愛されない悪役令嬢のはずでしたが
軽い気持ちで読んでいただけたら幸いです。
誤字報告をありがとうございます、修正しております。
婚約者との顔合わせを前にそわそわとする私の身支度を、侍女が整えてくれていた。美しい紫色のシルクのドレスを着せて、長い髪は丁寧に編み込んでいく。
「緊張なさらなくても大丈夫ですよ、アリス様。コンラッド王子殿下は、絶対にアリス様を気に入りますわ」
「……そうかしら?」
「ええ」
侍女は自信たっぷりに頷いた。
「アリス様ほどお美しくて聡明なご令嬢は、どこを探したっていませんから」
私は鏡の中に映る自分を見つめた。紫の切れ長の目に、艶やかな長い黒髪。ちょっときつめの顔立ちで、八歳にしては大人っぽいけれど、侍女の贔屓目を差し引いても、確かに綺麗だと思う。
私は、これからお会いするコンラッド王子殿下の姿絵を思い浮かべた。淡い金髪に、知的な碧眼をした彼は、まさに絵に描いたような王子様だった。彼は私の二つ年上で、今年十歳になる。
第五王子の彼と、ナイル侯爵家の長女として生まれた私アリスとの婚約は、言わずもがなの王家と我が家の政略上の都合によるものだ。コンラッド王子殿下と私の年が近いこともあり、私が生まれて日が浅いうちに、私たちの婚約は既定路線になっていたらしい。
それだけに、一人娘の私に対するお父様とお母様の期待と教育熱は、かなりのものだった。礼儀作法は小さな頃からみっちり叩き込まれたし、今私が通っている王立学園でも、六歳で入学してからというもの、常に五本の指に入る成績を維持している。
(もしコンラッド王子殿下の歓心が得られなかったら、私の存在意義がなくなってしまうわ)
幼いながらにそんな危機感を抱きながら、私は彼と初めて会うこの日を迎えたのだった。
「初めてお目にかかります、ナイル侯爵家のアリスと申します」
丁寧なカーテシーをした私を、コンラッド王子殿下は値踏みするようにじっと見つめた。
「僕はコンラッド。……君のことは、父上と母上から聞いているよ」
目の前で見る実物の彼は、姿絵で見るよりもずっと美しかった。光を編んだようなさらさらとした金髪に、吸い込まれそうな青い瞳、非の打ちどころのない顔立ち。思わず見惚れてしまうような、整った容姿をしている。
けれど、どう見ても彼は不愛想だった。涼しげな目元は不機嫌そうに歪められ、仏頂面で腕組みをしている。
(私、何か失敗した? それとも、王族の生まれだと傲慢になるのかしら……?)
戸惑う私の背中を、冷や汗が伝うのを感じた。運ばれてきたお茶とお菓子の味もわからなくなってしまう。何が彼の機嫌を損ねたのかがわからないだけに、猶更だ。
そうこうしているうちに、国王夫妻と私の両親を交えたお茶の時間が終わり、お父様は私に言った。
「アリス、コンラッド王子殿下に庭を案内して差し上げなさい」
ちらりと私は窓の外に視線を移すと、温かな陽射しの差す庭を眺めた。薔薇が美しく咲き誇っている、ナイル侯爵家自慢の庭だ。
「……はい、お父様」
あとは若い二人で、と言いたいのであろうお父様を見て、私は憂鬱な気持ちを胸の奥に押し込めて頷いた。
***
コンラッド王子殿下と二人きりで庭に出ると、私は溜息を呑み込んで笑顔を作った。
「こちらが薔薇園でございます」
「……見ればわかる」
二人を囲む空気が冷たい。一気に氷点下まで冷えたような気がする。コンラッド王子殿下が綺麗な顔をしているせいもあってか、無表情な彼の言葉の切れ味が、よりいっそう鋭く感じられる。
どうしたものかと私が固まっていると、彼は私を真っ直ぐに見据えて言った。
「僕は、君を愛するつもりはない」
(うわあ、失礼な人……)
私はさすがに彼の言葉にカチンときていた。十歳にもなれば、ある程度の分別がつくはずだ。彼に嫌われているようだということはわかったけれど、初対面でそこまで言われる筋合いはない。
私だって、好きで彼と婚約した訳じゃない。どうせ政略上の婚約なのだから、いくら心の中でそう思っていたとしたって、口に出さないのが礼儀というものではないだろうか。
どうしたって彼に好感を持ってもらうことはできなそうだったので、私も取り繕うのが面倒になってきて、思うままに彼に尋ねた。
「コンラッド王子殿下には、どなたか想いを寄せるご令嬢でもいらっしゃるのですか?」
彼は困ったように眉を寄せた。
「……いや、今はまだいない」
「まだ、というと?」
「八年後に出会う予定だ」
「えっ?」
思わず変な声が出てしまったけれど、これは私のせいじゃないと思う。明らかに彼の発言がおかしい。
戸惑ったように青い瞳を揺らした彼に、私は続けて質問した。
「今はまだ好きでもないのに、その運命のご令嬢に出会う時期まで、正確にわかっていらっしゃるのですね?」
彼は占いか何かでも信じているのだろうかと考えた私に、想像の斜め上をいく答えが返ってきた。
「実は、僕には前世の記憶があるんだ」
「……前世の記憶、ですか?」
「ああ。ここは、小説『運命の乙女は花に祈る』の世界だ」
「はあ」
ぽかんとする私の前で、彼はいたって真面目な顔をしている。
(この方、大丈夫かしら……?)
