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黄昏の秋桜  作者: 蒼野 壮太


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10/23

10.黄昏時の出会い

 へんげと交換日記をやめてから1ヶ月。

 交換日記の他に、何が変わったかと言うと、へんげと下校しなくなったことくらいだろうか。

 今日は、音楽部がギター教室を開くというので、参加してみた。そのうち始めるつもりのバンド活動のために、少しでもギターに触れておきたいという理由からだ。

 思いのほか面白かったので、今後の定期開催すべてに参加希望を出しておいた。帰り支度をしていると18時近かった。

 へんげの不在は、それはそれで大きな変化だったに違いない。その日の出来事や、下校中のちょっとした気付きを気軽に話せる相手が、もう隣を歩いていない。何か、失ってはいけないものを失ってしまったかのような、そんな気にもなった。

 へんげとは、顔を合わせれば挨拶程度の話もするし、時折母さんと連絡を取り合っていることも知っている。だからといって、親しい友人へと関係が変化したなんてきれいごとも言いたくない。

 あのとき、へんげを傷つけたのは僕なのだから。

 5月の風は、日に日に湿り気をはらんで、やがてやってくる梅雨の季節に備えている。18時を過ぎた下り坂の空は夕焼けで黄金色に染まっている。

 その時、僕の隣をふわりと花の香りが通り過ぎた。セーラー服の女子が、僕を追い抜いているところだった。赤いスカーフのその人は、さらさらの髪の毛の1本1本が、夕日をあびて金色に反射している。  

 僕の中学校は、入学年度によってスカーフの色が違う。3年生は赤、僕ら2年生は白、1年生は青だ。

 へんげよりもさらさらで長い髪、へんげとは違うシャンプーの香り、いまだにへんげを基準として考えている自分に少し驚いたが、その人は長い睫毛を伏し目がちにして、ちらっと横目をよこし、髪を揺らしながら北側の坂へと歩いていった。

 考え事をしてノロノロと歩いていた僕を、邪魔だと思ったのだろう。

 でも、なんだろう。僕はその白く美しい横顔、いや、その造形の美しさだけではなく、一瞬の振る舞いや歩き方、髪の揺れ方や香り、輝き、そのすべてに、圧倒されてしまった。あんな人が先輩にいるなんて、今まで気が付いたことがなかった。

 ついに、黄昏時の素敵な何かと出会ってしまったのかもしれない。 

 中学校には3階建ての校舎が2つあって、僕ら2年生の校舎は3年生の校舎の裏にある。2年生と3年生のクラスは、どちらも3階にあって、他の階は職員室や理科準備室、1年生の教室などだ。

 僕は窓側の席だったので、ちょうど3年生のクラス全体の廊下側が見渡せることになる。

 3年生の生徒が教室を出入りすると、つい、目で追ってしまう。昨日のあの人がいるんじゃないかと。


「この頃、変じゃねぇか?放課後も遅くまで学校に残っているらしいし、雰囲気も暗いし、河合らしくないっていうか。どうした?」

 いつものように昼休みになると沢田がだべりにやってくる。どうして放課後も遅くまでいるってことを知ってるんだろう?

「最近、学校で宿題を片付けるクセがついちゃってさ」

「ふぅん。竹内は下校時間が一緒にならないように気を使われてるって思ってるみたいだったぞ」

 へんげから聞いたのか・・・。

「それはないね。僕がそんな気を使う人間に見える?」

「見えないな。竹内とだって普通に会話しながら帰ってしまうような人間に見える」

「いや、普通には会話できないでしょ?普通を装った会話ならできそうだけど」

 どうでもいいことだが、名付け親である沢田でさえ、いつのまにか、へんげを竹内と呼ぶようになっていた。

「じゃあ、放課後はそれでいいとして、なんだか河合らしくないそのオーラはどうなんだよ?」

「沢田。君はツルゲーネフの『初恋』って小説を読んだことがある?」

「俺?あるわけ無いだろ?」

「そうだよね。僕はさ、かなり前に読んだことがあって、つい最近読み返してみたんだ。そうしたら、主人公の気持ちが、よく分かることに気づいたんだよ」

「どんな気持ちがだよ?」

「恋っていうのは・・・。いや違うな。初恋はさ、痛みを伴う感情なんだよ」

「お前、大丈夫か?」

「美しい髪ってさ、ダンスをするように全体が揃って揺れるんだよ。一本、一本じゃなく」

「何の話をしている?」

「あ、ごめん沢田。別の話」

「大丈夫じゃないな」

 別れの時にへんげが言った。初恋は失恋の痛みがあって、はじめて完成するんだと。

 だったら、何も始まっていないのに、常に新たな痛みを生み出しているこの感情、あの人への思いをつのらせるこの感情はなんだろう?

 常に失恋しているような、この感情はなんだろう?

 おそらく、僕は今、未完成な初恋の痛みの中にいるのだ。

 昼休み終了の予鈴が鳴った。

「また、来るから」

 沢田はそう言うと自分のクラスに戻って行った。不器用だが、沢田なりに心配してくれているのが分かる。

 あの日から、僕は初めて経験する感情に支配されてしまった。休み時間や放課後には3年生の校舎を眺めている。その努力が実り、たまにあの人を見かけることができるようになった。どこかの誰かからのちょっとしたプレゼントだ。

 クラスは3−Bだということも分かった。

 名前はわからない。周りに聞けば誰かは、あの人の名前を知っているかもしれないが、自分の恋心を拡散できるほど度胸があるわけでもない。

 あの人について言えば、友人は少なめな様子だが、廊下で他の女子3年生と楽しそうに話している姿を見たこともある。部活動はやっていない。たぶん。

 あの日、下校が遅かったのは、進学相談とかそういった事情なのかもしれない。たいてい、それまで僕が帰っていた時間よりも30分ほど遅く下校している様子だからだ。

 いずれにしても、確かなことは、あの人が1学年上の3−Bの生徒というだけ。他の全ては推測だ。

 こうした情報の不完全さが、切ない気持ちをどんどんつのらせる。切なさは苦しみとなり痛みとなる。

 一方で、この痛みの感情を歓迎している自分がいる。


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