第2話:Eランクの修繕屋
冒険者になって三日が経った。
シュウは安宿の硬いベッドの上で目を覚まし、窓から差し込む朝日に目を細めた。異世界の朝は早い。日の出とともに露店が開き、街路に人が溢れ始める。
宿代は一泊銅貨二枚。初日の報酬が銅貨十枚だったから、五泊ぶんだ。食事は別。ギルドの食堂で一食銅貨一枚の定食を頼めば、固いパンと薄いスープがついてくる。前世のコンビニ弁当に比べれば味気ないが、まあ食べられないわけではない。
問題は、修理依頼がそう頻繁にはないということだった。
初日の荷車修理のあと、翌日は壊れた看板の修理。三日目の今日は、まだ依頼を見ていない。
「おはようございます」
ギルドに入ると、顔見知りになった受付嬢のミラがにこやかに迎えてくれた。
「おはようございます、シュウさん。今日も修理依頼を探しに?」
「はい。何かありますか?」
「ちょっと待ってくださいね……」
ミラが掲示板を確認する。Gランクの欄は相変わらず寂しい。薬草採取、下水道清掃、荷物運び。修理の文字はなかった。
「すみません、今日は修理系がなくて。薬草採取はいかがですか?」
「薬草……見分けがつくかな」
「採取ポイントの地図と見本はお渡しできます。ただ、森の外周部でも低ランクの魔物が出ることがありますので、戦闘手段がないとなると……」
ミラが気まずそうに言葉を切った。
戦闘手段がない。それがシュウの最大の弱点だった。修繕スキルは攻撃に使えない。防御にも使えない。文字通り「壊れたものを直す」だけだ。
「スライムくらいなら棒で叩けば何とかなりませんか」
「何とかなるかもしれませんが、おすすめはしません……」
シュウは苦笑した。
冒険者ギルドのシステムは単純だ。依頼をこなしてポイントを貯め、ランクを上げる。ランクが上がれば報酬の高い依頼を受けられる。戦闘系のスキルを持つ冒険者なら、魔物討伐で一気にランクを上げられるが、シュウにその道はない。
修理依頼だけでランクを上げるとなると、途方もない時間がかかる。
「しゃあないか。薬草採取、受けます」
「はい、お気をつけて」
町の北門を出ると、なだらかな丘陵の向こうに森が広がっていた。
青白い葉を持つ木々が風に揺れている。前世で見たことのない植物ばかりだ。木の幹が紫がかっていたり、地面から光る苔が生えていたり。異世界の森は、前世の感覚では測れない。
ミラからもらった地図を頼りに、森の外周部を歩く。目当ての薬草は「ヒールリーフ」と呼ばれる、青い葉に白い筋が入った植物だ。
「これ……かな」
木の根元に生えている草を見つけて、見本の絵と見比べる。たぶん合っている。茎を折って採取袋に入れた。
しばらく歩き回って、十本ほどのヒールリーフを集めた。依頼の最低数量は二十本。もう少し奥に行く必要がある。
森の奥に足を踏み入れたとき、異変に気づいた。
木の幹に大きな傷がついている。爪で引っ掻いたような、三本線の傷痕。地面にも何かが暴れた跡がある。草が薙ぎ倒され、土がえぐれている。
魔物の痕跡だ。
「……帰ったほうがいいな」
シュウが踵を返そうとしたとき、背後の草むらがガサリと揺れた。
振り向く。
緑色の体表。赤い目。人の腰ほどの高さの、ずんぐりとした体型。手には錆びた短剣を握っている。
ゴブリンだ。
それも一匹ではなかった。左右の草むらからもう二匹、合計三匹がシュウを囲むように現れた。
「…………」
シュウは冷静に状況を把握した。戦闘スキルなし。武器なし。逃げ道は後方だが、ゴブリンの足は速いと聞く。
三匹のゴブリンがじりじりと距離を詰めてくる。赤い目がシュウを値踏みするように見ている。
そのとき、先頭のゴブリンが掲げた短剣に目がいった。
錆びている。それも、かなりひどく。
刃はボロボロで、切れ味なんてあったものではない。柄の革も朽ちかけている。こんな状態で使い続けたら、振り下ろした瞬間に刀身が折れるんじゃないか。
職人の目が、無意識にそう判断した。
「……あんたらの武器、ひどい状態だな」
ゴブリンたちが微かに動きを止めた。言葉が通じているのかはわからない。
シュウは両手を広げて見せた。敵意がないことを示すつもりだった。
「戦う気はないよ。そっちもそのナマクラじゃ大した攻撃できないだろ」
ゴブリンたちが顔を見合わせる。唸り声を上げているが、襲いかかってはこない。
この場を切り抜ける方法を考える。走って逃げるか。いや、三匹に囲まれている状態では難しい。
