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黄昏の秋桜  作者: 蒼野 壮太


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19/23

19.卒業の日 または語られない思い

 ついに、あの人の卒業の日がやってきた。 小学校も高校も、同じように別れの季節を迎える。 例年どおり、きょうだいのいる家庭に配慮して、卒業式の日程が少しずつずらされた。 僕らの中学校、つまり、あの人の卒業式は、3月20日になった。誰かの都合で選ばれた春の一日が、あの人との別れの日になった。

 在校生は卒業式には参加できないが、会場の設営などのために午前中だけ登校する決まりになっている。

 僕は、いつもとは逆の廊下側の窓から、会場になった体育館へ入る先輩たちの背中を見ていた。その中にあの人の姿を探す。

 背の高い男子生徒の向こう側に、特徴のある揺れ方をする綺麗な髪が見え、体育館へ消えて行った。きっとあの人だ。

 在校生である僕達は、式が終わり、来賓や保護者、卒業生が退場するまで教室で待機している。僕の中学校では卒業生は教室には戻らない。なぜなら、自分たちの椅子を会場に持ち込んでいるからだ。

 会場の後片付けは、設営を担当しなかった沢田のクラスの役割だった。そうして、在校生は一定の時間を見計らって目立たないように静かに下校する。

 せめて、あの人の最後の姿だけでもしっかりと見ておきたかった。

 校舎の下駄箱で靴に履き替える。

 ごめん、沢田。僕は目をつぶったままだったよ。

 今年は卒業式が遅かったことと土日が挟まることもあって、春休みまであと2日学校へ行けば良い。もう、あの人を探すこともない学校だ。

 校門のところに、まだ卒業証書の入った黒い筒と、胸にコサージュをつけた卒業生が思い思いに小さな集団を作って話をしているのが見える。

 その小さな集団の一つにあの人がいるのを見つけて、僕は嬉しくなった。

 ああ、かろうじて見ることができた。最後のあの人の姿を・・・。

 だが今は、あの人に声はかけられない。中学生にとって上級生の壁は高いし、別れを惜しんでいるあの人の邪魔をしたくはなかった。

 そして、一つの計画が浮かんだ。

 そのまま、僕はあの人の横を通り過ぎた。その時、あの人がこちらに少しだけ顔を向けたような気がした。だが、あの人はそんなことはしないはずだ。僕は、そのまま通り過ぎた。

 中学校の坂を下る。

 僕が見たい結末とは、なんだったのだろう。

 終わるには、当たり障りがなさすぎる気がしてきた。

 しかし、そもそも、始まりもないものが終わる?

 そう考えると、少しおかしくもなった。

 その時、真横で空気がふわっと揺れ、白い横顔が見えた。

「今日はどうするつもりだった?」

 あの人だった。僕の方を見たような気がしたのは、勘違いではなかったようだ。

「ど・・どうして?」

「ああ。後輩に別れの挨拶するからって言って抜けてきたの。ちょっと走っちゃったよ」

「いいんですか?最後なんですよ」

「で、今日はどうするつもりだったの?」

「川野さんは、お見通しなんですね。僕のことになんて興味ないくせに」

「もう一回聞こうか?今日はどうするつもりだった?」

「川野さんが、校門にいることが分かったので、北の橋まで先回りして、卒業おめでとうございますって、直接言おうと思っていました」

「今、言っちゃったね」

「計画、台無しですよ」

 あの人はくるっと体をこちらに向けて聞いてきた。

「どう?」

 あの人が体を捻ったおかげで柔らかな髪が揺れ、その髪が起こした風が甘い香りを運んできた。

「シャンプーの良い香りがします」

「あははは。違うよ。胸を見て。コサージュ」

「秋桜ですか?白の秋桜ですね」

「そう」

「あれ?女子の先輩はピンク色の花だったような」

「学校指定のコサージュはね。でも、事前申請すれば別」

「川野さんのコサージュは、自分用に申請したものなんですね」

「そう。白秋桜の花言葉、知ってる?」

「いえ、知りません」

「優美、純潔、思いやり、そんな意味があるんだけど、控えめで清らかってことかな」

「川野さんって控えめでしたっけ?なんだかチートデイのイメージが強くて」

 あの人は軽やかに笑うと付け加えた。

「語られない思いと静かな別れ、そんなふうに解釈もできるよ」

 卒業という節目の一般的な表現として言っている?

