外の世界
(どうして……何で……ニクはどこ行っちゃったの)
ユイカは見知らぬ土地で途方に暮れていた。花から情報を得はしたが万全ではなく、歴代前任の管理者が知り得ないものは当然受け継がれない。加えて移り行く時の中で様々なものが大なり小なり変化していくもの。初めての森の外へ出たユイカは、よりにもよって大きい変化のあったであろう地で一人きりになってしまっていた。
事の発端は、未だ欠けている管理者の記憶を探すべく銀狼の力でもって森の外へ飛ばされたことだった。森の外へ行く目的は欠けた記憶を探すためであった。自身の守護獣であるらしいニクと共にユイカは旅に出るはずだったが、まさかの出立の時点ではぐれてしまった。銀狼が力を行使したすぐ後に、すまぬという謝罪だけが聞こえ森の外へ飛ばされてしまった。おそらく銀狼としても予期せぬ事態が起きたのだろう。前世の不運を引き継いでしまったのかと思わずにおれない現状に、ユイカは一人打ちひしがれていた。飛ばされた先が街道沿いであったのは唯一の救いか。道に背を向け小岩に座るユイカは哀愁が漂っていた。
守護獣は管理者の盾であり、共に生まれ共に死ぬ。この記憶を得た時にユイカは管理者として己とニクは異質であると確信を持った。管理者と守護獣が一蓮托生というのなら、銀狼も言っていたように本来守護獣が二体も存在していないはず。管理者の誕生と共に守護獣も生まれるはずだが、ユイカの誕生時にニクはいなかった。現時点で引き継いだ歴代管理者の記憶には、ユイカとニクのような事例は存在しない。さらには転移という強制的な力でしか森の外へ出られないということも異例であった。
(さすがに一人は心細い……)
守護獣は言わば管理者の盾であり、お互いある程度の気配は感じ取れる。しかしユイカとニクはお互いに不完全同士であり、過去の管理者の記憶や銀狼もわからないことが多々ある。ユイカが今、銀狼やニクの気配を全く感じ取れないことも管理者として不完全である可能性は高い。ニクは言葉を理解はするものの話はできないため意思疎通が難しい。それでも呼びかければお気に入りを骨を咥えながら駆けてきてくれた。それも今はどれだけ呼びかけても、あの騒がしい足音は聞こえてこない。森の中、ニクがユイカの側にいたのも守護獣という役目からの本能の部分が大きいのだろうが、ユイカはニクが可愛くて仕方がなかった。離れてこんなにも心細く感じることにユイカはさらに落ち込んだ。日が暮れる前に動かねばと思うユイカだったが、ニクと意図せず離れ離れになったことが想像以上にこたえてしまっていた。ショックのあまり周囲のことなど全く目に入っていないユイカは、満身創痍といった体の荷馬車が近付いてきていることすら気付いていなかった。手荷物も持っていないユイカは傍から見たら、1人放り出され途方に暮れる者でしかなかった。
「もし、そこのお方、このような場所でいかがされたので?」
背後からの問い掛けにユイカはやっと顔を上げる。管理者の小屋にあったフード付きの紺色ローブを着込むユイカは口元しか見えない状態であったが、特殊な生地であるのかユイカ側の視界は開けている。振り返った先にいたのは御者席で馬の手綱を引く優し気な風貌の老人だった。よく見ると荷馬車だけでなく馬と老人も汚れが酷くボロボロの状態で、むしろそちらのほうが大丈夫なのかと問いたくなる有り様だ。身を案じてくれた老人に答えようとしたユイカだったが、幌のかけられた荷台から別の声がかかった。
「おい爺さん誰と話してる。面倒事に首を突っ込んでねぇだろうな」
不機嫌を隠す気など微塵も感じられない声で1人の男が荷台から顔を出した。この場の誰よりも汚れが酷く、見える範囲だけでも少なくない生傷がついている。老人とは真逆で、見るからにガラの悪い男だった。大きなガタイに悪人面という男の登場にユイカは自然と顔がしわくちゃになった。ユイカは前世でこういったタイプの男によってトラブルに巻き込まれることが多かった。
「いえね、見たところお1人のようでいらしたので」
「あ?冒険者でも上級以上でなきゃ1人で歩けねぇ区域だぞ。どうせ死地を探しに来たとかだろ、ほっとけ」
「しかしねぇ……そうであってもここはやめておきなされ、そこのお方」
(勝手に話が進んで行く……いや、このまま黙っとこうかな)
あわよくば荷馬車に乗せてもらえないか交渉するつもりでいたユイカだったが、人相の悪い男の存在にむしろ今は関わりたくないと思いつつあった。己1人だけの危機であればその選択も良かったかもしれないが、一番の憂慮であるニクのこと考えるとそうもいかない。ユイカは気を取り直して二人の会話に加わる。
「あの、私今どこにいるかすらわからない状態でして……迷惑と思いますが安全な場所まで同行させていただけないでしょうか」
ユイカの申し出を受けた老人は驚き、悪人面の男ははっきりと迷惑そうに顔を顰めた。
「何と!女性でいらしたか。こちらの早とちりで勝手なことを言ってしまいすみませんね。さぁさ、薄汚れていて申し訳ないですがお乗りなさい」
「おい爺さん」
「わかっておりますよ。お嬢さんの分、護衛料金を上乗せいたしますから」
「はぁ……さっさと馬車を出せ。これ以上魔物の相手はごめんだ」
「……お邪魔しまーす」
小型の荷馬車であるため御者席に2人は無理がある。ユイカは泣く泣く荷台へと乗り込んだ。当然ではあるが荷馬車であるため荷物が多く、人が座れるスペースは限られている。最悪なことに男のすぐ隣にしか座る場所がなかった。ユイカはできるだけ身を縮めて隣に座した。見た目と態度を裏切ることなく、男は談笑に応じてくれそうな雰囲気などまるでない。動き出した荷馬車に揺られながら、ユイカは早く着いてくれと願うばかりだった。




