ウトの少女
Twitterで不定期に開催される創作企画『空想の街』(Wiki→http://www4.atwiki.jp/fancytwon)に投下した話を、加筆、修正したものです。
同時投稿していた『曇りの靴』と一部話がリンクしています。
空想の街のまとめはこちら。
http://togetter.com/li/290680
【2日目】
僕が住んでるところから、目的の北区までには、電車で5駅も先だ。
そんな遠いところまで、僕はまだ1人で行ったことがなかった。
切符を買って、電車に乗り込む。
いたずらをする時のような、変な気分におそわれたけど、電車が走り出したらすっかり忘れちゃった。
「わぁ…」
景色が次々と飛び込んで来る。
僕は思わず声を上げた。電車なんて滅多に乗らないんだ。
だけど向かいの席のお姉さんと目があって、僕は恥ずかしくなって慌てて座り直した。
そうだった、今日は『あの子』を探しに行くんだった。
電車で騒いでる場合じゃない。
『あの子』と会ったのは偶然だった。
…う一ん、違う、まだ会ってないな。
…僕は『見た』んだ。あの子を。
その日僕は、眠いのを我慢して月を待っていた。
こんな事ママに知られたら怒られるんだけど、パパからもらった望遠鏡を、早く使ってみたかったんだ。
望遠鏡はテカテカしたボディにメモリがいくつもついていて、月のクレータ一まではっきり見える『じょうとう』なやつだ。
あくびが止まらなくなった頃、やっと月が出てきて、僕はベッドから飛び出した。
望遠鏡を覗き込む…
見えた!
はっきりクッキリ、ポコポコのクレーター!
僕は嬉しくなって跳びはねそうになった。
だけどその時、月を横切る影が見えたんだ。
あんまりキラキラしてるから、最初は蝶々かと思った。
(後で姉さんに言ったら「夜に飛ぶのは蛾でしょ」って馬鹿にされた)
でもよく見るとそれは、『女の子』だったんだ。
背中に羽の生えた、女の子。
真っ白な翼をはためかせて、キラキラ、キラキラ。
それ以来、僕はその子の事が忘れられなくなった。
たまに夜更かしして、またあの子が飛んでいるのを探したりした。
いつも見つかる訳じゃなかったけど、あの子はいつも、決まった時間に飛んでるみたいだ。
キラキラ、キラキラ。
夜にだけ、空を飛ぶ女の子。
そして僕は気づいたんだ。彼女が、いつも最後に南区に向かって飛んでいくのを。
『もしかしたら、あっちにお家があるのかな。』
そう思ったら、僕はむしょうに彼女に会ってみたくなった。
南区まで行けば、会えるかもしれない。
いつも見ているだけの彼女と、お話がしてみたい。
南区の駅に着くと、おいしそうな匂いが鼻をくすぐる。
そういえばもうお昼近く…ダメダメ、捜査が先だ!
僕は探偵になった気分で歩きだした。
南区は、僕が住んでる北区と遠って、木で出来た家がたくさん立ってる。
僕は道行く人に、『ウトの女の子知りませんか』と声をかけていった。
『ウト』って言うのは、背中にが生えた人達の呼び名だ。
あれだけ真っ白な、大きな羽の持ち主だったら、きっと知ってる人がいるはず。
…だけど期待した答えは帰ってこなかった。
ここに住んでるんじゃないのかな…
僕は泣きだしたい気分になった。
家を出るときにパンパンだった気持ちが、今はしわしわだ。これからどうしよう。
ふと、見上げると、うどん屋さんが目に入った。
そういえばお腹も空いている。
うどん食べたいな。
僕のお小遣で食べれるかなぁ?
僕は恐る恐るうどん屋のドアを開けた。
「いらっしゃい!」
お店の人の元気な声が響いた。
「坊主、見かけない顔だな。どっから来た?」
…北区。
「北区!そんな遠いとこから!」
色んな事をたくさん聞かれて、僕は居心地が悪くなった。
来ちゃいけなかったのかな。
どうしてここまで来たのかきかれて、僕はハッと我に返った。
お店の人なら、あの子を知ってるかもしれない!
