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黄昏の秋桜  作者: 蒼野 壮太


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14/23

14.横顔 または眠れない夜

 それから、何度か向かいの校舎の廊下を歩くあの人を見かけることがあった。だが、期待に反してこちらを見ることもない。少し遠目の横顔を僕は眺めているだけだった。

 だが、ある日、休憩時間以外にあの人が廊下を自分のクラスへ走って戻るところを見た。

 その時初めて、あの人は、僕を意識的に見た。そうして、軽く笑いながら自分の手で頭を叩く仕草をした。おそらく、別の教室での移動授業があり、なにか忘れ物を取りに来たのだろう。それを伝えたのだと思った。

 ほんのちょっとしたコミュニケーションだが、へんげと交換日記をやっていたときのような特別感を少しだけ僕は感じた。

 あの人は、いつも僕が見ていることを知っているはずなのに、いつも横顔しか見せてくれない。今日のあれは、観客に向けた照れ隠しのポーズなのか、親しい相手に向けた合図なのか。

 結局、あの人の真意が僕にはわからないまま、胸だけが締め付けられてゆくのだ。

 そして、眠れない夜が訪れる。

 たまには走ってみるかな、と思いたち、深夜に北の川までランニングする。だが、それ以上は進めない。川向うにあの人の家が見える辺りで折り返す。何をやっているんだろうか。結局、復路は惨めな気持ちを引きずることになる。

 いつのまにか、父からボクシングの指導を受けることもなくなり、沢田に語ったバンドの夢も、今ではもう関心がなくなってしまった。

 あの人との間には、学年の違いという今の時期だけの越えられない障壁がある。あの人の写真は手元には一枚もなく、連絡先を知っているわけでもない。気がつくと悲しいほどにあの人への思いには形がないのだ。

 我が家には電子鍵盤楽器型のシンセサイザーがあった。母さんがかなり前に購入したもので、鍵盤数はピアノに近く、16トラックのシーケンサーも内蔵されている。母さんは若い頃ピアノをやっていたらしく、オーケストラを聴くのが好きで、あの壮大な響きに憧れていたらしい。この楽器なら、一人でもオーケストラのような音の重なりを再現できる。

 今は僕の部屋に置いてあって、母さんのようには使いこなせないが、僕が使っている。あの人のことを知ってからのことだ。あの人を思い、切ない気分に襲われて、音楽が湧いて出た時の相棒になっている。

 あの人の様子に一喜一憂し、あの人への思いを別の形に昇華させようとしていることは分かっている。ただ、そうせざるを得ない程に、あの人が僕の心を支配してしまっているのだ。

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