コンラッド王子殿下は、見た目だけなら完璧なのに、中身はちょっと残念な方なのかもしれない。
「すみません。コンラッド王子殿下の仰っていることが、さっぱりわからないのですが」
怪訝な顔で首を傾げた私を見て、彼はばつが悪そうに頬を薄く染めた。
「つまりだな……」
コンラッド王子殿下は、前世の記憶を持つ転生者であること、そして彼が小説『運命の乙女は花に祈る』のヒーローだということを端的に説明してくれた。そして、私がその小説の悪役令嬢だということも。
「悪役令嬢……ですか?」
「ああ。このままいくと、君はそのうちヒロインに悪辣な嫌がらせをして、国外追放処分を受けてしまう」
「ちょっと待ってください」
私はいったんコンラッド王子殿下が話すのを止めた。
「その小説の中でも、私はコンラッド王子殿下の婚約者だったのですか? 嫌がらせの内容にもよりますが、婚約者がいる男性に近付いてくる令嬢がいたら、苦言を呈するのは当然では?」
「それは程度問題ではないだろうか。小説では、ヒロインに嫉妬した君は、最終的に彼女を階段から突き落とした」
その言葉を聞いて、さすがに私も引いた。そんなことをしたら、下手をしたら大怪我を負わせてしまう。
けれど、まだやってもいないことで悪役と呼ばれて、納得のいかない気持ちで眉を顰めた私に、彼は続けた。
「君が僕を愛することさえなければ、そんなことは起きないはずだ。こうして話していても、今の君は真っ当な感覚の持ち主に思えるし、僕もそんな結末は望まない。だが、今の段階では、互いの両親の意思に反して、この婚約を解消することは難しいだろう」
彼が私を愛するつもりがないと口にしたのも、そういう背景があったからのようだ。
「そうですねえ……」
しばらく口を噤んで考えてから、私は彼を見つめた。
「では、コンラッド王子殿下がヒロインに出会ったら、お互いに円満に婚約解消する、ということでよろしいですか?」
「ああ、そうしてほしい。慰謝料はもちろん支払う」
「わかりました。では、お互いにそういう前提でいきましょう」
私が差し出した右手を、彼は握り返してくれた。
まだコンラッド王子殿下の言葉を完全に信じた訳ではない。彼の頭のネジが飛んでいるのか、それとも彼が本当に転生者なのかはわからない。
けれど、どちらにしても、将来の婚約解消が前提なら、それほど大きな問題ではないような気がした。私だって、私のことを悪役なんていう彼と結婚したいとは思えないし、国外追放されるのもまっぴらごめんだ。いずれ穏便に婚約解消すると思うほうが、よっぽど気が楽だった。
まあ、私の国外追放を案じて釘を刺してくれたあたり、悪い人ではないのかもしれない。
「そういえば……」
ふと気になって、私は彼に尋ねた。
「その小説では、私が国外追放された後、このナイル侯爵家はどうなるのでしょうか? 私、一人娘なのですが」
今のところ、コンラッド王子殿下が臣籍降下して婿入りする可能性が濃厚になっている。
「ああ、君の弟が継いでいたな」
「えっ? 弟、ですか?」
私はきょとんと彼の話を聞いていた。お父様とお母様が、なかなか第二子が生まれずに諦めかけていることは、私も知っている。
彼はこともなげに答えた。
「再来年に生まれるはずだ。確か君とは十歳差だった」
「そ、そうですか……」
返す言葉が見付からずに黙り込んだ私に、彼は初めて微笑みを見せた。