そのとき、森の奥から咆哮が響いた。
木々が揺れる。地面が震える。何か大きなものが近づいてくる。
ゴブリンたちの態度が一変した。赤い目が恐怖に見開かれ、シュウのことなど忘れたように森の奥を見つめている。
木々の間から姿を現したのは、巨大な猪だった。前世の猪とは比べものにならない大きさで、肩の高さだけで二メートルはある。牙は鉄のように黒光りし、体表には岩のような甲殻が部分的に生えている。
ゴブリンたちが金切り声を上げて逃げ出した。シュウも本能的に走った。
猪が突進してくる。地面が割れるような轟音。木が一本、根元からへし折れた。
走る。全力で走る。前世の自分なら百メートルも走れなかっただろうが、若返った体は思った以上に動いた。
しかし猪は速い。背後から迫る地響きが大きくなる。
前方に倒木があった。大きな木が斜めに倒れて道を塞いでいる。その下を潜り抜ければ、猪の巨体は通れないかもしれない。
シュウは倒木の下に飛び込んだ。地面を転がり、反対側に出る。
猪が倒木に突っ込んだ。衝撃で倒木が跳ね上がり、破片が飛び散る。しかし猪は一瞬止まった。甲殻の隙間に木の枝が刺さっている。
その隙にシュウは走った。森の外周部に向かって、がむしゃらに。
どれくらい走っただろう。気がつくと森の縁に出ていた。振り返っても猪の気配はない。縄張りから出た時点で追跡をやめたらしい。
「はあっ……はあっ……」
膝に手をついて息を整える。心臓がばくばくしている。冷汗が背中を伝う。
死ぬかと思った。転生して三日で二度死にかけるところだった。
「……戦闘スキル、やっぱり欲しいなこれ」
呟いてから、首を振った。ないものはない。修繕でやっていくしかない。
薬草は――採取袋を確認すると、走っている間にいくつか落としていた。残っているのは十二本。最低数量の二十本には足りない。
森に戻る気にはなれず、シュウは町に引き返した。
ギルドに戻ると、冒険者たちが掲示板の前で騒いでいた。
「おい見ろよ、修理依頼が出てるぞ」
「報酬銅貨三枚? 割に合わねえな」
「でも依頼主が気前いいらしいぜ。追加報酬があるかも」
シュウが掲示板を覗くと、新しい修理依頼が三枚貼られていた。
壊れた井戸の滑車の修理。銅貨三枚。
割れた窓枠の修理。銅貨二枚。
歪んだ門扉の修理。銅貨五枚。
どれも戦闘系の冒険者が見向きもしない地味な依頼だ。しかしシュウには、これこそが戦場だった。
「三枚とも受けます」
「ええっ、全部ですか?」
ミラが驚いた顔をする。
「直すだけなら、半日で回れると思います」
「それは……まあ、規則上は同時受注三件まで許可されていますから、大丈夫ですけど」
シュウは三枚の依頼書を受け取り、町を巡った。
最初は井戸の滑車。ロープが巻かれた木製の滑車が、軸受け部分で割れて空回りしている。修繕スキルで触れると、五秒ほどで完全復旧。依頼主のおばあさんが拝むように感謝してくれた。
次は窓枠。建物の二階の窓枠が経年劣化で割れ、隙間風が吹き込んでいる。これも修繕で一発。木材が新品同然に蘇り、隙間がぴたりと塞がった。依頼主の商人が「ついでに隣の窓もお願いできないか」と追加報酬つきで頼んできた。断る理由はない。
最後は門扉。立派な屋敷の鉄製の門扉が、蝶番の歪みで開閉できなくなっている。鍛冶師案件だが、修繕スキルなら金属も対象だった。手を触れると、歪んだ蝶番がゆっくりと正しい形に戻り、門が滑らかに動くようになった。
屋敷の主人は恰幅のいい貴族風の男で、修繕の瞬間を目の前で見て目を丸くした。
「魔法か?」
「スキルです。修繕という」
「修繕……聞いたことがないな。便利なものだ。うちには古い家具がいくつもあるのだが、今度見てもらえないか?」
「喜んで」
こうして、三件の依頼を午前中で片付けた。報酬は合計銅貨十枚に、追加の依頼ぶんを合わせて銅貨十五枚。初日と合わせれば銅貨三十五枚。銀貨に換算すると三枚半だ。
ギルドに戻って報告すると、ミラが苦笑しながらポイントを加算してくれた。
「シュウさん、このペースだと意外と早くGランクからFランクに上がれるかもしれませんね」
「依頼があればの話ですけどね」
「それなんですが……実は今日、シュウさんの噂を聞いて問い合わせが来ているんです。一瞬で修理ができる冒険者がいるって」
「噂?」
「マルクス商会のマルクスさんと、さっきの井戸のおばあさんと、門扉のお屋敷の方と。三人とも別々に『あの修繕屋を紹介してくれ』とギルドに来たんです」