僕は慌てて、あの子の事を尋ねた。
「ウトの女の子、ねぇ…」
お店の人も、やっぱり知らないみたいだ。
「その娘の名前はわからないのかい?」
僕は首を横に振る。
「そうか。…ウトってのは、普段はきっちり背中に羽を仕舞ってて、見かけは普通の人と何も変わらないからなぁ」
…そうなの?
「なんだ坊主、知らなかったのか?周りにウトだと教えずに暮らしてる奴らもたくさんいるんだぞ」
…そうなんだ。
じゃあ、もしかしたらあの子も、そうなのかもしれない。
夜にだけ飛ぶのも、周りに隠しているからかもしれない。
「実際俺も、ウトに会ったことはないしなぁ」
えっ、そうなの?
「そういう奴らがいるのは知ってるがなぁ」
…僕が知っていたのは、羽が生えてる人達が
『ウト』と呼ばれている事だけだった。
思ってたより、見つかりにくくて、沢山いないのかもしれない。
一番安いうどんを食べて、店員さんにお礼を言って、お店を出た。
思ってたより沢山歩いてたみたいで、ここからだと時計塔がすぐ近くらしい。
広場に出ると、『口裏あわせ』をした友達と会うことが出来た。
僕が南区に行ってた間、僕は彼等と一緒にいたことにするんだ。
「で、ウトの子は見つかったのかよ」
「うん、それが…」
僕はこれまでの情報を皆に話した。
「な一んだぁ、結局会えなかったのかよ」
「仕方ないよ、内緒にしてるのかもしれないもの」
「残念だったね」
「うん…」
やっばり会えないのかな。
しゅんとした僕を見て、みんなが顔を見合わせた。
「ほ、ほら、今日は時計塔フェスタだしよ!出店もいっばい出てるぞ!」
「そうそう!せっかくなんだし楽しみましょ!ね!」
「…行こう?」
…うん、そうだね。
みんな、ありがとう。
花火までの間、みんなと大はしゃぎして過ごした。
正直昼間南区を歩き回ったから、途中で足がくたびれてしまったんだけど、秘密にした。
みんな僕がしょげているのを、一生懸命励まそうとしてくれてたのが、わかったから。
そしてとうとう花火の時間。
…だけど僕はもう限界だ。
…仕方なく、友達と別れて帰る事にした。
途中、花火に照らされた時計塔が目に入った。
…あれ?
時計塔の壁に、ちょこんと不思議なものがある。
目をこらしてよく見ると…足だ!
小さな足が、壁の隙間のような場所からぴょっこり生えて、ぷらぷらしている。
ちょうど高い椅子に座った時のような、そんな具合だ。
もしかして、と思い、僕は来た道を猛ダッシュで戻った。
クタクタのはずの両足は、ビックリするぐらい働いた。
息を切らして時計塔まで戻ってきたけど、もう足は消えていた。
…間に合わなかった。
きっとあれは、『あの子』だったのに。
この塔の高いところから、花火を見てたんだ。
…すれ連いかぁ。
そう考えた時、花埋の中に何か白いものを見つけた。
拾い上げるとそれは、羽根だった。
白い白い、羽根。
『ちょっかん』で、僕はそれが彼女のものだとわかった。
きっとそうだ。
こんなに大きくて綺麗な羽根、彼女に決まってる。
「やっぽりここに、いたんだ…」
僕は時計塔を見上げて、つぶやいた。
【3日目】
時計塔広場。
僕はもう一度時計塔の壁をじっくり見上げた。
やっぱり、あの子がいたのは昨日だけだったみたいだ。
もしかしたらまたいるかも、なんて期待してたのだけど。
こうやって時計塔を見上げて周りをぐるぐるするのも、何周目だろう。
そのとき。
「おい」
後ろからいきなり声をかけられた。
慌てて振り向くと、見覚えのある制服。
わ、塔守だ!
僕は急に後ろめたい気分になって、思わず逃げてしまった。
何にも悪いことはしていないんだけど…
「あっ、おい…」
塔守の声は後ろに遠ざかっていった。
あんまり必死に逃げたから、僕は気づかなかった。
昨日拾ったあの子の羽根を、落としてしまった事に。
【5日目】
オニソラフグがいなくなって、僕はやっと外に出ることを許された。
僕は少しでも早く時計塔に行きたかったんだけど、ママが危険だからって。
おかげで昨日はずっと部屋にこもりっばなし。
オニソラフグってどんなのなんだろう。
そんなに危ない魚なのかな…
時計塔に羞くと、その周りをぐるっと一周。
…やっぱりない。
キラキラ光る、『あの子』の羽根。
ここで落としたと思ったんだけど…花垣の方かな?