「君が話のわかる人でよかった。これからしばらく、表向きは婚約者同士になるが、君とは良い友人になれたらと思っている」
私は曖昧な笑みを返した。笑顔だけなら爽やか王子様なのに、何だかもったいないような気がする。
「……コンラッド王子殿下は、前世も男性だったのですか?」
「ああ、そうだが」
「『運命の乙女は花に祈る』なんて小説を読むなんて、意外と乙女趣味なんですね」
「本と名の付くものは、片端から読んだからな。……悪いか?」
「いえ。自分の好きを大切にするのは、いいことだと思います」
前世は余程の本好きだったのだろうと、ふふっと笑った私の前で、彼は照れ臭そうにしていた。これが彼の素の表情なのかもしれない。
ついずけずけと本音を言ってしまう癖を直そうと思っていたけれど、変わり者の彼が相手なら別にいいような気がしてきた。
コンラッド王子殿下に対して、もしかしたら生まれていたかもしれない恋心が吹き飛んでしまった私は、さっぱりとした気持ちで彼を見送ることになった。
***
それから、いつしか八年の歳月が流れていた。コンラッド王子殿下とは、最悪だった初対面の印象とは対照的に、意外にも仲良く過ごしている。もちろん、婚約者というのは形だけで、親しいのは友人としてだ。
歯に衣を着せない私にも、嫌な顔一つせずに相手をしてくれる彼は、いい人なのかもしれない。
コンラッド王子殿下が前世の記憶があることを共有してくれたのは、どうやら私だけらしい。そんなことを人に言えば気が触れたと思われるだろう、と彼は渋い顔をしていた。なぜ私には話したのだろうと疑問に感じていると、君は将来の国外追放がかかっているんだから、君には言っておくべきだと思った、とのこと。こういうところでなぜか律儀なのが殿下なのだ。
秘密を共有していることもあってか、彼にとっても私は気安く話せる存在のようだ。今では親友と呼べるほどだし、お父様とお母様が喜ぶくらいには、つつがなく仲の良い婚約者を演じていた。
「いよいよですね、殿下。私と同じ学年に、運命のご令嬢が入学なさるのでしょう?」
「……ああ」
殿下は珍しく緊張気味に頷いた。
今日は王立学校の入学式だ。十六歳になった私は新入生として、コンラッド王子殿下は最上級生として学校にいる。
「ピンク色の髪に水色の瞳をした、小柄なご令嬢でしたよね? 名前はクララ様」
「そうだな」
私はもう、コンラッド王子殿下が転生者だということを完全に信じている。なぜかというと、彼のまるで予言のような言葉が、これまでにことごとく当たったからだ。
私が殿下に初めて会ってからちょうど二年後、私には弟が生まれた。私とは十歳差で、まさに殿下が言っていた通りだった。
それだけではまだ半信半疑だった私だけれど、その後も同じようなことが続いた。
地震に水害、イナゴの大量発生。小説に登場したのは大きな被害が出たものだけのようだったけれど、それでも十分だった。時期と被害の内容がわかれば、事前に対策が立てられる。
殿下が前もって小説の知識を教えてくださったお蔭で、ナイル侯爵家領は甚大な被害を免れることができた。もちろん、王国の被害を最小限に抑えるために、殿下が奮闘したことも知っているし、そんな彼を婚約者として支えられたことは、私にとって小さな誇りになっている。
