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転生特典を選ぶ時に寝落ちしていたら、神様が気を遣って一番地味なスキルをくれました。結果オーライです  作者: なは


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第1話:神様の前で寝落ちしました

 目の前にある椅子の脚は、見事にひび割れていた。


 木目に沿って走る亀裂。接合部の緩み。座面の歪み。どれも年季の入った家具にはありがちな症状で、けれど持ち主にとっては「おばあちゃんの形見」なのだという。


 ひいらぎ修一しゅういちは作業台の上に椅子を横たえ、亀裂にそっと指を這わせた。


「ここと、ここ。それからこの接合部。全部直せますよ」


 依頼主の老婦人が、ほっとした顔で胸を撫で下ろす。


「本当ですか。大手の家具屋さんには買い替えたほうが早いって言われて」


「買い替えたほうが早いのは確かです。でも、この椅子がいいんでしょう?」


 老婦人がうなずく。修一は笑って、工具箱から鉋を取り出した。


 東京の片隅にある小さな家具修理工房。看板は出しているが、通りからは見えにくい場所にある。大手のリフォーム業者に客を取られ、売上はじり貧。それでも、こうして「この家具を直してほしい」と訪ねてくる人がいる限り、修一はこの仕事を続けるつもりだった。


 ――つもり、だった。



 異変が起きたのは、その日の夜だった。


 時刻は午前二時を回っていた。工房の奥にある六畳の居住スペースで、修一はまだ作業を続けていた。椅子の修理は午前中に終わっていたが、そのあとに別の依頼が二件。さらに経理の帳簿付けと、来月の家賃の計算。


 目がかすむ。指先の感覚が鈍い。コーヒーはとっくに冷めている。


「……あと、これだけ」


 そう言い聞かせて、手元の木材にサンドペーパーをかける。引き出しの取っ手の交換。簡単な作業のはずなのに、腕が重い。


 心臓がどくん、と大きく跳ねた。


 一瞬だけ視界が白くなって、それから胸の奥が締めつけられるような痛みが走った。


「――っ」


 サンドペーパーを取り落とす。椅子から崩れ落ちるように床に倒れた。


 冷たいフローリングの感触が頬に触れる。天井の蛍光灯がぼんやり光っている。息ができない。胸が痛い。手が震える。


 携帯に手を伸ばそうとして、けれど指が動かなかった。


 ああ、これは。


 修一は薄れていく意識の中で、ぼんやりと理解した。


 死ぬのか、と。


 最後に思ったのは、明日届く予定の修理依頼の椅子のことだった。あれ、誰が直すんだろう。


 そんなことを考えながら、意識が途切れた。



     * * *



 白い。


 それが最初の感想だった。


 見渡す限りの白。天井も壁も床も、あるのかないのかわからない。光があるようで影がなく、広いようで狭い。不思議な空間だった。


「あの、すみません」


 声がした。


 振り向くと、一人の青年が立っていた。いや、青年と言っていいのかわからない。人の形をしているが、輪郭がぼんやりと光を帯びていて、髪の色も瞳の色も淡く溶けるように白い。唯一はっきりしているのは、申し訳なさそうな表情だけだった。


