第03話:砕けた大剣と紅蓮の戦士
ギルド専属の修繕屋になって二週間が経った。
仕事は順調だった。壊れた井戸蓋、ひび割れた石畳、歪んだ排水溝の蓋。町のインフラに関わる修理依頼が次から次へと舞い込み、シュウは毎日グレイヴンの町を駆け回っていた。
報酬もそこそこ安定している。ギルド専属ということで日当が保障され、個別の依頼報酬も上乗せされる。安宿から少しだけましな宿に移ることもできた。
冒険者ランクはGからFに上がった。修繕スキルのランクはEのまま。
「シュウさん、今日もお疲れ様です」
「お疲れ様です、ミラさん。今日の依頼は終わりました」
「早いですね……。あ、それとですね」
ミラが声を潜めた。
「今日、Aランクの冒険者パーティが帰還したんです」
「Aランク?」
「はい。赤翼の誓い、というパーティです。グレイヴンを拠点にしている中では最強のパーティで、普段は遠方の大型討伐依頼を受けているんですが……今回はかなりひどい状態で戻ってきたみたいで」
「ひどい状態?」
「詳しくはわかりません。ただ、メンバー全員が負傷していて、装備もぼろぼろだと」
シュウは気になったが、Aランクのパーティに声をかけるようなFランクの冒険者はいない。格が違いすぎる。自分は自分の仕事をするだけだ。
そう思って宿に戻ろうとしたとき、ギルドの扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、赤い髪の女だった。
長い赤髪を無造作にまとめ、額に血がこびりついている。革鎧は切り裂かれ、左腕を三角巾で吊っていた。しかし何より目を引いたのは、背中に背負った大剣だった。
真っ二つに折れている。
刀身の中央で断ち切られ、柄と刀身の半分だけが残された大剣。それを布で包み、背中に括りつけている。
「ミラ、報告書だ」
女がカウンターに紙束を叩きつけた。低く掠れた声。疲労が滲んでいるが、瞳の光は消えていない。
「お、おかえりなさいませ、ルナさん。お怪我の具合は……」
「全員生きてる。それだけで上出来だ」
ルナと呼ばれた女が、ちらりとシュウの方を見た。見知らぬ顔だと判断したのか、すぐに視線を外す。
「……鍛冶師のゲルドは今日いるか」
「はい、工房にいらっしゃるかと」
「この剣、直せるか聞いてくる」
ルナは背中の大剣を下ろし、布を解いた。
シュウの目が、反射的にその大剣に釘付けになった。
折れている。それは見ればわかる。しかし、この剣は――ただの剣じゃない。刀身に走る模様。柄に刻まれた紋章。鋼の質感。前世で数えきれないほどの家具を見てきたシュウの目が、この大剣が「一級品」であることを瞬時に見抜いた。
古い。百年は経っている。しかし手入れが行き届いていた。刃はこまめに研がれ、柄の革は何度も巻き直されている。持ち主がこの剣を大切にしてきたことが、触れなくてもわかった。
ルナが大剣を抱えてギルドを出ていく。シュウは少し迷ってから、ミラに聞いた。
「あの人が、赤翼の誓いのリーダー?」
「はい。紅蓮のルナ。Aランク冒険者です。あの大剣は……お父様の形見だと聞いています」
「形見」
「お父様も冒険者だったそうです。数年前に亡くなられて、あの大剣だけが遺品だと」
シュウは何も言わずにギルドを出た。
町の鍛冶通りは、金属を打つ音と炉の熱気で満ちていた。三軒ある鍛冶屋のうち、一番大きな工房の前にルナが立っているのが見えた。
工房の主人らしい大柄な男が、腕を組んで首を横に振っている。
「無理だ、ルナ。刀身が中央から完全に断裂している。しかもこの鋼はロスト・メタルだ。今の技術じゃ再精錬できん」
「ロスト・メタルだからこそ直してほしいんだ。金はいくらでも出す」
「金の問題じゃない。素材自体が現存しないんだよ。溶接するにも、同質の金属がなければ継ぎ目から折れる。鍛冶師として保証できない仕事は受けられん」
ルナの肩が落ちた。
ゲルドは町一番の鍛冶師だ。彼に無理と言われたら、この町には他に頼れる職人はいない。
「……ほかの町の鍛冶師を当たるか」
「やめとけ。王都の宮廷鍛冶師でも同じことを言うぞ。ロスト・メタルの再精錬は失われた技術だ」
ルナが大剣を布に包み直す。その手が微かに震えていた。
シュウは鍛冶通りの角に立って、そのやり取りを聞いていた。
修繕スキルで直せるだろうか。