きっと前世でも真面目だったのであろう殿下は、前世の記憶に驕ることなく、日々王子としての務めに励んでいた。王家の大きな書庫にある本も、王子の素養に必要だと、既にかなりの数を読んでいるようだ。私もちょくちょく書庫にお邪魔しては、貴重そうな古い本のページを一緒に捲った。
殿下が運命の令嬢に会ったら、そんな日々も終わることを少し寂しく思いつつ、私はきょろきょろと条件に合う令嬢を探した。
「あっ、いました!」
私は急いで殿下の肩を叩いた。
「ほら、見えますか?」
条件にぴったり合うだけでなく、見る人が見れば一目でヒロインとわかるような、特別に美しい令嬢だった。
ふわふわとウェーブしたピンクの髪に、ぱっちりと大きな水色の瞳。華奢だけれど女性らしい、小柄な身体。どことなく儚げで、まるで砂糖菓子のような、甘い感じの可愛らしさがある。さすがはヒロイン、私とはまるで正反対のタイプだ。彼女とすれ違う男子生徒たちが、ちらちらと彼女を振り返るのがわかった。
「可愛い方ですねえ、クララ様って」
当たり前の感想を呟いた私の横で、殿下は呆けたように彼女のことを見つめていた。
――これが、恋に落ちる瞬間というものなのだろうか。
何だか私は見ていられなくなって、彼に言った。
「では、私はこれで」
「おい、アリス――」
何か言いかけた様子のコンラッド王子殿下を振り切って、私は教室へと向かった。
なぜか胸の奥がズキンと痛んだけれど、気のせいだと自分に言い聞かせる。
(こうなることは、八年前からわかっていたのだし)
きっと、殿下に聞いた出会いのイベントがこれから起きるのだろう。たくさんの教科書を抱えた彼女が転んでしまい、殿下が手を貸して教科書を拾ったことをきっかけに、互いを意識するようになるというものだ。
ベタな展開だったけれど、小説なんてそんなものかもしれない。
私は私だと気持ちを切り替えて、新学期の教室に足を踏み入れた。
***
新しい環境にもすぐに慣れた私は、学友にも恵まれて、充実した学校生活を送っていた。
同級生に当たるクララ様のことは、私の耳にも自然と入ってきた。元は平民だったけれど、男爵家に養子として引き取られ、貴族しか入学できない王立学校に入ったとのこと。
男爵家に引き取られたのは、彼女が祈ると怪我や病気を治せる、不思議な力に目覚めたかららしい。奇跡を起こす特別な令嬢として、周囲から一目置かれているようだ。
昔は魔法使いが存在したこの王国でも、今や魔法が使える人なんてほとんどいない。微量の魔力を生まれ持っていたって、まともに魔法なんて使えないことがほとんどだ。今となっては、魔法の名残と言えば、昔の大魔法使いが作った魔道具くらいしかないこの王国で、クララ様の特別な力は稀少だった。
そんな彼女とコンラッド王子殿下が、最近親しくしているらしいと風の噂で聞いたけれど、私は我関せずを貫いていた。コンラッド王子殿下とクララ様のことは、できる限り避けるようにしている。もしも小説の筋書き通りに悪役令嬢になってしまったら、たまったものではない。
けれど、私がただそうしている訳にもいかなくなったのは、私の友人の訴えがきっかけだった。
「アリス様、聞いていただけませんか? 最近、私の婚約者と、クララ様の距離が近いみたいで……」
「えっ、そうなの?」
私は驚いて友人を見つめた。
(クララ様は、コンラッド王子殿下と結ばれるヒロインのはずだったのでは……?)
