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金の鳥籠  作者: 真城 朱音
黒の王子
16/35

 気がつくと、部屋を飛び出していた。逃げ出すように。大きな音も構わずに。どこに行きたいのかも分からないのに。ただ、少年の前からに消えてなくなりたい一心に。

「ファナ様?」

 名前を呼ばれた気がしたけれど、構わない。だめ。やめて。ここはどこなの。

「ファナ様!」

 知らない手に腕を掴まれて、身体が背後へと反転したかと思えば、肩を強く固定される。

「何、が」

 あったのか、そう問う声は、途中で消えた。滲む視界に、金色を見て。私の涙が決壊する。近い視線で、ベアトが困った顔をしたのがわかる。

「大切にしたい女性を泣かすなんて、アレク様にも困った物です」

 きつく、言っておかなければなりませんね。と、ベアトが優しく言うから、私は「違うの」と首を振りながら言わなければならなかった。

「何か、変なの。おかしいの」

 なにがだろう。ベアトに、何を言うつもりなのだろう。伝えた所で。伝わった所で。いったいなにが変わるのだろう。

「落ち着いてください」

 落ち着けるはずがなかった。

 先ほどのアレクの申し出は、いったいなんだったのだ。

 守護名? アレは何の偶然だろう。普段意識もしない物が、なぜ、こんなにも私の心を揺さぶるのだ。

 どうして、ルゥ、だなんて呼びたがる。

 どうして、リオ、だなんて、呼ばれたがるの。

「あなたたち」

 絞り出した声はかすれ、眼差しが疑念をはらむ。

「私と、白い陛下のこと、どこまで知っているの? いつから、知ってたの? あなたたちが私をここに連れてきたの?」

 知っているとしか、考えられない。だって、あんな。他に考えられるとすれば、何があるだろう。例えばの話で良い。考えられるなら?

 例えば、例えば私が見ている夢だったなら。全部。何もかも。本当の私は、寝台に横たわっていて、横で陛下が私の目覚めを待っている。いいえ、兄でも良い。馬車の前に飛び出した私が、眠っている夢で良い。白い陛下のことも、黒い王子様のことも。なにも、かも。

 あぁ、そうだ、例えば私の魔力が覚醒したのだとすれば。それが、珍しい幻惑系の物で、それが、暴発しているのだとすれば。

「兄様」

 縋るように、呟いた。


 隣にいるなら、だれか、はやく、私を、起こして。


 目の前のベアトに、焦点を合わすこともできずに。

 無邪気なアレク。恥ずかしがりやのベアト。小さな主を慈しむ、優しい使用人たち。

 そのすべてを、私は今、疑ってしまっている。

「何を、言っているのですか」

 私には、分かりませんと、ベアトの呟く声に私は顔を覆った。



「ルゥ?」

 新しい呼び名で、アレクが私を呼ぶ。

「最近、元気ないね」

 お茶しよ? そう言って、目覚めて寝台に力なく座り込んでいた私の手を、起こしにきたアレクがひく。

「アレク……」

「リオだよ」

「……リオ」

「なあに? ルゥ」

 なんでも、ない。そう呟く声は、かすれた。

「あのね、ルゥの元気がないから、俺、美味しいお菓子頼んだよ。ルゥの好きな、ふわふわのやつ。今日の午後のお茶で、一緒に食べよう」

 だから、今はコレだけ、と砂糖菓子をつまんでみせた。

 アレクが私をルゥと呼ぶようになって、アレクが私にリオと呼ばせるようになって。結局何も分からないまま、変わらないまま、ふわふわと過ごす日々は変わらなかった。これが、私の魔力の覚醒にともなう暴発なら、いくら私でも気付かないはずがない。私の魔力は眠ったまま。だから、ここは、

「現実、なのかしら……」

 私のカップに、アレクが紅茶をそそぐ。私の肩に、ベアトがショールをかけてくれる。ふと、気付く。

 背中の痛みは、もう、なくなっていた。

 あぁ、それなら、私。ここを、出て行っても良いのだ。



 ぼんやりとそう思いはじめたその日の午後、ふと、出された焼き菓子の香りに、覚えがあった気がした。

「……リオ、このお菓子は」

 見たことのない、ものだった。この離宮の使用人が用意した物ではない。

「外のお菓子だよ! 侍女に頼んで、昨日買ってきてもらったの」

 食べて食べて、とアレクが急かす。そのまま、私はそれを口に含んだ。

 ぶわりと、口腔を満たした甘ったるい香り、体内に流れ込む何かに、アレクが手にするそれを、叩き落とした。

「ル」

「触れてはダメです!」

 短く叫んで、口に含んだ物を吐き出す。

「ベアト」

「ファナ、様」

「その焼き菓子の、確認はしたの」

 アレクが口にする物、全て、一度危険がないか探っているはずだった。

「それは、いったい」

「毒、です」

 それも、即効性というわけではなく。しかし、これは。

「魔法薬を、応用した」

 まったく新しい、考え方の。そして、つまり、お伽噺に出てくる、呪いのような。

「すぐに治癒者を」

 ベアトが慌ただしく部屋を出て行く。アレクがそばにこようとしたけれど、それをとどめた。治癒者ではダメだ。これは、薬学者か魔法薬学者の分野で、それは、私の、分野で。

「恐らくこの源は、香りだわ。口元を覆って、濃い物を体内に取り込まないように。アレ……、リオ、は、まだ幼いから、魔力が反応して、よってくるかもしれない」

 ルゥ、ルゥ! とアレクが呼ぶ。うん。と笑いかけた。痛みもない。苦しみもない。ただ、身体を蝕む魔力の流れだけを、感じる。

「大丈夫、すぐ、元気になります」

 きっと、この香りが、風にまぎれ薄くなると同時に、消えてなくなる代物だろう。なんて、たちの悪い。けれど体内に取り込んでしまった物は、どうしようもない。

「ベアト、おそい、な。ルゥが。ルゥが」

 大丈夫。そう言うのに、落ち着かないアレクは立ち上がって走って行ってしまった。あぁ、これでは、まるっきり。


 ルゥではないか。


 こんな風に、ルゥはあの人のトラウマになったの。

 そうして私も、アレクのトラウマになるの?

 沈む視界に、首を振る。まばたきを繰り返す。それでも抗いきれない力に引きずられて行く。

 ああ、今度はどこへ。

 私、どこまで、流されるの。


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