荷車を直した。短剣を直した。門扉も井戸も窓枠も直した。しかし、ロスト・メタルとかいう失われた素材の大剣となると、話が違うかもしれない。
スキルランクはまだE。ギルド長の短剣は四十年前の状態に戻せたが、それは普通の鋼だった。特殊な素材にも修繕が効くのか、試したことがない。
でも。
あの手の震え。あの目の翳り。
前世で何度も見た。「この椅子は母の形見なんです」「このテーブルは結婚祝いにもらったものなんです」。直せないと言われて、最後に工房を訪ねてくる人たちの表情。
「…………」
シュウは深呼吸して、ルナに声をかけた。
「あの、すみません」
ルナが振り向く。鋭い目でシュウを見据えた。
「誰だ?」
「ギルドのFランク冒険者です。シュウと言います」
「Fランク? 用があるなら手短に」
「その大剣、直せるかもしれません」
ルナの目が変わった。警戒と、微かな期待。
「ゲルドに無理だと言われたのを聞いていたか」
「はい」
「で、Fランクのお前に直せると?」
「わかりません。試したことがないので。ただ、スキルで物を直すことはできます」
「スキルで? 何のスキルだ」
「修繕です」
ルナが眉をひそめた。
「修繕。聞いたことがないな」
「誰もが言います」
「……ふん」
ルナは少し考えてから、大剣を差し出した。
「言っておくが、親父の形見だ。直せもしないのにいじくり回して余計に壊したら、ただじゃおかない」
「わかっています」
シュウは両手で大剣を受け取った。
重い。片手では到底持てない。両手で抱えるようにして、折れた断面を観察する。
断面は鋭く、何か強大な力で叩き切られたようだ。刀身の模様は断面にも続いていて、結晶構造が複雑に入り組んでいる。ロスト・メタルというのが何なのかはわからないが、確かにこれは普通の鋼ではない。
シュウは折れた大剣を地面に置き、もう半分の刀身を断面に合わせた。ぴたりと合う。
両手を刀身の上に置く。目を閉じた。
修繕。
スキルを発動する。
指先に熱が宿る。これまでの修繕とは明らかに違う手応えだった。荷車や短剣のときは水が流れるように自然にスキルが通ったが、今回は抵抗がある。硬い壁を押し通すような、力のいる感覚。
ロスト・メタル。失われた素材。修繕スキルでさえ、簡単には通らないほどの頑強さ。
しかし、通らないわけではなかった。
シュウは歯を食いしばり、スキルに意識を集中させた。額に汗が浮かぶ。腕が震える。前世で、どうしても抜けない釘と格闘した夜のことを思い出した。あのとき――力ではなく、角度と呼吸を変えて、釘の方から抜けてくるのを待った。
力任せではない。壊れたものに寄り添い、元の形を思い出させる。修繕とは、そういうものだ。
光が強くなった。
断面から光の筋が走り、二つに分かれた刀身がゆっくりと、ゆっくりと接合していく。金属の結晶構造が再構成される微かな音が耳に届く。キン、キン、と。繊細な、鉄琴のような音。
十秒。二十秒。三十秒。
光が収まった。
シュウの手の中にあったのは、完全に修復された大剣だった。
継ぎ目はない。断面があった場所を指で撫でても、わずかな凹凸すら感じない。刀身の模様は途切れることなく、柄から切先まで一本の線として流れている。
それだけではなかった。
刀身が微かに光を帯びている。淡い、月光のような青白い輝き。元の状態ではなかったはずの光だ。
「……直った」
シュウは呟いてから、ルナに大剣を差し出した。
ルナは無言で大剣を受け取った。
右手で柄を握り、構える。左腕は三角巾で吊ったまま、片手で。
大剣が空を斬った。風が鳴った。
ルナの目が大きく見開かれた。
「……嘘だろ」
「何か問題が?」
「問題じゃない。こいつ……以前より軽い。切れ味も全然違う。親父が使ってた全盛期の頃の――いや、それ以上だ」
ルナが刀身を見つめた。月光のような輝きが、彼女の赤い髪を照らしている。
「お前、何をした」
「修繕です。壊れたものを元に戻しただけです」
「元に戻したんじゃない。元以上になってるぞこれ」
「それは……よくわかりません。スキルにお任せしたので」
ルナがシュウを見た。さっきまでの警戒は消えていた。代わりに、困惑と驚嘆が入り混じった表情。
「……あんた、何者だ」
「ただの修繕屋です」
「ただの修繕屋がロスト・メタルの大剣を直せるわけないだろ」
「でも直しましたよ」
ルナが黙った。大剣を鞘に収め、深く息を吐く。