そんな私の疑問をよそに、彼女は不安そうに頷いた。
「彼が軽い怪我をした時、クララ様に治していただいたそうなのです。でも、それから彼はクララ様の前だと浮足立っているようで、クララ様も満更ではなさそうに見えて」
私が思案顔で黙っていると、彼女は続けた。
「アリス様の婚約者のコンラッド王子殿下にも、クララ様はやたらとベタベタしているようですし。もっと礼節をわきまえていただけないものでしょうか」
「……貴女の気持ちはわかるわ」
私は苦々しい思いで溜息を吐いた。私も、ここが小説の世界だと知らなかったら、きっとクララ様に手厳しいことを言っていたのだろう。コンラッド王子殿下に私の運命を聞いていなければ、私は断罪される悪役令嬢まっしぐらだったはずだ。
私の顔立ちは、綺麗だとは言われるけれど、さらにきつく華やかになり、悪役令嬢にぴったりという雰囲気になっていた。その上、思ったことが口をついて出てしまうために、つい口調が厳しくなってしまう。
「それに、クララ様は王族か高位貴族の男子生徒しか治療しないそうですよ」
「ふうん、困ったものね」
(どうしたものかしら……)
私の友人まで困っているのに、このまま放っておくのも違うような気がする。
せめて、良い子ならコンラッド王子殿下との幸せを願えたかもしれないけれど、噂に聞く限りはそうではないらしい。
驚いたことに、別の友人たち数人からも似たような話を聞いたので、私はこっそりと様子を見に行くことにした。
***
「あら、お怪我をなさったのですね? すぐに治して差し上げます」
ある男子生徒がデレデレとクララ様に腕を差し出すのを、私は何とも言えない気持ちで眺めていた。
あんなに可愛い令嬢に治療をされて、鼻の下が伸びるのはわからなくもないけれど、明らかに距離が近い。
クララ様の笑顔も、男性向けに作った表情のような、鼻につく感じがした。
物陰から見ていると、彼の傷口にクララ様が手を翳して祈ると、するすると傷口が塞がっていった。奇跡を起こすという彼女の力は本物らしい。彼女の細い手首には、華奢な腕輪がきらきらと揺れて光っていた。
けれど、明らかに不要なボディタッチが多い。これでは、男子生徒に誤解されても仕方ないと思う。
治療が終わるのを待ってから、私はクララ様に近付いた。
「凄いわね、クララ様。……私もクララ様に傷を治してほしいのだけれど、お願いできるかしら?」
私は、さっき紙で切ってしまったばかりの指先を彼女に見せた。けれど、クララ様は困ったように私を見つめた。
「ごめんなさい。力を使ってしまったばかりなので、難しいです」
「そう、わかったわ」
しおらしく言う彼女を見て、私は大人しく引き下がった。男子学生しか治さないという噂は、どうやら本当のようだ。
ただ、一言だけ彼女に言っておくことにした。
「一つ忠告しておくわ。もし、親切心から怪我を治してくれているのだとしても、婚約者のいる男子学生に、あまり親密に接するのは考えものよ」
そこまで私が言った時、私の背後から突然、数人の友人が飛び出してきた。
「そうよ、私の婚約者に手を出さないで!」
「いくら特別な力があるからって、分をわきまえなさい」
「人のものを盗ろうとするなんて、泥棒と変わらないわよ!?」
クララ様が俯いて黙り込む。図らずも、彼女を大勢で取り囲むような形になってしまい、私は慌てた。
(困ったことになったわ……)
このままだと、私が中心となってクララ様を虐めているように見えてしまう。
そして、こんな時に限って、コンラッド王子殿下が近くを通りかかった。
「コンラッド様!!」
クララ様は甘い声を上げると、目を潤ませて彼の背中に隠れた。婚約者の私でも王子殿下呼びなのに、呼び方まで何だか馴れ馴れしい。
「私、ただ怪我人を治しただけなのに……アリス様とご友人に、私が悪いと責められてしまって」
「コンラッド様、これには訳が……!」
私は必死にコンラッド王子殿下を見つめたけれど、その表情は読めなかった。彼は一つ溜息を吐くと、私と話す代わりに、クララ様に向かって言った。
「行こう、クララ嬢」
「はい!」
目を輝かせたクララ様が、ぴたりと殿下の側に寄り添って去っていく。ちらりと私を振り返った彼女が勝ち誇った表情をしているのを見て、私は身体が震えるほど激怒した。
私の友人たちも、怒りを露わにしている。
「どういうつもりなのかしら、クララ様」
「アリス様の婚約者のコンラッド王子殿下にまで、あんなに厚かましいなんて」
「きっといつか罰が当たるわ」
