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目覚めると同時に、覚えのある腕に抱きしめられた。その、腕の力強さ、暖かさに、あぁ、帰って来たのだと漠然と思う。
「……にいさま」
「おはよう、ファナ」
兄は、辛そうに顔を歪めていた。けれど、私はそこに気をまわすこともできず、ただぼんやりと宙を見つめる。傍らの兄は、何か言いたそうに口を開いたり噤んだりを繰り返していた。私はそれに気付いていながら、思うままに言葉をこぼす。
「……夢を……見ていたの」
「…………夢?」
「夢、だった……。夢で、良かった……」
頭をそっと撫でられる。にいさま、と呼ぶ声はか細く兄に届いたのかも分からない。でも、その暖かい手のひらに、全ては夢だったのだと思い知る。あんなにも冷酷な世界は、夢だったに違いない。アレクも、ベアトも、白い王様も、私の中の妄想でしかなかったのだ。
無意識に、声に出していた。
「よかった」
その気持ちに、嘘はなかった。
何一つ。
頭を撫でる兄の手が、止まる。目尻からこぼれる私の涙を、何も言わずにそっと拭った。
しばらくそうして何も言わず、私が再び眠りにつこうと微睡みだした頃、兄は小さく、「おかえり」と呟いたのだ。
その時の私には、その意味が、分からなかった。
私はそうして、少しずつ、現実を知ることとなる。
馴染みの街医者に一通り体調を見てもらい、兄の許可が下りて、寝台から出るのに、数日かかった。
まず、用意された厚手の衣装に疑問を抱いた。さらに肩掛けに厳重にくるまれる。そうしてやっと兄に連れられ、庭の見える窓の前に立たされた。
見慣れた庭。私が毎日世話をしている、自慢の庭園。
「どうして」
数の減った薬草の種類に、兄を振り返る。兄は、何も言わずに窓を開け放った。触れた冷たい外気に、心臓が早鐘を打ち始める。
アレクと一緒にいた、最後の日の、続きのような。
天気が悪いだけかもしれない。季節外れの寒気が。異常、気象が。誰かが大規模な魔法を使った影響とか、結界が異常動作を起こしているとか。
思いつくことはいくらでもあった。それなのに、
「今、は……」
いつなのかと、最初に聞いてしまった。
兄が暦を告げる。嘘と、と私は返した。だって、そんなの。理解ができない。告げられた言葉を拒絶する私の肩を、兄が優しく抱きしめた。
そうして、無情な祝福を口にする。
「十七歳、おめでとう。ファナ」
半年、だ。
魔術学院からの帰り道。あの、大通りで、私が馬車の前にまろび出たあの日から。六ヶ月もの月日が流れていただなんて。
兄は言う。私が魔術学院に向けて屋敷を出た日の夕方、大きな事故の知らせを聞いたと。その場所が、屋敷と魔術学院を繋ぐ大通り、時刻は、私が通ったのではないかと推測できる頃。
そうして、昼過ぎには帰ってくるはずの、帰らない私。
「おかえり、ファナ」
兄は言う。目覚めたあの日のように。帰って来てくれてよかったと、心の底から。神様に感謝でもするように。
長年兄を支える従者は言う。どれだけ兄が手をつくしたか。どんなに私を心配して、探しまわったか。
魔術学院は休学扱いで、私の体調次第ですぐにでも復学可能だと。その措置のために、どれだけ働いたかと。
さらに身体の弱い兄の体調にまで話が及ぶと、兄自身が従者の言葉を遮った。すでに、私はいっぱいいっぱいで、兄から逃れるために身をよじる。
「一度にそんな言わないで」
分からない。あの日、いったい何があったのか。
頭が追いつかなくて、私は耳を塞いだ。
「お願い、しばらく一人にして」
慣れ親しんだ庭で、考えたい。そう思って顔を上げた瞬間、目に飛び込んできたのは、半年間別の人間の手によって、保つだけ保たれてきた庭園だった。
冬を越すための薬草などは植えられておらず、種をつけ枯れた冬を越せない物は恐らく処分された、知らない庭。
一歩二歩と下がる。兄が私の肩を抱いて、何も言わずに部屋へと連れ戻してくれた。
その時になって、やっと気付く。兄の腕の細さに。兄の顔色に。
でも。
どう信じろというのだ。
夢じゃなかったとでも言うの。
白い王様のもとにいた時間。
アレクやベアトとともに、過ごした時間。
合わせれば、ちょうど半年に、なるのだとしても。