「……いくらだ」
「え?」
「修理代だ。いくら払えばいい」
シュウは考えた。ロスト・メタルの大剣の修理。鍛冶師に断られるレベルの仕事だ。相場なんてない。
「銀貨一枚で」
「安すぎるだろ!」
「ギルドの修理依頼の相場がそのくらいなので」
「あのな……これ、宮廷鍛冶師に頼んだら金貨数枚は取られる仕事だぞ。直せないと言われたけど」
「でも直すのに一分もかかってないですし」
ルナが額を押さえた。
「……わかった。銀貨一枚でいい。ただし、借りは返す。紅蓮のルナは借りを作ったまま放っておく女じゃない」
「そう言っていただけるなら。ありがとうございます」
シュウが頭を下げると、ルナが居心地悪そうに視線をそらした。
「礼を言うのはこっちだ。……ありがとう。親父の剣が戻ってきた」
その声は、さっきまでの武闘派の女戦士のものとは違っていた。父を亡くした一人の娘の声だった。
シュウは何も言わなかった。前世でもこういう瞬間があった。形見の家具を直したとき、依頼主が涙をこぼす瞬間。言葉はいらない。直したものが語ってくれる。
* * *
翌日。
ギルドで朝食を取っていると、ルナが隣に座ってきた。
「よお」
「おはようございます」
「昨日は世話になった。メンバーに話したら全員驚いてたぞ。装備も見てもらえないかって話になった」
「装備ですか」
「ああ。今回の遠征でうちのパーティの装備がほぼ全滅でな。鎧も盾も弓も。鍛冶師に出すと時間も金もかかる」
「見るだけなら、いつでも」
「助かる。あと、ひとつ聞きたい」
ルナがシュウの顔をじっと見た。
「あんた、今後どうするつもりだ」
「どうするって?」
「このままFランクでちまちま修理依頼をこなすのか? それとも、もっと上を目指すのか」
「上って、戦闘しないと上がれないんじゃないですか」
「普通はな。でもあんたのスキルは普通じゃない。実力があるのにランクが追いついていない。ギルド長もそう思ってるはずだ」
シュウは箸を置いた。
「正直、ランクにはこだわりがないんです。直す仕事があれば、それでいい」
「……ふうん」
ルナが椅子の背にもたれ、腕を組んだ。
「あんたみたいなやつ、たまにいるんだよな。すごい力を持ってるのに、野心がない。使い方がもったいないっていつも思う」
「もったいないですか」
「ああ。でも、嫌いじゃない」
ルナが立ち上がった。
「あんたに提案がある。うちのパーティ、赤翼の誓いの準メンバーにならないか」
「準メンバー?」
「正式メンバーじゃなく、サポート枠だ。遠征には同行しなくていい。町にいるときに装備のメンテナンスをやってくれれば。もちろん報酬は出す」
「……それは、ありがたい話ですけど」
「けど?」
「Aランクパーティに、Fランクの修繕屋が混ざっていいんですか」
ルナが鼻で笑った。
「ランクなんて飾りだ。腕が確かならそれでいい。昨日のあの大剣を直した腕を見て、文句を言うやつはうちにはいない」
シュウは少し考えた。
悪い話ではない。安定した仕事が増えるし、Aランクパーティとの繋がりは冒険者としての安全網にもなる。何より、あの大剣のような「直しがいのあるもの」に出会える機会が増えるかもしれない。
「わかりました。よろしくお願いします」
「おう。今日の午後、うちのメンバーを紹介する。ギルドの裏の訓練場に来い」
ルナが片手を上げて去っていく。その背中には、昨日修繕した大剣が背負われていた。月光のような淡い輝きが、ギルドの薄暗い照明の中でも見えた。
午後。訓練場。
赤翼の誓いのメンバーは、ルナを含めて四人だった。
「紹介する。修繕屋のシュウだ。昨日、あたしの大剣を直してくれた。今日からうちの準メンバーだ」
三人の冒険者がシュウを見た。
一人目は筋骨隆々の大男。両手に巨大なガントレットを嵌めている。
「鉄拳のガルド。前衛の格闘士だ。よろしくな、修繕屋」
がっしりとした手で握手を求められた。握り返すと、骨が軋みそうな握力だった。
二人目は細身の青年。長い弓を背負い、フードを目深に被っている。
「……隼のレイ。弓使い」
必要最小限の自己紹介だった。目だけがフードの中から鋭くシュウを観察している。
三人目は小柄な女性。ローブを纏い、手に杖を持っている。
「あたしは花詠のセラ。回復魔法使い! シュウさん、ルナの大剣を直してくれたんだってね。すごーい!」