気持ちを落ち着けるように深呼吸を繰り返してから、私は静かに言った。
「もういいわ、行きましょう」
気遣わしげな友人たちの視線を感じながら、私は教室に戻るために歩き出した。
(本当に、もういいわ)
私は心のどこかで、いつしかコンラッド王子殿下に対する気持ちを育ててしまったようだ。
もし小説の話を聞いていなければ、そのうちクララ様を本当に階段から突き落としてもおかしくはなかったかもしれない。
コンラッド王子殿下の足が、だんだん私から遠ざかっていることもわかっていた。
(そろそろ、婚約解消になりそうね)
私は小さく唇を噛んだ。
***
その数日後、私が教室で男子生徒と話していると、偶然コンラッド王子殿下が廊下を通りかかった。私たちの笑い声は、廊下にまで響いていたらしい。
「アリス」
彼はなぜか硬い顔をして、私と男子生徒の間に割り込んできた。
「お久し振りです、コンラッド王子殿下」
私は冷ややかな笑みを彼に向けた。最近、彼はクララ様の側にベッタリだと聞いている。
そうなることはわかっていたつもりだったけれど、あんなに感じの悪いクララ様が運命の令嬢だなんて、何だか納得がいかなかった。
「何かご用ですか?」
「用がなければ、婚約者に会いに来てはいけないのか?」
「そういう訳ではありませんが……」
私は彼に引き摺られるようにして廊下に出た。
「どうなさったのですか、コンラッド王子殿下?」
「あんなに近い距離で侯爵令息と話すなんて」
苦々しい顔で言った彼に、私はツンと言った。
「そのお言葉、クララ様と仲の良い殿下に、そっくりそのままお返しいたしますわ。もうすぐ婚約解消でしょうし、私だって今のうちに結婚相手を見付けないと……」
「駄目だ」
普段は穏やかなコンラッド王子殿下の鋭い瞳に、私は驚いていた。
「どうして、ですか?」
「今にわかる」
こんなに様子のおかしい殿下を見たのは、これまでで初めてだった。
(この前だって、私ではなく、クララ様の肩を持ったのは殿下なのに)
黙った私に背を向けると、彼はそのまま廊下を歩き去った。そんな彼の後ろ姿を、私はぼんやりと見つめていた。
***
クララ様は、コンラッド王子殿下との仲を堂々とひけらかしているらしい。婚約者である私がそんな彼女を野放しにしていることに、友人たちは困惑と同情の交ざった視線を向けた。
そんなある日、私はたまたま階段の踊り場でクララ様と出くわした。
「あら、アリス様」
クララ様はにこっと笑うと、私に近付いてきた。
「早くコンラッド様を解放してくださらない? 貴女がいると、邪魔なのよ」
ようやく本性を現したようで、私の耳元でそう囁いた彼女は、大きな悲鳴を上げた。
「きゃあああっ!!」
階段上で、ぐらりとクララ様の身体が傾いだ。
「クララ様っ!?」
私は咄嗟に彼女に向かって手を伸ばしたけれど、間に合わなかった。身体のバランスを崩して、私も彼女と一緒に階段下へと落ちていく。
『国外追放』の四文字が頭に浮かんだ私だったけれど、地面にぶつかる直前、私の身体は誰かの腕に抱き留められた。
「大丈夫か?」
私を抱き留めたのがコンラッド王子殿下だと気付いて、私の目には涙が滲んだ。
同時に、私はぼやけた視界のまま、急いで辺りを見回した。
「……クララ様は?」
「いったあい!」
私のすぐ側で、クララ様が階段下に横たわっていた。青ざめた私を、忌々しげにクララ様が睨み付ける。
「コンラッド様、ご覧になりましたでしょう? アリス様は私を階段から突き落として、その勢いで足を踏み外したのです!」
私が悪いうえに間抜けなように言われてムッとしたけれど、意外とクララ様は元気そうでほっとした。
「私は、貴女のことを突き落としてなんか……」
目に涙を溜めたクララ様は私を無視すると、上目遣いでコンラッド様を見上げた。
「それなのに、私ではなくてアリス様を抱き留めるなんて。いくら彼女が婚約者だからって、寂しいですわ……」
ぽろりと涙を零すクララ様は、その姿だけなら庇護欲をそそりそうな可愛らしさで、いかにも男子生徒の同情を誘いそうだった。周囲には、騒ぎを聞きつけた生徒たちが、何事かと集まり始めている。
コンラッド王子殿下は冷ややかにクララ様を見つめた。
「一番大切な女性を守るのは、当たり前だろう」
「えっ?」
目を丸く見開いた私の前で、クララ様は顔を真っ赤にしていた。
「なっ……! どうして……!?」
わなわなと震えている彼女に、コンラッド様は続けた。
「さっき君は階段から落ちたはずだな?」