僕が移動しようとしたら、
「おい」
後ろから声をかけられた。この声は…
恐る恐る振り向くと、やっぱり…!
この前の塔守だ!
僕は固まってしまった。
何人かいる塔守の中でも、このおじさんはいっとう怖い顔をしていて、僕は苦手だった。
帽子のツバの下から、ギョロッとした目がこっちを見ている。
「何をしている」
おじさんは唸るような低い声で聞いてきた。
僕は足がすくんで、返事が出来ない。
「…探し物か?」
コクコクと、僕は首を縦に振る。
するとおじさんは、ポケッ卜に手を突っ込んでゴソゴソとやりだした。
「あっ」
思わず声が出てしまった。
おじさんがポケットから出したのは、あの子の羽根だったのだ!
「…探しているのは、これか?」
僕は勢いよく頷いた。
おじさんはしばらく黙り込む。
なんだろう…?
僕が首を傾げると、急におじさんはクルリと後ろを向き、スタスタと歩きだした。
「えっ?!あのっ?」
「ついて来い」
ボソリとそういうと、おじさんはまた歩き出す。
僕は慌ててその後ろを追いかけた。
「あ、あの…」
「お前、ウトの女の子を探してるんだろう」
「な、なんでそれを…?」
僕が目を丸くすると、おじさんは少し振り返りニヤリと笑った。
「この前、南区でウトの女の子を探し回っていたのはお前だろ」
「あっ…」
俺はうどん屋の常連だからな、と付け足して、おじさんはガハハと笑った。
その間にもずんずん進んでいて、僕は追いつくのが精一杯だ。
裏路地のような場所に入ると、一つのドアの前で止まった。
おじさんはまたポケットをゴソゴソやると、小さな鍵を取り出してドアを開けた。
鉄製のドアの向こうには下へと延びる階段があり、奥には闇が広がっている。
何処まで続いてるんだろう。
僕の足はすくんでしまった。
「来ないのか」
先に進んだおじさんが声をかけてくる。
「この向こうに、ウトの女の子がいる」
「…!」
僕は勇気を振り絞り、中に入ることにした。
おじさんがドアの傍らのランプに火をつけて、道案内をしてくれる。
せまっ苦しい道の両側から時々、『トントン』だの『カンカン』だの音がする。
街の下にもうひとつ街があるって噂は、本当なのかな…。
そんな事を考えていたら、おじさんがぽつぽつと時計塔の話をしだした。
簡単に言えば、時計塔には通路が二つあるらしい。
ひとつは、街の住民が自由に出入り出来る一般通路。
そしてもうひとつは、塔守が仕事用に使っている通路。
ーーー今歩いているこの道だ。
「塔守の仕事は大時計のメンテナンスや壊れた壁の修復もある。そういう時にこの通路を使うんだ」
通路は階段が終わって、平坦な道になっていた。
やがて、通路の突き当たりにたどり着いた。
入るときに見たような、鉄製のドアがある。
「この向こうが、時計塔内部だ」
おじさんはまた小さな鍵を取り出し、ドアを開けた。
中に入ると、思ったよりも明るい。
ランプ無しでも大丈夫そうだ。
「この時計塔はずっと昔から…それこそ今の住民が来る前からここに立っていた。今まで何度も修復や改築を繰り返していて、その度新しい通路が作られ、塔守用通路はややこしい造りになってる。地図に載ってない道や部屋には入るなよ」
「…入ったらどうなるの?」
「命の保証が出来ん」
「…」
「ここから先は一人でいけ。ランプと鍵は置いてってやるから、帰りも一人で帰って来い。ドアの鍵を忘れるな。通路を出たら、塔の下の事務室に鍵を返しに来るんだ。昼間なら俺はだいたいそこにいる」
おじさんはそこまで一気にしゃべると、サッサと踵をかえす。
「ま、待って!」
「なんだ、まだなんかあるのか」
「あの、その…なんでこんなに親切にしてくれるの?」
僕は不思議で仕方なかった。