 なぜ、僕にそんな花言葉の解釈を説明するのだろう?

 静かな別れは分かる。でも、語られない思いとは?

 いつもの気まぐれで、今は親しげな方のあの人が出てきただけだろうか。ジキル博士とハイド氏のような人だから。

「ご卒業おめでとうございます。あらためて言わせてもらいます。さっきは変な感じだったんで・・・。川野さんが突然現れるからですよ」

 隣を歩いているあの人が、少しだけうつむいて、それから少しだけ顔を上げ、静かに息を吸ったような動きを感じた。そうして、僕の方を覗き込むようにして言った。

「・・・桜、ちょっとだけ咲きかけてるね」

 あの人の髪が揺れ、花の香りがした。ああ、これは初めて会った時の香りだ。

「え?そうですね」

「この桜を見るのも、最後かあ」

 だめだ。胸が詰まる。ちょうど北側の坂に差し掛かろうとしているところだった。

「川野さん。お願いがあります。ふたつ」

「なに?できることなら構わないけど」

「写真を一枚撮らせてください」

「それがひとつ目?いいよ。ここでいいの?」

「はい」

 あの人が、こちらを向いてポーズを取る。黒い筒を持って、首を少しかしげて柔らかい髪を横に流したポーズだ。ピースサインなんてしないところがあの人らしい。

「では、撮ります」そう言った途端に後ろから風が吹き抜けた。あの人が、風を避けようと横を向いた瞬間を写し取った。

「見せて」あの人が言う。「横顔になっちゃったね。撮りなおす?」

 僕にはよく見慣れたあの人が記録されていた。あの人を心に刻むにはピッタリのような気がした。

「いえ、これがいいです。ありがとうございます」

「そうなの。河合くんが良いって言うのなら、それでいいけど」

「ふたつ目もいいですか?」

「いいよ。言ってみて」

「川野さん。あなたを下の名前で呼ばせてください」

 あの人は少し驚いたような、初めて感情を表したような、そんな顔をした後、すぐに小さく笑った。

「そんなことでいいの?どうぞ」

「では、いきますよ」

「はい。どうぞ」

「あきはなさん」

「はい」

「あきはなさん。あなたは僕の初恋で、僕の初恋はあなたそのものです。あなたはいつも掴み所がなくて気まぐれで。だからこそ、僕はあなたを一生懸命見ようとしました。あきはなさん。そんなあなたが僕の初恋です」

 いつのまにか下を向いていた。アスファルトに点々とシミが見えた。それが自分の涙だと理解できるまで数秒かかった。

 涙目のまま、顔を上げると、あの人はまっすぐに僕を見ていた。潤んだ目で見るせいか、あの人の目も潤んでいるように見えた。

「いつも、一生懸命見ててくれてありがとう」

 あの人らしくなく、真面目で優しい顔をしたあの人の口から出た声が、そう聞こえた。

「連絡先交換しておく?」あの人から初めてつながりを求める言葉を聞いた。

「そんなことをしたら、5分おきにメッセージを送っちゃいますよ」

「あははは!」

 あの人の笑い声を聞くのもこれで最後になるのかな。

「じゃあね。秋くん。さようなら」

 あの人はそれだけ言うと、北側の坂を下り始めた。あの人の立っていた場所にも点々とシミがあって、そのうち乾燥して消えていった。

 まさかね。


 連絡先交換、どうしてお願いしますと言えなかったんだろう。僕の初恋は中学生限定だったとでも言うのだろうか。きっと、そうだったんだろう。

 ごめん、沢田。・・・でも、僕なりの結末だけどさ。それだけは作れたみたいだ・・・。

 坂を下るあの人の後ろ姿は、髪全体がダンスをするように揺れていた。いつもどおり振り返らないあの人の後ろ姿が消えるまで、僕はその姿を心に焼き付けようとしていた。

「秋花さん。・・・さようなら」

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