいけなかったのだろう。急に増えた人通りに、うっかり背中を押され、道を外れて転んでしまう。
悲鳴につぐ悲鳴、馬のいななきが聞こえたと思えば、二頭立て馬車の目の前に躍り出ていた。
二頭の馬の、持ち上がった前足を見て、身体が凍る。
そうして、私は。
気付けば見知らぬ城に迷い込んでいたのだった。
そもそも、私はそのとき、そこが城だったという事さえ分からなかったのだけれど。
打ち身まみれの身体はろくに動かず、ひんやりとした石の床に横たわっていた所で目が覚めた。
ここはどこだろう、と身体を起こしかけて、身体に走った激痛に諦める。そろそろと手を這わせてみても、つるりとした石の床に横たわっている、以上の情報は手に入らなかった.
石の床の様子からして、こんな高価な加工を施せる持ち主、というくらいしか、推測がつかない。
かつん、と足音が一つ聞こえたかと思えば、がちゃがちゃと人の集まる気配に、助かった、と思った。ここがどこかは分からないけれど、癒しの力を持った誰かを連れてきてもらえると助かる。
ほっと息を吐いたのもつかの間、首元に突きつけられた刃物に、呼吸が細くなる。
何?
「何者だ」
「どこから入った」
口々に責め立てられ、気がつけば縄で後ろ手にしばられていた。ご丁寧に、魔力封じの枷まで使われて。
「まって、私」
戸惑いと痛みから、思考がうまく回らない。乱暴に引っ立てられ、悲鳴が口から漏れる。ぼんやりと、礼拝堂のような空間にいたのだと知る。椅子と椅子の間の狭い通り道を、兵士に小突かれるようにして先に歩かされる。
「まって、待って。私は」
「黙れ!」
打ち身のアザの濃い腕を強く掴まれ、悲鳴が上がる。もう、その悲鳴が自分の声だとさえ思えないくらい。
混乱の最中、礼拝堂の外が騒がしい気がして、視線を向ける。私を捕らえた兵達の足も止まり、やってきた人影に、周囲のどよめきが広がった。
「陛下!」
改まる兵に、私はその人物を凝視する。
若い、綺麗な男だった。私とそう年も変わらないように思える、少年と青年の狭間。
白い髪、薄い色の瞳。その顔色はまるで幽霊のように悪く、痩けた頬に、不健康そうな笑みが浮かんでいた。
「侵入者とか」
何がそんなに楽しいのだろう。そう問いかけてきた彼に、兵は私を示す。
「この者が、堂内に。侵入経路は不明ですが、痕跡を辿ればいずれ判明いたしましょう」
「女か」
「弱っている風を装っています。陛下、ご注意を」
……陛下?
近づく彼を制すように兵士は言うのに、彼は構わず私の頭を掴んだ。ぐい、と顔を上げさせる。
ごく間近で、息をのむ、音がした。
色の薄い睫毛が、瞬く音がした。
「……男爵から押収した籠はまだあったな」
「は……」
「籠にいれておけ」
言うなり身を翻し、その場から立ち去った彼に、私は何がなんだか瞬くしかなかった。横目で兵を見ても、私と同じように立ち去ってしまった彼がいた場所を見つめている。
入れ違いに別の男が現れる。金髪の、先ほどの彼とは対照的に人の良さそうな顔をした、体つき服装から見て恐らく秘書官かなにかであろう男。
「おや」
私を見るなり驚いた顔をして、その表情を隠すようにすぐに微笑んだ。人の良さそうな、と思ったにもかかわらず、その笑い方は不穏だった。
「陛下の気を引くために、用意したにしては、なかなか」
違う、と囁いても、相手にされなかった。
「よかったですね。目論見通り、あなたは陛下の気を引く事に成功しました」
何が。私は男の顔をただ見つめた。だれか、この現状を、どうか私に説明してほしい。
「飼い殺しに、してあげますよ」
不穏な言葉に続いた衝撃に、私は意識を失った。