おじさんはしばらく黙っていたけど、ボソボソと小さな声で話し出した。
「…俺は長いこと塔守をやってる。だからここに来るやつは、みんな知ってる。それこそアリンコ一匹まで」
「…」
「だからわかるんだが…あのウトの女の子はな、いつも一人なんだ」
「え…」
「あの子はだいたいいつもこの時計塔の、この通路の何処かにいる。夜はいなくなるようだが…何処で寝てるのか、ちゃんと飯を食ってるのか…気になって声をかけたことがあるんだが、逃げちまった」
ま、俺の顔は怖いから仕方ないか。
そういっておじさんは笑ったけど、僕は笑えなかった。
「だからな坊主…お前みたいなひょろっこいやつだったら、あの子も逃げないかもしれん。もしかしたら友達になれるかもしれん」
おじさんの目は真剣だった。
おじさんは、あの子のことを本当に心配してるんだ。
おじさんにあの子の事を託された気がして、僕は大きく頷いた。
おじさんは満足したように笑った。
…一体今はどこら辺なんだろう。
時々思い出したかのように現れる窓を覗けば、ちゃんと登ってきてるのは確かなんだけど、何階当たりなのか僕にはまるで分からなくなっていた。
時計塔、塔守用通路。
おじさんが言ってたように、中はたくさんの階段と分かれ道でいっぱいだった。
おじさんがくれた地図が無かったら、きっとすぐに迷子になってたと思う。
…というか、ここはホン卜に時計塔?外から見るのと、今いる通路は、どう考えても大きさが遠うような気がする。
しかも、さかさまについてる階段があったり、全く手すりの無い高い場所にいきなりドアがついてたりして、迷路みたいだ。
階段も一段一段が高くて、急だ。
少し登るだけでも息が切れる。
僕はその中を、『あの子』を探しながら登る。
…こんなトコに、本当にあの子はいるのかな。
また気持ちがシワシワになったその時。
キラリ、と視界の隅で光るものがあった。
思わず僕は、動きを止めた。
そして注意深くそれを観察する。
キラリ。
僕は、手に持っていた羽根を見た。
ココに来るときおじさんに返してもらった、あの子の羽根だ。
キラリ。
手の中の羽根は、そこにあるものと同じように光を反射した。
きっと、あの子だ。
僕はドキドキする胸を押さえて、ゆっくりと近づく。
びっくりさせちゃいけないと思って。
そっと、そっと。
彼女まであと10段ぐらいまでの距離に近づいて、声をかけた。
「あの」
ばさぁあああ!!!
「わっ!」
大きな羽音が響いて、僕はひっくり返った。
階段から落ちそうになるのを、手すりを掴んで何とか防いだ。
ばさ!ばさばさ!
彼女は慌てた様子で上へと逃げていく。
「あ、ま、待って!逃げないで!」
追いかけようとした瞬間ーーー
掴んでいた手すりが、突然ぱきゃり!と折れた!
とっさに何かにしがみつこうと、僕は必死に手を伸ばす!
っう…
…ふぅ…。
反対側にのぴていた何かの蔓に捕まって、僕は助かった。
恐る恐る下を覗き込むと、ココに入ってきたドアは遥か下、もう暗くてよく見えない。
背筋がぞっとする。
落ちたら絶対助からない。
しばらく動けずにいると、視線を感じた。
見上げると、階段の少し先の曲がり角(ちょっとした踊り場のようになっている)から、あの子がこちらをうかがってる。
驚かせちゃったな。
そんなつもりはなかったんだけど…
「え一と、あの」
なんて言おう。
どう話そう。
よく考えたら、僕は彼女とお友達になりたいと思ってたけど、仲良くなってどんな話をしようとかはこれっぼっちも考えてなかった。
迷った僕は結局、
「…こんにちは」
挨拶をしてみた。
「…」
返事はない。
彼女は相変わらず物陰からこちらをじっと見てる。
「あの…「どうして?」
僕の言葉を遮るようにして、質問が飛んできた。
どうしてって…何が??