「えっと、あなたが……ひいらぎ修一しゅういちさん、ですよね」


「はい」


 修一は自分の体を見下ろした。作業着のままだ。サンドペーパーの粉が袖についている。


「ここは……病院ですか」


「いえ、違います。ここは……その、なんと言えばいいか」


 青年がもじもじしている。修一は首を傾げた。


「あの、単刀直入に言いますね。柊修一さん、あなたは先ほど亡くなりました」


「…………はい?」


「心臓発作です。過労による心不全と診断されまして。それで、こちらに来ていただいたわけなのですが」


 修一は数秒かけてその言葉を咀嚼した。死んだ。自分が。心臓発作で。


 不思議と、動揺は少なかった。あの胸の痛みを思い出せば、そういうことかと納得できる。


「あなたは?」


「申し遅れました。わたくし、天恵神てんけいしんルフォスと申します。転生特典の配布を担当しております」


「転生」


「はい。柊さんには異世界への転生の資格がございます。つきましては、転生先で使えるスキルをひとつ、特典としてお選びいただけるのですが」


 ルフォスが手を振ると、空中に光の板が浮かび上がった。ずらりとスキルの名前が並んでいる。


 聖剣召喚。全属性魔法。身体強化。瞬間移動。時間操作。不死。


 どれも派手で、いかにも強そうな名前が並んでいた。


「この中からお好きなものをひとつお選びください。なんでしたら、詳しい説明もいたしますので――」


 ルフォスが説明を始める。丁寧な口調で、ひとつひとつの能力を解説している。


 修一は、その声を聞きながら、ゆっくりとまぶたが重くなっていくのを感じていた。


 白い空間は暖かかった。痛みもないし、疲れもない――いや、疲れはある。前世から持ち越した、骨の髄まで染み込んだような疲労。休んでいいと言われたのは何年ぶりだろう。


「――で、瞬間移動は移動距離に制限がありまして、初期段階では半径五十メートルほど。レベルが上がると……柊さん? 柊さーん?」


 修一の頭がゆっくりと傾いた。立ったまま、目を閉じている。


「あっ……寝て、ますね。寝てます」


 ルフォスが慌てた。


「柊さん、起きてください。スキルを選んでいただかないと転生の手続きが……柊さん?」


 返事はない。規則正しい寝息だけが白い空間に響いている。


 ルフォスは途方に暮れた。


 転生者が神の前で寝落ちしたのは、彼の担当になって以来初めてのことだった。いや、おそらく転生制度が始まって以来、前例がないのではないか。


「ど、どうしよう……」


 ルフォスは光の板を見つめた。スキルの一覧がずらりと並んでいる。


 起こすべきだ。それはわかっている。しかし、この人間の顔を見ると――過労で亡くなった人間の、やっと安らかに眠っている顔を見ると、起こすのは忍びなかった。


「こんなに疲れて……よっぽどだったんだ」


 ルフォスは小さくため息をついて、スキル一覧をスクロールした。


 派手なスキルは目立つ。目立つということは、トラブルに巻き込まれるということだ。聖剣召喚なんて選べば、初日から勇者扱いされて魔王討伐に駆り出される。全属性魔法なら、どこかの国に兵器として利用される可能性がある。


 この人は、穏やかに暮らしたかったのではないか。


 ルフォスはそう考えた。過労で死ぬほど働いた人に、また忙しい人生を押しつけるのは酷だ。


 スキル一覧の一番下。他のスキルに埋もれるようにして、小さな文字で書かれたスキルがあった。


 修繕。


 壊れたものを直す。それだけ。攻撃力なし。防御力なし。派手さ、皆無。


 ルフォスの知る限り、このスキルを選んだ転生者は一人もいなかった。当然だ。異世界に行くのに「物を直す」だけのスキルを選ぶ人間はいない。


「これなら……目立たないし、危険も少ないし」


 ルフォスは光の板で「修繕」をそっとタップした。


 柊修一のスキルが確定した。


「すみません、勝手に選んでしまって……でも、穏やかに暮らせますように」


 ルフォスが小さく頭を下げる。その瞬間、修一の体がゆっくりと光に包まれ、白い空間から消えていった。


 寝息を立てたまま。



     * * *



 草の匂いがした。


 柔らかくて、青くて、土の湿り気を含んだ匂い。工房のフローリングとは全然違う感触が頬に触れている。


 修一はゆっくりと目を開けた。


 青い空。白い雲。どこまでも続く草原。風がさわさわと草を揺らしている。


「…………ここ、どこだ」


 体を起こす。作業着のままだ。サンドペーパーの粉もまだ袖についている。


 心臓の痛みはなかった。というより、体が軽い。二十代前半くらいの感覚が蘇っている。


 ああ、そうか。死んだんだった。神様がどうとか、転生がどうとか言っていた気がする。途中で寝てしまったけれど。


 右手を開く。すると脳裏に薄い光の文字が浮かんだ。ステータスというやつだろうか。


 名前:シュウ

 種族:人間

 レベル:1

 スキル:修繕(ランクE)


 それだけだった。


「修繕……?」


 首を傾げる。修繕。壊れたものを直す。それは前世でもやっていたことだ。


 ほかのスキルは? 魔法とか、剣技とか、そういうのは?