セラだけが人懐っこい笑顔を向けてくれた。
「よろしくお願いします」
シュウが頭を下げると、ルナが背中を叩いた。
「堅いな。もっと楽にしろ」
「初対面ですから」
「初対面だろうが何だろうが、同じ飯を食えば仲間だ。さて、早速だが装備を見てもらおう。今回の遠征でどいつもこいつもぼろぼろだからな」
四人が装備を並べた。
ガルドのガントレット。金属製の拳甲帯で、関節部分の蝶番が数カ所折れている。指を動かすたびにギシギシと嫌な音がする。
レイの弓。弦は張り替え済みだが、弓幹に亀裂が入っている。無理に引けば折れるだろう。
セラの杖。先端に嵌め込まれた魔石が割れかけている。杖本体にも焦げ跡と欠損がある。
「全部直せますか?」
「やってみます」
シュウはまずガルドのガントレットに手を置いた。修繕。淡い光が金属を包む。折れた蝶番が元に戻り、歪んだ関節部が滑らかに動くようになった。
「おお……!」
ガルドが拳を開いたり閉じたりする。
「すげえ、買ったときよりスムーズだ。いやマジで。新品のときでもこんなにヌルヌル動かなかったぞ」
次にレイの弓。修繕で亀裂が消え、弓幹が元の弾力を取り戻す。レイが無言で弦を引き、的に向かって矢を放った。的の中心を正確に貫く。
「…………悪くない」
レイがぼそりと呟いた。高い評価だとルナが笑った。
最後にセラの杖。割れかけた魔石が修繕で完全体に戻り、杖全体の焦げ跡や欠損も消えた。
「きゃー! 新品同然! いやそれ以上! 魔力の通りがすっごくいい!」
セラが杖を振ると、先端の魔石が輝いて花びらの形をした光が宙に散った。
「修繕すると、元より良くなるのか?」
ルナが腕を組んで聞いた。
「たぶんですけど、修繕は物を『本来あるべき最良の状態』に戻すスキルなのかもしれません。使い込んで劣化した部分や、製造時の微細な歪みまで修正されるんだと思います」
「……それ、とんでもないスキルじゃないか」
「Eランクですけどね」
「Eランクの定義がおかしいんだよ」
四人の装備を修繕するのに、合計で五分もかからなかった。しかし大剣のときほどではないにせよ、少し疲労感がある。連続で使いすぎると負荷がかかるようだ。
「シュウ、体は大丈夫か」
「はい。少し疲れましたけど、休めば治ります」
「無理はするなよ。あんたが倒れたら装備メンテナンスする人間がいなくなる」
ルナが真顔で言った。冗談なのか本気なのかわからない。
「……すみません、ひとついいですか」
シュウがおずおずと切り出した。
「なんだ」
「ガルドさんのガントレットなんですけど、右手の親指の関節の角度が微妙にずれてます。修繕では直せなかったんですが、鍛冶師に持っていけば調整してもらえると思います」
「え、マジか。道理で右ストレートの感触が違うと思った」
「それと、レイさんの弓幹は修繕しましたが、元の素材自体が弓に向いていない木材のような気がします。もっとしなりのある木材で作り直したほうが、本来の性能が出るかと」
「…………詳しいな」
レイが初めて表情を変えた。微かな驚き。
「前世で木工をやっていたので、木の素材については少しわかります」
「前世って、あんた転生者なのか」
「はい」
四人が顔を見合わせた。転生者。この世界でもそれなりに知られた存在のようだ。
「どうりで聞いたことないスキルを持ってるわけだ」
ルナが腕を組んだ。
「いい腕だ、修繕屋。装備のメンテナンスだけじゃなく、状態の診断までできるとはな。あんた、単なる修理工じゃない。職人だ」
「……ありがとうございます」
シュウは頭を下ろした。
職人。その言葉が、前世のすべてを肯定されたような気がして、少しだけ目頭が熱くなった。
修繕のランクはEだ。冒険者ランクもFだ。戦えないし、魔法も使えない。
でも。
直すことならできる。壊れたものを元に戻し、本来の形を思い出させることならできる。
それが誰かの役に立つなら、この地味なスキルも悪くない。
赤翼の誓いの訓練場に夕日が差し込む。四人の冒険者と一人の修繕屋が、並んで夕焼けを眺めていた。
「明日から頼むぞ、修繕屋」
「はい。よろしくお願いします」
シュウは笑った。
前世では一人きりの工房だった。壊れた家具と、請求書と、冷めたコーヒー。
異世界では仲間ができた。壊れた武器と、冒険者たちと、まだ飲んだことのないエール。
悪くない。全然、悪くない。