「…どうして、ここに?」
もう一度、今度はゆっくりと彼女がしゃべる。
甘ったるい、蜂蜜のような声だ。
「ああ、えっと…僕、君とお友達になりたいんだ」
「…友達?」
彼女がポソリと眩く。この位置からでも眉間にシワがよっているのがわかった。
「うん、そう、友達」
「…どうして?」
また同じ質問繰り返される。
だけどさっきとは意味の違う質問。
僕は慎重に言葉を選んだ。
「んと…僕、君が飛んでいるとこを見たんだ。夜に、お散歩してるよね?それで、それが…すごく綺麗だったから…」
言ってから、これじゃ『すと一か一』みたいじゃないかって思ったけど、遅かった。
変なやつって思われたかな。
…どうしよう。
【6日目】
トン、トン、トン。
今日も僕は、時計塔に登っている。
結局昨日は、彼女はあのまま近づいてきてはくれなかった。
僕は階段に座ってソラクジラや不思議な絵かきの話をしたけれど、彼女は黙って不思議そうに僕を見るだけ。
まるで人に慣れてない猫みたいだと思った。
彼女は今日も、昨日と同じところにいた。
「こんにちは」
僕は思わず笑顔になる。
ひょこ、と彼女が角から顔を出した。
「今日は時計ころりん持ってきたんだ。一緒に食べようよ」
「…。」
「時計ころりん、知ってる?」
僕は手に持ってた袋を見せた。
彼女は小首を傾げる。
「この町のお菓子だよ。いっぱい持ってきたんだ。食べよう?」
僕は踊り場に腰掛けて、紙ナプキンに時計ころりんを乗せた。
「おいでよ」
隣のスペースをポンポン叩いて、彼女を呼ぶ。
…ホントに猫を手なずけてるみたいと思ったのは、ここだけの話。
だけど彼女は、角から出てこようとしない。
…こういう時はあれだ。
僕は頭の中で、野良猫と仲良くなる方法を思い浮かべる。
そっぽを向くんだ。
『けいかいしん』が強い動物は、じっと見つめちゃダメなんだ。
気が無い振りをして、向こうからやって来るのを待つんだ。
しばらく階段の下を眺めていると、すぐ傍で羽の擦れる音がした。
そっと横目で確認すると、彼女がちょっとだけ離れた場所に腰掛けているのが見えた。
時計ころりん、食べてくれてる。
甘いの好きなのかな、嬉しそう。
彼女の笑顔を見て、僕も嬉しくなる。
彼女がお菓子に夢中になってる隙に、僕はこっそり観察をしてみた。
よく見たら彼女は羽だけじゃなくて、髪も真っ白だ。
スラッと伸びた手足も、僕より白い。
でも目は深い、黒目がちな目だ。
僕はふと、いつか図鑑で見たシロフクロウを思い出した。
大きな羽を広げて、闇夜を飛ぶ真っ白なフクロウ。
彼女にピッタリだ。
一人でニヤニヤしてたら、彼女と目が合った。
ちょっと見つめ過ぎたのかも。
「お、おいしい?」
急に恥ずかしくなって、僕はごまかすように尋ねる。
彼女は小さく頷いた。
「…どうして?」
また質問だ。
「どうしてって、何が?」
「…親切」
「し、親切…?」
そんなつもりは無いんだけど…ただ僕が、彼女と一緒にいたいだけで。
「イヤ、じゃない?」
また質問。
「何が?」
「…羽、あるから」
??? 僕の頭はこんがらがった。
まるで羽があることが、悪いことみたいに聞こえる。
「昨日も言ったけど…君の羽は綺麗だよ。飛んでる君を見て、素敵だと思ったし、羨ましいとも思った」
僕は正直に、思ったことを口にした。
だってこれは本当の事だったから。
嘘とか、『おべんちゃら』とかは一切無しだ。
彼女は目を丸くした後、小さく「ありがとう」と呟いた。
【7日目】
いつもの時計塔の踊り場。
僕が顔を出すと、彼女がすでに壁際に腰掛けていた。
待っててくれたのかな。
「こんにちは」
声も自然と弾む。
「こんにち、は」
彼女が小さく小さく、そう言った。
僕は彼女の隣に座る。
昨日よりちょっとだけ、近い位置。
彼女は逃げない。
昨日の時計ころりんのおかげかな。
「おいしいものを一緒に食べると、すぐ仲良くなれるぞ」ってパパがよく言ってたんだ。
それからは、取り留めの無い話をした。
…というか、僕が一方的にしゃべってるだけなんだけど。
芝桜の話、それを売る狐耳のお姉さん。
情報局の新しいお姉さんが、放送を間違えた話。
僕が大袈裟に身振り手振りを交えると、クスクスと彼女が笑った。
うどん屋の店員さんの話をしたところで、僕はふと思い出した。
そう言えばあの店員さんは、ウトは普段背中に羽を仕舞ってるって言っていた。
だけど、僕は彼女が羽を仕舞っているところを見たことが無い。
だから、何気なく聞いてみたんだ。
「ね、君はその羽、仕舞わないの?」
本当に、ただ聞いてみたかっただけなんだ。
だけど。
「…!!」
彼女ははっとしたように目を見開いて。
…そして。
「…え?」
次の瞬間、くしゃ、と顔をゆがめた。
怒ってるような泣いてるような…そんな顔だった。
ばさぁあ!!
