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ひとまず、アレクの母の形見だという首飾りは、ここにいる間のみ、ということで、私が持ち続けるということになった。寝ても覚めても、私のまわりをアレクがまとわりついている現状、アレクからは、
「俺が持っててもファナが持ってても、ある場所は一緒でしょ!」
と突っぱねられてしまった。結局、ベアトもアレクの駄々に諦めた。
「ファナ様が、ここにいる間だけですよ」
そう締めくくって、この件は終わった。
眠る前に、首から外して、輝く青い石を眺める。爪の先ほどの小さな、綺麗な石。しかし、王家に嫁いだ女性が、こんなにもささやかな物を、息子に残すだろうか。
アレクは、傀儡の王様になるのだと言っていた。従弟が生まれて、成長するまでの、つなぎの王になるのだと。では、現王の直系がその従弟で、アレクの血筋はそこから少しそれているのだ。そこから推測できるのは、貴族社会。よくある、話。
「……お母様は、身分の低い方だったの」
推測でしかないかもしれなくとも、きっとそうだろう。それを、あのおそらくあの少年は知っている。アレクも、ベアトも、この離宮にいる誰もが。
最初のころは察することもできなかったが、定期的に外とのやり取りはあるようだった。そんなとき、必ず対応のためにベアトは姿を消し、私は部屋から一歩も出てはならない、ときつく言われる。
その日はアレクも一緒で、ベアトはいなくて、つまりアレクと部屋に二人きり、だった。
「ねぇ、ファナ。どうすれば、ずっと俺と一緒にいてくれる?」
何度目の問いだろう。アレクは毎日のように、そんなことを聞いてくる。
「ずっとは無理だよ」
私はいつものように、やんわりと答えた。
ベアトのいない所で、彼を不安にさせる言葉は使いたくなかった。だから私は、慎重に言葉を選んだ。
「アレクが傀儡の王になることを決めているなら、そのとき私は、側にいれない」
「どうして? 傀儡の王はだめ? 嫌い? かっこ悪い?」
「違うよ」
小さな焼き菓子を一つつまんで、アレクの口に押し込んだ。
「アレクの弱みになっちゃうでしょう?」
むぐむぐと口を動かしながら瞬く少年に、ただ、微笑む。
「アレクの邪魔になってしまうかもしれないでしょう」
もしも、例えば。ありえないことだとしても、例えば。
アレクが十六歳で王位を継いだとして、そのとき私は二十四歳で、それでもまだ、アレクが傍らに私を望むとして。今から十八年後の《王様を辞めたとき》を、その時もまだ夢見ていたとして。
そんなアレクの気持ちが、周囲に伝わらないなんてこと、ありえるだろうか。
傀儡の王として、近くにいる私のと未来を望んでいたとしたら。
「きっと私、利用されてしまう」
わからない、とアレクの眉が下がった。
「だれに」
「アレクを傀儡のまま、使いたい人たちに」
じゃぁ、とアレクの声が歪む。
「待っててくれるの? 俺が、王様辞めるまで。……嘘つき」
待っていないくせに、と、少年の声が私をなじる。そう。私はアレクを待たない。
突き放さなければ、ならない。
「怪我が、治って」
だから、十八年後だなんて遠い未来の話はやめて。
「ここを出たら」
すぐそばにある未来の話をして、突き放さなければ。
「白い陛下を、探しに行くの」
王様になったアレクが探してくれるのは、八年後。それじゃ、遅すぎる。
「ここを出て、屋敷に帰った所で、私の家の力では見つからないかもしれない。小さな国が集まるこの地域で、手がかりが、王位継承のあった頃合い、だけでは」
だから。私、ずっとアレクのそばにいることはできないよ。置いて行ってしまった白い陛下を、あのままにはできない。ルゥとして、そばにいるのでも、何でも良い。とどまることができないなら、せめてお別れを言わなければ。
だから、アレクにしてあげることは、何もない。
そのかわり、今、ここでできることなら何でもするよ。
アレクの丸い頭を撫でて、私は微笑む。テーブルに手を伸ばして、ふわりと柔らかい焼き菓子を、一口かじった。
「なんでも?」
「難しいことじゃなければ」
「……ファナは、貴族なんだよね」
没落しかけているけれど。確かに私か貴族だ。大人しく頷いた。
「じゃぁ、守護名。教えて」
なぜだか、胸の奥に冷たいひと雫が落ちたような気がした。これは、なんの、不安だろう。
守護名。それは、貴族の間でのみ伝わる習慣だ。名と家名の間に、過去の偉人の名前を選び、挟む。正式な届けにはめったに出さない。他人の口に上るのは、洗礼を受け神殿に入る時か、神の祝福を受け婚姻を結ぶ時か。基本的に、大切に胸の内に秘めておく物で、言いふらしたりは、しない物で。
「……それがあれば、アレクは、《死なない傀儡》になれる?」
「なるよ」
ファナを目指して、俺は、これから十八年、生きていくよ。
「俺の守護名も、教えてあげる」
俺はね。
「エミリオ」
音の響きに、どきりと、心臓が震えた。口から、飛び出しそうなほどに。
黒い双眸が、私を見つめる。
「ファナの、守護名は?」
「私……」
私、は。
「ルドヴィカ……」
私が答えた途端、嬉しそうに、少年が笑う。
「じゃぁ、」
そうして、その小さな唇で、さえずるように、鳴いた。
ルゥだね。
かちゃん、と何かが、割れた。アレクを見つめているはずの視線が定まらない。
だから、俺は、リオだよ。
ぐるぐると、世界が回る。ちかちかと光が明滅する。あぁ。フワフワと現実感のない、ここは。私の見ている夢なのだろうか。
それも、とびきりの、悪夢。
俺たちだけの名だよ。と、少年は囁いた。