 ない。修繕だけ。ランクE。最低ランクだ。


「まあ……」


 修一――いや、シュウは立ち上がって、草原を見渡した。


 右手の方角に、煙が見える。町か村があるのだろう。


「直せるなら、直しますよ」


 誰に言うでもなく呟いて、シュウは歩き出した。



 辺境の町グレイヴンは、城壁に囲まれた小さな町だった。


 石造りの建物が並び、メインストリートには露店が軒を連ねている。人々の服装は中世ヨーロッパ風で、時折、獣の耳や尻尾を持つ亜人の姿も見える。やはり異世界だ。


 シュウは町の入り口で衛兵に止められた。


「見慣れない顔だな。旅人か?」


「はい。遠くから来ました」


「身分証は?」


「持っていません」


「なら冒険者ギルドで身分登録しろ。通りをまっすぐ行って、右に曲がった先だ」


 衛兵に教えられた通りに歩く。異世界の町並みは新鮮だったが、不思議と浮足立つような感覚はなかった。まるで知らない町に引っ越してきたときのような、淡い不安と小さな好奇心。それくらいのものだ。


 冒険者ギルドは、思ったより立派な建物だった。石造りの二階建てで、入り口の上に剣と盾を交差させたエンブレムが掲げてある。


 中に入ると、革鎧を着た冒険者たちが酒を飲んだり、掲示板の前で依頼を吟味したりしている。ざわざわとした喧騒。酒と汗と、かすかに血の匂い。


 受付カウンターに向かう。カウンターの向こうに座っていたのは、眼鏡をかけた若い女性だった。


「いらっしゃいませ。新規登録ですか?」


「はい」


「では、こちらの水晶に手を置いてください。スキルとステータスが登録されます」


 カウンターに置かれた水晶球に右手を乗せる。水晶が淡く光り、そして――受付嬢の表情が微妙に変わった。


「……スキル、修繕。ランクE」


「はい」


「ほかには?」


「それだけです」


 受付嬢が口元を手で覆った。笑いをこらえているのか、困っているのか、判断がつかない。


「あの……戦闘系のスキルがひとつもないのですが」


「そうみたいです」


「修繕というスキル自体、あまり見たことがなくて。攻撃にも防御にも使えないとなると、受けられる依頼がかなり限られますが……」


「構いません。直す系の仕事があれば」


 受付嬢はしばらく考え込んだあと、冒険者カードを発行してくれた。ランクはG。最低ランクだ。


「掲示板のこちら側が、Gランク向けの依頼です。運搬、清掃、修理……あ、修理の依頼はたまにありますね」


「ありがとうございます」


 シュウはカードを受け取り、掲示板に向かった。


 Gランクの掲示板は寂しいものだった。数枚の依頼書がぽつぽつと貼られているだけ。薬草採取、下水道の清掃、荷物運び。


 その中に、一枚だけ修理の依頼があった。


 依頼内容:壊れた荷車の修理

 報酬:銅貨五枚

 依頼主:マルクス商会


 銅貨五枚がどの程度の価値なのかわからないが、最初の仕事としては悪くない。


 シュウは依頼書を受付に持っていき、町の東側にあるマルクス商会を目指した。



 マルクス商会は小さな交易商だった。店主のマルクスは太った中年の男で、倉庫の前で腕を組んで待っていた。


「ギルドから修理依頼を受けた者です」


「ああ、来てくれたか。こっちだ」


 マルクスに案内された倉庫の奥に、荷車があった。


 車輪が外れ、荷台の板が数枚割れ、車軸が曲がっている。それなりにひどい状態だ。


「段差にはまってこの有様だ。大工に頼んだら銀貨二枚かかると言われてな。馬鹿馬鹿しいから冒険者ギルドに安く出したってわけだ」


 シュウは荷車のまわりをぐるりと回り、損傷箇所を確認した。前世の経験が頭の中で自動的に修理手順を組み立てる。車輪の軸受けが歪んでいる、荷台の板は三枚交換が必要、車軸は矯正すれば使える――