羽音が響く。
僕が気づいたときには、彼女は駆け出していて。
ばさっ。
手を伸ばした時は、飛んでいて。
あっという間に、彼女は消えてしまった。
バタン!
ドアが閉まる。
「あ…」
彼女が閉じこもったのは、階段も手すりも何も無い、高い壁にちょこんとついた部屋。
僕が登れるような場所じゃない。
「怒らせ、ちゃった…?」
そのときになって僕は質問したことを後悔した。
きっとアレは、聞いちゃいけ無いことだったんだ。
何か、彼女にとってはとっても嫌なことだったんだ。
だけど…。
だけど。
「これじゃあ、ごめんなさいが言えない…」
僕は途方に暮れた。
【最終日】
トン、トン、トン。
今日も僕は、時計塔をのぼる。
この急な階段にも、もう慣れた。
だけど昨日とは違う気持ちで、僕は進む。
手には小さな鳩の柄が入った、青い封筒。
昨日親切なお姉さんに教えてもらって、僕はごめんなさいを手紙に書く事にした。
可愛い便せんは持ってなかったから、姉さんにもらった。
最初姉さんは嫌がってたけど、彼女の話をしたら、一番お気に入りの便せんを1セットくれた。
「失敗してももうやらないから」
と言われたので、ノートに何度も練習してから書いた。
…もうすぐ踊り場。
彼女はいないだろうな。
昨日あんなに怒ってたから。
きっとあの部屋から出てきてくれないだろう。
「…お手紙を置いて、帰ろう…」
悲しいような、むなしいような、そんな気持ちで踊り場まで来た時。
ふぁさり。
「…あれ?」
僕の予想と違って、彼女は現れた。
だけど顔は、あの時みたいなくちゃくちゃの顔だ。
まだ、怒ってる…?
「う、ふぇ」
「え」
「ふぇええええ」
彼女の顔がもっとくちゃくちゃになったかと思うと…急に泣き出した。
僕は慌てて駆け寄る。
「ど、どうしたの?」
「ふえええええ」
彼女の大きな瞳から、同じく大きな涙がこぼれ落ちる。
「も、もう」
「え?」
「来てくれな…かと、ぅ、思った…」
そのまま彼女は抱き着いてきた。
僕はどきまぎして、最初どうしたらいいのかわからなかったけど…パパとママがしてくれるみたいに、彼女の頭をゆっくり撫でた。
彼女が泣き止むまで、ずっと。
「…落ち着いた?」
「うん…」
彼女の目はまだ真っ赤だったけど、もう涙はながれてなかった。
「…ごめんなさい」
「えっ!なんで謝るの?」
謝らなきゃならないのは僕の方なのに。
「僕の方こそ、ごめんなさいだよ。僕、君を怒らすような事言っちゃったんだね」
「違うの」
彼女は首を横に振る。
「違うの…」
ゆっくりと、俯く彼女。
「あのね、あたし…羽が、仕舞えないの」
「えっ」
「仕舞い方が、わからないの」
「…誰か、教えてくれる人はいなかったの?パパとか、ママとか」
彼女のパパとママだってウトのはずだ。
彼女は首を振る。
「お父さんとお母さんは…ウトじゃないの」
「えっ?」
「羽なんか、生えてなかった…」
それから彼女は、ちょっとずつ話をしてくれた。
今まで聞きたくても聞かずにいた(もっと仲良くなってからと思ってた)、彼女自身の話だ。
彼女が生まれたのは、ここよりもずっと、ずっと遠い大きな街なのだそうだ。
広い工場や、時計塔ぐらい大きな建物が沢山あって、もちろん人もここよりもいっぱいいる。
「…だけど羽があるのは、あたしだけだったの」
彼女も小さい時は、羽がなかったらしい。
