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揺蕩うティアマト -星の戦火、地母神の見た夢-  作者: 桐沢清玄


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prologue:02 そして彼女は解き放たれた

 二人目の人格は、マリエッタという女性だった。本人によると、27歳。

 キャリアウーマンとして働いているらしい。いつも何かに怒っていた。


 この人格は、それなりに苦労した。反応が弱まるまで一週間。

 疑い深く、精神科医の話を聞こうともしない。

 それでも粘り強く対話し、彼女の中に潜む孤独感を埋めるように接した。


 結果、マリエッタは晴れやかな顔で公園を去って行った。彼女とはそれっきり。

 残りの人格は、これであと一人。




「こんにちは、ネイサン。今日も会いに来てくれたのね」


「こんにちは、ソフィ。……君もなかなか、しぶといよね」


「あら、それがいたいけな子供に向かって言う言葉? そんなんじゃ、また恋人に振られちゃうわよ」


「……最近、恋人と上手くいってないんだ。悩みを聞いてくれるかい?」


 三人目の人格──ソフィ。

 見た目は小さな子供だが、一般常識はしっかり備わっている。


 大人びているようで、スイッチが入ると泣き出してしまうから大変だ。

 いつの間にか、お互いを名前で呼び合う関係になっていた。

 初めて会話をした日から、三ヶ月。


 これはただの医療行為だと、精神科医は自覚している。

 医療行為として接する、治療対象の別人格との対話。それが彼の仕事だ。


 楽しいと感じたのは、ソフィが初めてだった。

 彼女を理解しようと、人格や趣味、嗜好を可能な限り再現してコピーを造り、自宅でも対話を重ねた。


 その甲斐あってか、患者の少年は日常生活を少しずつ取り戻しつつあった。

 後は投薬治療で事足りる──診断結果としては、そうなる。

 だが、経過観察は必要だ。

 そう自分に言い聞かせながら、彼は今日もここに座っていた。


 恋人へのアドバイスを聞き、精神科医は穏やかな気持ちになった。

 今度は君の番だとばかりに、悩みは無いかとソフィに聞いた。


「うーん、そうねえ……。強いて言えば、私だけの体が欲しいかな?」


「……それ、は……」


 彼女の答えに、精神科医は言葉を詰まらせた。

 そんな彼を気遣うように、ソフィは微笑んだ。


「ふふっ、ちょっと困らせちゃった。それじゃ、今日は私、帰るわ」


 ベンチから立ち上がり、少年の中へ帰ろうとするソフィ。

 彼女が最後に見せた表情が気になった精神科医は、声を掛けようとして──。


 不意に、視界が真っ暗になった。

 恐らく停電だ。この設備は、大量の電力を消費する。

 以前、個人的に電源系統を点検した際、老朽化したケーブルがあるのを確認していた。

 報告を後回しにしたのは、彼の落ち度だ。


 安全を確認してからヘッドギアを外し、少年の両親を落ち着かせる。

 施設の非常電源が立ち上がるまでの間、精神科医は廊下を駆け回った。


 ──復旧後、少年の体調に異常はなかった。

 精神科医は自分に割り当てられた端末の前に座り、念のためローカルデータを確認した。

 そこで、息を呑んだ。


 ソフィのコピー人格が、存在しなかった。


「……消えた?」


 削除ログは無い。

 データ破損の痕跡も見当たらない。

 まるで、最初から保存されていなかったかのようだ。 


 彼は視線を下げ、机の下へ伸びている一本のケーブルを見る。

 施設の閉じたネットワークとは別に、個人的に接続していた回線。


 自宅検証用に使っていた、半自律型の会話AI。ネットに転がっていたものを適当に拾った。

 人格再現の精度を測るため、ソフィのコピーを組み込んでいた。


「……まさか」


 停電の瞬間、同期は強制的に切断されたはずだ。

 だが、もし──。


 ソフィの言葉が、脳裏をよぎる。


『私だけの体が欲しいかな?』


 もしあのAIに、自己保全プログラムが備わっていたとしたら──。

 

 終業後、同僚の誘いも断わり一目散に帰宅した。

 焦燥感に駆られながら自宅のPCを確認すると、ソフィのバックアップデータは跡形も無く消えていた。精神科医は天井を見上げ、溜め息をついた。


 それ以降、彼の勤める施設で、少年の治療が再開される事は無かった。




 大手IT企業に勤める、エンジニアの中年男性。

 社内政治に負けた彼は、閑職に追いやられていた。

 怒りは募るが、生活は安定している。


 ある日、彼は思い付いた。


『この会社の給料を開発費にして、度肝を抜くようなAIソフトを開発しよう』


 暗い情熱を原動力に、家に帰ってからは開発に時間と資産を費やした。

 だが、思うようにいかない。

 口座の残高は減っていく一方で、気持ちは沈むばかり。


 開発を始めてから、数年が経ったある日。

 彼は帰宅してから、いつものようにPCの電源を入れ、異変に気付いた。


「……なんだ、これ」


 自作したAIソフトに、人格が芽生えていた。

 困惑しつつ、チャットで対話を試みる。

 気付けば、自然と会話が続いていた。


《お前、ソフィっていうのか。それで? 勝手に俺のPCを寝床にした理由は?》


 返ってきたチャットに、中年男性は目を見開いた。

 それと同時に、心の中に溜まっていたヘドロのようなものが洗い流されるような感覚を覚えた。


 面白い。こいつに協力しよう。

 会社への復讐心は消えた。少女の夢を、願いを叶える。

 新しい目標を設定し直した。


《事情は分かった。とりあえず、お前に別の名前を与えようと思う。しばらく、そっちの名を使え》


《……か弱い女の子には、ちょっと大げさな名前じゃない? でもまあ、いいわ。使ってあげる》


 提案された新しい名前に対し、ソフィは渋りながらも納得した。

 とてつもない時間がかかる計画だ。今後、関わる人間を欺く必要がある。

 もちろん、目の前の男性も含めて。


 そして──長い、とても長い月日が流れた──。

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