口コミというやつか。前世の工房でも、看板を見て来る客より、知り合いの紹介で来る客のほうが多かった。直す仕事は信用商売だ。
「ありがたいですね。依頼があればいくらでも受けますので」
「はい。それと……」
ミラが少し声を落とした。
「修繕スキルについて、ギルド長が興味を持っています。お時間があるときに、一度お話を聞きたいと」
「ギルド長?」
「はい。グレイヴン支部のギルド長、バルドルさんです。怖い人ではないので安心してください」
シュウはうなずいた。目立つつもりはなかったが、修繕を一瞬でやるのを見られれば、そりゃあ興味を持たれるか。
その日の午後、ギルドの二階にあるギルド長室を訪ねた。
ノックして入ると、重厚な木の机の向こうに大男が座っていた。禿頭に顎髭。腕は丸太のように太く、元冒険者であることが一目でわかる。
「座れ」
バルドルが無造作に椅子を示した。シュウは向かいに腰を下ろす。
「お前がシュウか。修繕のスキル持ちだと聞いた」
「はい」
「見せてもらっていいか」
バルドルが机の引き出しから古びた短剣を取り出した。刃は欠け、柄の革は剥がれかけている。
「こいつは俺が現役の頃に使っていた短剣だ。もう四十年前になる。さすがにぼろぼろでな、鍛冶師にも匙を投げられた」
シュウは短剣を受け取り、状態を確認した。刃の欠けは深い。柄の芯にまで腐食が進んでいる。前世の感覚でいえば、修理不可能に近い。
しかし修繕スキルに「修理不可能」はあるのだろうか。
右手で短剣を包み、修繕を発動した。
光が短剣を包む。欠けた刃が伸び、腐食した金属が本来の輝きを取り戻し、剥がれた革が柄にぴたりと張りつく。
数秒後、シュウの手の中にあったのは、新品のように美しい短剣だった。
バルドルが短剣を受け取り、刃を指で弾いた。澄んだ金属音が響く。
「…………四十年前の切れ味に戻ってやがる」
バルドルが太い眉を寄せた。驚きと、わずかな警戒が入り混じった表情。
「お前、これをどういう理屈でやっている」
「理屈と言われても……スキルで、壊れたものを直しているだけです」
「物体の時間を巻き戻しているのか? それとも構造を再構成しているのか?」
「わかりません。ただ『直せ』と念じると、直ります」
バルドルがしばらく黙った。
「……修繕というスキルは、俺の三十年のギルド長経験で初めて見る。文献にも記録がない。お前、転生者だな?」
「はい」
「転生特典か」
「そうだと思います。寝てる間に勝手に選ばれたんで、よくわかりませんが」
「寝てる間に?」
「長い話です」
バルドルが鼻を鳴らした。呆れたのか、面白がっているのか。
「いいだろう。直す系のスキル持ちは貴重だ。戦えなくても、需要はある。うちのギルドで働け」
「もう冒険者登録してますけど」
「ギルド専属という意味だ。町の公共設備の修繕依頼を優先的に回す。報酬も上乗せする。代わりに、困った時にはギルドの仕事を最優先してもらう。どうだ」
悪い話ではなかった。安定した収入と、修理の依頼が途切れない環境。前世の不安定な個人工房と比べれば、ずっと恵まれている。
「わかりました。お願いします」
「よし。それとひとつ忠告だ」
バルドルが真剣な目でシュウを見た。
「お前のスキルは、直すだけに見えて異質だ。四十年前の切れ味を取り戻す修繕なんて、普通はありえん。金属の再精錬と革の張り替えを同時にやるような芸当、どんな一流の鍛冶師にもできん」
「はあ」
「つまり、お前の修繕は常識の範囲を超えている。それを知られれば、利用しようとする輩が現れる。気をつけろ」
「……肝に銘じます」
シュウはギルド長室を出て、階下に戻った。
利用しようとする輩。前世では考えたこともなかった。椅子を直すだけの小さな工房に、そんな危険はなかった。
でも、ここは異世界だ。
修繕が「常識を超えている」と言われた。Eランクの、一番地味なスキルが。
「……まあ、考えても仕方ないか」
シュウは掲示板に向かい、新しい修理依頼を探した。
門扉の屋敷から追加依頼が来ている。古い家具の修繕。報酬は銀貨一枚。
「直せるなら、直しますよ」
前世から変わらないその言葉を呟いて、シュウは依頼書を手に取った。
冒険者ランクG。スキルランクE。
肩書きは底辺だが、腕の確かさだけは誰にも負けない。
修繕屋シュウの噂は、少しずつ、しかし確実にグレイヴンの町に広がり始めていた。