「…人と違うことは、良くない事なの…。みんな一緒じゃないとイケナイんだって。そうじゃないと、仲間になれないんだって」
「そんな…」
「見つかったら、酷い目に合うって、お母さんが言ってた。だからずっと、お家の中にいたの」
誰にも知られずに、ずっと、ずっと。
「だけど…お友達が欲しかったの」
一緒におしゃべりしたり、はしゃいだり。
そういう事をしたかった、と彼女は言った。
「だから、こっそり家を抜け出したの」
…だけど。
「みんな、あたしを見て逃げちゃった」
大人も、子供も。
『バケモノだ』と罵られて、追いかけられて。
「ひどい…」
「逃げて逃げて…その時初めて、空を飛んだの」
もうお家には帰れなくなった、と彼女は呟いた。
聞きながら、僕は頭の中で初めて彼女に会ってから今までを思い出していた。
友達になりたいと言った時の、不思議そうな顔。
羽がある事を、申し訳なさそうに話していた午後。
みんなみんな、こういう事だったんだ。
僕は、彼女の手を取った。
「ここは、この街は、大丈夫だよ。君を見ても、誰も逃げたり、ひどいこと言ったりしないよ」
「…。」
「ホントだよ。だって狐のお姉さんだって、ここで暮らしてるんだから」
彼女が目を丸くした。
「…あれは、作り話じゃないの?」
「えっ?」
今度は僕が目を丸くする。
「…君がいた所には、いなかったの?ソラクジラも?」
「…絵本でしか見たこと無い…」
僕はくらくらした。
ソラフグや、夢を売るお店、不思議なパン。
この街に当たり前にあるものが全く無いだなんて。
彼女のいた街って、いったいどんな所なんだろう。僕には想像もつかない。
「あ…じゃあ、あれを見たら、信じてくれる?」
僕は窓を指差した。
僕らがいる場所からは、角度的に外は見えない。
僕は窓辺に近寄って、手招きをした。
多分彼女は、昼間外を見たことがないんだろう。
そろそろと近づき、窓から顔を出す。
そして本当に目玉が落っこちるんじゃないかってぐらい、目を見開いた。
外では、甘党の虹が甘い雨の雲をむしゃむしゃ食べているところだった。
甘い雨が降ると必ず顔を出す、食いしん坊な奴だ。
「…ね?」
僕は彼女に笑いかけた。
彼女はしばらくポカンとしていたけど、やがてクスクスと笑い出した。
よかった、笑ってくれた。
「あ…そういえば、忘れてた」
僕はポケットから手紙を取り出す。
「無駄になっちゃったな」
「…それは?」
「『ごめんなさい』の手紙。君に渡そうと思ってたんだけど…」
もういらないね、というと彼女が「見たい」と言いいだした。
手紙を渡すと、彼女は丁寧に封筒を開けた。
「…可愛い」
「その便せん、姉さんに分けてもらったんだ。キレイに書いたつもりだけど…読める?」
僕の字、汚いからなぁ。
「読めるよ…ありがとう」
彼女がニッコリ笑った。書いたかいがあったかも。
ありがとう、赤い靴のお姉さん。
彼女は再び空を見上げた。
何か考えてるみたいだ…もしかして。
「…行く?」
彼女が手を伸ばしてきた。
「…僕も?いいの?」
「うん。前に、羨ましいって言ってたから。…ええと」
「…フロウ。僕の名前は、フロウ、だよ」
「…あたしは、しゃしゃら。行こう、フロウ」
「うん、しゃしゃら」
僕が彼女の手を取ると、彼女は勢いよく窓から飛び出した。
食いしん坊の虹に向かって、僕らの体は飛んでいった。
【終わり】