捧げる相手が違うだけ
難産でした…。
先日までの寒さが何だったのかと疑問に思いたくなるような暑さのやってきた4月末。小川の側に建っているお洒落なログハウス。
そんな場所から、決してお洒落とは言えない飛び出し方をした男がいた。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! 時間ヤベェ遅刻するぅぅぅぅぅぅ!!!!!!」
このログハウスの持ち主、神風 豹牙。ちゃんと全部読んでる方ならご存知の本作の主人公である。
久遠ヶ原学園大学部の1年であり、獅子王 砕牙の副官として地獄で働いている。役職上かなりしっかりした性格の彼が遅刻を危惧しなければならないような時間に飛び出した訳。
それは、日頃の労苦と運の悪さ、そして・・・・
「ホントごめんね豹牙!! あ、お弁当忘れてるよぉぉぉぉ!!!!」
謝罪なのか注意なのか分からない声をかけているこの妻、神風 春都の夫愛のせいである。
前日の夜、豹牙が疲れたような表情で帰ってきた時には既に日は変わっていた。
「おかえり。今日も遅かったんだね、大丈夫?」
玄関まで出迎えながら心配そうな表情で訪ねる春都に豹牙は笑みを浮かべて答える。
「ははは、大丈夫だよ。面倒な仕事が入ってたけどそれも今日で終わったし、後は明日に後処理すれば仕事も楽になるよ。」
そう言うと、未だに心配そうな顔をしている妻の頭をくしゃっと撫でた。
「そんな顔しないで? この仕事終わったら休み取れるし、そしたらまたデートでも行こうよ。」
「・・・・・・うんっ、約束ね!」
豹牙の気遣いを分かったのか、まだ少し心配そうながらも笑って頷いてくれた妻の頭をもう一撫でし、「明日も早いから、起こしてね。」と言うと豹牙は床についたのだった。
そして、次の日の朝。
「豹牙~、そろそろ起きないと仕事遅れるよ?」
朝食の支度を済ました春都が起こしに来ると、そこには毛布にくるまって寝息をたてる夫の姿があった。
よほど疲れたのだろう、いつもなら昔の習性から誰かが入ってきたら起きる彼は、春都に全く気付かずに眠っている。
「もう、自分が起こしてって言ってたのに・・・。」
そんなだらしない夫に近づきながらも、春都の顔はややニヤけていた。
普段は春都より先に、遅くても春都が起きるのと同時に起きる夫の寝顔、まだ恋人だった頃に見て以来数えるほどしか見ていないそれをじっくり拝めるのである。夫にベタ惚れの春都の顔がニヤけるのも仕方がないことだった。
「うわぁ、やっぱり可愛いな~・・・。」
前々から可愛いと思い続けてる夫の寝顔。それをトロトロの顔で見続けること30分。豹牙の目が開いた。
「あ、おはよう豹牙♪」
「あぁ、おはよう・・・。」
まだやや眠そうな彼は、目を擦りながら何気ない風に尋ねた。
「今、何時?」
「・・・・・・・・・・あぁっ!?」
そして、冒頭に戻るのである。
所変わって、ここは豹牙の職場、地獄殿。
獅子王 砕牙を『第十代閻魔大王』とし、『閻魔代理』兼『参謀長』暗山 影次、『戦闘長』望人、『閻魔副官』兼『治安維持長』の春都の夫、神風豹牙を幹部として運営されている裁きの正殿である。
色々とトラブルもあったがいまだに聳え立つその場所に、1人の少女がやって来た。
「う~ん、ここには来たくなかったけどな~。」
春都である。
トラブルの時に嫌な思い出があったり、夫の同僚に嫌いな男がいる彼女だが、夫が忘れた弁当を届けるべく意を決してやって来たのだ。
「まぁ、渡してすぐ帰れば良いだけだし、大丈夫大丈夫!」
そう言って中に入っていく春都。
しかし、数分でその考えは甘かったことを知るのである。
「おや、春都殿じゃないですか。 こんなところにどうしたのです?」
そう言って一室から出てきたのは、白髪に僧服を来た男、望人。
「あ・・・、ど、どうも・・・。」
春都はこの男が苦手だった。
普段は良いが、いざ戦闘になったり、激しく怒ったりしたときは、狂人の如く暴れまわり、周囲の人間を惨殺する。
残忍過ぎる攻撃手段や、その強烈な二面性が春都は苦手だった。
明らかにひきつっている春都の顔を見て苦笑する望人。繰り返すが、彼は平時は普通の人の良い青年である。
「あはは、やはり私が苦手ですか・・・。おや、それは豹牙殿ので?」
苦笑していた望人の目が、春都の持つ包みに向けれた。
「あ、はい。豹牙が忘れちゃったんですけど、彼はどこにいますか?」
そう言う春都の姿に、苦笑ではない笑みを浮かべる望人。結婚して2年になるが未だに仲の良い夫婦が微笑ましいのだろう。
「それはそれは。ですが、豹牙殿は今は閻魔王と影次殿と会議中です。私が後で届けますよ。」
「そう、ですか・・・。」
会えないことが分かったからか、砕牙や影次の名を聞いて嫌なことを思い出したのか、顔をしかめる。
「・・・あの、望人さんは、何で砕牙に従っているんですか? あんな出来事を起こしておいてなお。」
そしてきいてしまった。
勿論、失礼なのは分かる。彼は幹部どころか地獄全体で最も大きな敬意を砕牙に捧げている。怒っても仕方がない。
だが、きかずにはいられなかった。
「そう、ですねぇ・・・。」
春都の気持ちも分かるのか、特に怒ることなく望人は語りだした。
「確かに、戦闘に浮かされていない頭で考えれば、私もアレはおかしいと思います。閻魔王は確かに暴走し、その行為は許させることでは無かった。」
ですが、と望人は春都を向いて微笑む。
「その時の姿が、あの方の本当の姿ではない。彼の本当の姿は、優しく、誰にでも分け隔てなく笑みを向けられる懐の深い、そして皆で馬鹿騒ぎするのが大好きな陽気な青年です。」
その言葉を聞いて、春都はふっと思った。
それは、豹牙だ。
豹牙も優しく、誰にでも分け隔てなく笑みを向けられる。馬鹿騒ぎも大好きだ。
自分は、そんな豹牙を好きになったのだ。
「私はかつて、彼の命を狙いました。ですが、その事を気にせずに私に笑顔を信頼を向けてくださり、共に騒ぐとこを許してくださる彼に惹かれ、敬意を払うことにしたのです。」
そう言って笑う彼の顔は、友達に夫の自慢をする自分とそっくりだった。
「そうなんですか・・・。聞かせてくれてありがとうございます。じゃあお弁当は渡しておいてください。」
そう言って望人に弁当を渡し、頭を下げて出ていく春都。
敬意と愛情、砕牙と豹牙。
感情の種類や、捧げる相手が違うだけで、自分と望人は同じなのだ。
そう考えると、今まで苦手だった相手が、急に苦手じゃなくなっていった。
今度会った時は、顔をしかめたことを謝ろう。
そう思いながら、春都は家路についた。
あと数話で終わるかも…。