「ええ、ご覧になった通りです」
「なら、なぜ君は無傷なんだ?」
そういえば、階段から落ちたはずなのに、それらしい衝撃音は聞こえなかったような気がする。
クララ様が、一気に顔色を失っていく。
「そ、そんなことはありません! 足が痛くて、動けなくて……」
「調べればすぐにわかるさ」
話が見えずに戸惑っていると、彼はそっと私を地面に下ろして、一歩クララ様に近付いた。そして、彼女の腕に嵌っている腕輪を外した。
「コンラッド様!? その腕輪を返してください!」
「それは僕のセリフだ」
冷静にそう言った彼は、腕輪を手にして続けた。
「これは王家に伝わる秘宝の一つ、回復と防御に優れた魔道具だ。この腕輪を使って、君はこれまで怪我を治し、今だって階段から落ちたのに無傷でいる。盗品リストに入っていて、長年にわたり王家が探していたものだ」
あたふたとクララ様が答える。
「わ、私はただ、露店でその腕輪を買っただけで……」
「そんなことを言うのだろうと思って、裏を取った。闇商人の回し者が、まさか僕に近付こうとするとはな」
集まった生徒たちは、事の次第に騒然としていた。
どこに控えさせていたのか、いつしか殿下の護衛がクララ様を連行していく。取り乱したクララ様は『私はヒロインなのに!』と叫んでいたけれど、もしかしたら彼女も転生者なのだろうか。
目の前の出来事に呆然とする私の耳元で、コンラッド王子殿下は優しく囁いた。
「さあ、行こうか」
「は、はい」
彼に手を引かれて、私は人だかりを後にした。
***
コンラッド王子殿下は、神妙な面持ちで私に頭を下げた。
「君には長いこと不快な思いをさせてしまって、すまなかった。クララ嬢の腕輪が盗品だとはすぐに気付いたが、裏を取るまでに時間がかかってしまった」
「そうだったのですね。……いったい、いつ気付いたのですか?」
「初めて彼女を見た時だ」
彼はぽつぽつと続けた。
「あれは一見すると何でもない腕輪に見えるが、魔力が込められた珍しい金属が使われている。書庫の本を読んで、あの腕輪が王家の秘宝の一つであることも、その後行方知れずになっていることも知っていたが、まさか彼女が持っているとは思わなかった」
俯いた殿下を見て、私の胸は痛んだ。運命の相手だと信じていた令嬢が、まさかの悪人だったなんて、殿下も信じたくはなかったはずだ。
「だが、小説の内容を思い出してみると、クララ嬢の特殊な力は腕輪に込められた力と同じだったから、彼女を疑った。……証拠が固まるまでは、力ずくで腕輪を取り返す訳にも、彼女を取り逃がす訳にもいかず、見張るために彼女の側にいたんだ」
「でも、殿下が前世で読んだ小説では、クララ様がヒロインだったのですよね……?」
「小説では、僕の目は節穴で、現実が見えていなかったのだろうな」
苦笑した彼は、そっと私の手を取った。
「君に出会って、わかったよ。すべてが小説の通りに進むのではなくて、いくらでも未来は変えられるということが」
真剣な瞳で彼に見つめられ、私の胸はドキンと高鳴った。
「クララ嬢と実際に会うまで、軽々しいことは言えなかったけれど、僕は前から君に心惹かれている」
「……私を愛するつもりはなかったのでは?」
「あの時は悪かった。だが、今では君を心から愛している。君がほかに結婚相手を探していると聞いて、僕は嫉妬で気が狂いそうだった。……君の気持ちを聞かせてもらっても?」
緊張が滲む、彼の誠実な青い瞳を見つめ返す。私の気持ちだって、抑えようと必死になっていただけで、とっくの昔に彼に向いている。
「私も好きです、コンラッド王子殿下」
微笑んだ私の前で、彼は驚くほど嬉しそうな、純粋な笑みを浮かべた。こんな子供のような表情まで、愛おしく感じるのだから不思議だ。
「これからもよろしくな、アリス」
「こちらこそ」
彼は私をぎゅっと抱き締めた。力強い彼の腕を感じながら、私もそっと彼を抱き締め返した。
クララ様にはすぐに退学処分が下されて、悪事に関わった闇商人たちと共にお縄を頂戴し、彼女の義両親となった男爵家も、闇商人との繋がりが判明して爵位を失うことになった。
結末が変わり、悪役令嬢になることを回避した小説の世界で、私は今日もコンラッド様の隣で幸せに生きている。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
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