 そこで、ふと気づいた。


 自分には工具がない。


 前世なら鉋や鑿や木槌を使って直すところだが、今は手ぶらだ。異世界に来て真っ先に冒険者登録したから、道具を買う余裕もなかった。


「……修繕」


 試しに、右手を荷車に触れて、頭の中でスキルを発動させた。


 指先が温かくなった。


 淡い光が荷車を包む。割れた荷台の板がゆっくりと元の形に戻り、歪んだ車軸がまっすぐに矯正され、外れた車輪が車軸にぴたりとはまった。


 数秒で、荷車は新品同然の姿になっていた。


「…………は?」


 マルクスが固まった。


「なん……今の、なんだ?」


「修繕スキルです。壊れたものを直す」


「直すって、お前……大工が半日かかる修理を一瞬でやりやがったぞ!」


 マルクスが荷車を叩き、揺すり、車輪を回す。きしみひとつない。完璧な状態だった。


「すげえな……こりゃあ銅貨五枚じゃ安すぎるか。ほら、銅貨十枚やるよ」


「ありがとうございます」


 シュウは報酬を受け取った。手の中の銅貨は、前世の硬貨より少し大きくて重い。


 帰り道、ギルドに依頼完了の報告をすると、受付嬢が目を丸くした。


「もう終わったんですか? ついさっき受けたばかりですよね」


「修繕スキルで一発でした」


「ええっ……」


 受付嬢がまじまじとシュウを見る。


「修繕って、そんなスキルだったんですか? 物を直すだけだと思ってました」


「物を直すだけですよ」


「でも一瞬で荷車を直したんですよね? 普通、修理系のスキルでもそこまで早くは……」


「ランクが低いからかもしれませんね。そのうち制限が出てくるかも」


 制限というより反動が出てくるのかもしれない、とシュウは思った。前世で培った職人の勘が、タダで何でも直せるほど甘くないだろうと告げている。


 しかし今のところ、体に異変はなかった。少し疲れた程度だ。


「まあ、直す仕事があれば何でもやりますので」


「はい、ありましたらお声がけしますね」


 ギルドを出ると、夕暮れの空が赤く染まっていた。


 シュウは報酬の銅貨十枚を握りしめて、まず宿を探すことにした。安い宿を見つけて、硬いベッドに横になる。窓の外には見知らぬ星座が光っていた。


 異世界に来た実感が、じわじわと湧いてくる。


 前世では修理工房の中で人生が完結していた。狭い六畳の部屋と作業場の往復。壊れた家具を直して、請求書を書いて、冷めたコーヒーを飲んで、また直す。その繰り返し。


 悪い人生じゃなかった。でも、正直に言えば、もう少し余裕が欲しかった。もう少し、周りを見る時間が。


「修繕、か」


 天井を見上げて呟いた。


 神様がくれたスキル。一番地味で、一番目立たなくて、たぶん一番人気のないやつ。


 でも、直すことは好きだ。壊れたものが元に戻るのを見るのは、いつだって嬉しい。


 そうだ。前世と同じだ。看板が目立たなくても、売上がじり貧でも、「この椅子を直してほしい」と訪ねてくる人がいる限り、仕事を続けてきた。


 異世界でも、たぶん同じことをやるのだろう。壊れたものがあれば、直す。それだけのことだ。


「まあ、のんびりやりますか」


 シュウは目を閉じた。


 柔らかいとは言えないベッドだったが、過労死するほど追い詰められていた前世のことを思えば、天国みたいなものだ。


 異世界一日目。スキルは修繕。ランクE。冒険者ランクG。報酬は銅貨十枚。


 上等だ。


 明日も何か壊れたものがあるだろう。そしたら、直す。


 そうやって、少しずつ。


 シュウは異世界最初の夜を、穏やかに眠った。


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